↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/137

64話 最後の仕事

 防災対策課の会議室。


 風宮さんは静かに、自分の手の中にある黒く小さなUSBメモリを凝視していた。


 その瞳には、これから起こる事態への深い警戒の色が宿っている。


「……確かに、このUSBは俺が責任を持って預かっておく」


 低く重みのある風宮さんの声を聞き、私ーー月影は小さく頷いた。


 この人になら、命懸けで手に入れた情報を託しても大丈夫だ。


 そう確信していた。


「……それじゃあ風宮さん。そのUSBの件、よろしくお願いします」


 それだけを短く言い残すと、私は足元に伸びる薄暗い影の中へ、静かに身体を沈めていく。


 ――スッ。


 影の中へ潜り込み、空間を滑るように移動する。


 暗闇の通路をすり抜け、自分の部署の前まで来ると、私は再び静かに姿を現した。


 廊下には、誰の気配もない。


 私はそっと胸を撫で下ろし、安堵の息を吐いた。


「ふう……やっぱり、この影移動は、本当に便利だな」


 緊張を少しだけ解きほぐしながら、私はドアノブへ手を掛ける。


 ――カチャリ。


 金属音が静かに響いた。


 自室へ足を踏み入れた私は、背後で音を立てないよう、ゆっくりと扉を閉めた。


***


 ――だが、その瞬間だった。


 部屋の奥。


 暗がりの中で、異質な黒い光の粒子がちらちらと舞っている。


 それが視界に飛び込んできた瞬間、私の表情が強張った。


「……ここで一体、何が起きているんだ?」


 重苦しく冷ややかな静寂が、部屋全体を支配している。


 問いかけに、返事はない。


 宙を漂う漆黒の光の粒子が、まるで意思を持つ生き物のように、ゆっくりと渦を巻き始めた。


 そして――。


 粒子が、一つの人影を形作っていった。


 背中には、禍々しくも美しい漆黒の翼。


 身に纏っているのは、深紅と漆黒が混ざり合った異形の装束。


 そして、すべてを呑み込みそうなほどの深い漆黒の髪。


 右手には、怪しい鈍い光を放つ短剣が握られていた。


 私は息を殺し、全身の神経を研ぎ澄ませながら、目の前に現れた謎の刺客を見据える。


(……なるほど)


 相手から放たれる、異様な気配。


 そして、あまりにも自然な出現。


 私は瞬時に状況を理解した。


(……これは、私を狙ってきている)


 ほんの少しだけ、口元に笑みが浮かぶ。


(これが……今の私に課せられた仕事ってことか)


 私は身体の重心を深く落とし、全身の筋肉へ力を込めた。


 そして、静かに拳を構える。


「だがな……そう簡単に殺されるつもりは、ないがな!!」


 ピンと張り詰めた糸のような緊張感が、部屋を完全に支配する。


 次の瞬間――私と謎の刺客は、同時に床を蹴った。


 ――ドンッ!!


 漆黒の翼を持つ刺客が、短剣を一直線に突き出してくる。


 迷いのない動き。


 殺意だけを乗せた、鋭い突き。


 私は迫り来る刃を、服の布で滑らせるように受け流した。


 ――キィン!


 刃が空を切る。


 そのまま懐へ踏み込み、無防備になった相手の顔面へ拳を叩き込む。


 しかし――刺客は、ほんのわずかに身体を後方へ滑らせた。


 私の拳が、髪先を掠める。


(速い……!)


 次の瞬間には、再び短剣が迫っていた。


 右、左、胸元、喉元。


 連続して繰り出される突きを、私は紙一重でかわし続ける。


 こちらが踏み込めば、相手は後方へ下がる。


 拳を振れば、最小限の動きでかわされる。


 狭い室内で、一瞬ごとに生死を分ける攻防が繰り返されていく。


(何なんだ、こいつ……!)


 呼吸の気配すら感じさせない。


 動作に無駄が一切ない。


 まるで、人間の限界そのものを無視しているかのような戦い方だった。


(……本当に、人間なのか!?)


 額に汗が滲む。


 しかし、互角に見えた攻防は、ほんの一瞬の隙によって崩れ去った。


 ――トントン。


 廊下の向こうから、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。


(……誰か来る!?)


 私は咄嗟に、その音へ意識を向けてしまった。


 ほんの一瞬。


 たった、それだけだった。


 だが――刺客は、その隙を見逃さなかった。


 ――シュッ!!


 最短の軌道で、短剣が突き出される。


 私の反応が、ほんのわずかに遅れた。


 ――ただ、それだけだった。


 ――グサッ!!


「……ガハッ!!」


 刃が、胸を深々と貫いた。


 血が、一気に溢れ出す。


 刺客は何も言わない。


 ゆっくりと短剣を引き抜くと、その身体を暗い光が包み込んだ。


 そして――漆黒の光の粒子となり、消え去っていった。


***


 静まり返った室内。


 私は膝から崩れ落ち、冷たい床へ倒れ込んだ。


 視界が急速に狭まっていく。


 世界が、暗闇へ沈んでいく。


 冷たくなっていく指先を、最後の力を振り絞って伸ばした。


 胸から流れ出した血に指を浸す。


 そして、震える指先で床に文字を刻んだ。


「……風宮さん」


 声が、掠れる。


「私は……どうやら……ここまでみたいです」


 残された意識と命のすべてを振り絞り、血に濡れた指を動かす。


 一文字。

 たった一文字だけ、床へ刻み込んだ。


『天』


 その文字を書き終えた瞬間――指先から、力が抜け落ちた。


 私は静かにまぶたを閉じる。


 そして――ひっそりと、息を引き取った。


 窓から差し込む夕暮れの光が、冷たくなった身体と、床に残された血文字を赤く染めていた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。