06話 帰り道
夜風が静かに頬を撫でる。
月明かりがうっすらと照らす暗い住宅街を、四人は必死に駆け抜けていた。
時刻はすでに午後七時を回っている。
背後から響いていたサイレンの音は、角を曲がるたびに少しずつ遠ざかっていった。
咲は息を切らしながら、前を行く三人の背中を必死に追いかける。
「はぁ……はぁ……っ」
街灯の明かりがぽつりと落ちる暗い路地に入り、俺――橙真は背後を確認して足を止めた。
「この辺なら……もう大丈夫かな」
「ああ、防災対策課の車両も見えねぇな」
蒼太と碧羽も周囲の気配を窺いながら頷く。
四人はようやく足を止め、息をついた。
緊張の糸が切れた咲は、その場にしゃがみ込むようにして大きく息を吐いた。
「つ、疲れました……こんなに走ったの、久しぶりです……」
「お疲れさま。急に走らせちゃってごめんね」
碧羽が隣に歩み寄り、優しく背中をさする。
遠くの交差点の向こうを、青色の回転灯を光らせた車両が走り抜けていく。
車体には『防災対策課』の文字が描かれていた。
咲が振り返り、途切れ途切れに口を開く。
「あれって……友達が連絡した、防災対策課ですよね?」
俺は大きく息を吐き出しながら頷いた。
「うん、そうだよ。表向きは災害対策をしているけど、実際はさっきみたいな怪物を極秘に対処する、政府の専門組織なんだ」
「政府の組織……ですか?」
驚く咲に、碧羽が苦笑交じりに付け加える。
「まあ、そうかな。向こうは大がかりな装備で、世間にバレないように対処するのがメインだからね。私たちとは立場が違うんだ」
「ああ、そのとおりだ。俺たちみたいに、自分から怪物との戦いに首を突っ込んでるわけじゃないからなー」
遠ざかるサイレンの音は夜の闇へ溶けて消え、静けさが戻ってきた。
ふと思いついたように、蒼太が自分の頭をガシガシとかいた。
「そういやさ、俺たち自己紹介がまだだったよな! 俺は水沢蒼太! よろしくな!」
「私は風間碧羽。よろしくね」
咲は慌てて深く頭を下げた。
「私、白石咲です! よろしくお願いします! あの、呼び捨てで呼んでください!」
「じゃあ遠慮なく、咲って呼ぶね」
碧羽が嬉しそうに微笑むと、咲は少しためらいながら尋ねた。
「あの……私、みなさんのこと、なんて呼べばいいですか?」
「好きに呼べばいいんじゃないか?」
「じゃあ……蒼太先輩?」
「っ……!?」
思いがけない呼び方に、蒼太の動きがピタリと止まる。
照れくさそうに鼻の下をこすった。
「俺も『先輩』になったのか。なんだか悪くねぇな……」
「分かりやすくニヤニヤしないで」
碧羽が呆れつつ、咲に向き直る。
「それじゃあ、私は?」
「碧羽先輩……でいいですか?」
「うん!」
碧羽が満面の笑みで頷く。
咲は最後に俺の方へと視線を向けた。
「橙真先輩は、そのままでいいですか?」
「ああ、うん」
咲がほっとした笑顔を浮かべた。
俺は頭の片隅に引っかかっていた疑問を口にする。
「そういえば……さっき言ってた『赤い光』のことだけど。本当に見えてたのか?」
「はい。怪物の体の中央が赤く光っていて……心臓みたいにドクン、ドクンって動いていたんです」
咲の真剣な言葉に、蒼太と碧羽が首をかしげた。
「うーん……俺はただの水蛇にしか見えなかったな」
「私も全然見えなかったな。今まで、核の場所は勘で探していたし……そんなものが見える人は、咲が初めてかな」
二人の言葉を聞いて、咲の表情が不安げに陰る。
自分だけが特別な存在なのか。
そんな恐れが、胸を締め付けているようだった。
「私だけ……なんですか? 赤い光が見えていたのって……」
「でも、そのおかげで助かったよ」
「……え?」
「咲があの光を教えてくれなかったら、俺たち、あんなに早く怪物を倒せなかった。間違いなく大苦戦してただろうな」
「おう、そうだな! 俺の氷じゃ、力押しするしかなかったしな!」
「そうだよ。今日みんなが無事でいられたのも、咲のおかげじゃないかな。だから、自信持っていいんだよ」
俺たち三人の言葉が、しっかり受け止めているようだった。
咲は溢れそうになる涙を必死にこらえ、頭を下げた。
「……みなさん……ありがとうございます……」
少し湿った空気を変えるように、蒼太がスマホを取り出す。
「この際だし、連絡先交換しとくか」
「賛成! 咲、スマホ持ってる?」
「あ、はい! あります!」
「橙真もスマホ出せよ」
「え、俺はもう交換したからいいかなって」
「だからいつの間にやってんだよ!?」
蒼太のツッコミに笑いが起き、電子音が小さく響いた。
画面に並ぶ名前を見つめ、咲は嬉しそうに口元を緩める。
やがて、四人は、交差点へたどり着いた。
「じゃあ俺の家はこっちだから」
「また連絡するね、咲!」
「はい! ……今日は、本当にありがとうございました!」
手を振る二人の背中が闇に消え、残されたのは俺と咲の二人だけになった。
***
街灯の下で、咲が小さく口を開く。
「……橙真先輩。私たち……また、会えますよね……?」
「たぶんそのうち……学校で会えるだろ」
その瞬間、咲の顔に笑顔が浮かんだ。
「はい! それじゃあ、そのうち学校で!」
「ああ、そのうち」
次の交差点で俺は足を止める。
「じゃあ俺はこっちだから。咲、暗いから気をつけて帰れよ」
「お疲れさまでした! 先輩も気をつけて」
歩みを進める俺は、見送る咲の後ろ姿をしばらくその場から見守った。
***
完全に闇へと包まれた夜道。
私はスマホをじっと見つめる。
画面に並ぶ、大切な三つの名前。
橙真先輩
蒼太先輩
碧羽先輩
冷たい夜風が吹き抜けたけれど、胸の奥は温かかった。
スマホを胸にそっと抱きかかえ、私は小さく微笑む。
(――またいつか、学校で会える)
そんな予感と小さな胸の高鳴りを抱えながら、私は自分の家を目指して走り出した。




