47話 防災対策課からの帰路
重苦しい雰囲気が漂う会議室での風宮さんとの短いやり取りを終え、俺は扉を静かに開けて、廊下を歩き出した。エントランスに着くと、ソファーのすぐ近くで蒼太と碧羽の二人が、俺のことを待っていた。
「おう、橙真! おつかれ。風宮さんと何話したんだ?」
蒼太が心配そうに覗き込んでくる。
「いや……別に大したことじゃないよ。待たせて悪かったな」
二人は俺の言葉にそれ以上突っ込まず、ただ気遣うように頷いてくれた。
「よし、じゃあ帰ろうぜ!」
***
会議を終えた俺、蒼太、碧羽の三人は、防災対策課の建物を出て、静かな帰り道を並んで歩き始めた。
報告を終えたばかりの俺たちだったが、誰も軽々しく口を開こうとはしなかった。
神門教の教会にあった、想像を絶する巨大な地下施設。
そこに潜んでいた大量の邪神体。
風宮さんや花江さんたちへ報告した、あの緊迫した情報。
そして――俺しかその全貌を知らない、あの1対多数の凄絶な戦い。
それぞれが昨日の出来事を胸の奥で静かに思い返していた。
やがて、住宅街へと続くいつもの最初の分かれ道に差し掛かる。
蒼太がふっと足を止めた。
「俺、こっちだから」
碧羽もその隣で足を止める。
「私もここで。じゃあね、二人とも」
「おう、また明日な」
「おう!」
蒼太はいつもの明るく元気な調子を取り戻したように笑い、右手を高く上げた。
「今日は帰ってゆっくり休めよ!」
碧羽も心配そうに、けれど優しく穏やかに微笑みかけてくれる。
「無理しちゃ駄目だからね、橙真」
「ああ、分かってるよ。ありがとな」
短く返事をすると、俺は二人と別れて一人で静かに歩き始めた。
***
住宅街へとまっすぐ続く長い坂道。
坂道を下りながら俺は左耳に装着されたイヤホンへ、そっと指先を伸ばした。
そのまま自然と右耳のイヤホンへも手が伸びる。
両耳のイヤホンは、いつも通り変わらずそこにあった。
指先でそっと触れ、小さく重い息を吐き出す。
「……」
脳裏に鮮明に浮かび上がってくるのは、あの禍々しい地下施設での恐怖の出来事だった。
右耳のイヤホンを外し、制限を解放したあの極限の瞬間。
周囲のすべての音が消え去った、恐ろしいほどの静寂の世界。
己の身体を包み込むように爆発的に燃え上がった激しい紅蓮の炎。
押し寄せる大量の邪神体を、ただ無心で拳で殴り潰し続けた記憶。
身体を蝕む激しい侵食と、増えていく白髪。そして、喉の奥から吐き出された生々しい赤い血。
俺は自分の口元へ、そっと手を当てた。
服の袖で拭い去り切れなかった乾いた血の跡が、かすかに皮膚に残っていた。
俺は自嘲気味に、小さく苦笑する。
「やっぱり……反動はあるか……」
誰に聞かせるでもない、ぽつりと漏れた小さな独り言だった。
***
そのまま静かな夕暮れの道を一人で歩き続け、見慣れた自宅へと到着する。
玄関の鍵を開けて重い扉を押し開き、静かに靴を脱ぎ揃えた。
誰もいない、しんとした静かな我が家。
俺はかばんを床へ置くと、そのまま真っ直ぐ洗面所へ向かった。
蛇口をひねり、冷たい水で口元の血の跡を丁寧に洗い流していく。
ふと視線を上げると、鏡の中に疲れ切った自分の顔が映っていた。
前髪の黒髪の中に、不自然に混ざり込む数本の真っ白な髪。
指先でそっと、その白い髪に触れる。
「……また少し増えたな」
そう呟くと、俺は力なく小さく笑った。
驚きも、恐怖もなかった。
あの力を解放すれば、いつか自分の身体がこうなるような気がしていた。
右耳のイヤホンへ、もう一度だけそっと触れる。
「いや……まだ、大丈夫だろ」
誰もいない静かな洗面所に、自分の覚覚悟と決意を確かめるような言葉だけが寂しく響いた。
***
その頃――
私は自室のベッドへ深く腰を下ろし、ふうっと大きく息を吐き出していた。
昨日、あの不気味な神門教の教会で起きた恐ろしい出来事を、一人でじっと思い返していた。
神門教の存在、不気味な地下施設、そして大切な橙真先輩のこと。
そして、あの圧倒的な存在感と美しさを放っていた、純白の綺麗な翼を持つ謎の人物。
「あれって……一体何だったんだろうな……前にも一回見たことあるけど、何かまでは、橙真先輩教えてくれなかったんだよな……」
誰に尋ねるでもなく、ポツリと部屋の中に呟く。
だが、私の心に一番強く焼き付いて離れなかったのは、その天使のような人物のことではなく、別の光景だった。
激しい炎に全身を包まれながら、一人で凄まじく戦っていた橙真先輩の悲壮な姿。
そして、全ての戦いが終わった後、激しく膝をついて血を吐き出していた、あのあまりにも苦しげな姿。
私は膝の上で両手をギュッと強く握りしめ、小さく俯いた。
「……橙真先輩、大丈夫かな」
その名前を呟くだけで、胸の奥がギュッと締め付けられるように激しく苦しくなった。
何か大きな代償を払いながら戦っているのではないかという、拭いきれない不安が膨らんでいく。
窓の外では、夜の冷たい風が静かに木々の葉を揺らしていた。
***
こうして、危険に満ちた神門教への潜入任務はひとまず幕を閉じた。
しかし……それはこれから始まるさらに巨大な事件の、ほんの序章に過ぎなかった。
暗闇の底で静かに動き出した恐ろしい真実が明かされるのは、まだもう少し先のことだった――。




