42話 追跡せよ
俺と碧羽は、重々しい扉の先に続く静かな廊下を全速力で駆け抜けていた。
目指すのは、もちろん教祖のシエリオ・トグレイだ。
廊下の突き当たりに、白い衣装を纏ってゆっくりと歩く一人の女性の背中が見えた。
シエリオだった。
後ろから俺たちの激しい足音が追いかけているというのに、彼女には慌てる様子など微塵もなかった。
まるで誰かに追われていることすら気にも留めていないような、あまりにも不気味な落ち着きだった。
「待てーーーっ!!」
俺の叫び声が、誰もいない無機質な廊下に大きく響き渡る。
シエリオはふっと足を止め、ゆっくりと静かに振り返った。
「あなた方なら……きっと追いかけてくると思っていましたよ」
その口元に浮かぶ柔らかな笑みは、まったく崩れない。
俺と碧羽はすばやく間合いを詰め、彼女との距離を縮めた。
「そこを動くな!」
「そんなことを言われて、素直に止まるわけがありませんよね」
あまりにも落ち着き払った返答。
俺は思わず眉間に深いシワを寄せた。
「……おい! 邪神体なんて物騒なものを利用して、一体何を企んでやがるんだ!?」
シエリオは歩くのを完全にやめ、俺たちへ向けて体の向きを変えた。
「利用……ですか? それは少し違いますね。私はただ神の救済を心から信じ、その導きを迷えるみなさんへお伝えしているだけですよ」
隣の碧羽が、厳しい表情で問いただす。
「じゃあ……なんで邪神体を呼び出しておいて、街や人を壊すのを放っておくんですか!?」
シエリオは、まるで幼い子の無知を哀れむかのように悲しげに微笑んだ。
「みなさんは……まだ本当の真理を理解していらっしゃらないのですね。大いなる神様を、人間ごときが管理することなど不可能なのです。ですから……私は神様をあの静かな地下へご招待しているのですよ」
俺は苛立ちを隠さず、一歩強く前へ踏み出した。
「御託はもううんざりだ! とりあえず、大人しく俺たちと来てもらうぞ!」
その強い言葉に対しても、シエリオの表情はどこまでも穏やかなままだった。
「申し訳ありません。いまはまだ……その時ではないのです」
***
そう静かに告げると、シエリオはくるりと身を翻し、再び奥へと歩き始めた。
「だから待てって言ってんだろ!……くそっ、ここまで来て逃がすかよ! こうなったら実力行使だ!!」
俺は右手を振り抜き、空中へ水滴を勢いよく飛ばした。
床に落ちた水滴が一瞬で青白い氷へと姿を変え、足元を滑るようにシエリオの足元へ向かって鋭く伸びていく。
だが、その激しい氷の突進を目にしても、シエリオは焦ることなく右手を静かに前へ差し出し、そっと合掌した。
「どうか……私に少しだけ力を貸してください」
その静かな祈りは、一体誰へ向けられたものなのか分からなかった。
だが次の瞬間、廊下の隅に置かれていた白い布が、ゆっくりと不自然に持ち上がった。
その布の下から現れたのは――青白い肌をした人間の遺体だった。
ぎこちない、関節の外れたような気味の悪い動きで立ち上がる。
「……なっ……何だあれ!?」
俺は思わず足を止めた。
立ち上がった遺体は、俺たちの前へ立ちはだかるように立ち塞がる。
碧羽が素早く背中の訓練用の弓を構えた。
「蒼太、気をつけて! シエリオは覚醒者だよ!」
俺も一瞬で悟った。
「くそっ……てことは能力は『遺体の操作』ってことかよ!」
***
遺体はガクガクと体を揺らしながら腕を振り上げ、俺に向かって容赦なく振り下ろしてきた。
俺は間一髪のところで体を開き、その不気味な腕を横跳びで回避する。
「碧羽!」
「任せて!」
碧羽の構えた弓から、風を纏った矢が放たれた。
シュッと鋭い音を立てて飛んだ矢は、遺体の足元を見事に射抜き、床深くへと突き刺さって遺体の動きを完全に封じ込めた。
その一瞬の隙を逃さず、俺は空中の水滴から氷柱を生成し、遺体に向かって一直線に放った。
ドスッと重い音を立てて氷柱に貫かれた遺体は、静かに床へ崩れ落ち、それ以上動くことはなくなった。
***
俺はすぐに前を睨みつける。
だが、そこにシエリオの姿はもうなかった。
廊下の先にある裏口の扉だけが、風に揺られて静かに開いている。
俺と碧羽は扉を押し開き、外へ飛び出した。
教会裏には、人通りの少ない寂れた道路が広がっていた。
少し先のアスファルトの上に、1台の黒い高級車が停車しているのが見える。
シエリオはその助手席へ乗り込もうとしていた。
「だから止まれって言ってんだろーーーっ!!」
俺は床を強く蹴り、一気に距離を詰めようとした。
碧羽も同時に弓に矢を番え、狙いを定める。
だが――俺たちと黒い車の間の歩道を、何も知らない一般人が歩いていた。
「……くっ!!」
矢を撃てない。氷も使えない。一般人を巻き込むわけにはいかないのだ。
そのほんの一瞬の躊躇。
シエリオは滑らかに車内へと乗り込み、ドアを閉めた。
車の窓がゆっくりと開く。
シエリオは相変わらずの穏やかな笑みを浮かべたまま、俺たちを見つめていた。
「またどこかで……お会いしましょうね」
黒い車はエンジン音を静かに響かせ、滑るように走り去っていった。
俺は全力で追いかけようとしたが、遠ざかる車の速度を見てすぐに歯噛みしながら諦めた。
「……くそっ! 逃げられちまった……!」
碧羽も悔しそうに弓を下ろす。
「仕方ないよ……一般の人を巻き込むわけにはいかないからね」
***
碧羽はため息をひとつ吐くと、ポケットからスマホを取り出して電話をかけ始めた。
「もしもし、風宮さん!」
『大体の報告は日向から聞いている。シエリオ・トグレイは確保できたか?』
「一般人を盾にされて、車で逃走されてしまいました」
『了解した。お前たちはすぐ日向たちと合流しろ。地下の状況を確認するんだ』
「了解しました!」
通信が切れた。
俺は教会の建物を振り返り、固い表情で見つめた。
「橙真は……大丈夫だよな」
「うん、でも……咲もいるしすごく心配だね」
俺と碧羽は深く頷き、橙真たちが向かった地下へと急ぎ引き返していった。




