41話 見えてる者たち
床を襲った微かな揺れが収まっても、教会内は静寂に包まれていた。
集まった信者たちは、先ほどの振動など気にも留めず、祈り続けている。
「その調子ですよ、みなさん。このまま神様へ、祈りを捧げましょう」
シエリオの柔らかな声に合わせ、信者たちは胸の前で手を固く組んだ。
誰もが心から神を信じ、救いを求めるように祈り続けている。
「ああ、神よ……どうか私たちをお救いください」
祈りの声が聖堂内に静かに響く。
俺――橙真と咲も怪しまれないよう、信者たちを真似て目を閉じた。
少し離れた席では、蒼太と碧羽も完璧に信者を演じている。
***
教会全体が重苦しい祈りに包まれた、その時だった。
ゾクッ――!
背筋を強烈な悪寒が走り抜けた。
(……な、なんだ、この嫌な感覚は……!)
隣にいる咲も、息を呑んだのが分かる。
蒼太は目を閉じたまま、眉間に皺を寄せた。
「おいおい……なんだよ、この不気味な気配は……」
碧羽もわずかに視線を動かし、警戒を強めている。
教会の中央付近。
何もないはずの空間が、水面のようにゆらゆらと歪み始めた。
そこへ黒い霧のような塊が集まり、徐々に一つの形を成していく。
やがて――邪神体が、その姿を現した。
「……出た」
だが、信者たちは誰一人として気づいていない。
邪神体が目の前にいるというのに、誰も怯えず、祈りを続けている。
一般人には、邪神体の姿が見えない。
静かに神へ願いを捧げる人々の間を、邪神体はゆっくりと歩いていく。
咲が声を出さず、口元だけを動かした。
「……橙真先輩」
「ああ。あれは邪神体だ」
***
俺は顔を動かさず、視線だけで邪神体を追った。
邪神体は迷うことなく通路を進み、そのまま壇上へ向かっていく。
まるで、何かに導かれているようだった。
俺、咲、蒼太、碧羽。
俺たち四人だけが、その異形を見つめている。
そして――壇上のシエリオが、静かに目を開いた。
その視線が、まっすぐ俺たちへ向けられる。
相変わらず、慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま。
ただ、その瞳だけが俺たちを射抜いていた。
「なるほど……そういうことでしたか」
静かな声だった。
俺の胸に、鋭い緊張が走る。
シエリオは壇上から一歩だけ前へ出た。
「あなた方には……神の姿が見えているのですね」
その瞬間、俺たちの身体が固まった。
咲も思わず、小さく息を漏らす。
だが、周囲の信者たちは何も気づかない。
祈りの言葉だけが、静かに響き続けている。
「そこにいる方々は……神の救済を求めて、この場所へ来た方々ではありませんね」
どこまでも穏やかな口調。
敵意も、責める様子も感じることはできない。
ただ、俺たちの正体を当たり前のように見抜いていた。
シエリオは微笑んだまま、小さく首を振る。
「安心してください。私はみなさんや、防災対策課の方々を責めるつもりはありませんから」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
防災対策課。
俺たちの正体を、完全に見抜かれている。
「あなた方は、防災対策課の関係者ですね」
返す言葉が見つからない。
シエリオはそんな俺たちを見つめ、静かに続けた。
「神の偉大さを知りながら、それでも信じようとしない……本当に、悲しいことです」
咲がシエリオを凝視する。
そこに悪意は感じられない。
本気で人々を救おうとしている。
だからこそ――余計に恐ろしかった。
***
その時、壇上へ上がっていた邪神体が、祭壇の奥にある巨大な十字架の前で足を止めた。
ゴゴゴゴッ――!!
重低音が響く。
すると、十字架の背後にある壁がゆっくりと横へ開いていった。
その先には、地下へ続く暗い石造りの階段が伸びている。
邪神体は迷うことなく、その階段を下り始めた。
「……地下!?」
思わず声が漏れる。
シエリオは地下へ消えていく邪神体を見送り、穏やかに微笑んだ。
「神は、みなさんをお待ちですよ。いつかあなた方にも、神の救済が訪れることを心より願っています」
そして、静かに一礼する。
「――それでは、みなさん。私はこれで失礼しますね」
そう告げると、シエリオは祭壇を降り、脇にある小部屋へ入っていった。
***
「橙真!」
シエリオが姿を消した直後、蒼太が駆け寄ってきた。
「俺と碧羽でシエリオを追う!」
碧羽も背中の弓に手を添え、頷く。
「橙真は風宮さんへの連絡と、地下の調査をお願い!」
「分かった。そっちは任せた!」
咲も俺の隣に並んだ。
「私も橙真先輩と一緒に地下へ向かいます!」
「無理はするなよ、咲」
「はい!」
「んじゃ、俺たちは先に行くぜ!!」
「連絡、お願いね!」
言葉を交わすと、蒼太と碧羽はシエリオが消えた扉へと走っていった。
***
蒼太と碧羽を見送った俺は、すぐにスマホを取り出した。
「風宮さん、聞こえますか!?」
『聞こえている。状況を報告しろ』
「教会内に邪神体が発生し、現在、地下へ向かっています! それと、俺たちの正体もシエリオに看破されました! 今、蒼太と碧羽がシエリオを追っています。俺はこれから、邪神体が向かった地下を調査します!」
続けて、俺は頼み込むように告げた。
「それと、風宮さんたちで教会内の信者を避難させてもらえませんか!?」
『了解した。信者たちの避難は俺と光莉で行う。月影にも現場へ向かうよう手配する。日向、地下の探索を許可する』
そこで、一拍。
『……だが、絶対に無茶はするなよ』
「了解しました!」
『念を押しておく。絶対に無茶はするな』
「はい、分かっています!!」
『それならいい。報告は以上だな?』
「はい! 今のところは以上です!」
『分かった。切るぞ』
***
通話が切れた。
俺は、邪神体が消えていった地下への階段を見下ろした。
地下から、ひんやりとした冷気が吹き上がってくる。
その暗闇の奥には、得体の知れない気配がいくつも渦巻いていた。
「……咲、行くぞ!」
「はいっ!!」
俺たちは顔を見合わせ、強く頷いた。
そして――闇に包まれた地下階段へ、一歩を踏み出す。
誰も知らない地下の奥。
その先に何が待ち受けているのか――この時の俺たちは、まだ何も知らなかった。




