40話 神門教の教え
翌日の昼下がりの小さな広場。
休日ということもあり、周囲には買い物帰りの人や家族連れの姿が見える。
その中俺はスマホの時刻を確認しながら、静かに咲が来るのを待っていた。
「橙真先輩!」
聞き慣れた声に振り向くと、私服姿の咲が息を切らしながら小走りで近づいてくるところだった。
「お待たせしました!」
「ううん、大丈夫だよ。俺も今来たところだから」
咲は少し安心したように表情を和ませたが、すぐにその瞳を真剣な色へと変えた。
「あの、それで昨日のメッセージ……って」
俺は目線の先にある教会へ一度視線を向け、静かに切り出した。
「ああ。実は今日咲を呼んだのは、任務なんだよ」
「え、私を呼んだことと、任務が関係あるんですか?」
「まあな。この教会の内部調査をするときに、2人1組のペアで動けって言われてさ」
咲は驚きながらも、すぐに力強く頷いた。
「そういうことなら、私も喜んで協力します!」
俺は少しだけ表情を緩めた。
「咲ならそう言ってくれると思ってたよ。危険かもしれないことに付き合ってくれてありがとうな」
「いいえ! むしろすごく嬉しいです。橙真先輩が私のことを頼ってくれて」
***
その時、後ろから軽い足音が聞こえてきた。
「待たせたか?」
振り返ると私服で自然に変装した蒼太と碧羽だった。
「いや、今集まったところ」
蒼太は腕を組み、教会を見上げる。
「見た感じ、普通の教会だよな」
碧羽も静かに周囲の様子を観察していた。
「逆に、それが気になるところだけどね」
俺たちが揃った直後、ポケットのスマホが小さく震えた。
風宮さんから通信が入る。
『全員揃ったようだな。これより潜入任務を開始する。今日は集会が開かれる日だ。一般の信者になりきって中へ潜入し、内部の様子を詳細に調査してくれ。くれぐれも怪しまれないよう注意しろ』
「「「了解しました」」」
俺たちの短い返答と同時に通信が切れる。
俺は3人を見渡した。
「よし、行こうぜ」
***
俺たちは教会の入口へと向かった。
その途中、蒼太と碧羽が立ち止まる。
「じゃあ俺たちは、ここから一旦別行動な」
碧羽も小さく頷く。
「私たちは別の席から全体の様子を見るから」
「了解」
俺たちは二手に分かれて教会へと足を踏み入れた。
***
教会の中は、静かで落ち着いた空間が広がっていた。
白い壁で周囲の雑音から遮断されており、磨かれた木製の長椅子が整然と並べられている。
耳をすますとパイプオルガンの音楽が流れており、外の世界とは切り離された穏やかな空気に包まれていた。
受付嬢が、温かい笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「お二人とも初めていらっしゃいましたか?」
「はい、そうです」
「ようこそ、神門教へ。お好きな席へお掛けください」
俺と咲は促されるように、中央付近の空いている席へと腰を下ろした。
少し離れた位置には、蒼太と碧羽も座っていた。
咲は俺の隣で、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
「本当に普通の教会にしか見えませんね」
「ああ、そうだよな」
俺もまったく同じ印象だった。
しかし、胸の奥底には言葉では上手く説明できない気味の悪い違和感が根深く残っていた。
***
やがて、室内の照明がゆっくりと落とされた。
教会全体が静寂に包み込まれる。
奥の重厚な扉が静かに開いた。
そこからゆっくりと姿を現したのは、一人の女性だった。
40代半ばほどの非常に落ち着いた雰囲気を纏っている。
その口元には、柔らかな慈愛の笑みが浮かべられていた。
人々を魅了するような温かい眼差し。
その女性の名は――シエリオ・トグレイ
彼女は静かな足取りで壇上へと歩みを進め、集まった信者たちを優しく見渡した。
「みなさん、本日もお集まりいただき、誠にありがとうございます」
その透き通った穏やかな声だけで、教会内の緊張感が一瞬で氷解し、信者たちの空気が整っていく。
俺は無意識のうちにシエリオの姿を凝視していた。
***
静かな集会が、ゆっくりと始まろうとしていた。
壇上に立ったシエリオは、一人ひとりの顔を愛おしそうに見つめた。
その表情には威圧感など微塵もない。
まるで自分の大切な家族を温かく見守るかのような、優しい微笑みだった。
「みなさん。本日も、神の教えを説いてまいります。初めてお越しいただいた方、肩の力を抜いて聴いていってくださいな」
信者たちは身を乗り出すようにして耳を傾ける。
誰一人として私語を発する者はいない。
シエリオは胸の前でそっと両手を重ね合わせた。
「今、私たちが生きるこの世界は、少しずつ終わりへと向かっています。みなさんもニュースや身の回りで、説明のつかない不思議な出来事や事件を見聞きすることが増えたのではないでしょうか。
――この世界は、もうじき大きな災厄に飲み込まれてしまいます。その時、私たち人間だけの力では、到底生き延びることはできません。だからこそ大いなる神々は私達を救うために、この世界を温かく見守ってくださっているのです」
確かに、邪神体の存在は今のところ一般には隠されている。世間的には『原因不明の自然災害』や『謎の地盤沈下』といったように報道されている。
シエリオは信者たちの不安を巧みに煽り、語りかけているようだった。
彼女はずっと穏やかな笑みを崩さない。
「神様は、苦しむ者を決して見捨てません。悲しむ者にも、平等に救いの手を差し伸べてくださいます。必要なのはただ一つ――神様を心から信じる強い気持ちだけなのです」
教会の中は、静まり返っていた。
俺はさりげなく周囲を見回す。
誰もがシエリオの瞳だけを食い入るように見つめている。
その統制された姿は、どこか恐ろしいほど整っていた。
シエリオは優しく両手を大きく広げた。
「みなさん、私たち一人ひとりの祈りは、とても小さなものです。ですが、その祈りが一つに合わされば、必ずや神様のもとへと届きます。そして神様は、その尊い願いに応えてくださるのです」
一呼吸置き、彼女は声のトーンを落として静かに続けた。
「みなさん祈りましょう。願いを届けましょう。――神へ続く扉を開きましょう」
***
その言葉を耳にした瞬間、俺の胸に鋭い引っ掛かりが生じた。
(神へ続く扉……?)
単なる宗教的な比喩表現にも聞こえる。
だが、事前に風宮さんから聞かされていた邪神体に関する危険な情報と重ね合わせると、その言葉が妙に不気味で禍々しく感じられた。
少し離れた席では、蒼太も眉間にシワを寄せて腕を組み、シエリオを凝視している。
碧羽も表情を変えないまま、鋭い眼光で静かに周囲を伺っていた。
やがてシエリオは静かに両目を閉じた。
「それでは、みなさん。神様へ祈りを捧げましょう」
その合図とともに、周囲の信者たちが一斉にゆっくりと立ち上がった。
俺たちも、周囲の動きに合わせて腰を上げた。
信者たちは両手を胸の前で固く組み、静かに目をつむる。
教会内が、何十人もの祈りのポーズで満たされた。
その光景は一見すると神聖でありながら、底知れぬ異様さと不気味さを漂わせていた。
俺は目を閉じるふりをしながら、深く息を殺す。
(何かが起きる――!)
確信に近い嫌な予感だけが、胸の奥で急激に膨れ上がった。
まさに、その時だった――
ゴゴゴゴゴッ――!!
足元から、教会の床全体が不気味に低く震え始めた。




