38話 金曜日の放課後
初任務の日から少したった、金曜日の放課後。
俺は靴箱のある昇降口の柱に背をもたせかけながら、咲が来るのを待っていた。
生徒たちの足音が遠ざかり、静かになりかけた廊下に爽やかな足音が響く。
「橙真先輩!」
振り返ると、カバンにぬいぐるみをつけた咲がパタパタと小走りで駆け寄ってきた。
「すみません、お待たせしました!」
「ううん、大丈夫だよ。俺もいま来たところだから」
咲はホッとしたように胸をなでおろし、周囲をぐるりと見渡す。
「あれ? 蒼太先輩と碧羽先輩は、今日も部活ですか?」
「うん、あいつらは終礼が終わったらすぐ校庭と弓道場へ行ったよ」
「そうなんですね。2人とも本当に部活熱心ですよね」
俺と咲は並んで歩きだし、校舎の外へ出た。
***
校門を抜けると、心地よい夕方の風がふわりと頬を撫でていく。
まだ少しだけ、昼間の熱を含んだ暖かい風だ。
咲が俺の顔を覗き込むようにして、小さく問いかけてきた。
「橙真先輩、最近、学校はどうですか?」
「うーん、なんにも変わんないかもなー」
俺が苦笑いしながら答えると、咲もつられたようにクスッと笑った。
「ふふっ、橙真先輩って、ほんと変わらないですね」
「そうかな?」
「はい。いつ会っても優しくて、すごく落ち着いていて」
面と向かって褒められ、俺は少し照れくさくなって視線を斜め前へと外した。
「別に、そんな落ち着いてるわけじゃないんだけどな」
「そうなんですか?」
「うん。ただ、いつもいろんなこと考えてるだけだよ」
咲はふむふむと納得したように小さく頷いた。
「なるほど……私は最近、高校の授業についていくのがちょっと大変で……」
「まあ、咲はまだ1年生になったばかりだしな。慣れるまで大変だよな」
「はい。でも、置いていかれないように頑張ります!」
俺は隣を歩く咲に、優しく微笑みかけた。
「うん、焦らなくて大丈夫だよ。自分のペースで少しずつ頑張れればさ」
咲は嬉しそうにパッと表情を輝かせた。
「はい! ありがとうございます!」
***
他愛のない会話を交わしながら、住宅街の緩やかな坂道を歩いていた時のことだ。
少しひらけた空き地の前に、人だかりができているのが見えた。
中心には、独特な黒服を身にまとった男が立ち、感情のない声で静かに語りかけている。
『神門教です。世界はすでに崩壊の芽を宿し、静かに終わりへと向かっています。ですが恐れる必要はありません。真の救いはここにあります』
咲がぴたっと足を止めた。
「橙真先輩、あれって……前にもショッピングモールに行く途中で見かけた『神門教』っていう宗教組織ですよね?」
俺は目を細め、黒服の男を警戒しながら見つめた。
「ああ。あの時にビラを配っていた宗教と、まったく同じだな」
黒い服の男は、集まった人々へ向かって淡々と言葉を重ねていく。
『運命を受け入れるのです。抗うことなくただ身を委ねれば、訪れる破滅すらも祝福となるでしょう』
その声には抑揚がなく、妙に静かで、生きている人間の感情のようなものが一切感じられなかった。
気味の悪い違和感が背筋を駆け抜ける。
俺は咲の腕を軽く引き、人だかりから遠ざけた。
「咲、行こうぜ。たぶんこれ以上は、関わらない方がいい」
「あ……はい!」
俺たちは足早にその場を後にした。
***
あの不気味な広場からしっかりと離れたあと、咲が不安そうに吐息を漏らした。
「さっきの人たち、やっぱり……ちょっと怖いです。何を考えているか分からなくって」
「そうだよな。普通じゃないような雰囲気が漂っているような感じがして」
俺が答えた、まさにその時だった。
ブブブッ――! ブブブッ――!
ズボンのポケットの中で、スマホが激しく連続で振動した。
普通のアドレスからの通知ではない。専用の警報アプリの振動だ。
画面を取り出して確認すると、赤く点滅する文字が目に飛び込んできた。
【防災対策課・緊急招集命令】
液晶に表示された緊急事態の文字を食い入るように見つめる俺に、咲が心配そうに視線を向けてくる。
「橙真先輩……? 何かあったんですか?」
俺は画面を消し、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。
「ごめん、咲。防災対策課から急な呼び出し食らっちゃった」
咲はハッと息を呑み、少しだけ目を見開いた。
「そう、なんですか」
俺はその場で足を止めた。これ以上、咲を巻き込むわけにはいかない。
「だからすごく悪いんだけど……今日はここで別れよう」
咲は寂しそうな表情を浮かべつつも、すぐにしっかりと前を向いて小さく頷いた。
「……分かりました。橙真先輩、気をつけてくださいね」
俺は咲に心配をかけないよう、いつものように軽く手を上げて笑ってみせた。
「うん、もちろん。それじゃ、また明日な」
咲も不安を押し殺すように、眩しい笑顔を作って手を振ってくれた。
「はい! また明日……」
***
俺たちは分かれ道でそれぞれの方向へと歩き出した。
咲の背中が完全に角を曲がって見えなくなったその直後、俺は、防災対策課へ向かって一気に走り出した。




