29話 実力差
扉の先に広がっていたのは、白い床と、見上げるほど高い天井を持つ広大な空間だった。
防災対策課の訓練施設は、俺たちの想像をはるかに超える広さだった。
隣で蒼太が口をぽかんと開け、思わず声を漏らす。
「……でかすぎだろ」
花江さんが楽しそうにクスクスと笑った。
「ふふっ。ここなら周りを気にせず、能力を使えるでしょ?」
風宮さんが静かな足取りで前へ出る。
「模擬戦は三試合。順番に行う。……最初の組み合わせは、日向と光莉だ」
俺――橙真は静かに息を吐き、一歩前へ出た。
花江さんも優しく微笑みながら、俺と向かい合う。
「よろしくね、橙真くん」
「よろしくお願いします、花江さん」
***
風宮さんが腕を高く上げた。
「始め!」
合図と同時に、花江さんの身体の周囲から眩い光が溢れ出す。
俺はとっさに身構え、相手の動きを見極めようとした。
花江さんは、優しく穏やかな笑顔を浮かべる。
「……行かせてもらいますね」
次の瞬間――目を焼くような閃光が、訓練室全体を包み込んだ。
俺は強烈な光に耐えきれず、思わず目を閉じる。
数秒後、慎重にまぶたを開けると――無数の光の弾が、俺の前後左右を完全に取り囲んでいた。
どこにも逃げ場はない。
俺は完全に詰んでいた。
「……終わりかな」
花江さんの声を聞き、俺は自分の判断の甘さを痛感する。
「……俺の負けです」
見守っていた蒼太が目を丸くした。
「早っ!? 一瞬で終わった!?」
花江さんは光を消すと、少しだけ心配そうに俺を見る。
「橙真くんは……自分のことより、周りを優先しすぎちゃうのかな」
俺は何も言い返せなかった。
***
続いて、月影さんが静かに前へ踏み出す。
「風間」
「はい」
碧羽が固い表情のまま歩み出た。
二人が距離を取って向かい合う。
「始め」
その瞬間、周囲の空気が、わずかに震えた。
碧羽は瞬時に判断し、構えた弓の弦を力強く引き絞る。
一瞬で風が集まり、青白い雷を纏った矢が生成された。
「――っ!」
放たれた矢が一直線に飛ぶ。
だが――その瞬間には、月影さんの姿は消えていた。
「……え?」
次の瞬間、碧羽の首元に寸止めの手刀がピタリと突きつけられていた。
「終了だ」
碧羽は驚きのあまり、その場に立ち尽くす。
「……まったく、動きが見えませんでした」
月影さんは静かな声で告げた。
「前だけを見るな。空間の全域を見ろ」
その言葉に、碧羽はふと月影さんの足元へ視線を落とした。
照明に照らされているはずなのに。
彼の足元に落ちる影が、ほんの少しだけ薄くなっている。
だが、月影さんは何も言わなかった。
***
最後に、風宮さんが前へ出る。
「水沢」
蒼太がニッと唇を吊り上げ、自分の頬を強く叩いた。
「やってやるぜ! よろしくお願いします!」
風宮さんは腰の刀の柄に、静かに手を置く。
「始め」
蒼太は周囲の空気から一気に水滴を集めた。
そして、巨大な氷塊を作り出す。
「行っけ!!」
咆哮とともに、氷塊が空を裂く勢いで飛んでいく。
だが――。
バチッ!
青白い雷が弾けた。
次の瞬間、風宮さんの姿が消える。
「っ!?」
蒼太が慌てて振り返った時には――刀の刃が、首元でピタリと止まっていた。
「終わりだ」
蒼太は、その場で全身を硬直させた。
「速すぎる!」
***
風宮さんは刀を鞘へ納めた。
訓練室を、静寂が支配する。
俺たち三人は、攻撃することすらできないまま完敗した。
花江さんが歩み寄ってくる。
「みんな、確かに同年代と比べたらすごく強いよ。でも……まだ実戦経験が足りないかな」
月影さんも頷いた。
「経験の差だ」
その時だった。
風宮さんが、自分の右手をじっと見つめていることに気づく。
その手の甲には、少しだけ不自然なシワが浮かび上がっていた。
蒼太が真っ先に気づく。
「風宮さん、その手……どうしたんですか?」
風宮さんは視線を逸らさず、静かに答えた。
「代償だ」
花江さんが自分の胸に手を当てる。
「私はね……皮膚で温度を感じられないの。今はもう、寒暖差もわかりづらくなってきたんだ」
月影さんも淡々と続けた。
「私は能力を使えば使うほど、この世界から少しずつ影が薄れていく」
「……っ」
碧羽が息を呑む。
風宮さんは右手を強く握りしめた。
「俺は、能力で極限まで速く動くほど、身体の皮膚が急速に老いていく」
訓練室に、重苦しい沈黙が流れた。
俺は右耳のイヤホンに触れながら、その言葉を黙って聞いていた。
「覚醒者である以上、代償からは逃れられない」
風宮さんが、俺たち三人を見つめる。
「だが、それでも俺たちは戦う。命を懸けて守るべきものがあるからだ」
蒼太は悔しそうに拳を握りしめ、少しだけ俯いた。
「俺たちは……まだまだ甘いんですね」
風宮さんは否定せず、力強く頷く。
「だが、弱くはない。むしろ高校生でここまで戦えるのは、異常なほどだ」
その言葉に、蒼太が顔を上げる。
花江さんがパンッと手を叩き、明るく笑った。
「だからね、私たちから提案があるの!」
俺たち三人は、一斉に顔を上げた。
風宮さんが厳格な声で口を開く。
「防災対策課への――『仮所属』だ」
「か、仮所属!?」
蒼太が目を丸くする。
碧羽も信じられないように目を見開いた。
「私たちが……ですか?」
月影さんが補足する。
「もちろん、君たちが学生であることに変わりはない」
花江さんが優しく微笑んだ。
「普段通りの学校生活を続けながら、必要な時だけ協力してもらう形だよ」
風宮さんは静かに、だが重く告げる。
「強制はしない。じっくり考えてくれ。だが、期限は決める。今週の土曜日までに答えを出せ」
静まり返る空気の中、さらに言葉を続けた。
「仮所属になれば、この防災対策課の施設の一部を開放する。この訓練設備も自由に使って構わない」
花江さんが温かく笑う。
「私たちの手が空いている時は、訓練にも付き合うよ」
月影さんも短く言った。
「必要なら、戦い方を教えよう」
蒼太の瞳に、一気に強い光が宿る。
「風宮さんたちが……直接教えてくれるんですか!?」
風宮さんは力強く頷いた。
「本気で強くなりたいのなら、な」
***
俺は、静かに思考を巡らせていた。
今まで、俺たち三人だけで手探りのまま戦い続けてきた。
けれど今、目の前には――未知なる大きな道が示されている。
防災対策課。
覚醒者。
邪神体。
そして、俺自身にあるかもしれない代償。
まだ分からないことばかりだ。
それでも、このまま何も知らずに戦い続けるよりは――知る必要があるんだ。
俺は右耳のイヤホンに、そっと触れた。
訓練室の静かな空気の中。
俺たちは、それぞれの答えを胸に抱えていた。




