22話 朝の神社
日曜日の朝。
カーテンのわずかな隙間から差し込む、まぶしい朝日で俺――橙真は目を覚ました。
「う、うーん……」
ベッドの中で軽く身体を伸ばし、枕元に置いていたスマホへ手を伸ばす。
スマホに表示された時刻は、八時を少し過ぎたところだった。
蒼太たちとの待ち合わせは、駅前に十時。
集合時間までは、まだ十分に時間がある。
俺はベッドから起き上がると、洗面所へ向かって顔を洗った。
そのまま、昨日のうちに用意しておいた私服に着替える。
鏡の前に立ち、外していたイヤホンを左耳に装着した。
いつもの感覚が戻ってくる。
それだけで、少しだけ落ち着く気がした。
軽く朝食を済ませ、財布とスマホをポケットへ入れる。
「……行くか」
そう呟いて、俺は家を出た。
***
外へ出ると、さらさらと心地よい朝の風が吹き抜けていく。
特に行きたい場所があるわけでもない。
集合までの時間を潰したいわけでもなかった。
ただ、なんとなく。
いつもとは違う道を歩いてみようと思った。
見慣れた住宅街を抜け、普段なら曲がらない狭い路地へ入る。
そして、その先に――鮮やかな赤い鳥居が見えた。
「……神社?」
俺は思わず足を止めた。
古びた石段。
その先に広がる、静まり返った境内。
間違いなく、初めて見るはずの景色だった。
なのに、なぜか胸の奥がざわつく。
懐かしいような感覚が、ふと湧き上がってきた。
「なんだ、この感じ……」
以前、ここへ来たことがあるような。
でも、そんな記憶はないはずだ。
あるような、ないような――自分でもよく分からない、不思議な感覚だった。
それでも、気づけば俺の足は、赤い鳥居の向こうへ向かっていた。
***
石段を一段、また一段と上っていく。
境内には誰もいない。
張りつめた静寂が広がり、遠くから小鳥のさえずりだけが聞こえる。
やがて、本殿の前までたどり着いた。
そこでは、大きなほうきを手にした巫女が境内を掃除していた。
俺の足音に気づいたのか、巫女が顔を上げる。
「ようこそお越しくださいました。参拝ですか? それとも御朱印ですか?」
透き通るような声だった。
「あ……すいません。掃除中でしたよね」
「気にしないでください。それで?」
「えっと……多分、参拝だと思います」
「多分なんですね」
巫女は、少しおかしそうに微笑んだ。
「それでは、まず、参拝してください」
「あ、はい」
俺は返事をすると、賽銭箱の前へ立った。
財布から五円玉を取り出して賽銭箱へ入れる。
二礼、二拍手、一礼。
静かに頭を下げた。
遠くで聞こえる小鳥のさえずり。
風に揺れる木々の葉擦れ。
不思議だった。
初めて来た場所のはずなのに、なぜか居心地が悪くない。
むしろ――妙に落ち着く。
参拝を終えて顔を上げる。
すると、巫女が掃除の手を止め、じっと俺の顔を見つめていた。
「……何か、悩み事でもあるのですか?」
「え?」
突然の言葉に、俺は目を瞬かせる。
「いや……別に、悩み事なんてないですよ」
「そうですか」
巫女は穏やかに笑った。
「でも、何か悩み事があるのでしたら、神様に相談してみるといいですよ。きっと、たいていのことは解決してくれますから」
「そういうものですかね」
「はい。神様は、すべてを解決へ導いてくださいます」
優しい声だった。
だからこそ、次に続いた言葉が、妙に耳へ残った。
「……でも」
巫女が、俺の顔を見ながら小さく首を傾げる。
「まだお若いですのに、もう白髪が出てきてしまったようで大変ですね」
「……え?」
言葉を失った。
「前髪のところに何本か。真っ白な髪が何本か混ざっていますよ」
心臓が、大きく跳ねた。
白髪。
それは、最近になって俺自身が気づいた変化だった。
毎日のように顔を合わせている蒼太や碧羽ですら、まだ気づいていない。
なのに、どうして、この人が――。
「……」
返事ができない。
そんな俺を見て、巫女はさらに静かな声で続けた。
「あと……今、お使いになっているその力は」
その瞬間、背中を冷たい汗が流れた。
「このままでは、長くは持たないでしょうね」
「……は!?」
息が詰まる。
今日は一度も、あの力を使っていないはずだ。
なのに、なぜ……どうして、この人が俺の力のことまで知っている?
「な、なんで……」
思わず口から言葉が漏れる。
巫女は少しだけ目を細めた。
「なんとなく……そんな感じがしただけです」
「……」
「意味が分からないのでしたら、今はそれでいいと思いますよ」
そう言って、巫女は少しだけ切なそうに微笑んだ。
今日、初めて会ったばかりの相手。
それなのに。
白髪のことも、俺の力のことも。
まるで最初から知っていたかのように見えた。
何を知っている?
この人は、一体何者なんだ?
聞きたいことはいくつも浮かんだ。
けれど、それ以上は聞けなかった。
風が強く吹き抜ける。
境内の木々が、ざわざわと音を立てて揺れた。
俺は我に返り、ポケットからスマホを取り出す。
「……九時半」
表示された時刻を見て、俺は慌てて立ち上がった。
「やっば! そろそろ行かないと遅れる!」
「いってらっしゃいませ」
焦って石段へ向かう俺に、巫女は深々と頭を下げた。
俺も一度だけ振り返る。
「……はい。いってきます」
そう答えて、急いで石段を下りる。
赤い鳥居をくぐり抜けたところで、もう一度だけ振り返った。
鳥居の向こう側。
あの巫女は、まだ静かに立っていた。
まるで俺がここへ来ることを、ずっと待っていたかのように。
***
不思議で――そして、不吉な日曜日の朝だった。
初めて来たはずなのに、懐かしく感じた神社。
初対面なのに、俺の秘密を見抜いた巫女。
そして――意味の分からない、不吉な言葉。
そのすべてを胸に引っかからせたまま、俺は蒼太たちが待つ駅へ急ぎ足で向かった。
風が吹き抜ける。
俺は右耳のイヤホンに、そっと指先で触れた。
「……長くは持たないか」
小さく呟く。
けれど、その言葉が何を意味するのか。
俺にはまだ分からなかった。
ただ一つだけ。
あの巫女の言葉が、妙に頭から離れない。
静かで、どこか不気味な――そんな日曜日の朝だった。




