02話 変わらない放課後
部室の扉を勢いよく押し開けたときには、グラウンドからすでに集合を告げる笛の甲高い音が響いていた。
「やばい、急がないと本気で遅刻する……!」
俺――水沢蒼太は慌ててカバンをベンチへ放り投げ、制服のボタンを弾くように外した。
その勢いのままジャージに着替えると、そのまま部室を飛び出し、グラウンドへ向かって猛ダッシュする。
すでに整列を終えていた部員たちの列の末尾へ、滑り込むように入った。
「ふぅー、危なかった……ギリギリセーフだよな……」
息を整えながら胸を撫で下ろした――その瞬間だった。
「おい、水沢。早く前へ来い」
列の先頭から、低く重みのある声が飛んでくる。
肩がピクリと跳ね上がった。
「はいっ! 今行きます!」
恐る恐る先頭に向かうと、顧問の先生が腕を組んだまま険しい顔で立っていた。
「集合の一分前に来るのは、余裕を持った行動とは言えないな」
「すみません! 次からはもっと余裕を持って準備できるようにします!」
「今度はその言葉、期待してもいいんだよな?」
「はい! 信じてください!」
「次はないと思えよ」
「はい、ありがとうございます!」
***
顧問に叱られた俺を見て、列の後輩たちがクスクスと笑っている。
「よし、これで全員揃ったな。部活動を開始するぞ!」
顧問の号令とともに、部員たちが一斉に走り出す。
俺も後輩たちに混ざり、グラウンドを走り始めた。
オレンジ色に染まり始めた夕方の風が、汗ばんだ頬を撫でていく。
土を蹴る大勢の足音が、グラウンドいっぱいに響き渡っていた。
俺は列の先頭に立ち、周回を重ねるにつれて少しずつペースを上げていく。
「水沢先輩、だんだんペース速くなってないですか!?」
「気のせいだろ! まだまだ行けるぞ! このままの勢いで、あと一周!」
「そんなの聞いてませんよー!」
後輩たちの悲鳴に、俺はニカッと楽しそうに笑ってみせる。
そして、何周か走ると、後輩たちの表情はかなり限界に近づいていた。
走り終わって荒い息を吐いた、その瞬間――。
「おい、水沢! 今すぐ来い!」
グラウンドの中央から、雷鳴のような顧問の声が飛んでくる。
「……はい、すぐに行きます」
「お前のせいで後輩全員を潰すつもりか。あいつらのペースも考えて走れ」
後輩たちが「待ってました」と言わんばかりに、一斉に頷いた。
俺は気まずそうに視線を泳がせる。
「お前は体力があるからいいが、全員が同じじゃないだろ。まずお前自身が無理をするな」
「はい……申し訳ありません……」
しょんぼりと肩を落とす俺の横で、後輩がぽつりと呟いた。
「先生の言う通りだよな……」
「そうだよな……俺たちのことも少しは考えてほしいよな」
「おい、お前ら。しっかり聞こえてるぞ!」
俺がすかさず突っ込むと、周囲からどっと笑い声が湧き上がった。
汗を拭いながら見上げた夕空はどこまでも高く、グラウンドには活気が満ちていた。
***
一方、校舎の裏手に位置する弓道場には、緊張感の漂う静かな空気が流れていた。
静寂に包まれた道場で、後輩たちが順番に射位へと進み、矢を放っていた。
的に矢が当たる乾いた音。
惜しくも外れて土に刺さる音。
西日に照らされた木造の床が光を反射し、空気中に舞う埃までも、静止しているかのように思えた。
やがて、私――風間碧羽は静かに前へと進み出た。
足踏みをし、胴造りを整え、弓をゆっくりと頭上へ持ち上げる。
心の中の雑音を綺麗に払うように、深く呼吸を整えて視線を真っ直ぐ的へ向けた。
――パンッ!
弦が弾け、目にも留まらぬ速さで空気を切り裂く矢が、吸い込まれるように的の真ん中へと突き刺さる。
「え、速っ……」
「すごい、また真ん中だ……さすが風間先輩」
後輩たちが感嘆の息を漏らす中、私は構えを解いて静かに息を吐き出した。
特別なことをしたつもりはなかった。
ただ、いつも通りに呼吸を整え、真っ直ぐ矢を放っただけだ。
けれど、誰かに見られている以上、隙を見せるわけにはいかないという、心地よい緊張感もあった。
***
やがて訪れた休憩時間。
弓の手入れをしていると、後輩が控えめに近づいてきた。
「風間先輩、どうしたらそんなに綺麗に矢を放てるんですか?」
「うーん……別に、矢を速く飛ばそうとか、的の中心に当てようとは考えていないかな」
「えっ、そうなんですか?」
不思議そうに首を傾げる後輩に、私は柔らかく微笑みかけた。
「放つまでの動作から無駄な力みや動きを減らしていったって感じかな。あとは、『絶対に当てる』と思いすぎないこと。結果を意識しすぎると、手元に余計な力が入っちゃうからね」
一言一言を噛み締めるように伝えると、後輩の曇っていた表情がぱっと明るくなった。
「アドバイスありがとうございます!! 頑張ってみます!」
「うん、焦らなくて大丈夫。毎日コツコツ続けていけば、きっとできるようになるよ」
そのとき、道場内に休憩終了の合図が響いた。
後輩たちがそれぞれの持ち場へと戻っていく。
西日に照らされた射場が、鮮やかな朱色に染め上げられていた。
静寂を取り戻した空気の中、私は再び静かに弓を構え直した。
――この静けさが、打ち破られる。
その瞬間まで――あと、ほんのわずかだった。
だが――そのことを知る者は、この場には一人もいなかった。




