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19話 イヤホンを外した先

 陽の光が、田んぼを明るく照らしていた。


 目の前には、ゆらゆらとうごめく一体の巨大な怪物。


 三年前、俺たち三人が、無力に逃げ惑うことしかできなかった因縁の相手だ。


 だが、今の俺たちは違う。


 誰一人として、後ろを向いてはいなかった。


 蒼太が一歩前へ踏み出し、拳を強く握りしめる。


「あの時、逃げることに精一杯だった俺たちとはひと味違うぜ! 成長した俺たちを見せてやる!」


 後ろにいた咲が、力強く頷いた。


 俺――橙真は静かに口を開く。


「……よし。蒼太、お前の成長を見せてやれ」


 俺の手から放たれた温かな光が、蒼太の身体を包み込む。


 その瞬間、蒼太の全身から力が溢れ出した。


「おう、任せとけ!」


 蒼太は両手を前へ突き出す。


 無数の水滴が空中へ舞い上がり、怪物の体表へとまとわりついていく。


 次の瞬間、水滴が一斉に鋭い氷へと変化した。


 バキィッ!!


 凄まじい音とともに、無数の氷が怪物の胴体を一直線に切り裂く。


 巨大な巨体が、二つに分かれていった。


「さすがに、決まっただろ!」


 蒼太が勝ち誇ったように笑う。


 ――だが、分断された泥は崩れなかった。


「……え?」


 切断面から、ボタボタと泥がこぼれ落ちる。


 その泥が、まるで生き物のようにうごめき始めた。


 地面へ落ちた泥。

 怪物の身体に残った泥。


 それぞれが互いに引き寄せられるように集まり、新たな形を作り出していく。


 やがて、巨大な泥の塊が二つがゆっくりと立ち上がった。


「……は?」


 蒼太が固まる。


「なんでそうなるんだよ!?」

「怪物……増えましたね」

「蒼太……。何やってんだよ」

「何やってんの」

「いや、増えるなんて知らねぇよ!」


 蒼太が必死に叫ぶ。


 二体に分かれた怪物が、地鳴りを響かせながらこちらへ近づいてくる。


 碧羽が静かに弓を構えた。


 周囲の風が一気に集まり、弓の弦を震わせる。


 青白い雷が風の中を走り、透明な矢が一本、形作られていく。


「っ!」


 雷を纏った風の矢が、一直線に放たれた。


 ドンッ!!


 矢が怪物の身体へ突き刺さる。


 凄まじい風が吹き荒れ、青白い雷が弾け飛んだ。


 だが――表面の泥が少し飛び散っただけだった。


 二体の怪物は、何事もなかったかのように進み続けている。


「私の矢も……効いていないみたい。全身が泥だから、攻撃を受け流されてるのかも」

「効かないのかよ!?」


 蒼太が焦った声を上げる。


 その横で、咲が目を凝らした。


「……怪物の核が見えません!」


 いつもなら見えるはずの、あの赤い光。


 それが、どこにもない。


 二体に分かれた怪物が、ゆっくりと距離を詰めてくる。


 ――その時だった。


 俺が、右耳へゆっくりと手を伸ばした。


***


 橙真先輩の動きを見て、私――咲は思わず息を止めた。


「橙真先輩……?」


 先輩の指先が、右耳のイヤホンへ触れている。


 蒼太先輩も、碧羽先輩も、その動きに気づいて視線を向けた。


 カチッ……。


 小さな音。


 橙真先輩が、右耳のイヤホンを外した。


 ――その瞬間だった。


 周囲の空気が、一瞬で一変した。


 吹き抜けていた風が消える。

 カエルの鳴き声も、用水路を流れる水の音さえも消えた。

 まるで、この場所だけが世界から切り離されたかのようだった。


「え……なに、これ?」


 私は目を見開いた。


 肌を焼くような熱気が、全身を包み込んでいく。


 蒼太先輩が言葉を失った。

 碧羽先輩も、息を呑んでいる。


 そして――橙真先輩の全身から、真っ赤な炎が一気に噴き出した。


 ゴォォォッ!!


 炎が先輩の身体を包み込む。


 まるで、人そのものが炎へと変わったかのようだった。


 その姿は、神々しい。


 それなのに――恐ろしかった。


 誰も動けなかった。


 橙真先輩は、何も言わない。


 ただ、ゆっくりと一歩を踏み出した。


 一体目の怪物が、巨大な泥の腕を振り上げる。


 橙真先輩は右手を静かに前へ向け、手のひらを開いた。


 その中で、荒れ狂う炎が渦を巻き始める。


 次の瞬間――。


 ゴォォォォッ!!


 巨大な炎の渦が、前方へ一直線に放たれた。


 世界を呑み込むような、圧倒的な熱と轟音。


 炎は怪物を丸ごと包み込んだ。


 泥も、水も、枯れ草も。


 すべてを瞬時に焼き尽くしながら、炎の渦が突き進んでいく。


 怪物には、抗う術もなかった。


 炎が通り過ぎたあとには、何ひとつ残っていなかった。


 もう一体の怪物が、恐ろしい勢いで襲いかかってくる。


 橙真先輩は地面を強く蹴った。


 炎を全身に纏い、高く跳躍する。


 空中で、橙真先輩の右拳へ炎が集まっていく。


 全身の炎が、拳へと凝縮されていく。


 傾きかけた太陽を背負いながら、橙真先輩が一気に落下した。


「――っ!」


 轟っ!!


 炎を纏った右拳が、怪物の頭上へ直撃する。


 凄まじい炎が田んぼ全体を明るく照らし出した。


 圧倒的な熱によって泥が焼き固められ、黒い煙となって空へ舞い上がっていく。


 やがて、二体目の怪物も跡形もなく消え去った。


 静けさを取り戻した田んぼ道。


 ――それなのに、橙真先輩は動かなかった。


 全身から炎を滲ませたまま、私たちに背中を向けて立っている。


 私は、その背中を見つめた。


 さっきまで感じていた頼もしさとは、何かが違う。


「怖い」


 そう思ってしまった。


 私は不安を押し殺しながら、小さく呟く。


「……橙真先輩、どうしたんですか?」


 返事はない。


 赤い炎だけが、ゆっくり揺れている。


 西日が、その背中を静かに照らしていた。


 橙真先輩は何も言わず、ただ、そこに立っている。


 蒼太先輩が一歩、前へ踏み出した。

 碧羽先輩も続く。


 私も、二人のあとを追った。


 静まり返った田んぼに、柔らかな風が吹き抜けていく。


 けれど――私の胸には、嫌な予感だけが残っていた。

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