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127話 灰化の始まり

 右手の人差し指から、灰が落ちた。


 小さな欠片が地面に触れ、風に吹かれて消えていく。


 俺――橙真は、その灰をじっと見つめていた。


「……灰?」


 もう一度、指先を見る。


 さっきまで普通だったはずの皮膚が、ほんの少しだけ崩れている。


「橙真くん、動かさないで」


 花江さんがすぐに駆け寄ってきた。


 淡い光を手に集め、俺の指先へ近づける。


 けれど――。


「……駄目」

「どうしたんですか?」

「……!」


 花江さんの表情が険しくなる。


「これは傷じゃない。橙真くんの身体そのものが――崩れ始めてる」

「……身体が?」


 蒼太が俺の手を見つめる。


「それって……前よりも、危ないってことですか?」

「分からない。でも、普通じゃないのは確かです」


 碧羽も不安そうに俺を見る。


「橙真……何か、思い出せない?」

「……思い出す?」


 その言葉を聞いた瞬間だった。


 頭の奥で、何かが弾けた。


 ――ゴゴゴゴゴゴ……!


「……地震」


 無意識に、口から言葉が漏れた。


「え?」


 咲が顔を上げる。


「地震が……起きた」


 揺れる家。

 倒れる家具。

 割れるガラス。


 長く続く、あの揺れ。


「父さんが……俺を呼んで」


 記憶の中で、父さんが走ってくる。


『橙真、大丈夫か!? すぐに外へ避難するぞっ!!』


「俺と……父さんと母さんで、逃げようとして」


 そこで、別の声が重なった。


『火事だ――っ!!』


「……火事?」


 蒼太が小さく呟く。


 俺は頷いた。


「近所の家が……燃えてた」


 真っ赤な炎。

 吹き荒れる強風。

 炎が、次々と家へ燃え移っていく。


「急いで……外に出ようとして」


 その、次の瞬間――。


 ズドーンッ!!


「……梁が落ちた」


 俺の声が震える。


「俺の前に……大きな梁が落ちて、通路を塞いだ」


 父さんと母さんが、必死に瓦礫を退かしている。


『大丈夫か!? 今助けるからなっ!』

『待っててね、橙真っ!』


 その光景を思い出す。


「父さんと母さんが……俺を助けようとしてくれた」


 咲が口元を押さえた。


「……橙真先輩」


「俺も……向こうから瓦礫を押してた」


 でも、炎はどんどん近づいてくる。


 熱い。

 息ができない。

 黒煙で何も見えない。


「……父さん」


 俺の声が震えた。


「母さん……」


 あの日の自分と同じ言葉が、口から漏れる。


「助けて……って」


 咲の目から、涙が一滴落ちた。


 蒼太は拳を握りしめている。

 碧羽は何も言わず、ただ俺の話を聞いていた。

 花江さんは、俺の話を聞きながら、灰化を止める方法を探している。

 風宮さんは、黙って俺を見つめている。


「そのあと……余震が来た」


 ――ゴゴゴゴゴゴ……!


 また家が揺れる。


「揺れが止まって……俺は何度も呼んだ」


 父さん。

 母さん。


 何度呼んでも。


「返事が……なかった」


 胸が締め付けられる。


「……二人とも、返事をしてくれなかった」


 そこで俺は、右手を見た。


 指先から、また灰が落ちる。


「そして――」


 喉が震えた。


「そのとき、俺も――死んだんだ」

「……っ」


 蒼太が息を呑む。

 碧羽の目が大きく開いた。


「橙真が……死んだ?」

「うん」


 俺自身も、今まで知らなかった。


「いままで……死んだことすら、覚えてなかった」


 そして、その先の記憶が浮かび上がる。


 炎。

 赤い光。


 自分の身体から溢れ出す、異常な力。


「でも……死んで、すぐあと」


 俺はゆっくりと話す。


「俺の中から……炎が出てきた」


 花江さんが息を呑む。


「炎……?」

「はい」


 その炎の向こうに、誰かが立っていた。


「そこに……誰かがいた」


 巫女の姿をした――。


「……カマエル」


 風宮さんの表情が変わった。


「カマエル……」

「そのとき、あいつが……俺の両耳にイヤホンを付けた」


 俺は右耳に触れる。


 もう、何もない。


 碧羽が小さく呟く。


「じゃあ……今まで付けていたイヤホンは、そのときの……」


 俺は頷いた。


「俺はずっと、力を抑えるためのものだと思ってた」

「違うんですか?」


 花江さんが、手を止めて聞いた。


「はい。……本当の用途は違うんだと思う」


 胸の奥で、少しずつ答えが繋がっていく。


「あのイヤホンは……俺の力だけを抑えていたんじゃない」


 花江さんが目を見開く。


「まさか……」

「死んだ俺の魂を――この世界につなぎ止めていた」


 誰も言葉を発しなかった。


 蒼太が俯く。


「……そんなこと、今まで一人で抱えてたのか」

「俺も今まで、思い出せなかったんだ」

「それでもだ」


 蒼太が顔を上げる。


「だったら、もっと俺たちに頼れよ」


 碧羽も静かに頷いた。


「そうだよ。橙真一人で考える必要なんてない」


 風宮さんが静かに口を開く。


「それでは、今の日向は、イヤホンを外したことで、死んだときの状態に戻り始めた――ということか」

「……たぶん、そういうことだと思います」


 俺は右手を見る。


 また、灰が落ちた。


「だから――炎が消えた今」


 咲が震える声で呟く。


「橙真先輩……」

「俺の身体は……あの日に戻ろうとしてるんだと思います」

「……嫌です」


 咲が首を横に振った。


「そんなの……嫌です」


 涙が頬を伝っている。


「橙真先輩は……今ここにいるじゃないですか」

「……咲」

「だから……死んだときに戻るなんて、絶対に駄目です。本当のことでも、そんな事言わないでください」


 俺は何も言えなかった。


 花江さんが、俺の肩へそっと手を置く。


「まだ、何も決まってないじゃないですか」


 蒼太も続く。


「そうだ。一人で勝手に諦めるな」


 碧羽が微笑む。


「私たちがいるから」


 風宮さんも静かに頷いた。


「生きる方法を探す。今は、それだけだ」


 その言葉を聞いて――胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。


 それでも――右手の指先から落ちる灰だけは、止まらなかった。

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