54話 音楽室 二
今この瞬間まで、きれいなピアノの音が聞こえていたのに、音楽室には春子以外誰もいなかった。
「誰かが私を驚かそうとして隠れたの?」
わけがわからず、音楽室を見回していたら、頭上に貼り付けられている有名音楽家たちのポスターが視界に入った。
「えっ、ええっ? ベートーベンが笑ってる? もっとむっつりとしてなかったっけ?」
驚いて、ベートーベンのポスターを見つめていたら、ガラガラと引き戸の音がした。
「ひゃぁ!」
春子はビビッて飛び上がったが、入って来たのは音楽の先生だった。
「音楽室に照明が点いてたから、消し忘れたのだと思って来たんだけど……、日向さん、帰ったんじゃなかったの?」
「はい。帰ったんですけど、忘れ物を思いだして取りに来たんです」
「さっき、鍵を届けてくれたのは日向さんだったわよね。鍵がかかってなかったのかしら?」
「はい。かかってなかったです。ピアノを弾いている音が聞こえたから、中に誰かがいると思ってたんですが……、誰もいなくて……」
「あらやだ、怖いこと言わないでよ。日向さんとすれ違いにでもなったんじゃないの? ここの引き戸、古いからね。時々、鍵をかけたつもりでも、ちゃんと締まってないことがあるのよ。」
「えっ……でも……」
春子には、誰かとすれ違いになったとは、思えなかった。
「あっ、それにベートーベンが笑ってて……」
春子がベートーベンのポスターを指さして、先生と一緒に見上げたのだが……
ベートーベンは、いつものむっつりした顔だった。
「そう、ベートーベンが笑ってたのね。日向さん、きっとお勉強のし過ぎで疲れてるんだと思うわ。今日は早く家に帰ってゆっくりしなさいね」
「あ、はい……」
結局、春子は何が何だかわからないまま、体操服を持って家に帰った。
「ねっ、不思議な話でしょ? 誰もいない音楽室なのにピアノの音が聞こえて、ベートーベンが笑ってるなんて……。この話を友達にしても、誰も信じてくれないのよ。ったくもう!」
最後に春子は、ちょっと頬を膨らませた。
「私は信じるわよ」
「えっ? 麗奈は信じてくれるの?」
「もちろんよ。だって、春子だもん」
「えっ? それってどういう意味よ?」
「ふふっ、春子は嘘をつかないって意味だよ」
「うん。それならいいけど……。やっぱり持つべきものは友達だね」
春子の機嫌がなおった。
私は文化祭の準備期間に、女優の霊が春子のそばを離れなかったことを思い出した。
あのときは、女優の幽霊が、ちゃっかり幽霊役を楽しんでいた。
きっと、中三の春子のときも、ピアノ好きな霊が憑いてきて、放課後、皆が帰った後に、ピアノを弾いたのだと思う。
その霊は、きっといたずら心と茶目っ気があって、春子に音楽室に連れてきてくれたお礼を言いたかったんじゃないかな?
ベートーベンの顔を使って……。
誰もいない音楽室で奏でられるピアノの音、そして笑う肖像画の音楽家たち……。
たいていの学校で、語り継がれる怖いお話。春子だったらこんな感じだろうなぁと思って書きました。




