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145話「ドライフラワー」

今週は2話投稿です!


 ハナさんが淹れてくれた紅茶は、確かに珍しい色をしていた。俺にとって馴染みのある深い青色は、紅茶としてはあまり目にすることのない色である。


「あ、これ知ってます。バタフライピーでしたっけ。こっちにもあるんですね」

「いただいたものなので、名前までは。見た目も綺麗で味も美味しかったので、よろしければと」

「ありがとうございます。いただきます」


 アンネさんが茶菓子を取りに行ってくれているところではあるが、せっかくの紅茶をまた冷ましてしまうのも申し訳ないと思い、そっと一口。鼻を抜けるほのかなハーブの香りと、紅茶らしい渋み、というより、苦味だろうか。


 正直なところあまり口に合わず、静かにカップを置いてしまった。


「……結構、独特の風味ですね。ハーブティー寄りなのかな。すみません、あんまり詳しくなくて」

「いいえ、私もこの仕事を始めるまでは、紅茶のことなんてほとんど知りませんでした。先輩に何回怒られたことか!」

「先輩って、ノーラさんですか? あんまり怒る印象ありませんけど」

「聖女様はご存知ないかもしれませんが、ああ見えて怒ると怖いんです! 美人が怒ると怖さが倍増で!」


 ハナさんが力説するのは、俺自身も身に覚えがある言説。というより、俺たちの場合は相手こそ違えど、どちらも実体験に基づく見解なのだった。


「それ分かります! フィリップさんに詰められるのすごい怖くて、なるべく怒られないようにって必死なんですよ」

「アインホルン様が怒る姿こそ、想像がつきませんが……」

「ハナさんが知らないだけですって。もう本当、すっごい怖いんですよ。鬼の形相」


 怒ったときのアンネさんを再現しながら言うと、冗談だと思っているらしいハナさんは楽しげに笑ってみせる。


 ノーラさんからは、メイドが仕事中に見せるべき表情ではない、と怒られてしまいそうではあるものの、俺としてはこの距離感がありがたかった。こちらの世界に来てからずっと、ハナさんは俺に対して、どこか友達のように接してくれているのだ。


「でも、そっか。ノーラさんも怒ることあるんですね。結構長い付き合いだと思ってましたけど、全然知りませんでした」

「私は聖女様のことを存じ上げていますよ。命の恩人ですから」


 ハナさんがここぞとばかりに主張してくるのは、お披露目パーティーでのことだろう。


 毒殺未遂事件の実行犯の一人によって、ハナさんは地下倉庫へ監禁され、犯人になり変わられていたことがある。それを見つけ出したのが俺たちだったのだ。


 俺一人の手柄ではないのだが、ハナさんは何かというとパーティーでの出来事を持ち出してくる。案外、義理堅い性格なのだろうかと思いつつ、こちらも恒例として日頃の礼を述べた。


「こちらこそ、いつもお世話になってます。でも、そうじゃなくて。わたしがハナさんたちのことをあんまり知らないなと思ったんですよ」

「……例えば、どんなことでしょうか」


 ハナさんに問われ、少し考えてみる。


 俺がハナさんについて知っていることといえば、左利きらしいこと、港町にお母さんが住んでいるらしいこと、素直で自信家なこと、閉所恐怖症の気があること──それから、何やらトラウマを抱えているらしいこと、くらいだろうか。


 シノノメでキオクイに幻影を見せられたハナさんは、その場にいた誰よりも取り乱していた。泣き喚き、パニックを起こしていたあの有り様は、何か辛い記憶を見たというより、恐ろしい記憶を目にした人間の反応である。


 ハナさんについて、もう少し知りたいという気持ちはあるものの、心の柔らかいところにうっかり踏み込まないように気を付けなければ。


 そうなると、質問というのは必然的にありきたりなものばかりになってしまう。


「例えば……休みの日に何してるのかとか、食べ物の好き嫌いとか、趣味とかですかね」


 あまりにも凡庸な問いに驚いたのか、ハナさんは一瞬呆気に取られたような表情を見せたが、すぐにいつもの笑顔と共に答えてくれた。


「お休みの日は、先輩と街に出かけることが多いんですよ。食べ物は、お肉があまり得意ではなくて。安上がりで助かっています。好きなもの……甘いものが好きです。人並みに。趣味は、読書……とか?」


 なぜか趣味については疑問系らしい。ハナさんも意外に仕事人間なのだろうか。


 城で働くメイドは、確かに他の屋敷のメイドよりも忙しそうだ。本人の明るさでそう見せていないというだけで、実際のところは激務なのかもしれない。


「読書ですか。絵本とかが好きだと、共通の話題になりそうなんですけど……」

「違う世界から来ると、読み書きを覚えるのも一苦労でしょう。しかも聖女様は公務の合間を縫ってですから、なおさらです!」

「そろそろちゃんと覚えないとなんですけどね。どの文字も似たり寄ったりに見えてきちゃって」


 遥か遠く、幼稚園時代を思い起こしてみると、当時から「あ」「め」「ぬ」「み」あたりの区別がつかずに苦戦した記憶がある。「さ」「ち」も同様だ。


 取っ掛かりを見つけられれば早いのだが、と思案したそのとき、文字を覚えたての頃、親が俺の名前を書いてくれたことを思い出す。


 単体で意味を持たない文字を記号として覚えようとするより、見知った名前の部品として覚えた方が早いのではないだろうか。


 思い立ったが吉日、まずは目の前にいる人の名前から実践してみることにした。


「そうだ、紙にハナさんの名前書いてみてくれませんか?」

「……私の?」

「身近な人の名前で覚えた方がいいかと思って。あと、よく考えたら、わたしってハナさんの家名も知らないので、これを機に知れたらいいな〜とか。……あっ、教えるのに抵抗があったら大丈夫なんですけど」


 言ってから、ハナさんが自身の出自について、あまり人に話したがらない可能性に思い当たる。


 元被差別階級の象徴だという桜色の目は、俺からすると日本を思い出せる綺麗な目なのだが、この世界ではそうでない以上、気を付けなければ。


 もしかすると断られるか、と覚悟していただけに、ハナさんの反応は意外なものだった。


「いえ、構いませんよ! 紙とペンをお借りできますか?」

「ありがとうございます。紙はどこだっけ……」


 日記ならあるが、さすがにここで出すのは抵抗が──などと考えながら立ち上がった瞬間、バランスを崩し、倒れ込んだ拍子にテーブルに肘を打ち付けながら、再び着席。


 頭が、ぼんやりする。異様な眠気だ。おかしい。何かが起きている。


「聖女様?」

「……ハナさ、」


 心配げにこちらを見つめるハナさんの顔が、強制的に落ちる瞼で見え隠れしていた。


 単に疲れが出たときの眠気ではない。明らかに何かを盛られている。まさか紅茶に? ハナさんたちが毒味は済ませていたはずだ。あり得ない。


 だとしたら、中身がすり替えられていたということになる。考えるまでもなく狙いは俺だ。


 何にせよ、アンネさんに知らせなければ。そう思い、耳飾り型の魔具に手を伸ばすと、魔具と俺の手の間に、冷たい手が差し込まれる。


 その手は俺の耳からそっと魔具を攫い、音もなくハナさんの元へ舞い戻った。


 助けを呼べる状態ではない。代わりに誰かを呼んでくれるのだろうか。


「ハナさん……フィリップさんに、連絡、」

「するわけないでしょ」


 だが、返ってきたのはあまりにも、ハナさんらしくない言葉。


「は……?」


 信じられない思いで、ほとんど机に伏している体を無理やり持ち上げ、ハナさんを見上げる。


 そこにあるのは、やはり別人と見紛うような冷たい笑みだった。


 ハナさんの、陽だまりのような笑顔は見る影もない。こちらを嘲るような、嫌な笑い方だ。


「あ、気付いてなかったんだ。聖女様って、鋭いかと思ったら鈍いんですね〜。名前書けとか言い出すから、バレてるのかと思った」


 どういう意味だ?


「ここまでくると、日本人とか関係なくないですか? 青い飲み物には警戒するって、常識ですよね。ほら、眠剤が溶けてる飲み物は青くなるとかって話、聞いたことありません? こっちのがどうだか知りませんけど」


 どういうことだ?


「半信半疑だったけど、まさか本当に目の色を変えるだけで何も聞かれなくなるなんてね。犯人に成り代わられた被害者のフリしたら、疑いも綺麗に晴れたし」


 「ハナ」は、ネロトリアにもよくいる名前で。


「さっきの質問の答え、半分は嘘。甘いものはそこまで好きじゃないし、趣味らしい趣味もない。休みの日はショート見てたらほとんど終わってる。こっちに来る前の話だけど」


 そんなことが、あるはずない。そんなはずはないのに。彼女だけは、絶対に違うのに。


 きっとまた、別人が成り代わっているのだろう。そうでなければ操られている。彼女が、このようなことをするはずがないのだ。


 だが、それなら目の前にいるのは一体誰だというのだろう。


 異世界に精通しており、俺に敵意を向けている誰か。


 浮かぶのはつい先ほど出て行った王女だが、八年前に前世を終えた王女が、ショート動画の存在など知るはずがない。


 何より睡眠薬を盛るなど、いくら何でもやりすぎだ。相手があの王女とはいえ、そこまでのことをするだろうか。


 目の前の状況を否定し、彼女以外の容疑者を挙げようと躍起になる俺に、ハナさんは淡々と、そして残酷に、俺の問いに答えていく。


「名字はミカミ。数字の『三』に方向の『上』って書く、三上。ハナは画数少ない方の『花』ね。漢字なら説明すれば分かるでしょ?」


 どうして、今なのか。

 彼女の裏切りを受け入れざるを得なくなって、まず始めに考えたのはそんなことだった。


 どうしてもっと早く、正体を現してくれなかったのだろう。


 考えれば分かる。じっくり時間をかけて、疑われないようにするためだろう。彼女がこちらの事情を考慮する必要などないのだ。本当はずっと、味方でも何でもなかったのだから。


 それでも、もっと早く事を起こしてくれていれば。情が移る前に、ハナさんと過ごす時間が束の間の癒しになる前に、立場さえ違えば友達に──などと考える前に。


 お披露目パーティーで、実行犯として挙がったハナさんが偽物だと分かったとき、俺がどんなに心配して、同時に安堵していたか。それを彼女が知ることはないのだろう。


 扉には消音の魔具がかかったままで、ハナさんの声も俺の声も、外には届かない。


 俺が口をつけた紅茶を一口含んでから、ハナさんは言葉を続けた。


「──三上花。それがあたしのフルネーム」


 ずっと前から知っていたはずの人の、知らない名前。認識できたのはそこまでで、続く言葉は停止し始めた脳みそを上滑りしていくばかり。


「ちゃんと覚えてね。これからはあんたの──」


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