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143話「美しき銅」


 一週間ほどの訓練を経て、ドラスケは無差別に火を吹いて回ることはなくなった。


 それでも時折、不意打ちで炎が出てしまうことはあるため、内側に魔法攻撃遮断魔法をかけた布をマスク代わりにするなどして対策を講じ、少しずつ俺の手を離れる時間を作ることにしている。慣らし保育のようなものだった。


 聖女は普段の公務に加え、少し前までの各国訪問や聖女集会といった、国外を訪れる機会も多い。今のうちに俺以外の人にも慣れさせておく必要があった。


 アンネさんに対しては相変わらず怯えてばかりだが、これに関しては時間をかければ改善すると信じるほかないだろう。


 最近は戦争の爪痕も少しずつではあるが癒えてきたということもあり、穏やかな日々が続いている。


 どれくらい穏やかかというと、あのアンネさんが数日の休暇をとって実家──ウィルバートさんの教会の方だ──に帰ったほどである。


 今は王都に転移の魔具を配置し、臨時顧問の任にも当たっているため、帰省そのものに時間がかからなくなったこともあるのかもしれない。


 とはいえ、アンネさんが三日も休みを取るというのは周りにとっても衝撃だったようで、イーザックさんからはウィルバートさんに持病でも見つかったのかと問い詰められ、フランさんからは「何も言わなくていい」という言葉と共にお見舞いの品を渡されるアンネさんを目撃した。


 アンネさんが自分から進んで帰省するとなれば、病気になるどころかあらゆる病を完治させそうではあるものの、帰ってきたアンネさんの様子が少しおかしかったところを見るに、もしかしたら本当に何かあったのだろうか。


 もしイーザックさんやフランさんの懸念通りだとしたら、そのときは素直に俺を頼ってくれるといいのだが、こればかりは本人が言い出してくるのを待つほかないだろう。


 最近は特段忙しいわけでもなく、調子も悪くない。今日も結界の張り直し以外に目立った公務はなく、ドラスケもフランさんに預かってもらっている。公務続きの日々の合間にできた、束の間の休息を、自室でのんびりと過ごしていた。


 そうはいっても常日頃からドレスを着用しているため、ベッドで寝転がるなどということはできないのだが、人目のない部屋で机に伏して大あくびをすることも、今となっては十分な贅沢である。


 生まれながら高貴な立場にある人──身近な例ではアリー、少し遠い例では八歳の王女殿下がそれに当たる──などは、こうした場面でも気を抜くことはないのだろう。


 聞くところによると、王女殿下は数年前、公務帰りに土砂災害に見舞われ、瀕死の重傷を負ったことがあるそうだ。それでも三日後にはいつもと変わらない様子で、公務の場に復帰していたという。


 大人でも難しいであろうそれを、当時四歳の王女殿下が成し遂げたというのだ。


 尊敬すると共に、俺には真似できない生き方だなどと考えていると、不意にノックが来訪者の存在を知らせた。


 慌てて姿勢を正し、入室を許可すると、入ってきたのはアンネさんである。彼相手ならば居住いを正す必要はなかったか、などと思ったのも束の間、ふと違和感を覚えた。


 今日のアンネさんは、妙に小さいのである。俺よりもフランさんよりもさらに小さい、小学校低学年のような身長だ。幼児化させた記憶はなく、普段のアンネさんをそのまま縮小したような。


 加えて、覚えのない執事のような人を連れ立っているのも解せない。俺の知らない人を連れてきて紹介もなしとは、アンネさんなら考えられないことだった。


 脳裏に蘇るのは、俺を誘拐したテオドールの変装。彼もまたアンネさんに化けて俺の部屋に侵入し、偽物であると看破した俺を無理やりに連れ去ったのだ。


 体をアンネさんたちのいる方へ向け、いつでも逃げられるようにと腰を浮かせたそのとき、騒がしい足音と共に、本物のアンネさんが血相を変えて飛び込んできた。


 ミニアンネさんとリアルアンネさんが並ぶ奇妙な絵面の中で、先に口を開いたのは大きいアンネさんの方だった。


「礼央様、この方は」

「はしたないこと。ナイトというのはもっとスマートな振る舞いをするものよ」


 本物の声を遮って、ミニアンネさんが喋り始めた。その瞬間、リボンが解けるようにして魔法が解け、見覚えのある姿が現れる。


 光沢のある茶髪をゆるくうねらせ、ピンクがかったオレンジの瞳をこちらへ向けるその人は、この国の人間ならば誰もが知る人物。


「…………お」


 すぐに二の句が継げなかったのは、あまりにも場違いな人物が、唐突に、かつ思わぬ方法で姿を現したことへの驚きが大きすぎたためだ。


 だが、目の前にいるのは間違いようもなくその人であり、恐る恐るその呼び名を口にした。


「王女さま……?」


 信じがたい思いで、礼儀も何も捨て去った呼称を吐き出せば、ネロトリア王国王女──ルイーサ・アダリーシア・リーゼロッテ・ネロトリアその人は、形ばかりの驚きとして、口元に手を当ててみせる。


「まぁ、王族の呼び方もご存知ないのね。日本生まれだというなら今回だけは見逃して差し上げるわ」


 こちらの世界の人間からは一度も聞いたことのない故郷の名前の登場に、懐かしさよりも動揺が勝つ。


 これまで、俺が日本生まれだという話を誰かにした記憶はほとんどない。心当たりといえばそれこそアンネさんくらいのもので、どこを通って王女殿下の耳に届くのか、皆目見当もつかなかった。


 作法も礼儀も丸ごと吹き飛んだ頭を叩き起こし、ひとまずゆっくりと立ち上がり、着席を促した。


 何故、王女殿下がここに。それもわざわざ魔法を使って。そもそも殿下が光属性魔法を使えるという話からして初耳である。何というお転婆スキルだろうか、などと思考している間に、殿下は一分の隙もない完璧な所作で席についた。


 確か、ルイーサ王女の年齢は八歳。俺の半分ほどしか生きていないはずだというのに、さすがは王族といったところか。


 聖女と王族は立場の性質は違うため、単純比較はできないものの、王族の方がわずかに上の立場として落ち着いている。


 聖女は平民出身も多いため、特殊な力を持つだけで王族の上に立たれては、メンツが丸潰れという事情もあるのだろう。


 王女は扉の前に張り付いたままのアンネさんを見やり、ゆったりと首を傾げた。


「今から内緒のお話をするけれど、魔具は取り付けなくていいのかしら? あたくし、指切りなんて口約束は信じていなくってよ」


 またも飛び出した、こちらの世界では馴染みがないはずの単語。どこかで指切りをしたことがあっただろうか。少なくとも俺には覚えがないが、シノノメの文化として存在しているという可能性もある。


 アンネさんは少し考えたのち、扉に消音の魔具を取り付けた。いつもより反応が鈍いのは、動揺からだろうか。さしものアンネさんも、この国における最高権力者が不意打ちで訪問とあっては、普段通りとはいかないのだろう。


 アンネさんでさえこの反応な辺り、ハナさんを呼びつけてお茶を用意してもらうわけにはいかない。緊張から卒倒してしまいそうだ。


 彼女のことだから、まるで友達に接するように話しかけ始める可能性もないではないが、それはそれで恐ろしい。


「……紅茶などいかがでしょうか。お口に合えばいいのですが」

「ええ、ありがとう」


 恐る恐る申し出ると、意外にもすんなりと受け入れられた。アンネさんに目配せをし、部屋にある戸棚から用意してもらう。


 その間に、少しでも交流を図っておこうと、今までにない動き方をする心臓を抑えながら口を開いた。


「茶菓子はお召し上がりになりますか?」

「まぁ、何があるのかしら」

「クッキーがいくつかございます」

「あたくし、チョコレートが食べたいわ」


 こちらの話をまるで聞いていなかったのか、王女殿下は茶菓子としてはやけに珍しいものをリクエスト。


 そもそもこちらの世界で、チョコレートらしきものを目にした記憶はないのだが──殿下の後ろでお茶を用意するアンネさんに視線のみで尋ねてみるが、返ってくるのは怪訝そうな顔のみである。


 そうとは知らない王女殿下は、どこか思い出話でもするように言葉を続けた。


「あら、知っているはずよ。あれがいいの。遠足のときに食べたでしょう。金貨の形をしたチョコレート。ああでも、五百円玉のことではないの。もっと小さい小銭のチョコレートならあったけれど」

「な、何でそれを……」


 それを知るはずのない人から飛び出してくる、見覚えのある記憶の数々に、思わず声を上げた直後、王族の面前だったことを思い出す。


 慌てて居住まいを正し、咳払いを一つ。


「……いえ、失礼いたしました」

「構わないのよ。元々今日はお忍びだったもの。お互いの立場は忘れましょう。どうぞ、続けて?」


 にこやかに微笑むあたり、俺の非礼について、王女殿下はそこまで深刻に捉えてはいない様子である。本人も立場を気にするなと言ってはいるものの、その言葉をそのまま鵜呑みにするわけにもいかなかった。


 ここが日本ならばいざ知らず、ネロトリア王国において、不敬罪はいまだに現役なのだ。聖女を即刻処刑はしないまでも、軽率な真似はできない。


 とはいえ、この場で聞いておきたいことが山ほどあるのも事実。礼儀作法がうっかり抜けてしまわないよう気を配りながら、現状の疑問を一つ一つ明らかにしていくことにした。


「では……殿下はなぜ、それをご存知なのですか? チョコレートや遠足、わたしがいた国の名前まで」

「あら、あたくしは貴方が思う以上に何でも知っていてよ。例えば、そうね」


 王女殿下はそこで一度言葉を切り、何でもないような顔のまま、静かにこう尋ねてきた。



「宇佐神礼央。貴方──本当は殿方でしょう?」


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