142話「灯火と翼」
大きなパイナップルが欲しいと思った。
聞くところによれば、パイナップルの皮は耐火性が抜群なのだという。ガスバーナーを噴射しようとびくともせず、ほとんど焦げつきさえしないのだとか。
何故それを求めているか。単純な話である。
歩き回るガスバーナーがいるからだ。
「……人生初育児の難易度が高すぎると思うんですよ」
そうこぼせば、俺の育児対象は返事代わりに結界の向こうで火を吹いた。元気な子ドラゴンだ。ニーナさん曰く、「恐らくはオス」らしい。
竜というよりドラゴン、赤黒く太い蛇のような胴体に、恐竜のような頭と四つ足、それから翼竜のような翼をつけて、いかにも無害ですという緑のつぶらな瞳を向けながら、テディベアのように尻を床につけて自立している。
さらに付け加えると、卵から孵って初めて目が合った俺を親だと思っているらしい、ヒヨコのようなドラゴンである。
『ええ……私もそのように思います」
「しかもワンオペ!」
『ワン……いえ、申し訳ございません』
家具も何もない殺風景な部屋に、子ドラゴンと二人きり。気を紛らわすべく魔具越しにぼやく相手は、もちろんアンネさんだ。
思わず育児ノイローゼという単語が頭をよぎる。ネロトリアに戻ってから数日しか経っていないというのに、世の親たちはどのようにしてこの気が狂いそうな状況を乗り切っているというのだろう。火を吹くことはないにせよ、言葉が通じない点では同じはずなのだ。
「ああもう……聖女の次は母親なんですか……?」
「子の親になっただけですので、父親でいいかと。大きな声では言えませんが」
「大きな声で罵倒していいですか?」
「ご随意に」
「はっ倒しますよ!」
許可を得るなりありのままの本音をぶちまけると、魔具の向こうからは俺の罵倒をものともしない冷静な声が返ってきた。
「罵倒は以上でしょうか」
「今煽らないでくださいよ……わざとですか?」
「いえ、罵倒にしては控えめでしたので」
「三秒前に言ったこともう一回繰り返しますね。わざとですか?」
苛立ちを隠しもせず言い放ち、ため息とともに机に伏した。
部屋にあるのは一対の机と椅子。その周りには結界を張っているため、子ドラゴンの攻撃はやり過ごせるが、安全な分、退屈でもある。延焼の可能性があるからと、本を置くことさえできないのだ。
読めたとして絵本がせいぜいという問題は一旦脇に置き、うめくようにして声を上げた。
「……分かってるんですよ……アンネさんにもどうしようもないってことは……ほぼ八つ当たりな自覚はあります。すみません」
「力及ばず、申し訳ありません」
「いえ……そもそもワンオペ……一人で面倒見る羽目になったのって、俺がアンネさんに魔法攻撃遮断魔法を何重にもかけたせいですし」
「ええ、人的被害が出なかったことが奇跡中の奇跡といって差し支えないでしょう」
自然に飛び出したのは、たびたび起きる類の奇跡の話である。そろそろ奇跡が品切れを起こしそうだと思いながら、アンネさんの冷静な受け答えを聞いていた。
誰彼構わず火を吹くからと、対策として魔法をかけたまではよかったものの、それが効力を発揮しすぎたのだ。
アンネさん目掛けて吹き出された小さな炎は、彼の上着にかけられた魔法によって跳ね返され、真横に伸びる火柱としてドラゴンもろとも数部屋分の壁を焼き尽くしたのだった。
元々火竜らしい子ドラゴンは無事だったものの、高火力の火炎を浴びた子ドラゴンはすっかりアンネさんに怯えてしまい、威嚇として炎を吹き散らかすため、対策を講じる間の限定的措置と称して、俺とまとめて隔離と相なったわけである。
外ではイーザックさんたちが子ドラゴンの扱い方について協議しているらしいが、それもいつ終わることやら。
「……躾とかした方がいいんですかね。犬とか猫と同じ要領だと思えばいいのかも。犬も猫も飼ったことないですけど」
「いえ、相手はドラゴンですので、対策案が定まるまではそのままでお待ちください。私も一度離席いたしますので、何かあれば魔具を介して連絡を」
恒例の心配性を発揮して、アンネさんは席を離れたようだ。
そうは言われたものの、このまま待機というのも退屈で死にそうである。アンネさんと話していたから気が紛れていたものの、こうなってしまうと話し相手は子ドラゴンしかいない。
仕方なく、椅子を結界の方へと向け、体を屈めた状態から子ドラゴンに声をかけてみた。
「お前、オスなんだっけ。じゃあドラスケだ。アンネさんたちには不評だったけど。いいか、ドラスケ」
そう呼びかけると、子ドラゴン改めドラスケは、元気に火を吹いた。思いのほか豊かな表情を見る限り、了承と受け取ってよさそうではあるが、まずはこの癖から改めさせる必要があるかもしれない。
「返事代わりに火を吹くな。……こら、ダメ」
またも火を吹こうと口を開けたドラスケを、結界越しに手で制する。それを受けて火を吹かずに口を閉じた辺り、ドラゴンという種族は、俺が思っているよりずっと頭のいい生き物なのかもしれなかった。
そのことに気付くと、目の前の生き物が言葉の通じない別の生き物というより、よそ者という共通点を持つ仲間のように思えてくるから不思議である。
「ドラゴンは育児熱心じゃないんだっけ。それなら……今頃お前を育ててたのは、エルフかもしれないってことだろ。もしくは巨人とか……ユーデルヤードの猛獣って、どれも熊みたいな大きさしてるんだっけ。親候補が多くて大変だ」
ユーデルヤードで聞いた話を思い起こしながら、ほとんど独り言のように話してみると、ドラスケは肯定とも否定とも取れない唸り声を上げた。
種族は違えど、同じよそ者同士。芽生えた仲間意識に任せて、これまで誰にもできずにいた話が、口からこぼれ落ちていく。
「……お前はすごいな。普通さ、多少なり腹立つもんだろ。知らない生き物たちに囲まれて、迎合しないと生きていけないなんてことになったら。連れてきたのなんてお前らの勝手だろって」
それはドラスケに語りかけているというより、過去の自分に話しかけていたのかもしれない。本音を口に出すこともできず、いもしない仲間を探し続けていた頃の自分に。
「それでも、いつか絶対に折り合いをつけないといけないタイミングが来るっていうんだから、理不尽っていうか、不条理っていうかさぁ」
世界は変わらず、結局は自分を変える他ない。どこでも同じはずのその理屈が息苦しく思えるのは、俺にとってのこの場所が、どこまでも「異世界」でしかないからなのだろうか。
知らない生き物たちに囲まれて生きる俺たちは、彼らからもまた知らない生き物として扱われる運命にある。
現に。ドラスケを伴ってネロトリアに戻ってきた後に聞いたやり取りは、ドラスケが人語を介していなかったことに感謝したくなるようなものだった。
──「また妙な拾い物を……異世界からの聖女一人を持て余しているというのに」
「そう言うな。何事も使いようだろう。使い方を誤れば国が滅ぶが、上手く扱えば強大な戦力になる。無駄に兵を散らす必要もなくなるのだ」──
国民の生活を改善するために、無駄に兵を散らさないようにするために。そんなご立派な理由一つで、俺たちが持つべき権利は当然のように取り上げられる。
俺自身は、折り合いをつけなければならないタイミングで、折り合い──というより、諦めをつけてしまったが、今でもその判断が正しかったのかは分からないままだ。
だが、こんな言葉をかける辺り、実際のところ未練と後悔だらけなのかもしれない。
「……だけどお前は、折り合いなんてつけなくていいよ。俺の言うことも、誰の言うことも聞かなくていい」
静まり返った、どこか焦げ臭い部屋に、祈りとも呪いとも取れない言葉が落ちる。
「だから、自由に、のびのび生きろよ」
大きく、城に収まらないほど大きく育って、その翼でどこまでも羽ばたいてしまえばいい。どこにも行けないよそ者が託せる願いというのは、そのくらいなのだ。
俺の言葉を理解したのかそうでないのか、ドラスケは結界目掛けて元気に火を吹いてみせた。
少なくとも俺の助言は忘れているらしい。躾というものの難しさを実感しながら、思わず頭を抱えた。
「……そうは言っても、せめて人の顔に火は吹かないでほしいんだよな〜!」
言うことを聞く必要はないと言っておきながら虫がいいとは思いつつ、安全のためという大義名分を掲げ、ドラゴンの習性を抑え込むべく躾を試みる。
「人の顔っていうのは俺みたいに耐熱性抜群じゃないんだからな。返事代わりにボーボー吹くもんじゃないんだぞ」
「がう」
「それだ! できるじゃん! 今みたいに鳴き声で返事。できるか?」
そう声をかけると、ドラスケは最初の頃より幾分か控えめに火を吹いてみせる。火力を抑えるようになったのは進歩だが、今後のためにもここで合格を出すわけにはいかず、容赦なく叱り飛ばした。
「違う! 火じゃない! 声出す!」
「ぐう」
「そう、それ! もう一回!」
「ぎゃあ!」
「よし! 偉い!」
言葉は通じていなくとも、何となく褒められているということは理解できるのか、ドラスケはどこか誇らしげに鼻を鳴らしてみせる。その度に火花が飛んではいるものの、火炎を放射していないだけで上出来とするべきかもしれない。
躾に必要なのは飴と鞭、今は素直に練習を楽しんでいても、継続するためにはモチベーションとなるものが必要だ。好きなものや遊びが分かれば早いが、手っ取り早いのは餌を与えることだろう。
「ドラスケは火竜だから、薪とかの燃料を食べるんだっけ。意外に草食なんだよなぁ。種があれば促成魔法でいけるかも」
ドッグフードならぬドラゴンフードなどがあれば楽なのだが、それがないうちは、促成魔法を使ってどうにか調達するほかない。
当初は言葉も通じない猛獣を相手にどうしたものかと思っていたものの、この数分のやり取りを見るに、思いのほか上手くやっていけそうだ。
「後でアンネさんに小枝か何か持ってきてもらおう。練習のご褒美。お前がところ構わず火を吹かないようになれば、備蓄として置いておけるからな。燃やすなよ」
そう言い含めると、ドラスケは可愛らしく小首を傾げてみせる。理解しているとは到底思えない態度に、今日何度目かのため息。
思ったより素直に言うことを聞くことが分かったとはいえ、この子ドラゴンを迫害させず、犠牲を出させず、立派な成竜へと成長させなければならないことに変わりはない。
そもそもドラゴンの成長速度が遅いのか早いのかさえも分からないとなると、俺たちだけで完結させられる話とも限らないのだ。
何にせよ、まずは火を吹く頻度を減らすこと、それからアンネさんに慣れさせることが最優先課題と判断し、諸々の課題を一度棚上げして、目下の課題解決に専念することにした。
「にしても……親って言われてもなぁ。よそ者同士で仲間ではあるけど」
思わぬ形で降ってきた重責に、思わずそう独りごちる。
子どもを育てる親の気持ちは、俺にはまだよく分からない。ただ、ドラスケと接するときの感覚は、ペットを育てるときのそれとも少し違っている気がする。もっと視線の近い、親とも違う何かだ。
導き出した結論を抱き、自分に魔法をかけてから結界を解く。そうして、ゆっくりと立ち上がり、ドラスケの側で膝をついた。
「……ちゃんとした自己紹介はまだだったっけ」
俺と似た緑の目が、俺を捉える。
血縁関係などあろうはずもないが、こうした見た目の繋がりから芽生える仲間意識もあるだろう。
そんなことを思いながら、いつかドラスケが人間の言葉を理解するようになったときのためにと言い訳を浮かべて、自己紹介と、認識の訂正をしておくことにした。
「俺は礼央。お前からしたら親に見えてるかもしれないけど、そんな歳じゃないから……兄貴くらいがちょうどいいと思ってるよ」
まさか初めての弟がドラゴンになるとは思わなかったものの、初めての子育てがドラゴンになるよりはよほどいい、気がする。
親と兄弟、同じ家族とはいえ、気持ちの負担がずいぶんと違うものだ。
「よそ者同士、仲良くしようってことで。よろしく、兄弟」
言いつつ拳を突き出すと、ドラスケが鼻先でそれを突く。人間の体温よりもさらに熱い、ドラゴンの皮膚が一瞬だけ指の背に触れたのち、空気がそれを冷やしていった。
「それがドラゴン流の挨拶か? 火吹くよりはいいけど」
安堵から出た軽口を叩きながら、もう一人のよそ者仲間に想いを馳せる。
彼女はずいぶんと今のネロトリアに馴染んでいるようだが、よそ者という見方をすれば彼女もまた仲間であることに変わりはないのだ。
「俺が兄貴なら、タビサさんはお姉さんかな。ドラスケ、お前が末っ子だぞ」
そう笑いかけると、ドラスケは覚えたての返事と共に、喜びとも不満ともつかない反応を見せる。
弟を虐げない姉に、ずっと望んでいた弟。よそ者という共通点を軸として、勝手に繋いだ兄弟ではあったが、それは確かに俺の理想に近い家族だった。
異世界で理想を形作りながら、故郷の現実を懐かしむ。
ドラゴンの兄弟を名乗っても、俺の背中に翼はないまま。
ドラスケは女の子です。




