彼が残した者たち
「こっちじゃ、孺子」
「っ、これは……」
孫策……基、雪蓮と別れた後、黄蓋さんに連れてこられたのは先ほどまでいた広場の端、小さな林を抜けた先にあるまた別の開けた場所。
そこに広がっていたのは、赤を基調とした独特な甲冑を見につけた兵の集団だった。
「っ! 殿の御帰りだ! 集合!!」
「「「「おうっ!!」」」」
少なくとも五千は下らないかという兵士達は、目の前に俺と黄蓋さんが現れたのを確認すると、其れまで行っていた装備の点検や武器の手入れなどを止め広場の中心へと一斉に動き出す。
「おかえりなさいませ! 殿!」
「殿!」
「おかえりなさい!」
「おうっ! 準備は良いようじゃの!」
兵士たちの呼びかけに、黄蓋さんも満足気な表情で返す。彼らもそんな主人の問いに少々表情を崩しながらも、その姿勢は崩さず自らの主人に対して自分たちの精強振りを見せつけんばかりに体を震わせる。
「これが黄蓋さんの?」
「おうさ、儂の部隊じゃ。とはいえ半分は呉群に残しておるから、全軍では無いがのう」
「凄い、ですね」
「ふふん、そうじゃろう。そうじゃろう!」
(凄い顔してるな……)
主に正対し続ける彼らの顔つきは、自分の知る精兵のそれだ。
自分の知る未来の兵士と目の前の兵士。戦い方もその軍としての在り方からして別物ではあるが、それでも彼らの自身に満ちたその表情、姿勢から、彼らの持つ強さが少し離れた位置に居る俺にもヒシヒシと伝わってくる。
「……それで、黄蓋さん。俺に与えられる兵って言うのは? もしかして彼らの中から?」
「そんな訳があるまい! こやつらは儂の大事な部下じゃ、そう簡単には貸せんわ!」
(あ、そうなのね。――ん?)
貸して貰えるという兵が目の前の兵士達ではない事をほんの少しだけ落胆しつつ、再び眼前の兵士達を見た時に、ある事に気づいた。
広場の奥。こちらから見て中央に集合している兵士たちの後ろ側に、また別の数十人程の男たちがきつい表情を携えながら整然と整列しているのだ。
彼らの身に着けているいるのは、黄蓋さんの部下たちのそれとは違いよく言えばシンプルな、悪く言えば飾り気のない質素なつくりの甲冑。 遠目から見ただけでもその風体が孫家の兵とは違う事がすぐに分かった。
「あの、黄蓋さん」
「ん? なんじゃ?」
もしやと思い、隣の黄蓋さんにその事を聞いてみる。
「あそこにいる人達って……」
「おお、そうじゃそうじゃ! あ奴らが、堅殿が言っておった“丁度良い者たち”じゃ」
俺の指摘に、そういえばとでも言った具合に手を叩いた黄蓋さんは集まる兵士の中を抜け、その奥の兵士達の前まで俺を連れて行く。
(あの甲冑、どこかで……)
妙な既視感を抱きつつ集団へと近づいて行き、その装いをはっきりと見る事が出来る様になったことで、改めて彼らの恰好の異質さに気づかされる。
彼らの装いは、正面に並ぶ者たちは全身に甲冑を身に着けてはいるが、その後ろに並ぶ兵士たちの装備はひどい物だった。ある物の甲冑は一部が欠け、またある者は甲冑が上だけだったり下だけだったり。更に後ろの方に行けば甲冑はおろか武器すらまともに持っていない様な有様だ。 よく見れば正面の兵士達の甲冑もところどころ塗装が剥げ下の金属がむき出しなっており全体的にボロボロだ。
(これじゃ、まるで寄せ集めじゃないか……)
俺自身、この時代の兵士に対する評価基準を理解している訳ではない。だが、それにしても一つの軍として、彼らの外見は明らかに不十分に見えてしまう。昨日見た雪蓮の討伐軍、そして先ほどの黄蓋さんの兵士たちを見ていた分、余計にそう思ってしまうのだろう。
そんな思いを胸に抱きつつ更に距離を詰め、丁度彼らの正面に着いた瞬間、最前列の真ん中に居た兵士が絶叫する。
「黄公覆将軍に!!」
「「「「将軍にっ!!」」」」
(!)
その兵士の声に呼応するように、後ろに並ぶ兵士たちが“ほぼ同時”に声を上げ胸の前で両の手を合わせる。右拳を左手で包むそれは拱手、つまりは敬礼だ。
「……ははっ」
(前言撤回だよ、これは……)
その一糸乱れぬ姿を見て、先ほどまで感じていた不安が杞憂だった事を知る。
一つの号令の下、全員が同時に同じ動きをする。単純な様に思えるが実際にそれを行うには度重なる反復練習と同じ部隊員同士の強い絆が必要だ。
現代の軍でも、一番初めに兵士に叩きこまれ、そしてそれ以後もすべての軍事的やそれ以外の行動の主幹となる集団行動。それらがより高い水準で行われて初めて、効率的且つ効果的な部隊運用が可能になる。それをこの目の前の兵士達は見せつけてくれた。
だけれども一つ、それを置いて気になる点があった。
(すごい顔しているな……)
“表情“だ。
顔の判別が付くまで近づいたことで分かったそれは、黄蓋さんの部下たちが見せた自信に溢れ、力を鼓舞する様な明るい顔とは違う。
彼らのそれは、一言で表せば必死だ。 “侮られぬ様”“折れない様”、必死で自分たちを大きく見せようとしている様な、そんな感じの表情をしている。目の前の将軍に、それとも周りを囲む五千もの兵士に気圧されているのか。
その理由は黄蓋さんの次に放った一言で理解する事ができた。
「こやつらは件の将軍、徐憂の部下であった者たちじゃ」
「っ! 徐憂さんの!」
目の前の兵士達が徐憂さんの部下。その事実は今まで感じていた違和感をすべて解消させてくれた。と、同時にその事が俺に動揺を生じさせた。
(この人たちが、徐憂さんの……)
「ふむ……では、孺子。儂は行くが大丈夫かの?」
「え、行くって! ちょっと、待ってください。この後はどうすればいいんですか?」
「どうするかじゃと? そんな事を聞いてどうするというんじゃ?」
「どうって……今後の部隊運用の方針とかいろいろあるでしょう?」
「ははは! なんじゃ、そんな事か!」
俺の動揺と心配をよそに、黄蓋さんは軽く笑いこう返してきた。
「それは孺子の気にすることではないわ。指示は戦場で直接下す。孺子らの部隊は歩兵として儂の軍の戦列に加わっておれば良い!」
「なっ!?」
(それじゃ、何もできないじゃないか!)
上から見た時の装備からして、黄蓋さんの部隊は弓兵が主力。つまり基本的に軍全体の中央から後方にかけての支援が行動の主体の筈。その部隊の歩兵ともなればせいぜい後詰が良い所だ。これでは翠嵐を助け出すために自由に動くことが出来ない。
謁見の際の孫堅の言葉である程度の制約は覚悟していたが、流石にここまで動きを制限されたのでは、戦功は兎も角として、翠嵐の下へ行くことすら困難になる。
「儂も、自分の兵士の方を見ねばならぬから行くぞ。後の事はこの部隊の人間に聞くんじゃな。……ああ、貴様。名は何と言うたかのう?」
「はっ! “元”徐憂将軍配下、副長の符剛と申します!」
「うむ! 孺子、こやつに後は聞けばよい! 出立は二刻後じゃ! 急ぐのじゃぞ?!」
「まじかよ……」
俺の心配などどこ吹く風といった感じに黄蓋さんは、笑い声を響かせながら自分の部隊の方へと戻って行ってしまった。結局その場に残されたのは、俺と副長だという符剛、そして数十人の部下(になる予定)達。
指示を待っているのか、その全員の目が今は俺に向いている
。
「えっと、俺は島津豊明です、一応あなた方の指揮を任されました。よろしくお願いします」
「「「……」」」
(き、気まずいっ!)
とりあえずは自己紹介をと思ったが、それへの返答はただ小さくうなずいただけ。
短い、とても短い間ではあったが、俺は徐憂さんと関わりを持った。その上であの人が最後まで自分の愛を、信念を貫き通した優しい人で在った事、それは理解している。そんなあの人が率い、訓練した兵士達だ。徐憂さんとの繋がりは決して弱くはない筈。
俺はその徐憂の最後を看取った人間ではあれど、彼らにどんな言葉を掛けていい物か、正直分からないでいた。
(そもそも、野戦訓練で分隊を率いたことはあるけど、流石にこの人数は初めてだぞ……)
「……あの」
「あ、はい? なんですか?」
そんな中、言葉を発したのは符副長の方だった。
「あなたは隊長の、徐憂将軍の最後を看取ったのですよね?」
「……ええ、その通りです」
「聞かせてはいただけませんか? あの人の最後を我らに」
「最後を……」
(知りたいよな、そりゃ)
そう言う符副長の顔は真剣そのもの、後ろの部下たちも同様だ。
あの時、この人たちは厳白虎へ貸していた一部を除いて城の東側で難民たちの避難誘導をしていたはずだ。そんな状況ではあの時の徐憂さんの最後など知る由もないだろう。
そもそも、彼らはあの時徐憂さんと俺で行った作戦の事は知らされていなかったのだ。
一体なぜ、自分たちの隊長は死んだのか、何のために死んだのか知りたくて当然だ。
嘘をついて、徐憂さんの最後を綺麗に飾る事は出来る。だが、彼らはそれを許さないだろう。それに俺自身もそんなことできる訳もない。
「分かりました。話しましょう――」
時間が限られている中で、徐憂さんと俺で立てた救出作戦の事、その最中厳白虎と俺の一騎打ちで俺の危ない所を徐憂さんが文字通り命を懸けて救ってくれた事。今際の際で、俺に翠嵐を託した事。そして今、翠嵐が厳白虎に捕らえられ、その救出の為に戦場に行くことを、できる限り正確に話した。
「……これが、徐憂さんの最後です」
「……」
俺の話を静かに聞き終えた符副長以下数十人の兵士達の中からは先ほどまでは無かった、すすり泣く声や、嗚咽を漏らすまいと下を向く者。
それだけで、徐憂さんと彼らとの間に築かれていた絆の深さを想像できる。
「一つ、聞いても、良い、ですか?」
「っ、なんですか?」
部隊の中の空気が少し重くなった時、符副長が下を向いて拳を強く握り締めたままの状態で感情を押し殺したようにそう言った。
「あなたは、隊長から文嚮嬢を託されたのですよね?」
「ええ」
「だが、その文嚮嬢は厳白虎の虜囚となっている……」
「……その通りで――がっ?!」
「あんたは!!」
「「ふ、副長?!」
俺の最後の返事を待たず、符副長は俺の襟をつかみ上げ睨み付ける。
「あんたは! 託されたんだろう?! 何故みすみす文嚮嬢を厳白虎の虜囚になぞさせた!?」
「……」
「あの場で、あんたが一緒に移動していれ、ば……俺たちがいればっ!」
未だに俺の襟をつかみ上げたままの符副長の顔は怒りと、失った悲しみ、どうにもならない無力さ、すべてがごちゃ混ぜになった様な、そんな顔をしている。
分かっているのだ、彼も部下たちも、何故徐憂さんがあの時作戦を一部の兵士にしか伝えなかったのか、あの場で俺と翠嵐は二手に分かれるしか道が残されていなかったことも。
それでも、叫ばずにはいられないだろう。何もできなかった無力さはそうしなければ収まらない。目の前に俺という格好の標的もあるのだ。
だけど、今の俺にそれを全部受け止める時間も余裕もない。
「……確かにその通りだよ」
「……なに?」
「あんたの言う通り、俺の失態だよ。あの時あの場で俺が翠嵐に待機しろと言っておけばもしかしたら少なくとも俺と翠嵐だけは逃れる事は出来たかもしれない。少なくない犠牲は払う事になっただろうけどね」
「……」
「そうさ、俺の失態だ! 別れた後に襲撃されるかもしれないなんて、予測できたことだ。それを……、俺は予測できなかった。託された物をむざむざ奪われ、今度は命の恩人に頭下げてお願いしなくちゃいけない様になっちまってるよ!」
これではいけない事は分かっている。感情に任せた言葉だけでは駄目だ。それでも今はぶつけるしかない。
「無様なのは重々承知してるさ。自分自身に腹が立つよ。けど俺は託されたんだ、俺は命を懸けて翠嵐を助け出す! 絶対にだ! 俺を信用しろなんて言わない。だけど今は、この戦の間だけでいい、力を貸してくれ!」
「……島津、殿」
酷いお願いの仕方だとは思う。だが、今俺にできるのはこんなやり方だけだ。これからどんな戦場に行くのかは正直まだ想像の外だ。だけど、翠嵐を助ける為には彼らの協力が絶対に必要だ。
「……分かりました」
「っ、符副長……」
そこで、落ち着きを取り戻したのか符副長がそれまで俺の襟をつかみ上げていた拳を離しまた静かに言葉を発する。
「あなたを信用したわけではない。ですが、今は文嚮嬢を助ける為に貴方に従いましょう……っ、我が名は符剛、字は季昴! 元徐憂将軍配下50名! これより島津豊明殿の指揮下に入れせていただきます!!」
「「「「おうっ!!」」」」
さっき、黄蓋さんに見せたあの拱手を今度は俺に向かって捧げてくれる。
「信用はしない」符副長のその言葉は本心だろう。だがそれでもこうやって力を貸してくれるのであれば、今はそれで十分だ。
「ありがとう……! じゃあ、行こう。助けに!」
「「「「「おうっ!!!」」」」」
それから四刻後、黄蓋と程普の二軍一万、そして朱治の近衛五千、総勢一万五千の孫家の軍が、厳白虎が陣を構える森の正面に布陣していた。そして中心にいて、馬上から敵を見るのは総大将である孫堅。
その、孫堅が腰の剣を引き抜く、そして大きく息を吸い叫ぶ。
「全軍!! 突撃ぃ!!!」
『『『『おおおおお!!!!』』』』
ここに厳白虎討伐戦、そして翠嵐救出戦の火ぶたが切って落とされた。




