2ヶ月と22日目
パオパオはゴブレットに入った少し黄味がかった透明の液体をろうそくの光にかざし、それを感慨深げに一口含んだ。
天音は、そのフルーティーな香りを楽しんでから、一気に煽って、目を閉じて口の中で十分味わてから嚥下した。
薫からワインがあるからどうかと誘われたのだ。
2人ともこの『冀望』世界でのアルコールは3回目になる。
この『冀望』世界、まだまだ未発達で、特に食料事情は酷いものがある。
始めた頃は、茹でただけの芋や肉と硬いパンが一般的な食事であった。
恐ろしいことに、塩や胡椒ですら殆ど使われることがなかったのだ。
塩も胡椒もなかったわけではない。
それどころか比較的安価で手に入るものであった。
しかし、それらは料理に使われることはなかった。
NPCに聞いてみると、どうやら回復薬に使用するので販売されていたようなのだ。
あまりの酷さに、数少ないが存在するリアル農家や畜産家の人間を中心に、食材採取クエストや料理レシピクエストを率先してこなしてくれてはいたのだが、如何せん、全て機械化された作業しかしたことない人間達では出来ることも限界があった。
リアル世界で農家と言っても、本当の土を触ったことない人間達である。
畜産家といっても、家畜達を機械が送ってくる映像の中でしか見たことない人達なのだ。
それでも、2ヶ月かけて、塩・胡椒をまぶして焼くという調理法が確立され、一般的に提供されるようになった。
スープには、数種類の具材が浮かび塩や胡椒の味がするようになった。
塩と胡椒、そして砂糖しか手に入らない環境で十分健闘してくれた結果だと思う。
そして、最近、やっと、やっとシチューやオムレツなど美味しいものが食べれるようになってきたのだ。
それでも、現実社会から比べれば一味も二味も足りないが、水煮の芋や肉よりは格段の進歩である。
天国と地獄ほどの差がある。
それも、目の前にいる薫がこの街に来てくれたからに他ならない。
天音は、いや『聖なる乙男』のメンバー全員が、薫達と出合った時に下したパオパオの決断に感謝していた。
薫達と出会った時、お礼だけ言って立ち去ることも出来たのだ。
その後、街まで案内してオサラバすることも出来たのだ。
高レベルプレイヤーであるだろうにもかかわらず、初期装備。
出会った頃の薫達は、とてもチグハクな印象を受けるプレイヤーであった。
だいたい、どういったプレイヤーか想像付くだけに、天音は関わりあいになることを躊躇した。
街までの道中、パオパオは多くの質問とそれ以上に多くのこの世界のシステムについてのあれこれを薫達に語った。
そしてパオパオは、街に着いた後も天音達に薫達を街の中を案内するよう頼んできた。
アポ騎士達に、それとなく街の情勢を薫達の耳に入るように行動するよう求めた。
結果、天音はパオパオと共に甘いアルコールを口にすることが出来たのだ。
この世界にも、一応アルコールは存在した。
1度目はひどいものであった。
天音も本サービス開始時に試してみたが・・・それ以降、二度と注文しようとは思わない。
魅力にプラス補正がかかろうとも、消毒味のする飲み物など2度と飲もうとは思わなかったのだ。
βテストの頃は、アルコールはなかった。
そもそも、料理がここまで酷いものでもなかった。いや、むしろ普通に美味しかった。
そして、それに追い討ちをかけたのが、種族だ。
選んだ種族によって開始の『首都』が変化する本サービスでは、恐らく生産系のプレイヤーの大部分は森の民の首都『モーリ』にいるのだろう。
種族は全部で4つ。
平均的なステータスを持つ人族。
全体的に高ステータスだが制限がつくことの多い『竜人』や『吸血鬼』などの魔人族。その最たるものが薫の日の光を浴びれば全ステータスが80%となる『吸血鬼』だ。
物理攻撃が得意で身体能力が高い『狼人』や『犬人』がいる獣人族。天音の『猫人』やアポ騎士の『熊人』がそうだ。
特異な種族、森の民。いやし魔法に特化した『エルフ』や生産が得意な『ドワーフ』。因みに正人は『エルフ』である。耳が少し尖がった細身のアバターが気に入ってスキル構成も種族に合わせて魔法主体にしたぐらいである。
生産行為がしたいプレイヤーが生産の得意な種族『ドワーフ』を選ぶものが多いのは必然。
そして、『エルフ』も森の実りを利用して生産することを得意とする種族だ。
こちらも、必然、料理好きや調剤系のスキル持ちが集まりやすくなる。
しかし、そう考えれば、不器用な獣人族の首都『チッホウ』は、さらに悲惨なことになっていそうだ。
獣人族でありながら、パーティーメンバーに人族が多いことで『シュトー』始まりになったことは幸運であったかもしれない。
密かにそっと胸をなでおろす天音であった。
2回目は、精神的にひどいものであった。
まさか、1度目に飲んだ、あのひどい味のアルコールをジュースなどを混ぜれば美味しく飲めるなど思ってもみなかった。
そして、そんな単純なことに気付けなかった自分に打ちのめされたのだ。
どれだけ自分自身を呪ったことか。
そして、今回が3回目である。
飲み干したゴブレットに薫がお変わりをつぐ音だけが聞こえる。
時折、階上の床を歩き回るコツコツという音がするだけの空間で3人はお酒を静かに味わう。
「彩加ちゃんって、前衛なのよね。よく魔物殺せるわね。躊躇いなかったの?」
天音は気になっていたことを薫に尋ねてみた。
若い世代は痛みに慣れずに前衛を諦めるものも多い。
そして、直接攻撃をした時の、あのなんともいえない嫌な感触を嫌う者も結構な数存在する。
流石の天音も微妙な問題をはらむこの手の質問を本人に直接する勇気はない。
あっきーならポロッと聞くかもしれないが、あれはもう、キャラとして確立されているので大丈夫である。
「躊躇してはなかったですね。他のVRゲームで慣れてるっていうのもあっのでしょうが、彩加の年代になると、動物を直接見て触ってということがないですし。生きているものというよりは、動く何かなんでしょう。お掃除ロボットと同じような感覚なんなんでしょうね」
「そっかー。確かに知らなければ可愛いとか可哀想とか思わないよね。私なんか、βの頃は猫や兎なんかの外見の魔物は可哀想で躊躇しちゃってたけどな~。
昔、猫飼っててね・・・」
天音の思い出を語る目は、懐かしそうに細められた。
「歳がばれるぞ」
ボソッと告げるパオパオに天音の目が一瞬泳ぐ。
小動物が居住空間で飼育できたのは約30年前までである。
それ以前から空に飛んでいる鳥さえ居住空間から排除されていた。
そして、ペットの飼育を禁止して以降、今では蚊一匹見かけることのない時代となっている。
「このお酒、美味しい。『シュッシュの泉』クエスト、いつ攻略されたんですか?」
急に明るい声になる天音。
先ほどまでの事は、なかったことにするようだ。
これ以上歳の話に触れるなと、男2人に目で威圧する。
「シュッシュの泉?」
「「・・・」」
天音の視線を受けて懸命にも黙る男2人であったが、薫は聞きなれない名にとまどう。
「シュッシュの泉です。ボレ地方に新しく発見された泉への護衛クエ。その報酬がシュッシュの泉の水なんですよね。シュッシュの泉の水はお酒だって・・・」
普段、薫達と『聖なる乙男』は行動を共にしていない。
しかし、宿屋『止り木』の厨房を定位置と決めてるふしのある薫が、数日いなくなれば気が付く。
薫達がこの宿屋『止り木』を定宿と決めてから数日後には『聖なる乙男』もまた、ここを定宿としからだ。
天音は自分達がクエストで8日ほど『シュトー』を離れている間に薫達が『シュッシュの泉』クエを受けたと思ったのだ。
しかし、薫が当然『シュッシュの泉』クエを受けたものだと思い込んでいた天音も途中からなんだか違うことに気づき、その言葉が知りつぼみなる。
「作ったんですよ。」
と当然のように言う薫。
しばし3人の中に沈黙が落ちる。
酒を嚥下する音がやけに大きく響くような気がする天音である。
「作ったってどうやって?また、混ぜたんですか?」
「りんごを発酵させたら出来ますよ」
「発酵?何ですソレ?」
なんでもないことのように答えが返ってきたことに驚く天音。
「アプーの実、現実世界でいうところの’りんご’をすりおろして絞って果汁だけにしてビンい入れ、そこに天然酵母を入れてかき混ぜてから布でフタをすれば7~10日程で出来ます。
天然酵母は、水にカットしたアプーの実 と砂糖を加えて密閉してやったら出来ます。
因みに発酵っていうのは、微生物が嫌気条件化でエネルギーを得るために有機化合物を酸化して、アルコール、有機酸、二酸化炭素などを生成する過程のことです」
「ちょっと待った。別に天然酵母とか発酵とかの用語説明は求めてないですって」
立て板に水。すらすらと制作方法を語る薫に、天音があわてて待ったをかけた。
ありえない。
ワインまで手作りとは。
ピザやオムレツまではまだいい。
母が手料理派だった天音には家庭で普通に作られていたものだ。
多分、母がこのゲームの中にいれば、作ってくれる。
そう思えるラインナップだ。
マカロン・・・あれも大丈夫。
一応、天音ですら作ろうと試みれるほどだったのだ。
一般的に作り方はしれているものなのだから、再現出来てもおかしくない。
それが、例え、材料から加工するようなことであったとしても・・・
しかし、お酒類などは違う。
まったく別物である。
お酒類も、アルコール度数が高いものをジュースなどで割って作ることは既に学んだ。
しかし、それ以外は。いや、それですらだが。
あれは食品エリアから運ばれてくるものであって、決して自作するものではない。
何から作られているのかもわからない、材料すら未知な物なのだ。
「気づけよ・・・」
パオパオは底に残ったワインを飲みほし、諦めたように呟く。
パオパオから天音へのエールである。
慣れろと。
薫という人間はそういう人間なのだと気づけと。
薫は紙やインクを自作した人間だ。
キャンドルもそう。
そもそも、現実世界でおほとんど手に入らないような物まで自作する人間である。
そんな人間なら、一般的に出回っている物ぐらい作ってしまえるだろう。
そう無理やり自分を納得させるしかないパオパオであった。
そして、天音にも早く悟れとエールを送ったのだ。




