2ヶ月と4日目
パオパオはゆっくりとタンポポコーヒーに口をつけた。
一昨日受けたクエストで先程街に戻ってきたばかりで、薫に労いのコーヒーを入れてもらい寛いでいるのだ。
彩加がそれを恨みがましげに見ながら出て行ったが、気にもとめず、コーヒーを味わっている。
食後のコーヒーは鉄分の摂取を阻害しやすいと、女性陣、特に彩加は薫から禁止されているのだ。
主に女性特有の現象による症状の予防の為である。
しかしそれはコーヒー豆からとれるコーヒーのことで、タンポポコーヒーとはまったく別物である。
さすがの薫も普段は一般的なコーヒーしか口にしないので、そこまで把握はできてはいない。
タンポポコーヒーは逆に鉄分を含んでいる上に、『冀望』世界では体力が一時的にプラス補正される飲み物である。
しかし、もちろんコーヒーを入れるのが、勘違いしている薫なのだから、出てくるはずも無い。
コーヒー中毒の彩加には納得できないことである。
しかも、現実社会ならともかく、ゲーム世界、自分は今、実体ではなくアバターであるからして余計である。
薫はカウンターに居座るパオパオに目もくれず、パンの作成に取り掛かる。
やっとアプーの実から天然酵母の元種が出来たのだ。
小麦粉に天然酵母と水、そして砂糖と塩を少量。
さっそくそれらをよくこね、丸めて濡らした布をかけ寝かせる。一次発酵だ。
丸めた生地を指で押した穴が残るようになったら、適当な大きさに分割し、もう一度濡れた布をかけて休ませる。
その間に、パオパオに2度目のコーヒーを入れることろも抜かりはない。
「それなんですか?」
おとなしくコーヒーを楽しんでいたパオパオが薫の手元を見て尋ねる。
薫は、パンの生地を休ませている間にもう一品に取り掛かっている。
「ボウルに泡だて器、中身は小麦粉と『ウッシッシー』のミルクです。」
薫はボウルの中身を泡だて器で丹念に混ぜながら答える。
「泡だて器は、手作りですよね?」
街の中では見かけたことの無い道具をパオパオは素早く見て取ったらしい。
泡だて器は、まだダンジョンで生活している時に必要に駆られて竹から製作したものである。
薫が頷くのを確認して、パオパオは思考の世界に沈んでいった。
薫達は、初期装備ではある――先日、色々買い揃えたので今では一般プレイヤーと同じような格好をしている――が、よくよく観察すると、色々と手作り品らしきものを身に着けている。
所持していた鞄しかり。
今、薫の手の中にある泡だて器しかり。
全て手作りである。
パオパオが想像している種類の人物なら、それもありえることだ。
パオパオは薫の周辺にも目をやる。
薫の後ろになにやら不気味な色の魔物らしき足が鍋から出ているが、それは見なかったことにする。
アレは確実に自分達の胃の中に消えるものであることが想像できるからだ。
しかし、それ以外。コーヒーを入れる時に使っている各種道具も手作りっぽく見える。
薫が身に着けていた日よけのレザーマントは確実に手作りだ。
彩加が着けているペンダントもおそらく。
「色々手作りされてるようなので教えて欲しいのですが・・・もし、ご存知なら布の織り方など教えてもらえませんか。」
パオパオは、思い切って切り出してみた。
タイミングを計っていたのだ。本当は、もっと早く聞きたかったのだが、クエストで遠出をしてしまったので、今になってしまったのだ。
「なぜです?」
「布が折れないんです。糸はあります。針もあります。しかし、機織機がない。布が織れなければ今以上の装備は望めません。今は、アポ騎士が言ってたようにコスプレマニア達が頑張って魔物の皮を加工してます。彼らは現実世界でも自分達である程度手縫いしてたそうなので、今はそれでレシピなくとも何とかやれてるんです。」
「この世界の住人、NPCですか?その方々に教えていただけないのですか。」
「この『シュトー』には布を織れるNPCはいないんです。他の街はわかりませんが。」
「βテスタの時はどうされてたんですか。」
「βテスタの時はレシピがあったんです。機織機も。機織機の上にレシピと糸を置いて『布作成』スキルを発動すればよかった。だから、機織機自体は見たことあるんです。
しかし、織り方が解らない。機織機の大体の形はわかっても細かい仕組みまではわからない。」
薫がパオパオの考えている人物なら、答えを持っているはずだ。
たとえ持っていなくとも、なにかしらのヒントはもらえるはず。
パオパオの期待がこもった眼差しの先で、薫は先ほど混ぜたボールの中身を鍋に移し、そこに魔物の足が飛び出していた鍋の中のスープを入れる。
やっぱり、アレは食べ物だった・・・重要な会話の最中だというのにパオパオは一瞬思考をそらしてしまう。
「機織があれば簡単です。縦糸に横糸を通して織っていけばいいのですから。」
「だから、どうやって。それぐらいならオレでもわかります。しかし、縦糸と横糸の意味がわかりません。そもそも、機織もありませんし。」
期待をかけていたパオパオにしては肩透かしの答えであった。
やはり、そう簡単には教えてくれないか。パオパオは諦めかけた時、
「単純なものでよければ、今、織れますが・・・」
信じられない言葉が聞こえてきた。
薫は相変わらず鍋の中の白いスープを自作の泡だて器でかき混ぜている。
その表情には気負いもなにもない。
おそらく自分がどれほど重大な発言をしたかもわかっていないのかもしれない。
「是非」と詰め寄るパオパオに薫は糸と細長い木切れ、丈夫な紐の手配を頼む。
その手は絶えず鍋をかき混ぜ、火の調整を怠らない。
パオパオは糸と細長い木切れ、丈夫な紐と一緒に1人の男を伴って宿屋『止り木』に戻ってきた。
薫は料理の手を止め、2本の木切れを直角に丈夫な紐で止めていき、四角い枠を作る。
その枠に、糸を縦に等間隔に巻く。これが縦糸となる。
縦糸に直角に交互に糸をくぐらせていく。これが横糸である。
端まで横糸を通すと手で丁寧に手前に寄せる。
次は先ほと縦糸の上下が逆になるように交互に縦糸に横糸をくぐらせ、端までいけば先ほど同様手で手前に押し付ければいい。それの繰り返しである。
「手ではなく、櫛のようなもので手前に押し付ければいいんですよ。機織機も原理は同じはずです。」
薫は横糸数段分を実践した後、食い入るように見つめていた中尉と名乗った男に、その役を譲った。
布織りを開放された薫は、先ほど寝かせておいたパンの生地が1.5倍程になったところで竈に入れる。
水の代わりに『ウッシッシー』のミルクを使た生地の2種が綺麗に並ぶ。
先ほど中断した鍋の中身にはカットした様々な野菜を入れ、たまにかき混ぜながら煮込んでいく。
とろみがついた白いスープからただよういいにおいが鼻孔をくすぐる。
中尉が布を織り上げたころ、薫は、焼きあがったパンを宿屋『止り木』の女将に笑顔で差し出した。
受け取った女将は、薫の笑顔につられてパンを口にする。
パンにかぶりついた女将は目を大きく見開き、そのまま動きを止めた。そして、無言で完食。
この時ばかりは、いつも見ほれている薫の美貌に目もくれず、一心不乱に貪り食うこととなった。
感動のあまり咽び泣きそうな勢いである。
同時に、白いスープと2種のパンが乗った皿を目の前に置かれた二人も、涙ぐみながら貪り食っていた。
ただのミルクスープとパンであったが、この2ヶ月間があまりにも粗末な食事だった為、2人には三ツ星レストランの最高級コースの様に感じられた。
薫にしてみれば、『ウッシッシー』から生クリームが取れなかったので、苦肉の策としてミルクスープにしたのだが、ここまで感動されたのは誤算であった。
本当は生クリームからバターを作りホワイトシチューにするつもりだったのだ。
ミルクから生クリームを分離させるには1日ほどかかる。
その為、始めのクエストで彩加のリクエストにも関わらず、ホワイトシチューを作らなかった。
パンも同様で、天然酵母の元種作りに3日程かかったのだ。
女将と2人の反応に満足した薫は、早速ログから『写筆』スキルで2種類のレシピを作り、料理スキルを発動させ同じ物を作成した。
少し味の落ちるそれと、レシピを持って冒険者ギルドに『新料理作成』クエスト完了の報告をする。
しかし、パンの実物だけがクエスト達成対象となりレシピの受理がされない。
なぜか。
簡単である。レシピの材料にある天然酵母の元種が不明食材だった為である。
どうやら、この世界に無い食材を使用する場合は、『新食材登録』クエストをクリアしないとレシピとして受理されない仕組みになっているようだ。
料理現物納入の場合は、未知の材料の研究から初めて料理の完成に漕ぎ着ける手順になる為、いつも以上に流通されるまでに時間が掛かる仕組みだ。
なぜ、今まで薫が気付かなかったかといえば、今まで全て一つのレシピにしていたのだ。
つまり、今までは、オムレツを作るのにケチャップから作っていたのだ。
薫はあわてて『新食材登録』クエストを受け、天然酵母の元種を登録する運びとなった。
この日、宿屋『止り木』に’奇跡の白いスープ’と’やわらかいパン’が提供される運びとなった。
同じく東区画の食堂ではオムレツがメニューに上がり、どちらも食べた者皆を感動の渦に飲み込んだ。
その陰で『布』がひそかに誕生していたことを知る者は少ない。




