第006話:ギルド解体場の騒然と、毒舌鑑定少女ミア
翌朝、カルデラ冒険者ギルドの裏手にある『魔物解体・素材査定場』は、異様なざわめきに包まれていた。
ひんやりとした石造りの作業場には、血抜きのための水路が走り、生温かい獣の血と鉄錆の匂いが立ち込めている。天井の太い鉄滑車には、昨日俺たちの依頼で運搬班が地下9層から引き上げてきた6頭の『鉄甲イノシシ』が逆さまに吊るされていた。
だが、普段なら朝から骨断ち包丁を振るって怒号を飛ばしているはずのベテラン解体職人たちが、今日は誰一人として手を動かしていなかった。血塗れの革エプロンを着た熊のような大男たちが、吊るされたイノシシの首元をぐるりと取り囲んで目を剥いている。
「……おい、冗談じゃねえぞ。これ本当に地下9層の『鉄甲イノシシ』か? どこのA級パーティーが持ち込んだ獲物だ」
「馬鹿言え、A級の『黒鉄の牙』が先週持ち込んだ時だって、首の皮はズタズタで骨は斧で砕けてただろうが! 見てみろよ、この眉間から頸椎にかけての刺し傷を……!」
解体歴30年の親方が、震える指先でイノシシの首の断面を押し広げた。
その瞬間、周囲の職人たちから「ひっ……!」と息を呑む声が漏れた。
厚さ4センチの鋼の剛毛が、1本もむしれずに斜めにスパッと断ち切られているだけではない。その奥にある、鉄の槌でも叩き割れないはずの極太の頸椎の骨が、まるで熱したナイフで冷たいバターを切ったかのように、真っ平らに両断されていた。
しかも、その白い骨の切断面があまりにも滑らかに磨かれたように光っているため、覗き込んだ解体親方の無精髭だらけの間抜け面が、骨の断面にうっすらと鏡のように映り込んでいた。
「ほ、骨の切り口に俺のツラが映ってやがる……。ノコギリどころか、どんな魔剣で斬ったら骨がこんな鏡みたいになるんだよ……!?」
職人たちが青い顔で後ずさる中、俺とセリアが討伐証明の魔石袋を持って査定カウンターへ入っていくと、作業場中の視線が一斉にこちらを向いた。
セリアは少し居心地が悪そうに琥珀色の瞳を泳がせ、俺の半歩後ろに隠れるようにして背中の『調律・黒鉄竜槍』の柄をぎゅっと握っている。スカートの下の黒い尻尾も、緊張でぴんと固まっていた。
「すみません、昨日地下9層の鉄甲イノシシ討伐を受けたカイルとセリアです。討伐報酬と、預けていた6頭分の素材査定をお願いします」
俺がカウンターに依頼票を置くと、奥の鑑定室から「ちょっと待ちなさいよ!!」と鼓膜がビリビリするような甲高い声が飛び出してきた。
バタン!と木の扉を蹴り開けて現れたのは、赤銅色の髪を左右で束ね、鼻梁にそばかすを散らした、身長145センチほどの小柄な少女だった。
耳の先端がわずかに尖り、小柄ながらも鍛冶職人のようにガッシリとした手首をしている――ドワーフと人間のハーフだ。年齢は16歳くらいだろうか。油染みのついた革エプロンのポケットには、真鍮のノギスや大小3つのルーペ、そして使い込まれた黒檀のそろばんが窮屈そうに突っ込まれている。
「あんたたちが、このイノシシを仕留めた二人組ね!?」
少女はカウンターを飛び越えんばかりの勢いで駆け寄ると、挨拶もなしに片目用の高倍率ルーペを右目にカチャリと当て、吊るされたイノシシの湾曲牙の切断面を俺の鼻先に突きつけた。
「説明しなさい! このイノシシの湾曲牙、モース硬度で言えば7.5相当、並のミスリル剣で叩いても火花が散って刃の方が欠ける代物よ! それなのに、この切断面はどういうこと!? 象牙質の繊維が1ミリも潰れていないどころか、ルーペで20倍に拡大しても、断面に『条痕』が1本も残っていないわ!」
少女は息継ぎもせずに早口でまくし立てながら、セリアの背中の黒鉄槍に目を止め、そしてすぐに俺の右手――親指の付け根と人差し指の腹にある「石のように硬い砥石ダコ」と、爪の隙間に染み込んだ黒鉄粉へと視線を落とした。
ピタリ、と少女の動きが止まる。
「……ふぅん。なるほどね。槍を振ったのはそっちの竜人のお姉さんだけど、その異常な刃を『作った』のは、あんたの方ね」
「作ったわけじゃない。俺はただの『武具研ぎ師』だ。折れていた穂先を成形して、少しばかり砥石で目を整えただけだよ」
俺が首筋をポリポリと掻いて答えると、少女は「ハッ!」と盛大に鼻を鳴らし、腰に手を当てて小さな胸を反らした。
「『少しばかり目を整えた』ですって? 笑わせないでよ! うちの目は誤魔化せないわ! この断面の摩擦熱のなさと異常な平滑度、仕上げに使ったのは10,000番を超える純粋天然砥石、それもただ擦ったんじゃなくて、刃角のブレを0.02度以内に固定して引き研ぎした『神代鏡面』の切り口じゃない!」
周囲の解体職人たちが「な、なんだって!? 王都の宮廷研ぎ師でも滅多にできねえ10,000番の鏡面研ぎだと!?」とどよめく。
俺は少しばかり感心して、目の前の小生意気なハーフドワーフの少女を見下ろした。
切り口の断面を見ただけで、使った砥石の番手と刃角の精度まで言い当てるとは、ただのギルド職員じゃない。
「お前、いい目をしてるな。名前は?」
「ミア・ロックベルよ! 先月まで王都の鍛冶ギルド本部で、主席鑑定士補佐をやってたわ!」
ミアは得意げに顎を上げたが、すぐに苦虫を噛み潰したような顔になって左足の貧乏ゆすりを始めた。
「……ま、王都のギルド幹部が貴族やS級パーティー向けに『魔力澱だらけの粗悪な再生鋼』を新品と偽って横流ししてたから、取引台帳をぶちまけて追及したら、生意気だってクビにされてこのカルデラまで流れてきたんだけどね! 今は日雇いでこの解体場の臨時査定をやってるのよ。文句ある!?」
「いや、文句どころか大いに気に入った。王都の連中が中身を見ないのは、俺も嫌というほど味わってきたところだからな」
ミアはフンと鼻を鳴らすと、ポケットから黒檀のそろばんを引き抜き、左手の親指と人差し指で枠を固定して、目にも留まらぬ速さでパチパチパチッ!と玉を弾いた。乾いた木の音が機関銃のように作業場に響き渡り、右目のルーペが朝日を反射してキラリと光る。
「いいわ、査定結果を1銅貨の狂いもなく教えてあげる! まず討伐報酬の基本金が銀貨45枚。そしてこの鉄甲イノシシ6頭だけど、眉間からの一撃即死で血抜きが完璧なうえに、一番高値がつく『背中の剛毛装甲』に刃傷が1つもついていない『特A級・無傷完品』よ! 通常のC級解体なら皮が傷んで銀貨3枚がいいところだけど、これならそのまま重装歩兵の胸当てに加工できるから倍額の銀貨6枚! 6頭分で銀貨36枚ね! さらに、断面が宝飾加工レベルで切り落とされた湾曲牙の特別加算が銀貨2枚! 全部合わせて、合計銀貨83枚でギルドが買い取るわ!」
「ぎ、銀貨83枚……!?」
セリアが目を丸くして、自分の頬を両手で押さえた。
普通のC級パーティーが同じ依頼をこなしても、剣や爆裂魔法で毛皮をボロボロにし、血が肉に回って臭みが出てしまうため、せいぜい銀貨50枚にしかならない。俺の鏡面調律とセリアの一撃必殺が噛み合ったことで、報酬が1.6倍以上に跳ね上がった計算だ。
「ほら、これが買取伝票と銀貨83枚よ! 数えなさい!」
ミアはズシリと重い革袋をカウンターに置くと、そのままルーペを革ケースにしまい、自分のボロボロの帆布かばんを肩に担いで俺の前に回り込んできた。
「で? あんた、工房はどこに構えてるの? さっさと案内しなさいよ」
「……あ? なんで俺がお前を案内しなきゃならないんだ」
「決まってるでしょ! 今日からうちをあんたの工房の『専属鑑定士・兼・経理・兼・ふいご係』として雇いなさいって言ってるの!」
ミアは背伸びをして、ビシッと俺の鼻先を指差した。
「あんたね、研ぎの腕は化け物かもしれないけど、そのヨレヨレの外套と無精髭を見る限り、商売の値段設定も帳簿の付け方も絶望的にダメな職人の顔をしてるわ! 放っておいたら悪徳商人に買い叩かれて3ヶ月で夜逃げするのがオチよ。うちが売上の15パーセント――いいえ、3食昼寝付きで12パーセントの手数料で、あんたの工房をカルデラ1番の繁盛店に回してあげる!」
「おいおい、人の顔を勝手に夜逃げ確定みたいに言うな――」
「カイル、私は大賛成です」
横からセリアが、なぜか大真面目な顔でこくこくと頷いた。
「昨日の夜、カイルが42キロの砥石箱から14,000番の『蒼霞』を取り出して私の槍を研いでくれた時、採算のことを1ミリも考えていない目をしていたのは私にも分かりました。ミアのようなしっかりした子が帳簿を見てくれた方が、カイルも安心して石を擦れるはずです」
「ほら見なさい、お姉さんの方がよっぽど話が分かるじゃない! 決まりね、うちの荷物はこれだけだから、今すぐ行くわよ!」
俺が返事をするよりも早く、ミアはスタスタと出口へ向かって歩き出してしまった。
俺は首筋をポリポリと掻き、セリアと顔を見合わせて小さく息を吐いた。まあ、確かに炉のふいご押しと面倒な帳簿付けを任せられる人間がいれば、俺の作業効率が2倍になるのは間違いない。
だが――俺たちが銀貨83枚を懐に収め、水路脇の鍛冶小屋へと戻ってきた、その時だった。
「――おい、ここか! 鍛冶組合に挨拶もなしに、火も使わず『石ころで擦っただけの武器』を調律などと騙っておる人間の小僧というのはッ!」
俺たちの工房の扉の前に、身の丈1.6メートル、横幅が1メートル近くある岩のような巨体の老ドワーフが、丸太のような腕を組んで仁王立ちしていた。
顔の左半分には古い火傷の痕が走り、鋭い隻眼がギロリと俺を睨みつけている。その腰には、頭部が3キロはありそうな巨大な『ミスリル鍛造槌』が吊るされていた。




