第019話:剥がれ落ちるメッキと、魔力逆流の黒煙
「ふ、ふざけるなぁぁっ! 笑うな、俺をそんな目で見るなぁぁっ!!」
地下28層の灼熱の空洞に、ガイルの裏返った絶叫が響き渡った。
観戦陣地の辺境伯たちの冷ややかな視線と、魔導投影機の向こう側から届くカルデラ市民たちの失笑。公爵家の三男坊としてプライドの塊で生きてきたガイルにとって、雑魚である溶岩トカゲ相手に尻餅をついた事実は、脳の血管が焼き切れるほどの屈辱だった。
周囲の気温は60度を超え、玄武岩の裂け目から噴き出す硫化水素のガスが喉の粘膜をヒリヒリと灼く。
ガイルの額から流れ落ちた脂汗が目に入り、視界が赤く滲んだ。
「ガ、ガイル、早くなんとかしてよ! トカゲどもがこっちへ来るわよ!」
後方からロゼッタが悲鳴を上げ、適当に放った初級の火炎球が溶岩トカゲの皮膚の上でポシュッと無意味に弾ける。もともと800度のマグマの中を泳ぐ溶岩トカゲに、ロゼッタの中途半端な火属性魔法など通じるはずもない。
右肩を脱臼したダリオは岩陰で脂汗を流して呻き、ヴェインは刃こぼれした短剣を1本トカゲの背中に突き刺したまま、腰を抜かして後ずさっている。14頭の溶岩トカゲたちは、目の前の獲物が張り子の虎だと気づいたように、喉の奥でグツグツとマグマを煮えたぎらせながら包囲網を狭めてきた。
「くそっ、くそっ! なんでこんなに剣が重いんだ! ロゼッタ、お前の『硬化付与』が足りないんじゃないのか!?」
「な、なによ人のせいにして! 私は今朝だって5回目の特級硬化を掛けてあげたじゃない! あんたの魔力の流し方がケチだから、剣の『紅蓮解放』が起きないだけよ!」
「なんだと!? いいだろう、だったら俺の全魔力を一気にぶち込んで、このトカゲどもを丸ごと蒸発させてやる!!」
ガイルが血走った目で『紅蓮魔剣イグニス』の柄を両手で握り直し、自分の魔力回路の制限バルブを強引にこじ開けた。
ガイルの全身から、赤黒い魔力の奔流が渦を巻いて噴き出し、右手の白い包帯を黒く焦がしながら魔剣の柄へと雪崩れ込んでいく。
それを見た瞬間、俺は待機陣地の柵を掴んで身を乗り出し、腹の底から叫んだ。
「やめろバカ野郎!! 導管が完全に詰まってるのに魔力を押し込んだら、剣が内側から破裂するぞ、ガイル!!」
俺の怒鳴り声が空洞の岩壁に反響したが、狂乱状態に入ったガイルの耳には届かない。
隣に立つセリアが「カイル、危険です!」と黒鉄竜槍を構えて俺の半歩前に出て、バルトロ親方も隻眼を見開いて「あいつ、マジでやる気か!?」と息を呑んだ。
「うるせえ雑用係! 俺と神代魔剣の真の力を見て、地面に這いつくばれぇぇっ!!」
ガイルが通常の3倍近い魔力を、柄の魔石へと一気に押し込んだ。
その刹那――俺の耳の奥で、442ヘルツの基準音から完全に崩壊した『金属の断末魔』が、鼓膜を突き破らんばかりに鳴り響いた。
――ビキィィィッ、パリパリパリパリッ!!
乾いた氷が砕けるような音が、戦場全体に響き渡った。
観戦していた辺境伯も、特命監査官も、そしてガイル自身も、目の前で起きた現象に目を剥いた。
ロゼッタが「ダイヤモンドのようにピカピカよ!」と誇っていた刀身表面の『5重の硬化付与膜』と『光輝付与』のメッキが、内部から膨れ上がったすさまじい魔力圧と熱膨張のズレに耐えきれず、まるで茹で卵の殻をむくようにボロボロと剥がれ落ち始めた。
キラキラと光る魔法の破片が足元の玄武岩へ散らばり、その下から現れたのは――神代魔剣とは到底呼べない、醜悪な「腐った鉄塊」の姿だった。
「え……? な、なんだこれ……俺の剣が、なんで……!?」
ガイルの声が裏返った。
本来なら白銀に輝いているはずの『紅蓮魔剣』の刀身は、刃先から鍔元までどす黒い赤錆と、タールのように粘り気のある黒紫色の『魔力澱』でびっしりと覆われていた。
俺が毎晩、85度の低温白炭炉と専用の中空針で1滴残らず吸い出していた魔力澱が、14日間放置された挙げ句、ロゼッタの硬化魔法で5重に密閉された結果、刀身の内部で高濃度の硫酸のように発酵し、芯材の神代鋼を内側からドロドロに溶かし尽くしていた。
しかも、刃渡りの中央には長さ4センチ、幅2ミリに達する巨大な亀裂がパックリと口を開けている。
次の瞬間、その亀裂の隙間から――
――ブシュウウウウウッ!!
蒸気機関車のボイラーが破裂したような轟音とともに、鼻が曲がるほど猛烈な腐敗臭を放つ『黒紫色の魔力毒煙』が、間欠泉のように噴き出した!
卵が腐ったような硫黄臭と、焼けた鉄錆の匂いが戦場いっぱいに充満する。
「げほっ、ごほっ!! く、臭い! なにこの黒い煙、目が、目が痛いわぁぁっ!!」
後ろにいたロゼッタが黒煙をまともに浴びて涙をボロボロとこぼしながら咳き込み、溶岩トカゲたちですらその不気味な毒煙に驚いて半歩身を引いた。
「う、うわあああっ! 熱っ、柄が熱い! 魔力が止まらねえぇぇっ!」
ガイルは完全にパニックへ陥った。
刀身の先端まで通じるはずの0.05ミリの魔力導管がすべて魔力澱で塞がっているため、ガイルが押し込んだ大量の火炎魔力は行き場を失い、100パーセントの圧力で「柄の側」へと逆流を始めた。
俺がパーティーにいた頃は、万が一の逆流に備えて柄の樫材の内部に『氷晶トカゲの断熱革と真鍮の放熱板』を3枚挟み込んでいたが、2週間一度も交換されなかった放熱板はとっくに融解している。
ガイルは真っ赤に焼けた鉄の塊を素手で握っているような激痛から逃れようと、目の前にいた体長3.5メートルの溶岩トカゲの頭蓋骨へ向かって、黒煙を噴く『紅蓮魔剣』をヤケクソで振り下ろした。
「くたばれぇぇぇっ!!」
――グシャアアアッ!!
金属と岩石がぶつかる音ではなかった。
まるで、半分腐った大根を石壁に叩きつけたような、湿った鈍い音が空洞に響いた。
溶岩トカゲの頭蓋骨には、白い擦り傷一つ付かなかった。
代わりに、ガイルが振り下ろした『紅蓮魔剣イグニス』の刀身が、中央の4センチの亀裂を境にして、グニャリと30度も横へひん曲がった!
「……は?」
ガイルが間の抜けた声を漏らした直後。
刀身が30度折れ曲がったことで完全に密閉された火炎魔力が、柄の根元で大暴発を起こした。
――ドォォォンッ!!
赤黒い爆炎がガイルの右手元で炸裂し、彼が着けていた高価なミスリルの右籠手を内側から木っ端微塵に吹き飛ばした。
「ぎゃあああああああっ!! て、手がぁっ! 俺の右手が焼けるぅぅっ!!」
ガイルはひん曲がった魔剣を地面に落とし、真っ赤にただれて水膨れが弾けた右手を左手で抱えながら、玄武岩の地面の上を芋虫のように転げ回った。
「ガイル様!?」「なんてことだ、魔剣が自分で爆発したぞ!?」
観戦陣地の記録官たちが色を失い、王都ギルドの特命監査官がガタガタと震えながら立ち上がる。
「あ、あり得ない……王家から公爵家へ下賜された神代遺物『紅蓮魔剣』が、C級のトカゲの甲殻ごときに負けて30度も折れ曲がり、魔力逆流を起こすなど! 一体どんな杜撰な管理をしていれば、名剣があんな錆びた鉄くずになるというのか!」
「見ろよ、あの亀裂から垂れてる黒紫のドロドロした汁……ありゃあ、何週間も魔力澱を抜かずに硬化魔法で蓋をした時に出る『死に鉄の膿』だぞ! 鍛冶師や研ぎ師に対する冒涜だ!」
バルトロ親方が怒りに肩を震わせて吐き捨てた。
魔導投影機を通じて、ガイルが泥の中で泣き叫ぶ姿と、黒煙を上げて30度にひん曲がった無残な魔剣のアップが、カルデラ中央広場の500人の市民の前へ鮮明に映し出される。
だが――地獄の釜の蓋が本当に開いたのは、その直後だった。
ガイルの情けない絶叫と、噴き出した魔力毒煙の刺激臭に呼び覚まされたかのように。
広場の中央を流れる幅8メートルの溶岩河川が、突如として10メートルの高さまで赤黒い火柱となって噴き上がった。
――ゴオォォォォォォォッ!!
空洞全体の天井から巨大な鍾乳石がバラバラと崩れ落ち、内臓を直接揺さぶるような重低音の咆哮が空気を引き裂いた。
煮えたぎる1,200度のマグマの飛沫を浴びながら、溶岩の底からゆっくりと巨大な影が這い上がってくる。
全身を黒光りする厚さ10センチの黒曜石の鱗で覆い、口元から2,000度の青白い火炎を漏らす、全長16メートルの巨大な四足竜。
地下28層の階層主にして、これまでに中堅パーティーを3つ全滅させてきた災害指定魔獣――『炎獄竜』が、黄金の爬虫類の瞳をギロリと剥いて、地面に転がるガイルたちを見下ろしていた。




