第018話:地下28層の公開遠征と、鉛のように重い聖剣
翌朝8時。カルデラ大迷宮の大型魔導昇降機が、重い鎖の軋み音を響かせながら地下28層の階層扉へと到達した。
分厚い黒鉄の扉が左右へ開いた瞬間、むせ返るような硫黄の臭気と、肺の奥をジリジリと焼く60度近い熱波が昇降機の中へとなだれ込んできた。
「ぐっ……な、なんだこの暑さは! まるで鍛冶炉の中に頭を突っ込んでるみたいじゃないの!」
派手な魔術師ローブを着込んだロゼッタが、額から噴き出す汗をハンカチで拭いながら顔をしかめた。
目の前に広がるのは、赤黒く発光する幅8メートルの溶岩河川が幾筋も流れ、ゴツゴツとした玄武岩の大地から白い水蒸気と火山ガスが噴き上がる灼熱の巨大空洞――地下28層『焦熱の回廊』だ。
今回の遠征は、カルデラの鉄鉱石採掘ルートを脅かす階層主『炎獄竜』の排除と、王都から招かれたS級パーティーの実力披露を兼ねた公開討伐である。
そのため、戦場から80メートル後方の高台には、耐熱結界を張った観戦陣地が設けられていた。
そこにはガルガン辺境伯や王都ギルドの特命武具監査官、さらには地上のカルデラ中央広場にある巨大水晶スクリーンへ映像と音声をリアルタイムで送る『魔導投影機』を抱えた記録官4人がずらりと並んでいる。
そして、その観戦陣地のすぐ脇――いつでも前線へ飛び出せる予備戦力の待機枠に、俺とセリア、ミア、バルトロ親方、さらにB級パーティー『灰色の砦』の盾役ゴードンと双剣使いリィンが控えていた。
「おいカイル、見ろよあのガイルって兄ちゃんの歩き方。……ありゃあ、始まる前から勝負あったぞ」
隻眼のバルトロ親方が、腕組みをしながら顎髭を撫でてボソリと呟いた。
前線の玄武岩の広場へ歩み出ていく『紅蓮の覇剣』の四人。
一見すると、ロゼッタの『光輝付与』でピカピカに光る武器と豪華なミスリル装備をまとった勇ましい姿に見える。だが、俺やバルトロ親方のような職人の目から見れば、彼らの足取りは異常そのものだった。
ガイルは左腰の『紅蓮魔剣イグニス』の重みに引っ張られて上体が左へ3度傾き、歩を進めるたびに左足のブーツの踵が地面をズリッと引きずっている。
重戦士のダリオに至っては、背中に担いだ両手大斧の柄が肩の肉に食い込み、まだ敵も出ていないのに肩で荒い息をしていた。
「見なさいよ、地上の中央広場にはもう500人以上の市民が集まって中継を見てるっていうのに……あいつら、自分がどんな醜態を晒すかまだ分かってないわね」
ミアが帳簿の控えを脇に抱え、呆れたように首を振った。
セリアは何も言わず、右手に握った2.15メートルの『黒鉄竜槍』を静かに構えている。60度の熱風の中でも、俺が昨夜施した高温膨張補正のおかげで、青白い鏡面の穂先は氷のように澄み切った輝きを保っていた。
「ふん! 辺境伯閣下、ならびにカルデラの諸君、よく見ておけ! これより我ら『紅蓮の覇剣』が、王都S級の圧倒的な武威を見せてやる!」
前線の中央に立ったガイルが、魔導投影機のレンズに向かって芝居がかったポーズを取り、大声で叫んだ。
その声に反応したかのように、前方の溶岩河川がボコボコと激しく泡立ち、赤黒い飛沫を上げて異形の魔物の群れが次々と這い上がってきた。
――グギャアアアアッ!!
耳を劈く咆哮。
現れたのは、体長3メートルを超える『溶岩トカゲ(マグマ・リザード)』14頭の群れだった。
炎獄竜の眷属であるこのC級上位魔物は、背中に冷え固まった玄武岩の装甲を持ち、口から800度の火球を吐き出す厄介な相手だ。だが、本来のS級パーティーであれば、前哨戦の準備運動として2分もかからずに一掃できるはずの雑魚でもある。
「ちっ、まずは雑魚のお出ましか! ダリオ、ヴェイン、前へ出ろ! 俺が一太刀でまとめて焼き払ってやる!」
ガイルが不敵に笑い、右手の包帯を軋ませながら、黄金の鞘から『紅蓮魔剣イグニス』を――引き抜こうとした。
ガツッ。
間の抜けた音がして、刀身が半分抜けたところで引っかかった。
内部の魔力澱が膨張して刀身が微妙に反り返り、鞘の内側と噛み合ってしまっていたせいだ。
ガイルは顔を赤くして「くそっ、なんだこれ!」と力任せに右腕を振り上げ、ようやく鞘から魔剣を引き抜いた。
しかし、抜刀した瞬間のガイルの顔から、余裕の笑みが消え失せた。
「……お、重っ……!?」
ガイルの右腕が、ズシンと地面へ向かって垂れ下がった。
無理もない。神代魔導武具というのは、内部の魔力導管に使い手の魔力がスムーズに循環することで「軽量化術式」が働き、本来の重量の半分以下に感じられる設計になっている。
だが今の『紅蓮魔剣』は、俺が14日間手入れをしなかったせいで導管の98パーセントが黒紫色の魔力澱で詰まり、さらにはロゼッタが5重に塗りたくった『硬化付与』の魔力塊が、鉛のギプスのように刀身へまとわりついている。
体感重量は、俺が調律していた頃の実に3.4倍。
しかも、俺がガイルの「右肩が0.2秒遅れて開く悪癖」を補正するために柄頭へ仕込んでいた3.8グラムの鉛の重りも、ロゼッタが「こんな鉛くず、邪魔よ!」と勝手に抜き取って捨てていた。
「ガアアアアッ!」
先頭の溶岩トカゲが大地を蹴り、ガイルの目の前へと跳躍した。
「く、くそっ! 死ねぇぇっ!」
ガイルは渾身の力で『紅蓮魔剣』を横薙ぎに振るった。
彼自身の頭の中では、俺が毎晩研いでいた時と同じように、トカゲの首の付け根を正確に一閃する軌道を描いていたはずだ。
だが――重心が完全に狂い、3倍以上に重くなった剣先は、ガイルの腕力では支えきれずに遠心力でズルリと下へ垂れた。
狙っていた首筋から、実に20センチ以上も下。
溶岩トカゲの中で最も分厚く硬い「肩の玄武岩装甲」のど真ん中に、鈍重な刀身が腹からペチッと当たるような不格好な角度で激突した!
――ゴガァッ!!
鈍い衝撃音とともに、火花すら散らずにガイルの魔剣が弾き返された。
それどころか、刃角が丸太のように鈍っていたせいで1ミリも装甲に食い込まず、逃げ場を失った衝撃がそのままガイルの右肘と手首の関節を直撃した。
「うぐあああっ!? て、手首がぁっ! な、なんで斬れねえんだ、昨日の朝ロゼッタが硬化魔法を掛けたばかりだぞ!?」
ガイルがビリビリと痺れる右手を抱えて無様に尻餅をつく。
その隣では、さらに悲惨な光景が繰り広げられていた。
「ガイルさん、今助け――うおっ、おわあああっ!?」
重戦士のダリオが、横から迫る2頭目の溶岩トカゲに向かって両手大斧を全力で振り下ろした。
しかし、柄の先端に14グラムも重心が偏り、しかもロゼッタの魔法で頭だけが異常に重くなっていた大斧は、ダリオの手首の制御を振り切って暴走した。
トカゲが半歩横に動いただけで、ダリオは自分の大斧の猛烈な遠心力に引っ張られて空中で一回転し、自分の右腕を不自然な方向へねじりながら玄武岩の地面へ叩きつけられた。
――ボキッ!
「ぎゃあああああっ!! か、肩が! 俺の右肩が外れたぁぁっ! なんだこの斧、勝手に暴れやがったぞぉっ!」
ダリオが大斧を手放し、脱臼してだらりと垂れ下がった右肩を押さえて涙目で転げ回る。
斥候のヴェインも、2本の短剣でトカゲの足を斬りつけたものの、刃こぼれした刃が鱗の隙間に挟まって抜けなくなり、「ひぃっ、抜けない、短剣が抜けない!」とパニックになって逃げ惑い始めた。
開始からわずか40秒。
14頭の溶岩トカゲに1匹たりとも傷をつけられないまま、王都最強と謳われたS級パーティーの前衛陣が、自分たちの武器に振り回されて勝手に崩れ落ちていく。
観戦陣地は、水を打ったように静まり返っていた。
魔導投影機を通して地上の広場からも、500人の市民たちの「え……?」「なにやってんだ、あのS級ども……」という困惑のざわめきが逆流して聞こえてくる。
「……特命監査官殿。あれが本当に、王都で名を馳せた『紅蓮の覇剣』なのかね?」
ガルガン辺境伯が、呆れと怒りを押し殺した低い声で隣に問うた。
監査官の男も、蒼白な顔で羽ペンを握りしめたまま首を横に振った。
「し、信じられません……半年前の王都武闘大会では、あんなに軽やかで鋭い剣筋だったはずなのに! まるで、自分の武器の重さすら把握していない素人同然の足運びではありませんか……!」
俺は待機陣地の最前列で、腕を組んだまま冷ややかにその光景を見つめていた。
「当たり前だ。あいつらがこれまで振るっていた『軽やかで鋭い剣』は、あいつらの実力じゃない。俺が毎晩3時間かけて、奴らの下手くそなフォームに合わせて0.1ミリ単位で調律していた『俺の作品』だったんだからな」
だが、本当の惨劇はこれからだった。
泥と火山灰にまみれて立ち上がったガイルが、屈辱に目を血走らせながら、決してやってはならない「最悪の行動」に出ようとしていたからだ。




