表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/48

第45話「月曜日の夜、彼女は場所がないと言った」



 月曜日の朝、目が覚めた。


 今朝は、来なかった。


 三日前は、金曜日。


 金曜日は、お試し配信の、翌日。配信が終わって、気が抜けた、静かな一日だった。配信の感動は、もう、昨日の朝に、届いていた。だから、金曜日自体は、特に、何もない、穏やかな日だった。


 だから、今朝は、強い感情は、来なかった。


 静かな日の、三日後は、静かな朝。


 そういうものだった。


 俺の体質は、感情を、三日遅れで届ける。でも、それは、「何もない日」には、「何も届かない」ということでもあった。


 毎朝、必ず、強い感情が来るわけじゃない。


 穏やかな日の、三日後は、穏やかな朝。


 それは、それで、悪くなかった。


 むしろ、最近は、そういう静かな朝が、少し、好きだった。


 布団から、起き上がった。


 ルシアは、もう、起きていた。台所で、卵焼きを作っていた。鼻歌を、歌っていた。


 「おはようございます」


 「おはようございます」


 「今朝は、来なかったです」と俺は言った。


 「静かな日でしたもんね、金曜日」

 「うん」


 「たまには、そういう朝も、ええですね」


 関西弁が、自然に出ていた。今朝の彼女は、調子が、よさそうだった。


-----


 朝食を食べていると、ルシアのスマートフォンが、鳴った。


 彼女は、画面を見た。


 「カナタさんから」と彼女は言った。


 昨日、ルシアは、お試し配信の録画を、カナタに送っていた。


 その、感想だった。


 彼女は、メッセージを、読んだ。


 しばらく、読んでいた。


 「なんて?」と俺は聞いた。


 彼女は、少し、考えながら、読み上げた。


 「『配信、見た。よかった。すごく、よかった』」


 「うん」


 「『ルシアが、自分の言葉で、話してた。昔の、Lulu=Luciaと、全然違った』」


 「うん」


 「『ゴミ箱にならへん配信が、できるんやって、わかった』」


 「いい感想ですね」と俺は言った。


 「うん」


 でも、ルシアの表情は、少し、曇っていた。


 「まだ、続きがあって」と彼女は言った。


-----


 「『でも』」とルシアは、読み上げた。


 「でも?」


 「『でも、私に、できるか、わからへん』」


 「うん」


 「『ルシアには、白瀬さんがいた。あの部屋が、あった』」


 「うん」


 「『感情のノイズが、来ない場所。自分の感情を、取り戻せる場所』」


 「うん」


 「『私には、それが、ない』」


 ルシアは、スマートフォンを、テーブルに置いた。


 「カナタさん、いいところ、ついてます」と彼女は言った。


 「いいところ?」


 「うん。私が、回復できたのは、ユウさんの部屋が、あったから」


 「うん」


 「感情のノイズが来ない、唯一の場所。ここで、私は、自分の感情を、取り戻した」


 「うん」


 「でも、カナタには、その場所が、ない」


 彼女は、お茶を、一口、飲んだ。


 「同じことを、しようとしても、場所がなかったら、難しい」


-----


 俺は、少し、考えた。


 たしかに、その通りだった。


 ルシアの回復は、この部屋が、あったから。


 俺が、感情同期に反応しない体質だから、ルシアは、ここで、ノイズから、逃れられた。


 でも、カナタには、そういう場所が、ない。


 「カナタさんの、家族とか、友達は」と俺は聞いた。


 「どうやろ」とルシアは言った。「でも、たぶん、普通の人やと、感情のノイズが、ある」


 「うん」


 「家族でも、友達でも、感情は、流れ込んでくる。薄くても、ゼロやない」


 「うん」


 「ユウさんみたいに、完全にノイズが来ない人は、たぶん、すごく、珍しい」


 俺は、うなずいた。


 俺の体質は、珍しい。だから、ルシアは、半年も、探した。


 カナタが、同じような場所を、見つけられる保証は、なかった。


-----


 「ユウさん」とルシアは言った。


 「はい」


 「ひとつ、考えてることが、あって」


 「うん」


 「私が、カナタにとっての、その場所に、なれへんかな」


 俺は、彼女を、見た。


 「場所?」


 「うん。人、かもしれへんけど」


 「うん」


 「私とカナタは、同じ体質。お互いに、感情を、受信しすぎる」


 「うん」


 「でも、同じ体質同士やと、もしかしたら、お互いの感情を、わかり合えるかも」


 「うん」


 「私が、カナタの感情を、受け止める。カナタが、安心できる場所に、私が、なる」


 彼女の目は、真剣だった。


 「ユウさんが、私にしてくれたことを、今度は、私が、カナタに」


 俺は、しばらく、何も言わなかった。


 彼女の気持ちは、わかった。


 でも、少し、心配だった。


-----


 「ルシア」と俺は言った。


 「はい」


 「その気持ちは、いいと思います」


 「うん」


 「でも、ひとつ、心配が、あります」


 「心配?」


 「うん」


 俺は、少し、言葉を、選んだ。


 「ルシアが、カナタさんの感情を、受け止めすぎたら」


 「うん」


 「また、ゴミ箱に、なりませんか」


 彼女の表情が、止まった。


 「カナタさんの感情を、受け止める。それは、優しさです」と俺は言った。


 「うん」


 「でも、受け止めすぎると、ルシアの中に、カナタさんの感情が、溜まっていく」


 「うん」


 「それは、昔の、リスナーの感情を、溜め込んでたのと、同じに、なりませんか」


 ルシアは、しばらく、何も言わなかった。


 「……たしかに」と彼女は言った。


-----


 「支えると、抱え込むは、違います」と俺は言った。


 「違う」


 「うん。支えるのは、隣にいること。抱え込むのは、相手の感情を、全部、自分が引き受けること」


 「うん」


 「ルシアが、カナタさんを、支えるのは、いい。でも、抱え込んだら、ルシアが、また、壊れる」


 彼女は、うなずいた。


 「ユウさんは」と彼女は言った。「私を、支えてくれたけど、抱え込まへんかった」


 「そうですか」


 「うん。ユウさんは、私の感情を、引き受けへんかった。ただ、隣に、いてくれた」


 「うん」


 「感情同期に反応しないから、引き受けようがなかった、っていうのも、あるけど」


 彼女は、少し、笑った。


 「でも、それが、よかった。引き受けられると、たぶん、私、もたれかかってしまう」


 「うん」


 「ユウさんは、もたれかかれへん。だから、私は、自分で、立つしかなかった」


 「うん」


 「自分で立つ練習を、ユウさんの隣で、できた」


 俺は、うなずいた。


 たぶん、それが、俺の体質の、もうひとつの「才能」だった。


 相手の感情を、引き受けられない。


 だから、相手は、自分で、立つしかない。


 それは、突き放しているようで、実は、自立を、促していた。


-----


 「じゃあ」とルシアは言った。


 「うん」


 「私は、カナタの感情を、引き受けへんように、しながら」


 「うん」


 「カナタが、自分で立てるように、隣に、いる」


 「うん」


 「それなら、ゴミ箱に、ならへん」


 「たぶん」


 「でも、難しいですね」と彼女は言った。


 「難しいです」


 「同じ体質やから、つい、感情を、受け取ってしまいそう」


 「うん」


 「意識して、受け取りすぎないように、しないと」


 彼女は、少し、考えた。


 「練習が、いりますね」


 「うん」


 「カナタを支えながら、自分は、ゴミ箱にならない。その練習」


 「うん」


 「ユウさんが、見ててください」と彼女は言った。


 「見てる?」


 「うん。私が、また、ゴミ箱になりそうやったら、止めてください」


 俺は、うなずいた。


 「わかりました」


 「ユウさんは、私が、抱え込みすぎてないか、わかると思うんです」


 「うん」


 「関西弁の頻度とか、配信後の疲れ方とか。私の調子、ユウさんは、見えてるから」


 「見てます」


 彼女は、少し、笑った。


 「じゃあ、安心して、カナタを、支えられます」


-----


 その日の午後、ルシアは、カナタに、返事を書いた。


 俺は、その内容を、後で、聞いた。


 「『場所がない、っていうの、わかる』」


 「『私には、ユウさんの部屋が、あった。カナタには、それがない』」


 「『でも、場所は、もしかしたら、人でも、いいかもしれへん』」


 「『私が、カナタの、話を聞く。同じ体質同士、わかり合えることが、あるはず』」


 「『一緒に、カナタが、自分の感情を、取り戻す方法を、探そう』」


 「『私も、まだ、完全やない。でも、少し先に、進んでるから。手を、貸せる』」


 そういう返事を、送ったらしかった。


 「カナタさん、なんて?」と俺は聞いた。


 「『ありがとう』って」とルシアは言った。「『一人やないって、わかっただけで、楽になった』って」


 「よかったですね」


 「うん」


 彼女は、少し、笑った。


 でも、その笑顔の中に、少し、緊張も、あった。


 これから、カナタを、支えていく。


 でも、抱え込まないように。


 難しい、バランス。


 彼女は、その難しさに、挑もうとしていた。


-----


 夜、寝る前に、彼女が言った。


 「ユウさん」


 「はい」


 「私、ちょっと、怖いです」


 「怖い?」


 「うん。カナタを、支えたい。でも、また、ゴミ箱に、なるのも、怖い」


 「うん」


 「両方の気持ちが、あります」


 俺は、少し、考えた。


 「怖いのは、いいことだと思います」と俺は言った。


 「いいこと?」


 「うん。怖いってことは、リスクが、わかってるってことです」


 「うん」


 「昔のルシアは、たぶん、怖がらずに、全部、受け止めてた」


 「うん」


 「今は、怖がってる。それは、自分を、守る方法を、知ったってことです」


 彼女は、しばらく、何も言わなかった。


 「そうか」と彼女は言った。「怖いのは、成長したってことか」


 「たぶん」


 「ユウさんは、いつも、別の見方を、くれますね」


 「そうですか」


 「うん。怖いのを、悪いことやと、思ってた。でも、いいことなんや」


 彼女は、少し、笑った。


 「ありがとうございます」


 また、自然な「ありがとう」だった。


 電気を消した。


 彼女の寝息が、すぐに、聞こえてきた。


 俺は、天井を見ていた。


 ルシアが、カナタを、支えようとしている。


 それは、彼女が、回復した証拠だった。


 でも、同時に、新しいリスクでもあった。


 俺の役目は、彼女が、また、ゴミ箱にならないように、見守ること。


 派手なことは、できない。


 でも、彼女の調子を、隣で、見ている。


 それが、たぶん、俺にできる、いちばん、大事なことだった。


 明日からも、彼女を、見ている。


 そう思いながら、目を閉じた。


 俺にできることは、少ない。


 彼女の代わりに、カナタを支えることは、できない。


 彼女の感情を、引き受けることも、できない。


 でも、彼女が、危ない方向に進んでないか、見ていることは、できる。


 それくらいしか、できない。


 でも、それで、いい。


 彼女には、それが、必要だったから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ