第45話「月曜日の夜、彼女は場所がないと言った」
月曜日の朝、目が覚めた。
今朝は、来なかった。
三日前は、金曜日。
金曜日は、お試し配信の、翌日。配信が終わって、気が抜けた、静かな一日だった。配信の感動は、もう、昨日の朝に、届いていた。だから、金曜日自体は、特に、何もない、穏やかな日だった。
だから、今朝は、強い感情は、来なかった。
静かな日の、三日後は、静かな朝。
そういうものだった。
俺の体質は、感情を、三日遅れで届ける。でも、それは、「何もない日」には、「何も届かない」ということでもあった。
毎朝、必ず、強い感情が来るわけじゃない。
穏やかな日の、三日後は、穏やかな朝。
それは、それで、悪くなかった。
むしろ、最近は、そういう静かな朝が、少し、好きだった。
布団から、起き上がった。
ルシアは、もう、起きていた。台所で、卵焼きを作っていた。鼻歌を、歌っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「今朝は、来なかったです」と俺は言った。
「静かな日でしたもんね、金曜日」
「うん」
「たまには、そういう朝も、ええですね」
関西弁が、自然に出ていた。今朝の彼女は、調子が、よさそうだった。
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朝食を食べていると、ルシアのスマートフォンが、鳴った。
彼女は、画面を見た。
「カナタさんから」と彼女は言った。
昨日、ルシアは、お試し配信の録画を、カナタに送っていた。
その、感想だった。
彼女は、メッセージを、読んだ。
しばらく、読んでいた。
「なんて?」と俺は聞いた。
彼女は、少し、考えながら、読み上げた。
「『配信、見た。よかった。すごく、よかった』」
「うん」
「『ルシアが、自分の言葉で、話してた。昔の、Lulu=Luciaと、全然違った』」
「うん」
「『ゴミ箱にならへん配信が、できるんやって、わかった』」
「いい感想ですね」と俺は言った。
「うん」
でも、ルシアの表情は、少し、曇っていた。
「まだ、続きがあって」と彼女は言った。
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「『でも』」とルシアは、読み上げた。
「でも?」
「『でも、私に、できるか、わからへん』」
「うん」
「『ルシアには、白瀬さんがいた。あの部屋が、あった』」
「うん」
「『感情のノイズが、来ない場所。自分の感情を、取り戻せる場所』」
「うん」
「『私には、それが、ない』」
ルシアは、スマートフォンを、テーブルに置いた。
「カナタさん、いいところ、ついてます」と彼女は言った。
「いいところ?」
「うん。私が、回復できたのは、ユウさんの部屋が、あったから」
「うん」
「感情のノイズが来ない、唯一の場所。ここで、私は、自分の感情を、取り戻した」
「うん」
「でも、カナタには、その場所が、ない」
彼女は、お茶を、一口、飲んだ。
「同じことを、しようとしても、場所がなかったら、難しい」
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俺は、少し、考えた。
たしかに、その通りだった。
ルシアの回復は、この部屋が、あったから。
俺が、感情同期に反応しない体質だから、ルシアは、ここで、ノイズから、逃れられた。
でも、カナタには、そういう場所が、ない。
「カナタさんの、家族とか、友達は」と俺は聞いた。
「どうやろ」とルシアは言った。「でも、たぶん、普通の人やと、感情のノイズが、ある」
「うん」
「家族でも、友達でも、感情は、流れ込んでくる。薄くても、ゼロやない」
「うん」
「ユウさんみたいに、完全にノイズが来ない人は、たぶん、すごく、珍しい」
俺は、うなずいた。
俺の体質は、珍しい。だから、ルシアは、半年も、探した。
カナタが、同じような場所を、見つけられる保証は、なかった。
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「ユウさん」とルシアは言った。
「はい」
「ひとつ、考えてることが、あって」
「うん」
「私が、カナタにとっての、その場所に、なれへんかな」
俺は、彼女を、見た。
「場所?」
「うん。人、かもしれへんけど」
「うん」
「私とカナタは、同じ体質。お互いに、感情を、受信しすぎる」
「うん」
「でも、同じ体質同士やと、もしかしたら、お互いの感情を、わかり合えるかも」
「うん」
「私が、カナタの感情を、受け止める。カナタが、安心できる場所に、私が、なる」
彼女の目は、真剣だった。
「ユウさんが、私にしてくれたことを、今度は、私が、カナタに」
俺は、しばらく、何も言わなかった。
彼女の気持ちは、わかった。
でも、少し、心配だった。
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「ルシア」と俺は言った。
「はい」
「その気持ちは、いいと思います」
「うん」
「でも、ひとつ、心配が、あります」
「心配?」
「うん」
俺は、少し、言葉を、選んだ。
「ルシアが、カナタさんの感情を、受け止めすぎたら」
「うん」
「また、ゴミ箱に、なりませんか」
彼女の表情が、止まった。
「カナタさんの感情を、受け止める。それは、優しさです」と俺は言った。
「うん」
「でも、受け止めすぎると、ルシアの中に、カナタさんの感情が、溜まっていく」
「うん」
「それは、昔の、リスナーの感情を、溜め込んでたのと、同じに、なりませんか」
ルシアは、しばらく、何も言わなかった。
「……たしかに」と彼女は言った。
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「支えると、抱え込むは、違います」と俺は言った。
「違う」
「うん。支えるのは、隣にいること。抱え込むのは、相手の感情を、全部、自分が引き受けること」
「うん」
「ルシアが、カナタさんを、支えるのは、いい。でも、抱え込んだら、ルシアが、また、壊れる」
彼女は、うなずいた。
「ユウさんは」と彼女は言った。「私を、支えてくれたけど、抱え込まへんかった」
「そうですか」
「うん。ユウさんは、私の感情を、引き受けへんかった。ただ、隣に、いてくれた」
「うん」
「感情同期に反応しないから、引き受けようがなかった、っていうのも、あるけど」
彼女は、少し、笑った。
「でも、それが、よかった。引き受けられると、たぶん、私、もたれかかってしまう」
「うん」
「ユウさんは、もたれかかれへん。だから、私は、自分で、立つしかなかった」
「うん」
「自分で立つ練習を、ユウさんの隣で、できた」
俺は、うなずいた。
たぶん、それが、俺の体質の、もうひとつの「才能」だった。
相手の感情を、引き受けられない。
だから、相手は、自分で、立つしかない。
それは、突き放しているようで、実は、自立を、促していた。
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「じゃあ」とルシアは言った。
「うん」
「私は、カナタの感情を、引き受けへんように、しながら」
「うん」
「カナタが、自分で立てるように、隣に、いる」
「うん」
「それなら、ゴミ箱に、ならへん」
「たぶん」
「でも、難しいですね」と彼女は言った。
「難しいです」
「同じ体質やから、つい、感情を、受け取ってしまいそう」
「うん」
「意識して、受け取りすぎないように、しないと」
彼女は、少し、考えた。
「練習が、いりますね」
「うん」
「カナタを支えながら、自分は、ゴミ箱にならない。その練習」
「うん」
「ユウさんが、見ててください」と彼女は言った。
「見てる?」
「うん。私が、また、ゴミ箱になりそうやったら、止めてください」
俺は、うなずいた。
「わかりました」
「ユウさんは、私が、抱え込みすぎてないか、わかると思うんです」
「うん」
「関西弁の頻度とか、配信後の疲れ方とか。私の調子、ユウさんは、見えてるから」
「見てます」
彼女は、少し、笑った。
「じゃあ、安心して、カナタを、支えられます」
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その日の午後、ルシアは、カナタに、返事を書いた。
俺は、その内容を、後で、聞いた。
「『場所がない、っていうの、わかる』」
「『私には、ユウさんの部屋が、あった。カナタには、それがない』」
「『でも、場所は、もしかしたら、人でも、いいかもしれへん』」
「『私が、カナタの、話を聞く。同じ体質同士、わかり合えることが、あるはず』」
「『一緒に、カナタが、自分の感情を、取り戻す方法を、探そう』」
「『私も、まだ、完全やない。でも、少し先に、進んでるから。手を、貸せる』」
そういう返事を、送ったらしかった。
「カナタさん、なんて?」と俺は聞いた。
「『ありがとう』って」とルシアは言った。「『一人やないって、わかっただけで、楽になった』って」
「よかったですね」
「うん」
彼女は、少し、笑った。
でも、その笑顔の中に、少し、緊張も、あった。
これから、カナタを、支えていく。
でも、抱え込まないように。
難しい、バランス。
彼女は、その難しさに、挑もうとしていた。
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夜、寝る前に、彼女が言った。
「ユウさん」
「はい」
「私、ちょっと、怖いです」
「怖い?」
「うん。カナタを、支えたい。でも、また、ゴミ箱に、なるのも、怖い」
「うん」
「両方の気持ちが、あります」
俺は、少し、考えた。
「怖いのは、いいことだと思います」と俺は言った。
「いいこと?」
「うん。怖いってことは、リスクが、わかってるってことです」
「うん」
「昔のルシアは、たぶん、怖がらずに、全部、受け止めてた」
「うん」
「今は、怖がってる。それは、自分を、守る方法を、知ったってことです」
彼女は、しばらく、何も言わなかった。
「そうか」と彼女は言った。「怖いのは、成長したってことか」
「たぶん」
「ユウさんは、いつも、別の見方を、くれますね」
「そうですか」
「うん。怖いのを、悪いことやと、思ってた。でも、いいことなんや」
彼女は、少し、笑った。
「ありがとうございます」
また、自然な「ありがとう」だった。
電気を消した。
彼女の寝息が、すぐに、聞こえてきた。
俺は、天井を見ていた。
ルシアが、カナタを、支えようとしている。
それは、彼女が、回復した証拠だった。
でも、同時に、新しいリスクでもあった。
俺の役目は、彼女が、また、ゴミ箱にならないように、見守ること。
派手なことは、できない。
でも、彼女の調子を、隣で、見ている。
それが、たぶん、俺にできる、いちばん、大事なことだった。
明日からも、彼女を、見ている。
そう思いながら、目を閉じた。
俺にできることは、少ない。
彼女の代わりに、カナタを支えることは、できない。
彼女の感情を、引き受けることも、できない。
でも、彼女が、危ない方向に進んでないか、見ていることは、できる。
それくらいしか、できない。
でも、それで、いい。
彼女には、それが、必要だったから。




