第43話「木曜日の夜、彼女はもう一度、Luciaになった」
木曜日の朝、目が覚めた。
今朝も、来ていた。
月曜日のこと。カナタに会った日。ルシアが「ゴミ箱」の話を、カナタにして、二人が、同じ傷を、見つけた、あの日。
カナタが泣いた。ルシアが、カナタに手を伸ばした。
全部、今朝、感情として、届いた。
あの時、リアルタイムでは、「よかった」と思っていた。
今朝、届いたのは、もっと、深い感情だった。
ルシアが、誰かを助けられる人に、なった。
半年前、倒れて、運ばれてきた彼女が、今、別の誰かに、手を伸ばしている。
その変化を、目の前で、見てきた。
その変化への、たぶん、誇り、みたいな感情。
それが、今朝、届いた。
彼女を、誇りに思う。
そういう感情を、持てるようになった自分にも、少し、驚いた。
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朝食の時、ルシアが言った。
「ユウさん」
「はい」
「今日の夜、やってみようと思います」
「お試し配信?」
「うん」
俺は、少し、驚いた。
「準備、できたんですか」
「完璧やないです。でも、たぶん、完璧を待ってたら、一生、できへん」
「うん」
「だから、今日、やります」
彼女の声は、落ち着いていた。でも、その奥に、緊張も、あった。
「いちばん最初のリスナー、お願いします」と彼女は言った。
「はい」と俺は言った。
「ユウさんだけに、向けて、配信します」
「うん」
「カナタさんに見せるのは、その後。まず、ユウさんだけ」
俺は、うなずいた。
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その日は、いつも通りに、過ぎた。
でも、ルシアは、時々、ノートに、何かを書いていた。配信で話すことを、整理しているらしかった。
昼、二人で、アボカドエッグサラダを食べた。
午後、彼女は、少し、横になっていた。
「緊張、しますか」と俺は聞いた。
「します」と彼女は言った。「でも、いい緊張です」
「いい緊張」
「うん。昔の配信前の緊張は、『今日も、感情を受けすぎたら、どうしよう』やった」
「うん」
「今日の緊張は、『ちゃんと、自分の言葉を、伝えられるかな』です」
「うん」
「種類が、違います」
俺は、うなずいた。
夕方になった。
彼女は、配信の準備を、始めた。
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新しいアカウントを、作っていた。
「Lucia」という名前で。「Lulu=Lucia」じゃなく。
アイコンは、桜の写真にしていた。先週、二人で見た、あの桜。
「アバター、使わへんの?」と俺は聞いた。
最近、俺も、たまに、関西弁が、移っていた。
「使わへん」と彼女は言った。「今日は、声だけ。顔も、アバターも、出さへん」
「うん」
「声だけで、自分の言葉を、伝えたい」
「うん」
彼女は、スマートフォンを、立てかけた。
でも、いつもの配信と、姿勢が、違った。
いつもは、配信モードに切り替わると、背筋が伸びて、声が変わった。
でも、今日は、そのままだった。
素のままの、ルシアの姿勢。
昔の配信は、たぶん、「Lulu=Lucia」という、別の人格に、切り替えていた。
事務所が作った、明るくて、優しくて、みんなを包む、理想のキャラクター。
その人格に切り替えると、ルシア自身は、後ろに、隠れた。
だから、感情を、いくらでも、受け取れた。受け取っているのは「Lulu=Lucia」で、ルシア自身じゃ、なかったから。
でも、今日は、切り替えない。
ルシア自身が、そのまま、話す。
隠れない。
それは、たぶん、すごく、勇気のいることだった。
「始めます」と彼女は言った。
俺は、少し、離れた場所に、座った。
彼女の、いちばん最初のリスナーとして。
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配信が、始まった。
「こんばんは」と彼女は言った。
声が、いつもの配信と、違った。
標準語の、作られた「Lulu=Lucia」の声じゃ、なかった。
素の、ルシアの声。少し、関西のイントネーションが、混じった声。
「Luciaです」と彼女は言った。
「Lulu=Lucia、やった人です。半年前に、引退した」
「今日は、ひとりだけに、向けて、話します」
——俺のことだ。
「でも、もしかしたら、いつか、同じような誰かが、これを聞くかも、しれへん。だから、その人にも、届くように、話します」
彼女は、少し、間を置いた。
「私、ずっと、自分が、空っぽでした」
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彼女は、語り始めた。
「自分が、何を感じてるか、わからへんかった。何が好きか、何が嫌か、わからへん。『なんでもいい』が、口癖でした」
「その空っぽを、私は、みんなの感情で、埋めてました」
「配信してると、リスナーさんの感情が、流れ込んでくる。嬉しいとか、悲しいとか、寂しいとか。それを受け取ると、自分の空っぽが、埋まる気がした」
「私は、みんなの感情の、ゴミ箱でも、よかったんです」
彼女の声は、震えていなかった。淡々と、でも、丁寧に、語っていた。
「でも、それは、間違いでした」
「他人の感情で、自分を埋め続けたら、いつか、壊れる。私は、壊れました。配信中に、倒れました」
「半年、休みました」
「その間に、ある場所に、たどり着いて」
彼女は、少しだけ、こっちを、見た気がした。
「そこで、少しずつ、自分の感情が、戻ってきました」
「卵焼きを作るのが、好き。鼻歌を歌うのが、好き。桜を見るのが、好き」
「『好き』が、わかるようになった」
「自分の空っぽが、自分の感情で、埋まり始めた」
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「だから、今日、伝えたいことが、あります」と彼女は言った。
「もし、この配信を聞いてる人の中に、昔の私みたいな人が、いたら」
「自分が空っぽで、その空っぽを、他人の感情で、埋めてる人が、いたら」
彼女は、少し、間を置いた。
「あなたの空っぽは、他人の感情で、埋めなくて、いいです」
「あなたの感情は、あなたのものです」
「ゆっくりで、いい。少しずつで、いい。自分の『好き』を、見つけてください」
「自分の感情で、自分を、埋めてください」
「私も、まだ、途中です。完全に、できてるわけやない」
「でも、一緒に、やりましょう」
「ゴミ箱に、ならなくて、いい人生を、一緒に、探しましょう」
彼女は、そう言って、少し、笑った。
「今日は、これだけ、伝えたかった」
「聞いてくれて、ありがとう」
そして、配信を、閉じた。
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配信が、終わった。
彼女は、スマートフォンを、置いた。
大きく、息を、吐いた。
「終わった」と彼女は言った。
「お疲れさまでした」と俺は言った。
彼女は、こっちを、見た。
「どうでした?」と彼女は聞いた。
俺は、少し、困った。
「正直に、言っていいですか」
「うん」
「今は、まだ、わからないです」
彼女は、少し、笑った。
「三日後、ですもんね」
「うん」
俺の感情は、三日遅れる。
彼女の配信を、今、聞いた。
でも、その感動が、俺に届くのは、三日後。
リアルタイムでは、まだ、何も、感じていない。
「ごめんなさい」と俺は言った。「いちばん最初のリスナーなのに、リアルタイムで、感想を、言えなくて」
彼女は、首を振った。
「ええんです」と彼女は言った。
「ええ?」
「うん。むしろ、それが、いいんです」
「いい?」
「うん。リアルタイムの感想は、勢いで言うてしまう。『よかったよ』とか、『感動した』とか。でも、それは、たぶん、本物やない時もある」
「うん」
「ユウさんは、三日かけて、ちゃんと、整理して、感想を、くれる」
「うん」
「三日後の感想の方が、私には、信じられます」
彼女の言葉が、胸に、残った。
俺の体質が、ここでも、「対」として、機能していた。
リアルタイムで感動できない、という欠点が、「三日かけて整理する」という、信頼に、変わっていた。
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「ユウさん」と彼女は言った。
「はい」
「三日後、感想、聞かせてください」
「うん」
「正直に。よかったところも、もうちょっとなところも、全部」
「うん」
「私、それを聞いて、次の配信を、もっと、よくします」
「うん」
彼女は、緑茶を、一口、飲んだ。
「久しぶりに、Luciaの名前で、配信しました」と彼女は言った。
「うん」
「怖かったけど、やってみたら」
「うん」
「ゴミ箱に、ならへんかった」
彼女は、少し、笑った。
「今日の配信、リスナーさんの感情、受け取りすぎへんかった。自分の言葉を、ちゃんと、話せた」
「うん」
「これが、私の、新しい配信の形、かもしれへん」
俺は、うなずいた。
彼女が、新しい形を、見つけつつあった。
過去の「ゴミ箱の配信」じゃない、新しい配信。
自分の言葉を、伝える配信。
「カナタさんにも、見せます」と彼女は言った。「録画、残してるので」
「うん」
「カナタさんも、たぶん、何か、感じてくれる」
「うん」
「『ゴミ箱にならない配信が、ある』って」
彼女の声は、優しかった。
自分のためだけじゃなく、カナタのためにも、この配信を、していた。
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夜、寝る前に、彼女が言った。
「ユウさん」
「はい」
「今日、ありがとうございました」
「俺は、何も」
「ううん。いちばん最初のリスナーが、ユウさんで、よかった」
「うん」
「ユウさんがいたから、怖くなかった」
「うん」
「一人やったら、たぶん、配信、始められへんかった」
俺は、何も言わなかった。
でも、それが、俺の役目だった。
彼女が、新しい一歩を、踏み出す時、隣に、いる。
派手なことは、できない。
ただ、隣にいて、彼女の配信を、聞く。
それだけ。
でも、その「それだけ」が、彼女には、必要だった。
電気を消した。
彼女の寝息が、すぐに、聞こえてきた。
俺は、天井を見ていた。
三日後。
日曜日の朝に、たぶん、今日の配信の感動が、届く。
どんな感動が、届くんだろう。
彼女の声。彼女の言葉。「あなたの空っぽは、他人の感情で埋めなくていい」。
それが、三日後、俺の中で、どう、響くんだろう。
楽しみだ、と思った。
三日後の感動を、楽しみにできる。
それも、たぶん、新しい感覚だった。
今までは、三日後に来る感情を、ただ、受け取るだけだった。
でも、今は、「楽しみに、待てる」。
三日後に、いいものが、届くと、わかっているから。
待つのが、苦痛じゃなく、楽しみに、なっていた。
それも、彼女が、教えてくれたことだった。
そう思いながら、目を閉じた。
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