第42話「月曜日の午後、彼女は同じ傷を見つけた」
月曜日の朝、目が覚めた。
今朝も、来ていた。
金曜日のこと。「希望」という言葉を、初めて持った日。カナタから、メッセージが来た日。
その時の、感情。
全部、今朝、届いた。
あの時、寝る前に、思ったこと。「希望を持つことは、責任を持つこと」。
その「責任」の重さが、今朝、ちゃんと、届いた。
重かった。でも、嫌な重さじゃなかった。
守りたいものがある、という重さ。
それが、今朝、届いた。
そして、昨日の夜のことも、まだ、頭の中に、あった。
日曜日の夜、ルシアが「ゴミ箱」の話を、してくれた。自分の過去を、初めて、深く語ってくれた。「自分の空っぽを、他人の感情で埋めてた」と。
あれは、まだ、三日経っていない。だから、感情としては、来ていない。
でも、記憶としては、鮮明だった。
彼女が、ずっと一人で抱えていたものを、話してくれた。それは、覚えていた。
今日、カナタに会ったら、ルシアは、その話を、するつもりだった。
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今日は、カナタに会いに行く日だった。
朝食を食べて、二人で、家を出た。
電車に乗った。ルシアは、窓の外を見ていた。
「緊張してますか」と俺は聞いた。
「少し」と彼女は言った。「でも、前より、ずっと、落ち着いてます」
「うん」
「今日は、カナタさんに、ゴミ箱の話、しようと思って」
「うん」
「カナタさんも、たぶん、同じやから」
「うん」
「同じやったら、わかってもらえる。違ったら、それは、それで、いい」
彼女は、窓の外を見たまま、言った。
最近の彼女は、こういう時、前より、ずっと、強かった。
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東京駅で降りた。
いつものカフェに、向かった。
カナタは、もう、奥の席にいた。
「ルシア、白瀬さん」
「カナタさん」
「久しぶり。元気そうやん」とカナタが、関西弁で笑った。
「カナタさんも」とルシアが返した。
でも、カナタは、前に会った時より、少し、疲れた顔をしていた。
俺たちは、席に着いた。コーヒーが運ばれてきた。
しばらく、何でもない話をした。最近の配信のこと、東京の暑さのこと。
でも、その「何でもない話」の間、カナタは、時々、ため息をついていた。
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「カナタさん」とルシアが言った。
「うん」
「最近、配信、どうですか」
カナタは、少しの間、何も言わなかった。
「正直、しんどい」と彼女は言った。
「うん」
「前に話した、視界がぼやける、あれ。最近、また、何回か、あって」
「うん」
「でも、辞められへん」
「辞められない」
「うん。辞めたら、私、何者でもなくなる気がして」
ルシアは、うなずいた。
そして、ゆっくり、言った。
「カナタさん」
「うん」
「ひとつ、聞いていいですか」
「うん」
「カナタさん、自分の空っぽを、リスナーさんの感情で、埋めてませんか」
カナタの表情が、止まった。
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しばらく、カナタは、何も言わなかった。
コーヒーカップを、両手で、包んでいた。
「……なんで」と彼女は言った。「なんで、わかるの」
「私も、そうやったから」とルシアは言った。
「ルシアも」
「うん。私、ずっと、自分が空っぽやった。何を感じてるか、わからへんかった」
「うん」
「その空っぽを、リスナーさんの感情で、埋めてた」
「うん」
「みんなが、感情を、預けてくれる。それを受け取ると、自分の空っぽが、埋まる気がした」
カナタの目が、少し、潤んだ。
「私は、みんなの感情の、ゴミ箱でも、よかった」とルシアは言った。「ゴミ箱でも、空っぽよりは、ましやったから」
カナタは、うつむいた。
肩が、少し、震えていた。
「……同じや」と彼女は言った。「私も、同じ」
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「私も、ずっと、空っぽやった」とカナタは言った。
声が、震えていた。
「配信してる時だけ、満たされる。みんなの感情が、流れ込んでくると、自分が、いる気がする」
「うん」
「だから、辞められへん。辞めたら、また、空っぽに、戻る」
「うん」
「でも、続けたら、いつか、ルシアみたいに、倒れる」
「うん」
「どっちも、怖い」
カナタは、両手で、顔を覆った。
「私、ずっと、誰にも言われへんかった」と彼女は言った。「こんな、情けないこと」
「情けなくないです」とルシアは言った。
「ほんま?」
「うん。空っぽを、なんとかしようとした。それは、生きようとした、ってことやから」
——それは、日曜日に、俺がルシアに言った言葉だった。
ルシアは、俺の言葉を、カナタに、渡していた。
俺の言葉が、ルシアを通って、カナタに、届いていた。
「届け方」だ、と俺は思った。
言葉が、人から人へ、運ばれていく。
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カナタは、しばらく、泣いていた。
俺たちは、待った。
カナタが、落ち着くまで。
しばらくして、カナタが、顔を上げた。
「ルシアは」と彼女は言った。「どうやって、抜け出したの」
「まだ、完全には、抜け出してない」とルシアは言った。「でも、少しずつ」
「少しずつ」
「うん。私、ある場所に、たどり着いて」
彼女は、俺を、ちらっと見た。
「そこで、自分の感情が、少しずつ、戻ってきた」
「うん」
「自分の感情が、戻ってくると、他人の感情で、埋めなくて、よくなった」
「うん」
「空っぽが、自分の感情で、埋まり始めたから」
カナタは、うなずいた。
「自分の感情」と彼女は、繰り返した。
「うん。カナタさんも、たぶん、自分の感情を、取り戻せば」
「取り戻せたら」
「ゴミ箱に、ならなくて、よくなる」
カナタは、しばらく、考えた。
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「でも」とカナタは言った。
「うん」
「私、配信、好きやねん」
「うん」
「リスナーさんと、つながるの、好き。それは、嘘やない」
「うん」
「辞めたくは、ない」
ルシアは、うなずいた。
「辞めなくて、いいと思います」とルシアは言った。
「ほんま?」
「うん。問題は、配信を続けるか辞めるか、やない」
「やない?」
「ゴミ箱に、なるか、ならないか、です」
カナタの目が、見開かれた。
「ゴミ箱にならない形で、配信を、続ける」とルシアは言った。「そういう道も、あるはずです」
「ゴミ箱にならない形」
「うん。自分の感情を、ちゃんと持ったまま。リスナーさんの感情を、受け取りすぎないで。自分の言葉を、伝える」
「そんなこと、できるん?」
「まだ、わからへん」とルシアは正直に言った。「私も、今、練習してるところ」
「練習」
「うん。私も、Luciaとして、もう一度、配信を、再開しようと思ってて」
カナタは、驚いた顔をした。
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「Luciaを、再開するの?」
「うん。お試しから、やけど」とルシアは言った。
「すごい」
「すごくない。怖いです、まだ。でも、やりたい」
「うん」
「ゴミ箱にならない配信。自分の言葉を伝える配信。それを、探してみたい」
「うん」
「だから、カナタさん」とルシアは言った。「一緒に、探しませんか」
「一緒に」
「うん。私も、まだ、できてない。カナタさんも、できてない。でも、二人で、探したら、見つかるかも」
カナタは、しばらく、何も言わなかった。
それから、少し、笑った。
泣いた後の、笑顔だった。
「ルシア、変わったな」と彼女は言った。
「変わりました?」
「うん。前は、もっと、自分のことで、精一杯やった。今は、人に、手を伸ばしてる」
ルシアは、少し、照れたような顔をした。
「ある人に、手を伸ばしてもらったから」と彼女は言った。「だから、私も、伸ばせるようになった」
彼女は、俺を、見た。
俺は、何も言わなかった。でも、その視線が、何を意味するか、わかった。
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「私、お試し配信、やってみます」とルシアは言った。
「うん」
「いちばん最初のリスナーは、ユウさん」
「うん」
「でも、カナタさんにも、見てほしい」
「私に?」
「うん。私の配信を見て、『あ、こういう形なら、ゴミ箱にならへんのや』って、思ってもらえたら」
「うん」
「カナタさんの、参考に、なるかも」
カナタは、うなずいた。
「見たい」と彼女は言った。「ルシアの、新しい配信」
「うん」
「いつ?」
「準備、できたら。たぶん、近いうちに」
「楽しみにしてる」
カナタの顔から、来た時の疲れが、少し、消えていた。
完全に、解決したわけじゃない。
カナタの問題は、まだ、残っている。
でも、「一人じゃない」と、わかった。
同じ傷を持つ人が、隣にいて、一緒に、抜け出す道を、探してくれる。
それだけで、たぶん、少し、楽になる。
俺たちは、コーヒーを飲み終わって、店を出た。
「また、連絡します」とルシアは言った。
「うん。待ってる」とカナタは言った。
別れ際、カナタが、俺に、小さく言った。
「白瀬さん」
「はい」
「ルシアのこと、ありがとう」
俺は、少し、首を傾けた。
「俺は、何も」
「ううん」とカナタは言った。「あなたが、ルシアの空っぽを、埋める手伝いをした。それは、私には、できへんかったこと」
俺は、何も言えなかった。
「これからも、よろしく」とカナタは言った。
そして、手を振って、駅の方に、歩いて行った。
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帰りの電車で、ルシアは、窓の外を見ていた。
「カナタさん、少し、元気になりましたね」と俺は言った。
「うん」
「同じ傷を、持つ人が、いるってわかると、楽になる」と彼女は言った。
「うん」
「私も、カナタさんがいて、楽になった。カナタさんも、私がいて、楽になった」
「うん」
「お互いに、ゴミ箱やった、ってわかって」
彼女は、少し笑った。
「ゴミ箱同士、傷をなめ合う、みたいで、ちょっと、かっこ悪いけど」
「かっこ悪くないです」と俺は言った。
「ほんま?」
「うん。傷を見せ合えるのは、強いことです」
彼女は、うなずいた。
「ユウさんは、いつも、そう言うてくれますね」
「そうですか」
「うん。私が、自分を責めそうな時、いつも、別の見方を、教えてくれる」
俺は、何も言わなかった。
でも、それが、たぶん、俺の役目だった。
彼女が、自分を責めそうな時、別の見方を、隣で、差し出す。
派手なことは、できない。
でも、隣で、それくらいは、できる。
電車が、走っていた。
窓の外は、夕方だった。
ルシアの「お試し配信」が、近づいていた。
そして、その配信は、ルシア一人のものじゃ、なかった。
カナタも、待っている。
同じ傷を持つ、もう一人の人が、ルシアの新しい一歩を、見守ろうとしている。
ルシアの配信は、たぶん、カナタへの、希望にもなる。
「ゴミ箱にならない道が、ある」ということの、証明に。
責任が、また、少し、増えた。
でも、それも、いい重さだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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