第38話「木曜日の朝、俺は『好き』の形を確かめた」
木曜日の朝、目が覚めた。
目が覚めた瞬間に、来ていた。
月曜日のこと。二人で書き始めた、あの日。彼女が「これが、私の『好き』です」と言った瞬間。俺が「俺も、同じです」と返した瞬間。
全部、今朝、感情として、届いた。
布団の中で、しばらく、受け取っていた。
あの時、リアルタイムでは、「俺も、同じです」と即答した。彼女と同じ場所に、いたかったから。
でも、三日後の今朝、その「同じです」を、改めて、確かめていた。
本当に、彼女と、同じだろうか。
ルシアの「好き」は、「自分が、自分でいられる時間」だった。
半年前、彼女は「壊れた」と思っていた。今、ここで、ようやく「自分になった」と書いた。だから、彼女の「好き」は、「自分でいられる時間」、なんだろう。
俺の「好き」は、どうだろう。
俺は、半年前から、ずっと「俺」だった。一人で生きていた。三日後に感情が届く体質を、ずっと、抱えていた。「俺になる」のに、たぶん、ルシアほど、苦労していなかった。
だから、俺の「好き」は、「自分が、自分でいられる時間」、とは、少し、違う気がした。
-----
しばらく、布団の中で、考えていた。
俺の「好き」は、何だろう。
月曜日の、あの時間。二人で、隣に座って、書いていた、あの時間。
俺の心の中で、いちばん、温かい場所、だと感じた。
でも、なぜ、温かかった?
たぶん、彼女が、隣で、書いていたから。
彼女が、自分のペンで、自分の言葉で、何かを書いている。その姿が、隣に、あった。
俺は、それを、確認していた。
「彼女が、ちゃんと、彼女として、ここにいる」
そういう確認が、たぶん、俺の「好き」だった。
ルシアは、自分の中の変化を、確認していた。
俺は、彼女の存在そのものを、確認していた。
同じ場所、同じ風景。でも、見ている方向が、微妙に違った。
ルシアの「好き」と、俺の「好き」は、似てるけど、同じじゃ、なかった。
「同じです」と即答したのは、たぶん、半分は反射だった。彼女と同じ場所に、いたかったから。
でも、本当は、形が、少しだけ、違った。
違うことに、気づいた。
それは、悪いこと、じゃない気がした。
違う形だけど、同じ場所。それは、たぶん、対になっている、ということだった。
-----
起き上がった。
ルシアは、もう、起きていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「ユウさん、今朝は、来てましたか」
「来てました」
「月曜日の?」
「うん。私たちが、『好き』の話、した時」
彼女は、少し笑った。
「どう、感じました?」
俺は、少しの間、考えた。
「整理が、少し、必要です」と俺は言った。
「整理」
「うん。今は、まだ、うまく、言えない」
「うん」
「書く時に、たぶん、書きます」
彼女はうなずいた。
「待ちます」と彼女は言った。
また、「待ちます」が、出た。
俺たちは、二人で、朝食を食べた。
-----
朝食の後、テーブルに、二冊のノートを、置いた。
今日も、書いた。
俺は、最初、書く前に、少しだけ、考えていた。
どう、書こうか。今朝、考えたことを、どう、文字にしようか。
しばらく、考えて、書き始めた。
「俺たちは、『好き』が、似てるけど、同じじゃない、と気づいた。」
「彼女の『好き』は、自分が、自分でいられる時間。」
「俺の『好き』は、彼女が、彼女でいてくれる時間。」
「同じ場所、同じ風景。でも、見ている方向が、違う。」
書いた。
書きながら、頭の中で、整理が、進んでいた。
書く、というのは、整理する作業でもあった。書きながら、自分の中の、ぼんやりしたものが、形になっていく。
彼女が、横で、何かを、書いていた。
俺は、続きを、書いた。
「これは、悪いこと、じゃない。違う形だから、たぶん、対になっている。」
「俺たちの体質が、対になっているように。俺たちの『好き』も、対になっている。」
書き終えて、ペンを、置いた。
彼女に、ノートを、見せた。
-----
彼女は、読んだ。
しばらく、読んでいた。
そして、顔を、上げた。
「ユウさんの『好き』、私と、形が、違うんですね」
「うん」
「悲しくないですか、それ」
俺は、少し考えた。
「悲しくない、と思います」
「うん」
「むしろ、嬉しいです」
「嬉しい?」
「うん。同じだったら、たぶん、つまらない」
彼女は少し笑った。
「つまらない?」
「うん。同じ場所を、同じ方向から見るだけだと、たぶん、二人でいる意味が、少ない」
「うん」
「違う方向から、同じ場所を見るから、二人で見ることに、意味がある」
「うん」
彼女は、しばらく、何も言わなかった。
それから、口を、開いた。
「私たち、ほんとに、対になってますね」
昨日も、同じ言葉が、出た。
でも、今日の「対」は、少しだけ、違って、聞こえた。
昨日は、「過去と未来」の対。
今日は、「好きの方向」の対。
たぶん、これからも、いろんな「対」が、見つかる。
お互いに、相手の見えない場所を、補い合う、対。
-----
「私の『好き』も、もう一度、確かめていいですか」と彼女は言った。
「うん」
「私の『好き』は、自分が、自分でいられる時間、です」
「うん」
「自分でいられる、ってことは、誰かが、私を、私として、見てくれている、ってことです」
「うん」
「ユウさんが、私を、私として、見てくれる。だから、私は、自分でいられる」
「うん」
「だから、私の『好き』は、たぶん、半分は、ユウさんの存在を、含んでいるんです」
「うん」
「『自分でいられる時間』というのは、『ユウさんに、ちゃんと見られている時間』、でも、あるんです」
俺は、少しの間、何も言わなかった。
彼女の言葉が、頭の中で、ゆっくり、広がっていた。
「俺の『好き』も、たぶん、似てます」と俺は言った。
「うん」
「ルシアが、ちゃんと、ルシアでいるのを、確認する時間。それが、俺の『好き』」
「うん」
「ルシアが、ルシアでいるためには、たぶん、俺が、ちゃんと、ルシアを見ている必要がある」
「うん」
「だから、俺の『好き』も、半分は、ルシアを含んでいて、半分は、俺自身を含んでいる」
彼女は、少し笑った。
「複雑ですね」と彼女は言った。
「複雑です」と俺も言った。
「でも、悪くない複雑さです」
「うん」
俺たちは、しばらく、お互いを、見ていた。
お互いの「好き」が、お互いの中に、入っていた。
そういうものなのかもしれなかった。
「結局、私たちは」と彼女は言った。
「うん」
「お互いがいないと、自分の『好き』も、成立しない、ってことですよね」
俺は、しばらく、考えた。
「うん。そう、なります」
「それって、依存じゃないですか?」
「依存」
俺は、もう少し、考えた。
「依存、というのは、一方が、もう一方に、もたれかかる感じです」
「うん」
「俺たちのは、お互いに、お互いを、補っている。だから、依存じゃなく、たぶん、相互、です」
「相互」
「うん。お互いに、相手の見えない場所を、見ている。それは、依存じゃない」
彼女は、少し、考えた。
「相互、いいですね」と彼女は言った。
「うん」
-----
午後、お茶を飲みながら、彼女が言った。
「ユウさん」
「はい」
「もし、私が、Luciaを、ちゃんと、再開するなら」
「うん」
「ユウさんは、いちばん、最初のリスナーに、なってくれますか」
俺は、少し驚いた。
「いちばん、最初」
「うん。最初に、何かを試す時、ユウさんに、見てもらいたいです」
「うん」
「お試し配信、というか、リハーサルみたいな」
「うん」
「ユウさんが、見てくれて、感想を、くれる。それが、たぶん、私には、必要です」
「俺の感想は、たぶん、リアルタイムでは、来ないですよ」
彼女は少し笑った。
「うん。知ってます」
「うん」
「三日後の感想で、いいんです」
「うん」
「三日後に、ユウさんが、ちゃんと整理して、教えてくれる。それが、たぶん、いちばん、私に、必要な感想です」
俺はうなずいた。
「やります」と俺は言った。
「いちばん最初のリスナー、やります」
「ほんまに?」
「ほんとに」
彼女は、少し、嬉しそうな顔をした。
「ユウさんに、いちばん最初に、聞いてもらえる」
「うん」
「それが、決まってると、たぶん、私、ちゃんと、準備できる気がする」
「うん」
「目標があると、進めるので」
「うん」
俺は、頷いた。
彼女が、自分の決断を、ひとつずつ、形にしていくのを、見ていた。
半年前は、彼女は、自分の決断ができない人だった。「なんでもいい」が口癖だった。
今、彼女は、自分で目標を決めて、自分のペースで、進もうとしていた。
俺の前で、その変化が、確かに、起きていた。
そういえば、と俺は思った。
「最近、関西弁、よく出ますね」と俺は言った。
「気づきましたか」
「気づきます。ルシアの調子が、いい時ほど、出てる気がします」
彼女は少し、驚いた顔をした。
「バロメーターみたいになってるんですね、私の関西弁」
「うん。ルシアの感情、俺は直接読めないので。関西弁の頻度で、調子が、わかります」
彼女は少し笑った。
「じゃあ、いっぱい出てる時は、調子いいんやと思ってください」
最後、自然に、関西弁になっていた。
「わかりました」と俺は言った。
「いつ、再開しますか」と俺は聞いた。
「まだ、決めてません」
「うん」
「でも、今、少しずつ、準備、始めてます」
「準備」
「うん。書きながら、自分の中で、整理してます」
俺はうなずいた。
彼女が、自分のペースで、自分の道を、進んでいた。
俺は、隣で、待つ。
たぶん、それが、今の俺たちの、いつもの形だった。
-----
夕方、ノートを閉じた。
二冊のノートに、今日も、文字が、増えていた。
俺のノートにも、彼女が、書き込んでいた。
「ユウさんの『好き』、教えてくれて、ありがとうございます。」
青のインクで、書かれていた。
俺は、それを、見ていた。
「ありがとう」が、今日もまた、自然に、彼女から、出ていた。
俺も、彼女のノートに、書いた。
「ルシアの『好き』、教えてくれて、ありがとうございます。」
黒のインクで、書いた。
二冊のノートの、それぞれに、相手への「ありがとう」が、書かれていた。
たぶん、これが、二人で書く、ということ、だった。
お互いの中に、お互いが、入っていく。
そういう作業、だった。
半年前、俺は、自分のノートの中に、自分しか、いなかった。
今、俺のノートの中に、青のインクの、彼女が、いる。
そして、彼女のノートの中にも、たぶん、黒のインクの、俺が、いる。
お互いに、お互いの中で、生きていた。
紙の上でも、現実でも。
今日も、ゆっくり、書いた。
明日も、たぶん、ゆっくり、書く。
そういう日々を、これからも、二人で、ゆっくり、続けていきたい、と思った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品を少しでも気に入っていただけましたら、下部にある【ブックマーク】や【評価(星マーク)】にて応援をいただけますと幸いです。
皆様の一票が、物語を書き進める大きな支えになっています。次回もよろしくお願いいたします。




