表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/48

第31話「木曜日の午後、彼女は『答えを持ってない』と言った」



 木曜日の朝、目が覚めた。


 ルシアはまだ眠っていた。


 俺は布団から起き上がって、台所に行った。今朝は俺が朝食を作ることにした。卵焼きを巻く練習は、まだ続いていた。


 今朝の卵焼きは、いつもより少し綺麗に巻けた。完璧じゃないけど、前よりは。


 ルシアが起きてきた。


 「おはようございます」


 「おはようございます」


 「卵焼き、作りました」


 「ありがとうございます」


 彼女は俺の作った卵焼きを見た。少し笑った。


 「巻けてますね」


 「巻けてます」


 「上達してます」


 「うん」


 俺たちは、二人でテーブルについて、食べた。


 彼女は、いつもより、少し静かだった。


 今日、カナタに会いに行く。


 昨日の夜、寝る前に「緊張する」と言っていた。それが、今朝も続いていた。


 でも、食欲はあった。卵焼きをちゃんと食べた。


 「ユウさん」


 「はい」


 「カナタさんに、何を聞かれたら、どう答えますか」


 「俺ですか」


 「うん」


 俺は少し考えた。


 「俺、たぶん、答えを持ってないです」


 「うん」


 「ルシアの隣にいる、しか、できないので」


 彼女は少しの間、何も言わなかった。


 「私も、答え、持ってないです」と彼女は言った。


 「うん」


 「でも、行きます」


 「うん」


 行く、ということしか、決まっていなかった。


 でも、行く、と決めただけで、たぶん、何かが、違った。


-----


 十一時、家を出た。


 いつもの電車に乗った。窓の外を見ながら、彼女は俺の隣にいた。


 「ユウさん」


 「はい」


 「前に来た時より、緊張、少ないです」


 「そうですか」


 「うん。たぶん、相談されに行く、って、決めてるから」


 「うん」


 「相談しに行くんじゃなくて、相談されに行く。立場が違うと、緊張の種類も、違うんですね」


 「そうですね」


 彼女は窓の外を見た。少しの間、何も言わなかった。


 「半年前の私は、相談される側になる、なんて、想像もしてなかったです」


 「うん」


 「相談される側、というのは、ちゃんと、答えを持ってる側、と思ってました」


 「うん」


 「でも、私、答え、持ってないままで、行きます」


 「うん」


 「答えがなくても、行ってもいいんですよね」


 「いいと思います」


 彼女はうなずいた。


 「行きます」と彼女は言った。


-----


 東京駅で降りた。


 前と同じカフェに、向かった。


 カナタは、もう、奥の席で、待っていた。


 俺たちに気づいて、立ち上がった。


 「ルシア、白瀬さん」


 「カナタさん」


 「久しぶり。元気そうやん」とカナタが、関西弁で笑った。


 「カナタさんも、元気そうで」とルシアが返した。少しだけ、彼女の関西弁も、混じっていた。


 彼女は、前より、少し、痩せていた気がした。前回、二週間くらい前。それでも、人は痩せる。


 俺たちは、席に着いた。コーヒーが運ばれてきた。


 しばらく、何でもない話をした。電車のこと、天気のこと、コーヒーのこと。


 でも、その「何でもない」が、たぶん、彼女には、必要な時間だった。


 しばらくして、ルシアが言った。


 「カナタさん」


 「うん」


 「『しんどい』って、書いてくれましたよね」


 「うん」


 「具体的に、どんな感じですか」


 カナタは、少しの間、湯呑みを、両手で包んでいた。


 「先週」と彼女は言った。「配信中に、視界が、ぼやけたんです」


 俺は少し息を止めた。


 ルシアも、止まった。


 「リスナーが、二万人いる中で、急に、誰か一人の感情が、めちゃくちゃ強く、来て」


 「うん」


 「その人の悲しみが、私の中で、止まらなくなって」


 「うん」


 「配信、急に切ったんです」


 彼女は少し笑った。「言い訳、考えるの、大変でした。『電波の調子が悪くて』って、Twitter で言ったけど、たぶん、何人か、気づいてる」


 「気づいてる」


 「私が、感情同期、強く受けるタイプだって、知ってるリスナーは、たぶん、わかってる」


 俺はうなずいた。


 「それから、毎日、配信前に、緊張するようになりました」と彼女は続けた。「『今日、また、来るかも』って」


-----


 ルシアは、しばらく、何も言わなかった。


 彼女は、たぶん、思い出していた。半年前の、自分が倒れた時のことを。


 「私と、同じですね」と彼女は言った。


 「うん」


 「私も、倒れる前、ずっと、その感じだった。配信前に、緊張して、来るのが、怖くて」


 「うん」


 「でも、私は、結局、倒れた」


 「うん」


 「カナタさん、まだ、倒れてないですよね」


 「まだ」


 「だから、今、選べる場所にいる、ってことですよね」


 カナタは少しの間、何も言わなかった。


 「選べる」と彼女は繰り返した。


 「うん」


 「選んだことなかった」


 「うん」


 「配信を始めた時から、ずっと、求められるから続けてた。やめる、っていう選択肢を、私、今まで、ちゃんと考えたこと、なかった」


 「うん」


 「事務所からは、続けてほしい、って言われてる。リスナーも、辞めてほしくない、って言うと思う。家族は、私が稼いでるから、辞めるなんて言ったら、心配する」


 「うん」


 「だから、いつも、続ける、が前提だった」


 「うん」


 「でも、最近、それが、おかしい気がして」


 「おかしい」


 「私が、続けるか、辞めるか、なのに、決めるのが、私じゃない」


 彼女は少し笑った。乾いた笑い方だった。


 「ルシアが倒れたのを見て、初めて『私も、いつか、こうなる』って思った。それで初めて、未来のこと、考え始めた」


 俺はうなずいた。


-----


 「私、選びたいんです」とカナタは言った。


 「うん」


 「壊れる前に、自分で、選びたい」


 彼女の声は、震えていなかった。決意の声、だった。


 「ルシアは、どうやって辞めたの?」と彼女は聞いた。


 ルシアは少しの間、考えた。


 「私は、選ばされた、と思います」と彼女は言った。


 「選ばされた」


 「倒れて、続けられなくなって、結果的に辞めた。選んだんじゃない」


 「そうか」


 「だから、選ぶことの難しさが、私には、わからないです」


 カナタはうなずいた。


 「うん」


 「カナタさんが、これから、選ぶ。それは、私が体験してないことです」


 「うん」


 「私、答え、持ってないです」


 俺はルシアを見た。彼女は、まっすぐ、カナタを見ていた。怖がっていなかった。「持ってない」と、はっきり言えていた。


 「答えがない、っていうのが、答えなんですね」とカナタは言った。


 彼女も少し笑った。


 「ルシアらしい」と彼女は言った。


 「らしい?」


 「うん。前から、ルシア、そういう人だった。簡単な答えを言わない人」


 俺は少し驚いた。


 彼女が、配信をしていた頃の彼女と、今の彼女を、繋いで見ていた。


 たぶん、ずっと、同じ人なんだろう、と俺は思った。配信の前の彼女も、今の彼女も。


-----


 「でも」とルシアは続けた。


 「うん」


 「ひとつだけ、伝えたいこと、あります」


 「うん」


 「カナタさん、急がなくていいです」


 「急がなくていい」


 「私、答えを出すまで、何ヶ月もかかりました。今でも、全部の答えが出てるわけじゃないです」


 「うん」


 「カナタさんも、ゆっくり、自分の答えを、探していいんです」


 「うん」


 「その間、私たちは、隣にいます」


 俺は、少しだけ、息を止めた。


 彼女が「私たち」と言った。俺と彼女を、まとめて、「私たち」と。


 カナタも、それに気づいたらしかった。


 「私たち、ね」と彼女は言った。


 「うん」


 「いいですね、それ」


 彼女は少し笑った。本当に、嬉しそうに、笑った。


 「ありがとう」と彼女は言った。


 「ううん」


 「私、たぶん、ひとりで考えたら、急いで答えを出してた。続けるか、辞めるか、二択で、すぐに決めようとしてた」


 「うん」


 「でも、急がなくていい、って言われると、考える時間が、できる」


 「うん」


 「ゆっくり、選びます」


 彼女は、もう一度、うなずいた。


-----


 しばらく、三人で、コーヒーを飲んだ。


 何も話さなかった。でも、気まずくなかった。


 お互いに、何かを、整理する時間、だった。


 しばらくして、カナタが、口を開いた。


 「実は、もうひとつ、相談してもいい?」と彼女は言った。


 「うん」


 彼女は少し迷ったような顔をした。


 それから、ゆっくり、言った。


 「あなたたちのこと、書きたい」


 「書きたい?」


 「文章にして、誰かに、伝えたい。私の経験と、あなたたちの経験を」


 俺とルシアは、お互いを見た。


 「同じように、苦しんでる人が、いるはずだから」とカナタは続けた。「感情同期、強く受けるタイプの人。配信者だけじゃない。一般の人にも、いるはずです」


 「うん」


 「私一人の経験じゃ、足りない。あなたたちの『二人で乗り越えた』物語が、私には、必要かもしれない」


 彼女は俺たちを、じっと見た。


 「許可、してもらえますか」


 ルシアは、しばらく、何も言わなかった。


 俺も、何も言わなかった。


 でも、たぶん、これも、急いで答えを出すべき話じゃなかった。


-----


 「考えさせてください」とルシアは言った。


 「うん」


 「私たちも、ゆっくり、答えを、探します」


 カナタは少し笑った。


 「同じ言葉、返してくれた」と彼女は言った。


 「うん」


 「うれしい」


 彼女はそう言って、コーヒーを、一口、飲んだ。


 俺もコーヒーを飲んだ。


 湯気が、テーブルの上で、ゆっくりと、消えていった。


 たぶん、これからの選択が、いくつか、待っていた。


 カナタの選択。


 ルシアと俺の選択。


 全部、急がない。


 ゆっくり、選ぶ。


 たぶん、それが、今の俺たちの、共通言語だった。


 帰りの電車で、ルシアの隣に座った。


 彼女は、窓の外を見ていた。少し、疲れた顔をしていた。


 でも、来た時より、肩の力が、少し抜けていた。


 「ユウさん」


 「はい」


 「相談される側、できましたか、私」


 俺は少し考えた。


 「できてました」


 「ほんと?」


 「『私たち』って言った時、カナタさん、ほんとに、嬉しそうだった」


 彼女は少し笑った。


 「『私たち』って、自然に出ました」


 「うん」


 「ユウさんと一緒だから、出たんだと思う」


 「うん」


 「ありがとうございます」


 また自然な「ありがとう」だった。


 俺も、少し笑った。


 電車が、走っていた。窓の外は、もう、夕方だった。


 「ユウさん、カナタさんの『書きたい』って話、どう思いました?」と彼女が聞いた。


 俺は少し考えた。


 「正直、まだ、わからないです」


 「私もです」


 「でも、急がなくていい、ってさっき言ったので」


 「うん」


 「俺たちも、急がないで、考えます」


 彼女はうなずいた。


 「家に帰ったら、一緒に、考えましょう」と彼女は言った。


 「うん」


 家、と彼女は言った。今日も、自然に。


 俺は、それを聞きながら、窓の外を、ずっと見ていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この作品を少しでも気に入っていただけましたら、下部にある【ブックマーク】や【評価(星マーク)】にて応援をいただけますと幸いです。


皆様の一票が、物語を書き進める大きな支えになっています。次回もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ