37.母襲来
「随分長電話だったな、お母さんからか?」
長かった電話を終え、明らかにテンションが落ちたトラがリビングに戻ってきた。
「……うん」
長いこと待ちぼうけを食わされ、すっかり甘い気分じゃなくなっていたのでそういう意味では丁度いい。
この落ち込みよう、母親になんて言われたか……まあなんとなく予想はつくけど。――さて、話ぐらいは聞いてやるとするか。
「その感じ……夏休みくらい帰ってこいって怒られた感じか? なんて言われたんだ?」
そう促すとトラは少し躊躇った後、重苦しく口を開いた。
「……明日、僕の様子を見に……うちに来るって」
「そりゃ息子が心配だろうからな……って! うちに!?」
トラは黙ったままコクリと、力なさげに肯定した。
「なんでそんな話になったんだ? トラが家に帰ったほうが安心するだろうに、何故うちに!?」
「いや……僕も家に帰るって話したんだけど。どうしてもお世話になってるからって、挨拶したいって……。」
「いや挨拶ってお前……」
うちにこられてもな……。って、ちょっと待てよ?
「おいトラ、こっちの状況はどこまでお母さんに話してるんだ?」
表向きの設定では、元の俺は長期の海外出張に行っているが、長く家を空けるわけにもいかないのと、この春から近くの高校に通うことになった親戚の女の子がここに住み、この家の主ということになっている。ちなみに俺が海外出張に行っているというのは、いうなれば国がしてくれた設定で、今の俺の戸籍なんかもしっかり存在していて、ちゃんと親戚になっているという、詳しくは知らないけど。
そしてそこへ約束していたトラが近くの高校に通うために3年間の居候をしにきている、というわけだ。
そしてこの設定、トラはどこまで母親に伝えているのか。それによっては説明する内容が変わる。
この設定と俺が元々大人の男であることは、基本的に機密情報として扱われている。一緒に生活を共にする、家族や近い関係者でもなければ秘密にしなければならない。
だからトラの母親といえど、知られてはならないのだ。
「……えーと、ごめんなさい。全然話してない」
「えぇ……トラお前……。――それは男の俺が海外出張してるってことも言ってないのか?」
「……うん」
トラは力なく、申し訳なさそうに頷いた。
お前それは……一番面倒なやつだろ……。
つまりトラの母親は、トラがおじさんの俺と一緒に暮らしてると思ってるわけだ。
だからこそ、挨拶にくる、という考えに至ったのだろう。というか、普通に考えたら夏休みに初めて挨拶にくるのは遅いくらいだが、そこはどうでも良い。
問題は……まさか同じ年代の女の子と一つ屋根の下で暮らしてるとは思わないし、それを知ったら、間違いなく良い顔はしないだろうということだ。
「それで……明日の昼過ぎに2人でくるって」
「2人って……ああ、再婚相手か」
思わず大きなため息を吐いた。明日の対応を考えると気が重いからだ。
「……ごめんなさい」
力なく項垂れるトラ。
思わずため息を吐いてしまったことを反省し、安心させるように手を伸ばしてトラの頭を撫でてやる。
「トラを預かっている以上、遅かれ早かれどこかで顔を合わせて説明する必要があったんだ。そんなに気を落とすな」
――とはいえ、母親はショックを受けるだろうけど。
「トラ、明日やらかさない為に確認しておくぞ。大人の俺の今は海外出張中でということになってて――」
明日、母親との顔合わせで俺とトラで説明で食い違いがあると不味い。もう一度トラには俺の状況を説明して覚えておいて貰わないとな。
「とはいえ、なんとか誤魔化せないものか」
「あ、それなら、一応考えがあるんだけど……」
そんなわけで、それまでの甘い雰囲気は綺麗さっぱり完全に消え失せ、明日のご両親来襲に向けて事前準備が始まった。
◇◆◇
「いらっしゃい、母さん。義人さんも」
「会いたかったわ虎ちゃん。……あれ? 少し大きくなった?」
翌日、13時を過ぎてすぐにトラの母親から電話があり、それから10分も経たないうちにやってきた。
トラの母親、竜子さんの隣には再婚相手の義人さんが並んで立っていた。
以前トラを預かる話を持ちかけられた時に会って以来だろうか。――まあ、その時の俺は男の姿なので初対面、ということになるけど。
「やっぱり育ち盛りよねえ……あら? そちらの方は……?」
「この子は悠木、北条おじさんの親戚なんだ。悠木、こちらが僕の母さん竜子で、この人がお義父さん、義人さん。よろしくね」
「――はじめまして、悠木と申します、よろしくお願いします」
挨拶をして丁寧に頭を下げる。――こういうのは第一印象が大事だ、最初に挨拶ができるちゃんとした子なのだな、という印象を与えなければならない。特に今回のような状況では。
俺が2人に挨拶をすると、それぞれが違う反応をした。しかしそれも僅かな間のことで、すぐに挨拶を返してきた。
「はじめまして悠木さん」
「はじめまして、北条さん」
会釈に合わせてもう一度軽く頭を下げ、続けてこう言った。
「玄関ではなんですので、上がってください」
普段全く使わないスリッパを揃えて出し、上がるように促した。
「それじゃリビングに案内するよ」
トラが2人に声をかけた時、スリッパに履き替えながら竜子さんは呟いた。
「……北条さんは中かしら?」
トラはその言葉を聞こえないふりをしてリビングへと2人を連れて行く。
上手く行けば良いけど……と思いながら、俺はお茶を用意するためにキッチンへと向かった。
◇◆◇
「あれ? 北条さんは? お出かけ中なの?」
2人には俺たちがいつも座るソファーに座ってもらった。
ソファーに腰掛けながら、竜子さんは周りをキョロキョロと見回してトラに尋ねた。
「ああ……うん。……ちょっとね」
なんとも歯切れの悪い返事をするトラ。視線はこちらに向いていて、まるで助けを求めているようだ。
「まあいいわ、戻って来るまで待ちましょう。沢山虎ちゃんと話したいことあるものね」
「麦茶です、どうぞ」
冷えた麦茶が入ったコップをお盆から2人の前に置く。続けてソファーの対面、トラの座る場所へ2人分の麦茶を置いた。
「トラ……之介くん、これを使って」
腰掛けを一つ、トラに渡した。
危なかった。思わずいつもの調子で「トラ」と呼び捨てにするところだった。親の前だし、そもそも今の時点で呼び捨ては良い印象を抱かないだろう。気をつけなければ。
竜子さんと義人さんはお礼を言い、麦茶を口に運んで一口飲んだ。
その後は主に竜子さんとトラの間で、高校生活や部活のこと、友達のことなど色々と心配されていた。トラは丁寧に話を聞き、邪険にせず丁寧に、時間をじっくりかけて応えていた。
俺はというと早々とキッチンに引っ込み、邪魔にならないように遠くから見守って、時々お菓子などを出す程度にして関わらないようにしていた。
今日の俺たちの作戦はこうだ。
トラが竜子さんの話を聞いてあげて時間稼ぎをし、俺は極力関わらず、そうやって時間切れにして大人の俺の存在については有耶無耶のままに帰ってもらう。
竜子さんは喋りだすと止まらないことを利用しよう、というトラの提案だ、上手くいくと良いけど。
◇◆◇
「……そういえば北条さんはいつ頃お戻りの予定なの?」
喋り続けた竜子さんが一息つこうと麦茶を口にして、思い出したようにトラに尋ねた。
「あー……今ちょっと出かけてて……」
あいまいに応えるトラ。……なんか嘘っぽく見えるな。誤魔化すの下手か?
そんなトラの様子をまじまじと見て、竜子さんは続けた。
「大丈夫よ、今日は時間たっぷり余裕を見てきたんだから。ね? 義人さん」
「虎くん、今日はどうしても北条さんとお話したくてね。息子がお世話になってるんだ、いくらでも待たせてもらうよ」
それは不味い。
君らが待つ北条おじさんはいくら待っても帰ってこないんだ。残念ながらね。
……どうしたものか、トラ考案の時間稼ぎも無駄になってしまった。
かといって正直に言ったところで、理解はしてもらえないだろうし、そもそも俺が女の子になったことは秘密だから言えない。
と、そんなことを思案していると、トラがトイレに行くといって席を立って、俺に合図を送った。
◇◆◇
「どうしよう、時間稼ぎは無理そうだよ」
「だな。どうしたものか……」
廊下を隔てたリビングとは別の部屋で、トラと作戦の練り直し中。とはいえ、他に誤魔化す方法なんて簡単に思いつかない。
「――もうさ、こうなったら、本当のことを言おうと思うんだ」
神妙な顔をしてトラは言い出した。
「俺が北条おじさんだってことをか? そりゃダメだ。あれは本当に身近な者にしか漏らしちゃダメなんだぞ。トラは3年間も一緒に住むから特別に言ったんだ」
そう反論をすると、トラは静かに首を横に振った。
「そっちじゃなくて、おじさんは長期の海外出張だってこと。それと僕らのことだよ」
「長期出張の話はともかく……。それを言ったらどうなるか、考えたのか?」
「うん。なんとか説得して見せる」
真剣な、覚悟を決めた瞳だ。といっても、向こうから見りゃまだまだ子供だからな、トラも、俺もだ。許してくれるかどうか。
――まあいい。どうせ遅かれ早かれ、だ。
俺も真剣味を出すとするか。
「分かった。だが説得するのはお前だ、トラ。他人の俺がいくら言っても竜子さんの心には届かないだろうからな」
「分かってる」
トラの表情を見て、任せることを決めた。
「よし! 先に行け、トラ」
トラの背中を後押しするようにぽんと叩き、送り出した。
次回最終回
明日投稿します。




