離れないピアス
おねーさんが初めて店に来たのはオープンしてから一週間経った頃。最初におねーさんを出迎えたのはちとせだった。だから接客もちとせがしていたけど、おねーさんが注文をしようとするタイミングでちとせは別の客の相手をしていた。だから、代わりに俺がおねーさんの注文をとった。それが、全ての始まり。俺の人生が狂うきっかけだった。
注文を聞き終えてカウンターに戻ろうしたその時、おねーさんがじっと俺を見ていることに気がついた。
「なに。なんか用」
「あっ、いえ!…その、あなたが…あなたがすっっっっごく可愛いのでつい…見とれてしまって……」
可愛い?俺が?あ、まぁ男の娘喫茶だしそのくらいの言葉は出てくるか。と、この一週間で何回か言われた言葉であることを思い出した。だけどその人は、ただまっすぐ俺を見ていた。服とか顔とかそういうのじゃなくて、ただ、ただまっすぐに…俺を見ていた。
「うん。本当に可愛い……!」
飾り気も、混じり気も。何もないみたいな純粋な言葉。上っ面だけのものでもなくて、ただただ俺を見て放たれたその言葉を初めて聞きたくないと思った。それ以上言われたら、おかしくなりそうで。
だから、言ったんだ。
「あとで店の裏来て」
おねーさんに嫌われるために。
「えっと……。こんにちは…?」
戸惑いながらもやってきたおねーさんは、首を傾げながら俺を見つめている。そんなおねーさんに普段と変わらない俺を見せた。店の裏で足を組みながらスマホをいじる姿を。
「おねーさん、ホントに来たんだ。どう?幻滅した?こんなかわいい格好して態度悪いでしょ」
前にたまたまこの姿を見た客が『幻滅した』と言っていたのを思い出した。だからおねーさんもそう言うと思った。なのに
「全然!幻滅なんてしないです!むしろ、これがいいって感じで…!」
戸惑っていたのが嘘のように、目をキラキラと輝かせておねーさんは俺を見つめた。
想定とは違う、真逆の反応をされて、スマホを触っていた指が止まる。
固まったままの俺におかまいなしなのか気づいてないのか、おねーさんが俺に近寄ってきて
「それにそのピアス、すっっっっごくいいですね!あなたの雰囲気にあっててすごく素敵!特にこの真ん中のハートのピアスかわいいっ……!!他のはかっこいい感じだけどその中にあるこのハートが─────」
無邪気に、俺のピアスを褒めた。俺を、可愛いと言った時と同じ笑顔で。
気安く言わないでよ、そんなこと。これ以上は聞きたくない。そう思って俺のピアスに手を伸ばしていたおねーさんの腕を掴んだ。
「……あっ、ごめんなさい…!」
一瞬だけ固まったおねーさんが慌てながら謝り、俺から離れていく。ほんの少し……おねーさんが近づいてきた分が無くなっただけのはずなのに、胸がざわついた。それでも、この人に手を伸ばすのは─────。そう思っていたのに。
「ねえ、おねーさん、明日も来る?明後日もその次も」
拒絶したかった心とは裏腹に、出てきた言葉はおねーさんを求めるものだった。そしてそれを、今さら撤回することもできない。
「もちろんっ!って言いたいところなんですけど…明日は行けなくて……でも!明後日は行けますその次の日もその次の日も!!行ける日は絶対行こうと思ってて…!」
一番見たくない笑顔で頷かれてしまったから。…その笑顔もダメなんだってば。気が狂いそうになる。
「そう。……かおる。俺の名前、かおるだから」
いつの間にか、名前まで名乗っていた。
心がバラバラになって壊れていく。
「かおるくんって呼んでもいいですか?」
「好きにすれば。あと、敬語もいらない。さっき普通に喋ってたし」
もう、あとには引けない。このままきっと……堕ちるだけだ。
「あっ、あれは……テンションが上がってつい…」
自分の振る舞いが恥ずかしかったのか、視線を逸らして少しだけ下を向くおねーさん。そんな姿にも心は乱されていく。おねーさんの一挙手一投足が、俺をおかしくさせる。ただ――――嫌われたかっただけなのに。
「これからは敬語無しでいい。……休憩、終わりだから。じゃ」
早くこの場から離れたくて、まだ残っている休憩時間の終わりを早めた。そのままおねーさんと話していたら自分が無くなりそうで怖かったから。
裏口のドアを開け、店に戻ろうとしたとき
「かおるくんまたね!!」
俺の名前を呼びながら、おねーさんが無邪気な笑顔を見せ、手を振ってきた。仕方なく俺も少しだけ手を振ると、満足そうに笑って去って行った。ほんと、よくないよそういうの。
遠ざかっていくおねーさんの背中を、見えなくなるまで眺めていた。その姿が見えなくなったのと同時に、頭の中におねーさんの笑顔が浮かんできた。別れ際の笑顔も、俺を褒めた時の笑顔も。何もかも全部…頭から消えそうにない。何度首を振っても浮かんでくるその姿。子供みたいにはしゃいで無邪気に笑って、俺の歯車…狂わせて。目の前にいる相手を真っ直ぐに見つめてキレイな心を見せつけて、相手を───おかしくさせる。
『本当に可愛い……!』
──────こういう人間が一番嫌いだ。
人の心に容赦なくづけづけと入り込んで、絡みついて離れないくせに他の奴にもおんなじで。
俺が一番───特別になれない人だ。
裏口から店に入り、ドアにもたれかかった。
「この程度で喜ぶって…ガキじゃん、俺」
いつの間にかピアスに触れてた手を止めて、我に返ろうとした。ピアス褒められたくらいでなにはしゃごうとしてんだか。ほんと、バカらしくてアホらしい。否定も肯定も、なんにも要らないって思ってたのに。こんなことなら嫌われようとするんじゃなかった。
触れた耳からは、今もずっと聞こえる気がする。頭に鳴り響いてる気がする。あの言葉が。おねーさんの声が。
『そのピアス、すっごくいいですね!!真ん中のハートのピアスかわいいっ……!!』
触れてこようとしたおねーさんの姿まで浮かんできた。近くで見てしまった、あの笑顔も。
「…………っ」
忘れたい。離れろ。離れてほしい、頼むから…離れてくれ。あんな言葉、聞きたくなかった──────。




