文化祭1日目 ~約束してるけど待てなくて2~
教室に戻ると、ざわつきは一段階だけ大きかった。
昼休みの延長みたいなざわつきの中に、三人の存在だけが少し浮いている。
視線が自然と集まる。
ユヅキはその視線を気にする様子もなく、教室を一度だけ見回した。
その動きだけで、教室の視線が一斉にそちらへ向いた。
「……誰?」
誰かが小さく漏らす。
「外の人だよね、多分」
それだけで十分だったのに、もう一言が重なる。
「如月さんの知り合い?」
ざわつきは広がるというより、納得できない違和感として残る。
マサキとリサが仲がいいのは、クラスの誰もが知っている。
文化祭の準備期間なんて、特にそうだった。
一緒にいることも多い。距離も近い。
リサがマサキを見る目が少し特別なのも、気づいている人間はいる。
でも、それでも。
どこかでまだ、<仲のいい友達>として処理している生徒も少なくなかった。
マサキは地味だ。
静かで、目立つタイプじゃない。
教室の中心に立つ人間でもない。
だから、リサみたいな目立つ女の子の彼氏候補としては、まだ現実感が薄い。
むしろ。
今、教室へ入ってきた男の方が、ずっと<それっぽく>見えた。
まず顔が強い。
モデルみたいに整っている。
茶髪も、ピアスも、普通なら少し浮きそうなのに、不思議なくらい違和感がない。
背も高い。
立っているだけで、視線の中心が自然とそっちへ寄る。
しかも隣にいるのがリサだ。
読者モデルの女の子と、芸能人みたいな顔の男。
並んだ瞬間の<絵>としての完成度が高すぎた。
リサの隣へ立った時の収まりまで自然で、最初からそういう組み合わせだったみたいに見える。
だから、誰かが半分冗談みたいに言う。
「彼氏とかじゃないの?」
一瞬だけ教室が静かになる。
その言葉には、<意外>よりも、<そっちの方が自然>かもという響きの方が近かった。
ユヅキはすぐに否定しない。
その代わり、ほんの一瞬だけ目を動かす。
見る先はマサキだった。
マサキは表情をほとんど変えていない。
でも、目だけがわずかに止まっている。
ユヅキはそれを見て、口元だけ笑った。
「さあね」
一気には元の調子に戻らない。
「え?」
「どっち?」
「今の何?」
リサが即座にムッとした顔になる。
「ちょっと」
ユヅキは軽く手を振る。
「さあねって言っただけじゃん」
リサは一拍だけ間を置いてから、困ったように笑う。
「ただの親戚だよー、彼氏に見えた?」
言い切ってから、首を少し傾げる。
目が一瞬だけマサキの方へずれる。
すぐに戻して、続ける。
「マサキくんいるのに、こっちが彼氏っておかしくない?」
その一言で、教室の中の表情が、一度だけ分かった側に寄る。
けれど、それを口にする人はいない。
ただ視線だけが、同じ方向へ揃う。
リサの隣。そして、その少し先。
マサキだけが、まだその意味に追いついていない。
『マサキくんいるのに、こっちが彼氏っておかしくない?』
リサが言った瞬間、クラスメイトたちは一瞬だけ目を合わせた。
(あー、そっちね)
(なるほどな)
(今のはそういうやつか)
誰も声にはしない。
でも、ほぼ同時に<理解した顔>だけが並ぶ。
ユヅキはその様子を感じながら、マサキをちらりと見る。
さっきの「さあね」は、半分くらい反応を見るためだった。
マサキがどういう顔をするのか。
否定するのか。不機嫌になるのか。
少しくらいは揺れると思っていた。
でも、マサキは特に反応しない。
むしろ、どこか納得したみたいな顔ですらあった。
ユヅキはそこで気づく。
(あー……そっか)
前に一度、マサキ自身も同じ勘違いをしている。
街中でリサの隣にいた自分を見て、普通に彼氏だと思っていた。
つまりマサキの中では、<リサの隣にこういう男がいたら彼氏に見える>は、もう当然の認識なんだ。
だから今さらクラスメイトがそう思っても、不自然だとは思っていない。
嫉妬より先に、<まぁそう見えるだろ>が来ている。
結果として。
ユヅキが煽るつもりで投げた言葉に、反応したのはマサキじゃなくリサの方だった。
しかも本人は、かなり自然に言ってしまっている。
『マサキくんいるのに』
その言葉の意味に、マサキだけがまだ気づいていなかった。
マサキだけが、少し首をかしげる。
(いや、何が?)
リサの言葉のおかしな点は分かる。
でも、どこが引っかかっているのかまでは分からない。
教室の話が、自分を置いて先に進んでいる感覚だけがある。
リサはその反応を見て、小さく息を吐く。
(ほんとに分かってない……)
という顔を一瞬だけしてから、すぐに視線を戻す。
ユヅキはその様子を横から見て、短く笑う。
「まあ、そういうことになるよね」
その言葉に、周囲はもう何も突っ込まない。
突っ込む必要がないからだ。
むしろ、もう説明しない方が自然になっている。
数人は視線だけで会話している。
(気づいてないのあいつだけだろ)
(いや、あれは気づかないタイプだわ)
(むしろ今の状況で気づかないのすごいな)
理解だけが共有されていく中で、マサキだけがまだ置き去りのまま立っている。
「えっと……何の話だ?」
その一言で、教室のどこかから小さなため息が落ちる。
「いや、別に」
「なんでもない」
説明するほどでもないという意味で、そう返される。
リサは笑って、話を終わらせるように手を振る。
「ほらー、作業戻ってー」
その流れに、誰も逆らわない。
ただ一つだけ残る。
さっきまで全員で共有していた分かっている感じと、その中心に一人だけ立ち遅れているマサキのズレ。
教室は元の騒がしさに戻っていくのに、そのズレだけは誰も直さないまま残っていた。
◇ ◇
教室のざわつきが少し落ち着いたと思ったところで、ユヅキはわざと軽い調子を戻すように口を開いた。
「文化祭をさー、男女でまわってたらいい感じにならない?」
マサキは一瞬だけ顔を上げる。
そのあと、少し考える間もなく返した。
「さっきまで店番だったんで、まだどこも回ってないです」
「……そこじゃなくてさ」
ユヅキは肩をすくめる。
言い直さない。というより、言い直しても伝わらない予感があった。
マサキは悪気のない目で、もう一度こちらを見るだけだった。
「今日ずっと2人でいるの?」
今度は少しだけ、問いの形が変わる。
リサの存在を含めた確認のような言い方だった。
マサキは一拍置いてから、横に目をずらす。
リサを見て、それからユヅキを見る。
「ユヅキさんいるんで、3人ですね」
リサが一瞬だけ口元を押さえる。
笑いかけて、すぐに飲み込む。
ユヅキは「いやそういう意味じゃない」と言いかけて、やめた。
(このまま行くと全部ズレる)
代わりに、少しだけ軌道を変える。
「文化祭ってさ、そういうイベントになること多いじゃん」
「そういうってなんですか」
間がない。
「いい感じになるやつ」
「ユヅキさんって、学校行事を恋愛イベントか何かだと思ってます?」
リサの肩が、ほんの少しだけ揺れる。
(そこは普通に切るんだ……)
ユヅキは思わず笑ってしまう。
「思ってたー」
「ユヅキさんの経験則なのはよく分かりました」
その一言で、会話が一度ちゃんと区切れる。
普通ならここで流れは終わる。
でもユヅキは、少しだけ間を空けたあとで続けた。
「……ねえ」
声のトーンが、ほんの少しだけ落ちる。
冗談の外側に一歩だけ出た感じだった。
マサキは、待っている形になる。
リサも一瞬だけ表情を止める。
「女の子待たせるのって、男としてどうなの?」
「え」
反射で声が出る。
すぐに自分で気づいて、口を閉じる。
「ちょっとユヅキ、ほんとにそれやめて」
「何を」
「そういう……変な方向に持ってくの」
ユヅキはリサには目を向けない。
そのまま、マサキだけを見る。
マサキは少しだけ間を置いてから、ゆっくり言った。
「待たせたことは、悪いと思ってます」
リサの表情が一瞬だけ動く。
(そこはちゃんと受けるんだ、っていう安心と違和感が同時に来る)
マサキは続ける。
「でもさっきのは、職員室に用があったんで」
「……は?」
二人の間が、完全に止まる。
音が抜けたみたいに静かになる。
「……っ」
(違う、そこじゃない)
ユヅキは数秒だけ黙ってから、小さく息を吐いた。
「手ごわすぎるだろ」
その声には、呆れと諦めと、少しの笑いが混ざっている。
リサは一瞬だけ目を伏せる。
気づいてる、という顔だけが先に出る。
マサキはそのやり取りを見ているが、まだ繋がらない。
(何の話をしてるんだろう)
ユヅキの問いは分かった。
『女の子を待たせるのはどうなのか』という話だった。
それに対して、待たせたのは事実だから悪いと思っている、と返した。
職員室に用があったのも事実だから、そう言った。
どこにも嘘はない。
なのに。
(なんで<手ごわい>になるんだ)
ユヅキの「手ごわすぎるだろ」が、少しだけ引っかかっている。
何かを外した。
それだけは分かる。
でも何を外したのかが分からないから、修正もできない。
(……オレ、何か言い間違えたか)
リサが目を伏せた。
その顔だけが、何かを知っている顔だった。
ユヅキも、呆れているのとは少し違う顔だった。
問いかけたいのに、何を聞けばいいのかが分からない。
会話の中にあるはずの前提だけが、自分のところにだけ届いていない。
その沈黙の中で、ユヅキはふっと肩の力を抜いた。
何か言えば、もう少し揺れるかと思っていた。
照れるとか、焦るとか、否定するとか。
少なくとも、リサを待たせているという話をすれば、男としてどうこう以前に、少しはそちらへ意識が向くと思っていた。
でも、マサキは違った。
待たせたことは悪い。
職員室に用があった。
そこに嘘はないし、筋も通っている。
ただ、その返し方だと、恋愛の話が全部ただの用事の話になる。
リサが待っていたことも、リサが一緒にいたがっていることも、周囲からどう見えているかも、全部状況として処理されてしまう。
(あー、これは外から言葉を入れても通じない)
ユヅキはそこで理解した。
鈍い、というより、前提が違う。
リサが向けているものを、マサキはまだ自分に向けられた恋愛として受け取っていない。
だから外からつついても、たぶん変に困らせるだけで、肝心なところには届かない。
しかもリサの方は、それを分かったうえで好きでいる。
「……あー、なんかごめん。ちょっとお邪魔だったっぽいな」
調子を戻しているのに、さっきの流れがまだ少し残っている声だった。
リサは即座に顔を上げる。
迷いのない動きだった。
「うん、まぁ」
短い。
否定も補足もない、ほぼ反射に近い返事だった。
ユヅキは一拍だけ固まって、それから小さく笑う。
「いや、それはまぁ……うん、分かる」
その返事で、もう十分だった。
リサは本当に、自分が外れるのを待っていたわけではない。
けれど、マサキと二人でいられるなら、その方がいいと思っている。
そしてマサキは、たぶん今のやり取りの意味も半分くらい分かっていない。
(外野が何言っても、今は無駄だな)
少し間が空く。
その間に、言い訳も冗談も挟まないまま、目だけが教室の端に流れる。
ユヅキは軽く息を吐く。
「じゃ、オレちょっと離れるわ」
マサキは一拍遅れて反応する。
「あ……はい」
相変わらず敬語で、距離のある返事だけが先に出る。
ユヅキは笑って、廊下の方へ手をひらひらさせた。
「はいはい、完全に外野でした」
そのまま、特に引き止められる間もなく教室の外へ消えていく。
その場が一段階だけ静かになる。
リサはその背中をしばらく見送ってから、何事もなかったように視線を戻した。
マサキはコーラのペットボトルを握ったまま、その場に立っている。
(さっきの話、結局何だったんだろう)
◇ ◇
文化祭の通路は、どこもかしこも食べ物の匂いでできていた。
甘い匂い、しょっぱい匂い、揚げ物の重たい誘惑が全部まとめて流れてくる。
「で、どこ行きたい?」
マサキがそう聞いた瞬間、リサの目が一段階だけ真剣になる。
「えっとね、焼きそばと、チュロスと、あとクレープと……」
もうその時点で指が忙しい。
一本、二本、と食べたいものをカウントしていく。
「フライドポテトと、お好み焼き……」
まだあるのに、いったん息を吸う。
マサキはその横顔を見て、少しだけ間を置いた。
うっすら口が開いたまま指を折っている。真剣な顔だ。
ほんの少し、可愛い。
「なに食べたいって聞いたわけじゃないぞ」
軽くツッコミを入れる。
リサは一瞬きょとんとして、それから普通にうなずいた。
「ね、全部半分こしようね」
その言葉が出た瞬間、マサキの中で一拍だけ思考が止まる。
(半分こ)
食べ物を分ける、という意味として受け取る前に、別の記憶が先に浮かぶ。
花火大会のときの、アイス。
ひとつのカップに、一本のスプーン。
交互に同じものを口に運ぶ。
(間接キスか)
そこまで繋がった瞬間、意味は一気に具体的になる。
同じものを、同じ道具で、交互に使う。
つまりリサの半分こは、そういう形になる。
マサキは一瞬だけ目を落とす。
(……うん、嫌じゃない)
むしろ逆だ、と言い切るほどでもないが、少なくとも避ける理由は出てこない。
リサは、可愛い。
その認識だけは最初から変わっていない。
クラスの中でも目立つし、普通に見ていて整っていると思う顔だし、距離が近いときは落ち着かない。
その相手と、同じスプーンで食べる。
(それは……普通に、嬉しい方だろ)
自分の中で出た結論に、少しだけ間が空く。
その嬉しいが何に近いのか、深くは掘らないまま押し込む。
リサの方を見ると、すでに次に行く屋台の順番を頭の中で組み立てている顔だった。
完全に食べる前提の顔。
マサキは小さく息を吐いて、短く言う。
「……そうだな」
了承というより、流れを止めないための返事。
リサは満足そうにうなずいて、すぐに歩き出す。
その横に並びながら、マサキはさっきの言葉を頭の隅で反芻する。
(半分こ)
スプーン一本。
距離の近さ。
言葉にしないまま成立していた、あの時間。
(……あれは、悪くなかった)
そう思ったところで、自分でも少しだけ引っかかる。
悪くなかった、ではなく。
(普通に、よかった)
その違いだけは、なぜかはっきりしていた。
◇ ◇ ◇
文化祭の廊下は、昼を過ぎても人の流れが途切れていなかった。
各クラスの呼び込みが飛び交い、どこかの教室からは笑い声が漏れてくる。
焼きそばの匂いと甘いクレープの匂いが混ざって、辺り一帯が騒がしい。
そんな中、リサは片手にホットドックを持ったまま、楽しそうに歩いていた。
「はい、あーん」
自分の食べかけを、そのままマサキの口元へ差し出す。
マサキは反射的に周囲を見た。
すれ違う生徒。
近くの模擬店。
普通に人が多い。
(人目……)
リサが首を傾げる。
「なに?」
「……見られてる」
小さめの声だった。
リサは少しだけ周囲を見回す。
たしかに視線はある。
というより、この二人は歩いているだけでそこそこ見られる。
「場所変える?」
マサキは数秒だけ迷ってから、観念したみたいに頷いた。
「……その方が」
リサはふっと笑う。
「じゃ、どっか座れるとこ探そっか」
その声は、少しだけ嬉しそうだった。





