文化祭1日目 ~約束してるけど待てなくて1~'
文化祭の中でも、マサキたちのクラスは少し変わった方向に振っていた。
その出し物の名前は「華カフェ」。
名前のとおり、華をテーマにした装飾が空間全体を覆っている。
壁には紙で作られた花が一面に咲き、天井からは色の違うリボンが垂れ、光の当たり方で表情を変えるように設計されていた。
飲食そのものよりも、空間を見せることに比重を置いたカフェだった。
提供されるものも派手な料理ではない。
飲み物はジュースや簡単な紅茶、食べ物もサンド系やクッキー程度の軽食が中心だ。
焼きそばやたこ焼き、綿あめといったいわゆる<花形メニュー>は上級生の出し物に優先される傾向があり、2年のクラスには回ってこなかった。
その代わりに、華カフェは「雰囲気」で勝負する形になっている。
リサは調理担当。
マサキは売上管理担当。
同じクラスでも、配置はかなり離れている。
キッチン側は常に慌ただしく、レジ側も注文の声が途切れない。
マサキはレジ横の机にノートPCを置き、注文数を入力していく役割だった。
どの商品が何個出たか。
ジュースがあとどのくらい残っているか。
食材の消費量はどの程度か。
入力された数から自動で在庫状況が更新されるテンプレートになっていて、足りなくなりそうなものがすぐ分かるようになっている。
地味だが、止まると普通に困る役割だった。
そのため、文化祭が始まってから二人はほとんど顔を合わせていなかった。
それでも。
「マサキくん」
聞き慣れた声が、横から割り込んでくる。
マサキが視線を上げると、リサだった。
エプロン姿のまま。
白いシャツの上から淡い色のエプロンを重ねていて、髪は後ろで軽くまとめられている。
動きやすさ優先の格好のはずなのに、目を引いた。
もともとリサは、ただ立っているだけでも視線を集める。
文化祭の慌ただしい人混みの中でも、その存在だけ少し浮くくらいには可愛い。
しかもエプロン姿が、驚くほど似合う。
マサキはその格好自体は見慣れていた。
リサの家へ行った時、何度か料理を作ってもらっている。
それでも。
(……やっぱ似合うな)
そう思って、少し遅れて引っかかる。
何度も見てる格好のはずなのに、毎回同じことを思っている。
リサの家で料理してもらった時も、学校の調理実習の時も。
何度も見てる格好のはずで、驚くようなことは何もないはずなのに。
なのに毎回、同じところで少しだけ時間が遅れる。
リサが机へ近づく動きに合わせて、胸元がふわりと揺れる。
細い腰のラインに対して、身体つきだけ女の子らしい。
エプロンの布越しでも分かるくらいには。
リサはそんな視線に気づいていないまま、自然にマサキの横へ回り込む。
「……なに?」
「今ちょっと落ち着いたから」
リサはそう言いながら、レジ横の売上メモを覗き込む。
「今どのくらい?」
「さっきので32」
「おー、結構いってる」
マサキは口を薄く引いた。
「そっち大丈夫なのか」
そう言いながら、新しい注文票へ手を伸ばす。
「大丈夫。もう下準備終わってるし」
リサはあっさり答える。
実際、調理班の中でもリサの処理速度は妙に速かった。
注文が重なっても、動きが止まらない。
次に必要なものを先回りして準備しながら、空いた時間を作っている。
だから少し波が引くと、こうしてレジ側へ来る余裕まで生まれる。
リサは画面を覗き込んだ。
「エクレア」
「エクセル」
マサキが注文票を見て、数字を入力する。
横に置かれた在庫欄の色が変わる。
「おぉ、なんで色変わったの?」
「アイスコーヒーが3分の2になった」
「え、早。すご、そういうの分かるんだ。へー」
リサは画面を覗き込んだまま、さらに身を寄せる。
マサキの視界へ先に入ってきたのは、エクセルとは別のものだった。
エプロン越しでも分かる膨らみ。
机へ身を乗り出しているせいで、さっきより距離も近い。
(……でかい)
視線が止まった。
リサの動きが、ふっと止まる。
「……」
数秒。
それから、リサはゆっくりマサキを見る。
マサキも、そこでようやく自分の視線に気づいた。
「……あ」
リサは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑う。
「あ、ごめん。邪魔してたね」
すっと身体を引く。
エプロンの裾を軽く押さえながら、少しだけ距離を空ける。
マサキの視線が、無意識にその動きを追う。
離れていく胸のライン。
細い腰のかたち。
そこでようやく、自分が追っていたことに気づく。
マサキは反射みたいに視線を画面へ戻した。
「いや……別に」
声が少しだけ詰まる。
リサはその反応を見て、何か察したみたいに口元だけ笑った。
その笑い方が、じわじわと頭に刺さる。
むしろ、どこか嬉しそうな気配だけが残っていた。
(……なんで笑うんだ)
怒るとか、引くとか、そういう反応なら分かる。
でもリサは笑った。
しかも『邪魔してたね』と言って、自分から距離を空けた。
引いた側が笑っている。
その意味が、マサキの中でうまく整理されない。
そのとき、奥から声が飛んだ。
「如月さん、ごめーん!パン追加どこー?」
「あ、はーい!」
リサはすぐ振り返る。
でも戻る前に、もう一度だけマサキの方を見る。
「あとでまた来るね」
それだけ言って、ぱたぱたとキッチン側へ戻っていく。
マサキはその背中を数秒だけ見てから、パソコンの画面へ向き直った。
キーボードを叩く。
カタ、カタ、と規則的な音が鳴る。
でもその数分後。
またリサが来る。
「マサキくん、ストローの在庫もそれで分かる?」
「分かる」
◇ ◇ ◇
さらに十分後。
「アイスコーヒーってもう買い足した方がいいの?」
「減るペースが落ちてないから、買いに行ってもたぶん問題ない」
「了解ー」
リサは素直に頷く。
マサキは入力を続けながら、ちらりと横を見た。
「なに?」
リサは口元をゆるめる。
「これ、頼まれた」
そう言って、エプロンのポケットから小さなメモを出す。
『ガムシロの在庫は平気?』
『クッキー追加焼く必要ある?』
『ドリンク次どれ減りそう?』
女子の丸い字が並んでいた。
マサキは黙る。
「みんな忙しいからねー」
リサはそう言うが、実際はそれだけじゃない。
女子側は、もう気づいている。
リサがマサキのところへ行く頻度。
マサキを見る時の顔。
そして、本来そこまで急がなくていい作業まで、明らかに早く終わらせていること。
洗い物。補充。追加準備。盛り付け。
普通なら「あとでまとめてやればいいよね」で済む作業を、リサは先回りみたいに片付けていく。
しかも速い。
マサキのために数分だけ時間を作る。
だから調理側では、自然と流れができていた。
「如月さん、ついでに聞いてきてー」
「松前くんに確認お願いー」
「あとこれもー」
用事を渡されるたび、リサが嬉しそうに行くのも分かっている。
半分くらいは、女子たちの<行く理由作り>だった。
もちろんリサ本人も気づいている。
でも止めない。
むしろ普通に利用していた。
しかし、さらに少し経つと、今度は何も用事がない。
「……何」
「んー?」
リサはレジ横へ軽く肘をついて笑う。
「顔見に来ただけ」
マサキはレジを打ちながら、小さく息を吐く。
(……めちゃくちゃ来る)
でも、<来るな>とは思っていなかった。
カタ、カタ、とキーボードを打つ。
入力欄へ数字を入れる。
その途中で、さっきの言葉が遅れて頭へ入ってくる。
顔見に来ただけ。
マサキの指が、一瞬だけ止まりかけた。
顔見て、どうするんだ。
いや、実際ただ見に来てるだけなんだろうけど。
そんな数分で何が変わる。
……なのに。
リサは本当に、それだけで満足そうに横へ立っている。
マサキは画面を見たまま、わずかに目を横へ動かした。
リサは楽しそうだった。
ただ近くにいるだけでいいみたいに。
その顔を見た瞬間、マサキはすぐ画面へ戻す。
(……意味分かんねぇ)
なのに、悪い気はしていなかった。
◇ ◇
文化祭の廊下は、昼を過ぎてもまだ人の熱気で満ちていた。
模擬店の呼び込み、遠くで鳴るステージ音、すれ違う生徒たちの笑い声。
その流れの中で、リサは飲み物を片手に歩いていた。
すると少し離れた場所から、男子たちの声が聞こえてくる。
「あれじゃね?」
「ほんとにいるじゃん」
「写真より普通に可愛くね?」
視線が集まる。
リサは一瞬だけ足を止めた。
男子のひとりが勢いのまま近づいてくる。
「すいません、もしかしてリサさん? 読者モデルの」
「はい、そうですけど……」
答えた瞬間、男子たちの声が一段騒がしくなった。
「やっぱり!」
「本物だって」
「え、すげぇ」
そのまま距離が縮まる。
「一緒に写真撮ってもいい?」
リサは少し困ったように笑う。
「……あー、いや、それはちょっと」
断られても、男子たちは引かなかった。
「じゃあさ」
「写真はいいから」
「文化祭一緒にまわって」
「案内してよ」
言葉が重なる。距離が近い。
リサが口を開きかけた、そのときだった。
「うわ、盛ってるねー少年たち」
横から、軽い声が割って入る。
男子たちが振り向く。
そこに立っていた男は、文化祭の人混みからかなり浮いて見えた。
背は高い。
整った顔立ちに、茶髪の短髪。
耳には複数のピアス。首元にはチェーン。
派手なのに、どこか場慣れした余裕だけが目につく。
男は肩をすくめた。
「わざわざ他校来てまでナンパ? 元気だね」
男子たちが「は?」と反応する。
男は笑ったまま続ける。
「でもさ、それじゃまだ弱いよ。相手の反応見えてない」
説教みたいなのに、的を外していない。
「今まで成功したことないでしょ、そのやり方」
男子たちの勢いが一瞬止まる。
男子たちの主導権が、少しだけ向こうへ移る。
男はそこでようやくリサを見る。
「ねぇ、リサちゃん」
声のトーンが少し落ちる。
「今、急いでる?」
押し付けない問い。
「もし時間あればでいいんだけど、少しだけ話せる?」
一歩引いた距離のまま、誘いだけを残す。
「歩きながらでいいからさ」
場所を指定しない言い方だった。
リサは一瞬だけ迷う。
そして、軽くうなずいた。
「……いいよ、少しだけね」
その瞬間、男子たちが固まる。
男は軽く手を振る。
「じゃ、借りるね」
奪うじゃなく、借りる。
その言い方が余計に後味を残した。
◇ ◇
数歩進んだところで、ユヅキが尋ねる。
「松前くんは? 一緒じゃないの?」
何気ない調子で聞く。
「いま職員室」
「なにかやらかした?」
反射みたいな返しだった。
リサはすぐにじとっとした目を向ける。
「ユヅキは職員室って悪いことしたときに行く場所なんだね」
「うん」
即答。
しかもまったく悪びれない。
リサは小さくため息を吐いた。
「普通に店の両替行ってるだけだから。ユヅキと一緒にしないで」
ユヅキは軽く笑いながら肩をすくめた。
そのあと、ふと周囲を見回す。
「ていうか、なんでリサは1人でウロウロしてるわけ」
何気ない聞き方だったが、意味は分かる。
<なんで大人しく職員室の前で待てないの?>
「マサキくんのコーラ買いに」
「お前さ……」
ユヅキが半笑いのまま額を押さえる。
「いや、気持ちは分かるんだけど」
「ん?」
リサはきょとんと首を傾げた。
ユヅキは呆れ混じりに続ける。
「そういう理由で離れない方がいいぞ。お前すぐ絡まれるんだから」
「あたしちゃんと断れるよ、さっきのだって」
少しだけ不満そうな返事。
だがユヅキはすぐに返した。
「いや、そういう問題じゃなくてさ」
一拍置く。
「松前くんが心配するだろ」
リサはそこで黙った。
「……心配、するかな」
「するでしょ」
ユヅキは即答だった。
「めちゃくちゃ分かりやすいタイプじゃん、あの子」
「そう?」
「そうだよ」
リサは小さく視線を落とす。
マサキの顔が少しだけ浮かぶ。
『すぐ戻る』って言って職員室へ向かった背中。
(心配…してくれるなら、嬉しいけど)
してくれたら、嬉しい。
その気持ちは本当だった。
心配されたいわけじゃない。
でも、気にかけてもらえることが嬉しい。
その気持ちが先に出て、すぐ後から別のものが来る。
心配させたくない、という気持ち。
コーラのペットボトルを、少しだけ強く握る。
早く戻らないと、と思う。
理由はコーラだけじゃなかった。
ユヅキはそんなリサを横目で見ながら、口元をゆるめた。
「コーラ買いに行ってました、って聞いたらむこうも怒れないんだから」
「うーん……」
リサは小さく唸る。
少しだけ考え込んでいた。
コーラは買ってあげたい。
でも、心配はかけたくない。
すぐ絡まれるは確かにそう。
さっきだって、実際ああなった。
リサは口を少し尖らせる。
「……めんどくさいな、あたし」
「いや、お前じゃなくて周りがだけどな」
ユヅキは即座に訂正した。
「飲み物買いに行っただけでナンパイベント発生するの、だいぶ特殊だから」
リサはむっとした顔になる。
「ちゃんと断れるし」
「うん、えらいえらい」
「子供扱いしないで」
「してないよ」
返事は軽い。
でもユヅキの視線は、ちゃんと周囲を見ていた。
人通りの多い廊下。
すれ違う視線。
リサは自分がどれだけ目立つかを、たまに忘れる。
ユヅキはそれを知っている。
◇ ◇
職員室のドアが開く。
マサキが出てくる。
その瞬間、視界に入るものが三つあった。
まずリサ。手にはコーラのペットボトルを持っている。
リサは文化祭の人混みの中でも、やけに目を引いた。
可愛いとか、そういう一言で片付けるには少しずれていて、明るさと落ち着きが同時にある感じがする。
すれ違う視線が、自然と一度そこで止まる。
そして、隣に立つユヅキ。
「……」
一拍だけ、情報が追いつかない。
(コーラ……いつの間に)
(どっか行ってたのか?)
(ユヅキさん? いつから一緒に?)
頭の中で順番が整理される前に、口が先に動いた。
「……こんにちは」
先にユヅキへ軽く頭を下げる。
頭の中が多少崩れていても、その辺りはちゃんとしていた。
ユヅキはわずかに目を丸くしてから、すぐ笑う。
「やぁ、こんにちは。しっかりしてるねぇ、松前くん」
「普通です」
「いや、その普通ができない子って多いから」
調子はいいが、変に茶化しすぎない。
マサキはそれ以上広げず、すぐリサの方を見る。
「なんで?」
リサはすぐに笑顔でコーラを差し出す。
「コーラ買いに行ったら会ったの」
「ここ離れた?」
「うん」
ユヅキが横から、手を挙げる。
「サカリのついた猿に囲まれてた」
リサは即座に顔をしかめた。
「それは言わなくていいよ」
「事実だろ」
「事実でも言わなくていいやつあるの」
マサキは二人のやり取りを一度だけ見てから、息を吐く。
「あのな……」
文句を続けかけて、そこで止まる。
リサが差し出したコーラを受け取ったからだ。
「……どうも」
(ほら怒れない)
ユヅキはその様子を見て、内心で小さく納得する。
マサキはペットボトルを握ったまま、少しだけ考える。
「オレ、教室まで両替届けてくるから。ユヅキさんと…」
一緒なら安全だろ、と続けようとした、その前に。
リサが一歩近づく。
その動きにつられるように、髪が軽く揺れる。
自然な所作なのに、目に残る。
「一緒にいく」
笑顔。
迷いがない。
マサキは一瞬止まる。
「……」
言いかけていた言葉がそのまま消える。
ユヅキはその横顔を見ながら、笑いをこらえる。
(今、『ユヅキさんと一緒にいろ』って言いかけたよな)
リサが絡まれやすいことを理解していて、一人にしない方がいいと思っていて、自分が離れる間の安全まで考えている。
やってることが完全に彼氏のそれだった。
しかもマサキ本人は、たぶん普通の配慮くらいにしか思っていない。
無自覚でこれをやっている。
(それで付き合ってない判定なの、どういう理屈なんだよ……)
しかも、その<安全要員>よりマサキについていくことを、リサは一秒で選ぶ。
迷いもない。
ユヅキは小さく肩をすくめた。
(ほんと、早く付き合えよ)





