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距離感ゼロの如月さんと自己評価ゼロのオレ  作者: 空色いろはに
文化祭準備 編

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文化祭準備 後編 ~重いじゃなくて近すぎる2~

 休憩が終わり、教室はまた文化祭準備のざわめきに戻っていた。


 さっきまでカーテンの内側にいたことが嘘みたいに、机の上には乾きかけのペンキと、まだ形の整っていない装飾が並んでいる。

 慌ただしさは少しだけ引いていたが、完全に落ち着いたわけではない。

 誰かが息をついたあとのような、中途半端な静けさが残っていた。


 その中で、池沢だけが軽く腕を組んだまま、マサキの前に立っていた。


「如月さんと教室でイチャイチャしてたらしいじゃん」


 からかうような口調だった。

 軽い冗談の延長。クラス男子同士のいつものノリ。

 けれど、マサキはその一言で顔を上げた。


「お前こそ、如月と話しただろ」


 感情は乗せない。

 声は低くも高くもなく、ただ確認するみたいに落ちた。

 池沢が素で止まる。


「は? 何それ、意味わかんないんだけど。話すのダメなわけ?」


「作業の班、黙って変わっただろ」


 その言葉で、池沢の顔が少し変わった。

 冗談を言っていた表情が消え、代わりにあからさまな呆れが浮かぶ。


「え? それで怒ってんの?」


 机の角に手をつき、声が少し荒くなる。


「班変わっただけで? マジでそれ? うざ」


 吐き捨てるような言い方だった。

 それでも、マサキは怒っているわけではなかった。

 ただそこにあるのは怒りではなく、話が変なところで噛み合っていない感覚だった。


(怒ってる……わけじゃない)


 引っかかっているのは、そこじゃない。


 池沢は一度、目を横にずらした。

 さっきまでの軽さが少し抜ける。


「……如月さん」


 言い直すような間を置いて、池沢は机の上の花飾りや色紙へ目を落とした。


「装飾班になったあと、最初は楽しそうだったんだけどさ」


「……」


「女の子多いし、雰囲気も明るいし、やりやすいだろ。たぶん、周りもそう思ってた」


 そこまでは、ただの一般論だった。

 でも池沢の声は、そこで少し沈む。


「でも途中から、なんかずっと上の空なんだよ」


 マサキの指先が止まった。

 池沢は腕を組み直し、言いづらそうに続ける。


「元気ないっていうか……笑ってるんだけど薄いっていうか。作業はちゃんとやってるんだけど、どっか集中してない感じ」


 教室の中のリサを思い出しているような言い方だった。

 マサキは何も言わない。

 池沢はしばらく机の端を見ていた。


「如月さん、ああいうの向いてそうだし、まわりから頼られてるのもあるから、疲れてんのかなって思ったんだけど」


 そこで、声が少しはっきりする。


「でも、まぁ……違くて」


 池沢が顔を上げた。


「お前が近くにいるときだけ、ずっとそっち見てるんだよなぁ」


 その瞬間、マサキの手が完全に止まった。


「……」


「でさ、オレまだ如月さんのこと好きだし」


 池沢の口元に、少しだけ自嘲みたいな笑いが混ざる。


「だから、その顔見てるのきつかったわけ」


 目を外したまま、淡々と続ける。


「だから、班変わるのはオレから言った」


 短い沈黙が落ちた。

 池沢はそれを誤魔化すように、少しだけ肩をすくめる。


「これ、ほんとは言わない約束だったから、如月さんにはバラすなよ」


 今度はまっすぐマサキを見る。


「お前が変な誤解するせいで、言うはめになったんだからな」


 マサキはそこでようやく、池沢を見返した。

 池沢は続ける。


「お前さ、如月さんが装飾やれば楽しくできるって思ってるだろ」


「……」


「それがそもそも違くね」


 言葉だけは軽い。

 でも、池沢の目は笑っていなかった。


「いや、だからさ。やりたい作業とか、向いてる班とか、そういう話じゃなくね?」


「如月さん、お前の近くにいたかったんだろ」


 その言葉が落ちたあと、教室の物音だけが戻ってくる。

 マサキはすぐには答えなかった。

 机の上の色紙を見る。

 装飾班。工作班。企画班。

 どこにいるか。

 何をするか。

 それが大事なのだと思っていた。


「……それは、ちょっと分からない」


 最初に出たのは、その一言だった。

 池沢が「は?」と返しかける。

 けれど、マサキは構わず続けた。


「誰とやるかで意味が変わるっていうのが……オレは、経験ない」


 淡々とした声だった。


「楽しいかどうかは、何をやるかで決まると思ってた」


 そこまで言って、少しだけ詰まる。

 完全にそうだと言い切れない感覚が、今はもうある。


「でも最近……」


 そこで言葉が止まる。

 言い方を間違えた気がした。

 何を言っても、変に聞こえる。


「……如月がいると…たぶん、それだけじゃない」


 言葉にすると、まだぼんやりしている。

 リサといると、周りの音が少し遠くなることがある。

 人が多い場所でも、隣にリサがいると、ただうるさいだけでは終わらないことがある。

 それが何なのかは、まだ説明できない。


「でも」


 マサキは池沢を見る。


「やりたいことをやらないで、人を優先するって。それって普通なのか?」


 質問というより、確認に近かった。


「誰とやるかで変えるっていうのが……オレには分からない」


 最後は静かだった。

 否定でも肯定でもなく、整理しきれない疑問だけがそこに残る。

 池沢は目を外し、軽く息を吐いた。


「……はぁ」


 呆れというより、説明する側の面倒くささが混じった声だった。

 それから腕を組み直す。


「お前のさ」


 池沢は少しだけ言葉を選ぶ。


「やりたい方やったほうがいいだろって考え方は、たぶん優しさなんだろうけど」


 そこで一度区切り、マサキへ目を戻した。


「それって、一人でやる時の基準じゃん」


 かみ合っていない部分を、静かに指摘するような言い方だった。

 池沢はわずかに首を傾ける。


「てかさ」


 トーンが変わった。


「松前って、人混みとか騒がしいところ苦手って言うわりに、夏休み如月さんと花火大会とか行ったんだって?」


 マサキの目が動く。


「イヤだったか?」


 軽く聞いているようで、核心だけを見ている質問だった。

 続けて、池沢は少しだけ声を柔らかくする。


「ちょっと苦手なことでも、そいつと一緒にやってれば楽しいって思うの。わからん? オレの言ってること」


 マサキは、すぐには頷かなかった。


「……」


 花火大会のときのことが浮かぶ。

 人が多い場所だった。

 音もうるさかった。

 正直、得意じゃない。


 それ自体は今でも変わっていない。

 でも、隣にリサがいたときは、確かに楽しいと思っていた。

 それは事実として言える。


 楽しいかどうかは、場所だけで決まるわけじゃない。

 そこまでは、分かる。

 ただ、池沢の話はまだどこかで引っかかった。

 マサキはゆっくり目を上げる。


「誰とやるかで変わるってのは、分かる気はする」


 そこで一度止まった。


「ただ、それを前提に動くのは……分からない」


 結局、そこに戻る。

 池沢は少し黙ってから、肩の力を抜いた。


「……じゃあさ」


 いつもの軽さが、少しだけ戻る。

 けれど、さっきよりも声は丁寧だった。


「納得しなくてもいいよ、別に」


 池沢は机の縁に体重を預ける。


「誰とやるかで楽しいってのは、そもそも理屈じゃねーし」


 天井へ目を向け、考えるように少し間を置いた。


「まぁ、それを理解しろってのは無理なのかもな」


 池沢の視線が、リサのいる方向へ向く。


「ただ、如月さんがそれで動いてるなら」


 今度はマサキを見る。


「それに合わせてやるべきだと思わん?」


 言い切ったあと、池沢は肩をすくめた。


「お前がやろうとしてることって、如月さんのやりたいこととズレてんの」


 最後は軽く投げる。


「それだけ」


 納得させるというより、<これ以上は説明しないぞ>という終わり方だった。


 ◇     ◇     ◇


 文化祭準備の最終日、教室の空気は少しずつ<班>という形を崩し始めていた。

 最初は明確だった区切りが、いつの間にか曖昧になっている。

 装飾班、工作班、企画班。

 それぞれが自分の持ち場で作業を進めていたはずなのに、進捗の差が積み重なって、境界線は邪魔になってしまった。


「こっちの班、もう終わってるから手伝い行くわ」


「そっちはまだ足りない」


「じゃあ一回こっち分けよう」


 あちこちでそんな声が重なっていくたびに、教室の中の線が少しずつ消えていく。


 木製の看板は途中のまま止まり、机の上には切り抜きの色紙と未完成の装飾が散らばっている。

 誰かが一度手を止めた痕跡だけが、やけに生々しかった。

 その中心で、リサは一度も止まらずに動いていた。


「如月さん、これってどこ置けばいいか分かる?」


 きっかけは、そのくらいの声だった。

 リサは「え」と顔を上げて、机の上を見たあと、少し考えるように当たりを見回した。


「ん、完成品は窓側でいいかな。あとでまとめて貼ると思うから」


「了解ー」


 それで一つ終わる。


 次に、別の誰かもリサを呼んだ。


「如月さん、テープってまだある?」


「えっと……ちょっと待ってね」


 リサは机の端に置いてあった袋を覗き込み、残りを数える。

 指先で一本ずつ確認してから、少しだけ声を大きくした。


「みんなー、このテープ残り3本だけど足りるー?」


 その声に、近くの生徒が反応する。


「たぶん足りない。看板のほうも使う」


「じゃあ買い足し必要かな」


 リサは頷いて、黒板へ視線を向けた。


「予算まだ余ってるみたいだから、必要なもの黒板にどんどん書いてこっか」


 笑顔でそう返したあと、また別の方向から声が飛んでくる。


「如月さん、こっち終わったけど次なにすればいい?」


「如月さん、これ先生に確認いるやつだっけ?」


 リサはそこで「知らない」とは言わない。

 一つずつしっかり返していく。


 置き場所を聞かれたから答える。

 足りないものを聞かれたから確認する。

 誰かが困っていたから、分かる人を探してつなぐ。


 名前を呼ばれるたびに、リサは顔を上げる。

 笑う。

 大丈夫そうな顔をする。


 その顔を見ると、聞いた側も安心して次を投げた。

 リサが本当に余裕なのかどうかまでは見ない。

 如月さんなら聞いても嫌な顔をしない、如月さんなら一回受け取ってくれる。

 そういう形で、少しずつ役割が増えていく。


 マサキはそれを見ていて、なんとなく分かってしまった。

 リサは、リーダーに向いているわけではないように見える。


 リサは指示を出す前に、毎回メモを見る。

 迷っている。

 それでも、呼ばれたら顔を上げる。

 笑って返す。

 だから次も呼ばれる。


 リサの愛想の良さは、周囲からすると声をかけやすい。

 困ったときに聞きやすい。

 しかもリサはそこで突っぱねない。


 本人の受け取れる量とは関係なく、周囲が集まってしまう。

 完璧に仕切れるわけじゃないのに、頼られると断れないだけだ。

 如月理沙なら出来るかどうかではなく、言いやすい、という空気で頼みごとが増えていく。


 リサは机の上に広げられたメモを素早く見返す。


「いま買い出しに行ってもらってるから、それまで接着剤はみんなで回して使ってね」


「広報班は職員室のコピー待ちだって。その間30分くらい別作業いけそう」


「貼り付けは背の高い人にお任せしてるから、完成品はどんどんこっちに集めて」


「ホチキス足りない? ごめん、今ちょっと確認する」


 リサはそんなに賢いわけではない。

 メモを見る回数は多いし、呼ばれるたびに一瞬だけ目が迷う。

 聞かれた内容を忘れないように、ペン先で紙の端を押さえながら、何度も同じ場所を確認している。


 気づけばすでに、教室の流れがリサを通るようになっていた。

 マサキは少し離れた場所で、自分の作業をしながら、ただその様子を見ていた。


(……大したもんだな)


 素直にそう思う。

 マサキは無意識に手元の紙を整えながら、小さく息を吐いた。


 得意だから回しているんじゃない。

 向いているから中心にいるんじゃない。


 なのに嫌な顔ひとつせず、笑いながらすぐ返事をする。

 誰かにお願いするときも、相手が動きやすいように言葉を選んでいる。


(オレが出たところで、足引っ張るだけだ)


 だから、遠巻きに見ているだけで何も言わなかった。


 ◇


 教室のざわつきが少し遠く感じるようになってきた頃だった。


 リサの笑顔が、少しだけ安定していない。


 口元は笑っているのに、返す反応が少しだけ遅れている。

 少しだけ遅れてから「うん」「それでいこ」と返す。

 考える余裕が削られているときの遅れ方だった。


(疲れてる)


 マサキはそう判断していた。

 しかし、リサ自身はきっと止まらない。

 自分が疲れていることを分かっている動きなのに、止めていない。

 むしろ周囲に合わせて、テンポを落とさないようにしている。


(止まれないよな)


 マサキにはそれも分かっていた。


 リサが「無理」「代わって」と言えば、誰かがやってくれるだろう。

 だけど、得意じゃないのに受けてしまった役割を、人に押し付けられるタイプではない。

 くわえて、リサは人を放っておくのがうまくない。

 それが出来るならとっくに断っていた。


 ◇


 リサはメモを一度閉じて、息を吐いた。


「……ふぅ」


 声に出してしまってから、自分でも気づく。

 思っていた以上に、頭が重い。


 リサは机の端に手をついて、肩を落とす。


(やばい、慣れないことしたから頭回んなくなってきた……)


 ゆっくりと教室の中を探す。

 さっきからずっとそれだけが、頭のどこかに残っていた。

 見つけるのは難しくなかった。


 少し離れた場所で、相変わらず静かに作業をしている。

 リサは息を整えてから、ゆっくり歩き出した。


 マサキはいつも通り、余計なことをしていない。

 ただ手元の作業を淡々と進めていた。


「マサキくん」


 声をかけると、マサキが顔を上げる。


「……ん」


 いつもの短い返事。

 リサはそのまま少し間を空けて、言い方を選ぶみたいに続けた。


「相変わらず手際いいねー」


 軽い言い方だった。

 けれど、いつものリサとは少し違う。

 明るくしようとしているのに、息が浅い。

 言葉の最後が、ほんの少しだけ抜けていた。


 マサキは一度、リサの後ろへ視線を向けた。

 教室はまだ忙しく動いている。

 手を休めている人はほとんどいない。


 だから、短く言った。


「こっち手伝って」


 木材を一本、手元に引き寄せる。

 机の上に揃えて、ペンを取る。

 一定の間隔で、淡々と印をつけていく。


「これ」


 マサキはメジャーをリサの方に差し出した。


「押さえてて」


 それだけだった。

 測る、印をつける、切る。

 その中で一番、頭を使わない部分をリサに渡す。

 リサはただ、メジャーを押さえていればいい。

 それ以外の判断は全部こちらでやる。

 マサキは目を木材に落としたまま続ける。


「うん」


 リサは小さくそれだけ返した。

 メジャーを押さえるリサの手を横目で確認しながら、マサキはまた一本、印を引いた。


 メジャーを押さえたまま、リサは一瞬だけ固まった。

 マサキの手元を見て気づいた。


 印をつける位置は正確で、迷いがない。

 リサが何か判断する余地は、最初から入っていない。


(あ……)


 ただ押さえているだけ。

 考えなくていい位置。

 動かなくていい位置。


(……休ませてる)


 ようやくそこで理解が落ちてくる。

 リサは目を瞬かせて、メジャーを押さえ直した。

 何も言わないまま、マサキの手元を見つめる。


(……マサキくん、ずっとこうだよね)


 『疲れてるんだろ』って、言えばいいのに…と思う。

 せっかく優しいんだから。

 でも同時に分かっている。

 マサキはこれを気遣いとしてやっていない。

 だから、言わない。

 言う必要があるとも思っていない。


(見てくれてるんだ……)


 そのことに気づいた瞬間、胸の中が少しだけ緩んだ。


 教室の音はまだ近くにある。

 誰かの笑い声も、椅子を引く音も、テープを切る音も、全部聞こえている。

 けれど、メジャーを押さえている間だけは、リサが何かを決めなくてもよかった。


 何をどこに回すか。

 誰に声をかけるか。

 何が足りなくて、何が止まりそうなのか。

 そういうことを、今だけ考えなくていい。


 マサキが勝手に考えて、勝手に測って、勝手に印をつけてくれる。

 リサはただ、言われた場所を押さえていればいい。


 それが思っていた以上に楽で、リサは少しだけ弱音を吐きそうになった。


(……あたし、やっぱ向いてないなぁ)


 仕切るのが得意なわけじゃない。

 みんなをまとめるのが好きなわけでもない。


 ただ、聞かれたから答えた。

 それだけだった。


 それだけのはずだったのに、気づいたら、いろんな声が自分のところに集まっていた。


 無理だと思わなかったわけじゃない。

 途中で、これはちょっと大変かも、とは思った。

 頭の中でやることが増えて、何から返せばいいのか分からなくなる瞬間もあった。


 でも、手を離せなかった。


 言えば、きっと誰かが代わってくれたのかもしれない。

 クラスにリサしかいないわけじゃない。

 もっと手際よくできる人だって、探せばいたはずだ。


 それでも、言えなかった。


 文化祭を、ぐちゃぐちゃにしたくなかった。

 ただ行事として成功させたいとか、クラスのために頑張りたいとか、そういう気持ちもなかったわけじゃない。

 けれど、それよりももっと手前に、ずっと頭の中に残っていることがあった。


 マサキくんにも、楽しいって思ってほしい。


 人が多い場所が得意じゃないことくらい、リサにも分かっている。

 騒がしい場所で、マサキが自然に楽しめるタイプじゃないことも知っている。


 だからこそ、少しでも楽しいものにしたかった。

 文化祭って案外いいな、と思ってほしかった。

 一緒に回るの、悪くないな、と思ってほしかった。


 そのためには、今日の準備をちゃんと終わらせたい。

 当日、マサキと普通に回りたい。

 その時間を壊したくない。

 たぶん、それが一番大きかった。


 リサはメジャーを押さえたまま、マサキの手元を見る。


 文化祭の準備そのものが好きだから頑張っていたわけじゃない。

 仕切るのが得意だから、最後まで動いていたわけでもない。

 マサキと一緒にいる文化祭にしたかった。

 マサキが、少しでも楽しめる文化祭にしたかった。


 それを壊したくなくて、止まれなかった。


「……リサ」


 名前を呼ばれて、リサははっとする。


「ずれてる」


「あ、ごめん」


 慌ててメジャーを押さえ直すと、マサキは責めるでもなく、淡々と位置を直した。


「ここ」


「うん」


 短いやり取りだけで、また作業が進む。

 その静かさが、今はありがたかった。

 何も聞かれない。

 『休め』とも言われない。

 『疲れてる』とも言われない。


 ただ、今のリサにできるくらいの作業を渡して、隣に置いてくれている。


(……こういうことされると)


 リサは小さく息を吸って、メジャーの端をもう少し強く押さえた。

 こういうことをされると、また好きになってしまう。

 本人はたぶん、そんなこと少しも考えていないのに。


 ◇


 たぶん今、ここでリサに『休め』と言えば、リサは笑う。

 『大丈夫だよ』と返す。

 そしてまた、何もなかったみたいに戻っていく。

 その顔が、簡単に想像できた。


(言ってもどうせ意味ない)


 マサキはそう思っていた。

 意味がないどころか、たぶん逆になる。


 疲れているだろ、と言えば、リサは疲れていないふりをする。

 休めと言えば、休まなくていい理由を探す。

 しかもそれが周りに聞こえたら、リサは<疲れてる人>扱いになる。

 リサが積み上げたものを崩してしまう。


 それに、そもそもマサキ自身も言えなかった。


 リサがどれだけ頑張っていたのかを見ていた。

 無理をしていることも分かっていた。

 だからといって、自分がそれを止めていいのかまでは分からない。


 今までリサが受け取ってきたものを、横から来た自分が『もういい』と言って取り上げる。

 それは、違う気がした。

 リサは頼まれて、受けて、つないで、どうにかここまで動かしていた。

 本人が得意かどうかは別として、教室はそれで進んでいる。


 そのリサに向かって、ただ休めと言うのは簡単だ。

 でも、自分がリサに『休め』と命令していい立場だとは思っていない。


(……なら)


 だから、もう決めてしまう。

 こっちを手伝え。

 それだけにする。


 誰かに確認する必要もない。

 リサが笑って返事をする必要もない。

 大丈夫だと笑わなくて済む。

 疲れていないふりをしなくて済む。


 マサキはもう一本、印を引いた。

 教室のざわつきはまだ続いている。

 けれど少なくとも今、リサはそこへ戻らなくていい。

 そういう形にしておけばいい。


(……これなら、邪魔にはならないだろ)


 役に立てたとは思わない。

 ただ、リサが少しでも止まれるなら、それでいい。


 マサキはそう考えて、次の木材を手元へ引き寄せた。

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