文化祭準備 後編 ~重いじゃなくて近すぎる1~’
文化祭準備が進んだ教室は、最初よりかなり形になってきていた。
壁の装飾も増え、机の配置もほとんど決まっている。
未完成の部分はまだ残っているが、少なくとももう、ただの教室ではなかった。
とはいえ、進み具合に余裕があるわけではない。
遅れてはいないが、気を抜けばすぐに詰まる。
だからこそ、クラスでは休憩だけは削らないと決められていた。
集中が切れたまま作業して怪我をしたら意味がない。
実際、さっきもリサが落ちかけている。
教室のあちこちでは、生徒たちが椅子へ座ったり、飲み物を飲んだりしていた。
そんな中、リサは周囲をひと通り見回す。
(マサキくん……)
さっきの言葉が、まだ頭から離れない。
『あとで続き、いいか』
思い出した瞬間、また顔が熱くなる。
続き、あれの続きって。
抱き上げられて、近くて、腕を回して、あんな距離で。
リサは慌てて両手で自分の頬を押さえた。
(あ、あんなのもう1回されたら……心臓がもたないっ)
でも、嫌じゃない。
むしろ期待してしまっている自分がいる。
マサキの方から言ってくれた。
『もう少しこのまま』って。
そのあとに、『続き』。
思い出すたび、胸が落ち着かなかった。
一緒に休憩しようと思って探したが、マサキの姿は見当たらない。
リサはしゅんとして目を落とした。
そのまま、学校側が用意してくれたクーラーボックスへ近づいた。
中には氷と、生徒たちの飲み物がまとめて入れられている。
リサは自分のお茶を取り出した。
ひんやりしている。
でも、気分は全然冷えない。
近くの椅子へ座り、キャップを開ける。
一口。
「……」
眉がわずかに下がった。
(お茶おいしくない……)
飲めないわけじゃない。
いつもなら普通に飲む。
なのに今日は、変に苦く感じる。
さっきから気持ちが落ち着かないせいかもしれない。
そのとき。
教室の後ろ扉が開いた。
リサは顔を上げる。
「あ」
戻ってきたのはマサキだった。
手には、ピンク色のものが二つ見える。
マサキは教室を見回してリサを見つけると、そのまま真っ直ぐ歩いてくる。
そして、リサの座る机へぽん、と二つ置いた。
「……え」
イチゴミルク。
それから、イチゴポッキー。
リサが瞬きをする。
さっき購買で、一度だけ見て、でも手に取らなかったものだった。
それが今、何の説明もなく目の前に置かれている。
マサキは目をそらしたまま、言った。
「オレのせいだろ」
「……」
「購買ん時、お茶しか買わなかったの」
それだけ言って、また目を逸らす。
ちゃんと見られていた。
気づかれていた。
リサはしばらく言葉を失う。
お茶を選んだ時。
ほんとは甘いものを飲みたかったこと。
でも、さっきの『重い』が頭から離れなくて、なんとなくやめたこと。
そこまで全部、見透かされたみたいだった。
リサは、目の前に置かれたイチゴミルクとポッキーをしばらく見つめた。
ほんとは欲しかった。
でも、お茶にした。
たったそれだけのことなのに、マサキには気づかれていた。
嬉しいと思った瞬間、余計に顔が熱くなる。
甘いものを買ってきてくれたことより、自分が我慢したことまで見られていたみたいで、どう反応していいか分からなかった。
それからリサは、困ったみたいに笑った。
◇ ◇
そのときだった。
マサキの目が、リサの手元へ落ちる。
お茶。
まだ半分以上残っている。
リサはイチゴミルクに手を伸ばす前に、一度だけそのペットボトルを見た。
たぶん、残したら悪いと思っている。
そういうところだけは、変に律儀だ。
マサキは無言のまま、そのペットボトルをリサの手からすっと持ち上げた。
「え?」
「……これはオレがもらう」
そう言って、そのままキャップへ口をつける。
ごく、と喉が鳴った。
「……っ」
耳まで真っ赤になって、慌ててマサキを見る。
いま飲んだ。
あたしの、飲みかけ。
間接キス。
しかもマサキくんの方から。
今までだって、似たようなことは何度かあった。
でもそれはいつもリサ側からだった。
『ひとくち飲む?』と差し出したり、半分冗談みたいに押しつけたり。
マサキはそのたびに戸惑いながら、流される形で口をつけていた。
だから、マサキの方から自分の飲みかけを取って飲んだのは、今日が初めてだった。
しかも今、かなり当たり前みたいにやった。
リサの心臓が、一気に跳ね上がる。
「……っ、ぁ……」
声にならない。
声まで裏返りそうになる。
だがマサキ本人は、そこまで大きなこととして扱っていない顔だった。
もちろん意識していないわけじゃない。
飲んだ瞬間、ほんの少しだけ目をそらしていたし、耳も赤い。
マサキは飲み終えると、お茶を机へ戻した。
「なに」
「う、ううん。これ、もらうねー」
完全に顔が赤い。
リサは誤魔化すみたいに慌ててイチゴミルクへ手を伸ばした。
ストローを刺して、そのまま勢いみたいに一口飲む。
「……っ」
冷たい。
それに、すごく甘い。
(甘い……)
さっきまで飲んでいたお茶と全然違う。
舌に残る甘さが、変に心臓の音を強くする。
落ち着くどころか、余計に意識してしまった。
そんなリサを横目に、マサキは目をそらす。
リサは胸を押さえるみたいに息を整えてから、勇気を振り絞るように言った。
「……い、一緒に休憩しよ」
「あぁ」
マサキは頷いたものの、すぐには次の言葉を出さなかった。
さっき、その話をしなかったのは、言う気がなかったからじゃない。
リサを抱き上げたあと、教室中の視線がこっちに集まっていた。
リサも真っ赤になっていたし、周りも変にざわついていて、あの場で落ち着いて話せる空気ではなかった。
だから、あとで続きと言った。
重いと言ったことも、誤魔化すみたいな言い方をしたことも、そのままにしたくなかった。
何をどう言えば伝わるのか分からないまま、マサキは一度だけ目をそらす。
あとで続き、いいか。
さっき自分で言った言葉だけが、頭の中に残っていた。
その言い方がリサにどう聞こえるかまでは、考えが回っていなかった。
「さっきの続き、していいか」
「っ!?」
リサの肩がびくっと揺れた。
続き。
またその単語。
しかも今、休憩時間に。
リサの頭の中に、さっきのお姫様抱っこが一瞬で蘇る。
抱き上げられて、密着して、首へ腕を回して…。
まさか、どこか二人きりになれる場所へ連れていかれるんじゃ。
「っ……?!」
リサはイチゴミルクを握ったまま固まる。
だが次の瞬間。
マサキは何事もない顔で、リサの隣の椅子を引いた。
ギッ。
そのまま普通に座る。
「……ん?」
リサがぱちぱち瞬きをした。
マサキは少し黙る。
自分が思っていたより、ずっと傷つけていた。
何から言えばいいか分からないみたいに、一度目を落としてから口を開く。
「……あの時、『重い』って言ったの」
「……っ」
「べつに、本当に重かったわけじゃない」
リサが息を止める。
マサキは言いづらそうに一度口を閉じた。
「……なんか、その」
言葉が詰まる。
耳が少し赤い。
「背中に乗ったリサを、意識しすぎてた」
「っ」
「……あったかいし」
リサの肩がぴくっと震える。
マサキは目をそらしたまま続けた。
「柔らかいのとか、変に意識して」
「っ!?」
「その……オレがそういうの考えてるのを、誤魔化したくて」
マサキは小さく息を吐いた。
「だから…とっさに、重いって言った」
教室の雑音が遠く感じる。
(意識してた)
柔らかいとか。
あったかいとか。
ちゃんと感じていた。
マサキはそこでようやくリサを見た。
「……悪かった。傷つけたのは、分かってる」
マサキはそこで目を伏せた。
「しかも、そのあとも『テンパってた』とか『気にしてたなら謝る』とか、もっと最悪だった」
あの時の言葉を思い出すだけで、胃の奥が重くなる。
「オレ…リサと並んだ時の身長とか、たまに気になることあるけど」
静かに続ける。
「さっき、リサに『同じくらい』って言われただけで、ちょっと来た」
直接<低い>なんて言われたわけじゃない。
それでも、思ったより引っかかった。
だからこそ、理解してしまった。
「だったら、『重い』ってはっきり言われたリサは、もっと嫌だったと思う」
そこまで聞いた瞬間。
リサはふす、と机へ突っ伏した。
「……リサ?」
マサキが戸惑う。
返事がない。
耳まで真っ赤。
三つ編みの隙間から見える首筋まで赤い。
数秒してから、机に伏せたまま声だけ漏れる。
「重いって言われた時、たしかにショックだった」
責める言い方ではない。
ただ、正直に伝えている。
消えそうな声。
少し間を置いて、リサは顔を伏せたまま続けた。
「でもね……ショックなのはそれとちょっと違ってて」
言葉を探すみたいに、一度止まる。
「マサキくんってさ、前にもあたしを持ち上げたことあったじゃん」
マサキの指先がわずかに動く。
リサはそのまま、ゆっくり言葉を重ねた。
「ゲームセンターのときとか……あと、熱中症で倒れそうになったとき」
机に額をつけたまま、声だけが続く。
「普通に……何も言わないでやってくれたから」
そこで一度、言葉が途切れる。
声が細くなる。
「だから……あたしの中では、軽いんだって思ってた」
そう言った瞬間、リサの肩がわずかに揺れた。
机の上で指を小さく握りしめる。
「でも、重いって言われたとき」
そこで初めて、顔を少しだけ上げる。
耳まで赤いまま、目だけマサキに向ける。
「それって、あのとき全部…無理してただけだったんだなって」
一度、息を吸う。
「ただ……言わなかっただけで」
言いながら、自分の中で記憶が重なっていく。
軽く持ち上げられた感覚。
何も言わなかったマサキの顔。
「ほんとは、気をつかわせてただけだったのかなって思って」
そこで言葉が止まる。
あのときの安心が、別の形に変わっていく。
嬉しかった記憶が、そのまま不安に塗り替えられていくみたいに。
「……あたしだけ、喜んでて」
喉が小さく鳴る。
「マサキくんは無理してて……でも言わないでくれてて」
「それなのにあたし…浮かれて、普通に嬉しかったりしてたから」
息が浅くなる。
「そっちの方が、ショックだった」
マサキはしばらく黙る。
「……」
リサの言葉を、もう一度頭の中でなぞるように繰り返す。
(軽いんだって思ってた)
(無理してただけだったんだなって)
そこまで考えたところで、マサキの目がわずかに揺れる。
「……そっちか」
声が落ちる。
リサを見る。
「ショックだったのは…」
言葉を探すように間が空く。
「今までの方か」
確認というより、ようやく追いついた形。
◇ ◇
マサキはリサを見る。
リサはまだ机の前で、イチゴミルクとポッキーの間に座ったまま固まっている。
耳まで赤い。目も落ち着いていない。
(……考えすぎてる)
そう思ったのが先だった。
マサキは何も言わずに、椅子から立ち上がる。
「……」
そのまま一歩、距離を詰める。
リサが顔を上げるより早く。
マサキは両手をリサの背中と膝の下に入れた。
「え」
リサの声が途中で止まる。
持ち上げる動作は乱暴じゃない。
むしろ、落とさないための最小限の力だけで、すっと浮かせる。
そのまま、もう一度だけ抱き上げる形になる。
「……っ」
リサの身体が一瞬こわばる。
けれど次の瞬間、支えは安定していた。
揺れもほとんどない。
マサキはそのまま数歩だけ歩き出す。
だが向かったのは、教室の中央でも出口でもない。
窓際。
カーテンの内側に身体ごと入るようにして移動する。
外からの視線が一度で切れる位置。
布越しに、教室のざわめきが少し遠くなる。
(……ここなら)
マサキはそこでようやく止まった。
「……」
目だけを少し落とす。
リサの顔が近い。
近い。
いや、抱き上げているのだから近いのは当たり前だ。
当たり前なのに、当たり前として処理できない。
でも、ここで降ろしたら、結局さっきと同じになる気がした。
無理だったから降ろした。
やっぱり重かったから降ろした。
そんなふうに受け取られたら、今やっていることの意味がなくなる。
だから、降ろさない。
少なくとも、リサがもういいと言うまでは。
そう決めたはずなのに、腕の中の距離まではどうにもならなかった。
さっきの『重い』の話も、気をつかわせたかもしれないという誤解も、全部言葉にしない代わりだった。
手の位置だけを静かに整える。
落ちないように。
怖くならないように。
リサは何が起きているのか分からない顔をする。
「……え」
ゆっくり目が動く。
窓際。カーテン。教室のざわめきの輪郭。
そして、自分の体勢。
(あ)
そこでようやく、意味が繋がった。
今、自分はまた抱き上げられている。
わざわざ人目を避けるように、窓際のカーテンの内側に来ている。
(え、これ……)
理解した瞬間。
一気に熱が上がる。
「っ……!」
耳まで赤くなるのが、自分でも分かる。
さっきの比じゃない。
さっきは事故みたいなものだった。
落ちそうになって、助けられて、そういう仕方ない抱っこ。
でも今は違う。
落ち着いた状態で、しかも、わざわざ人目を避けて、もう一度。
(これ……ほんとに<続き>じゃん……!)
リサの喉が鳴る。
顔を上げることもできないまま、目だけが揺れる。
「マ、マサキくん……」
声が出るまでに少し間があった。
でも続きは出ない。
出したら、完全に終わる気がした。
マサキはそこでようやく、短く言う。
「……気にしすぎだ」
説明じゃない。説得でもない。
ただ、事実のように置く一言。
リサが重いせいで無理させたと思っていること、それを否定したくて、言葉で説明するより今の状態をそのまま続けることで示している。
無理はしていない。
気にする必要もない。
だから、降ろさない。
ただそれだけの、不器用な維持だった。
『……気にしすぎだ』
その一言は聞こえているのに、うまく意味にならない。
頭が追いつく前に、別の情報が入ってくる。
マサキの腕。
背中に回っている手が、さっきからずっと同じ場所にある。
支え方が変わらない。迷いもない。
そして、もう一方。
膝の下にある手。
(……あ)
今さら気づく。
思ったより、ちゃんと支えられている。
落とさないように。
怖くないように。
マサキの腕は、さっきからずっと安定していた。
そのことに気づいた瞬間、安心するより先に、別の不安が出てくる。
(……あたし、今めっちゃ汗かいてない?)
文化祭準備で動き回っていた。
さっきだって落ちかけたし、抱き上げられたあとも、ずっと心臓が落ち着いていない。
冷静に考えたら、汗をかいていないわけがなかった。
嫌がられている感じはしない。
マサキの腕も、手も、さっきから変わっていない。
でも、マサキくんは言わないだけかもしれない。
(でも絶対あとで『あいつの足なんか湿ってた』ってなるんだ)
そう考えた瞬間、嬉しかったはずの距離が、急に申し訳なくなってくる。
支えられていることは安心する。
このままでいたい気持ちもある。
けれど、自分だけが甘えているみたいで、だんだん顔を上げられなくなった。
「……あの」
声が少しだけ震える。
「いま、汗やばくて……」
言いながら、自分でちょっとだけ気まずそうに笑う。
でも、ちゃんと伝えないといけない気がした。
「マサキくんの手、汚してると思う……」
声がほとんど消えそうになる。
(やっぱり、迷惑だよね……)
自分の中で勝手に結論が固まりかけて、最後だけ絞り出す。
「無理しなくていいよ」
その言葉を言ったあと、リサは顔を上げられなくなる。
マサキはしばらく、自分の手の感触を確かめるみたいに黙る。
確かに、少しだけ湿っている気はする。
でも不快とか、問題とかとしては捉えていない。
「いや、べつに汗くらいいいけど」
あっさりした声だった。
リサがすぐに首を振る。
「よくないよ、ベタベタするでしょ」
「……」
マサキはほとんど間を置かずに、普通に言う。
「如月のだし、別に平気」
無意識に出た言葉だった。
その瞬間。
リサの思考が一気に止まる。
(え、如月のだしって……)
<汗が平気かどうか>の話じゃない。
<誰のか>の話になっている。
しかも、それが当然みたいに出ている。
(あたしのだから、平気って……)
頭が追いつかないまま、顔だけが一気に熱くなる。
「よ、呼び方、元に戻ってるよ」
声が裏返りかける。
ただ事実としてそう感じただけだったが、わざわざ口に出すと、余計な意味が乗る。
(今のは、言わなくてよかったやつか)
「……」
数秒の間があって、それから短く
「……悪い」
とだけ言って、目をそらした。
◇ ◇
少し空気が落ち着いたあと、教室のざわめきがまた耳に戻ってくる。
休憩の終わりが近いのが分かる頃。
リサが、様子をうかがうみたいに言った。
「そろそろしんどくなってきた?」
マサキは顔を上げて、
「…別に」
即答する。
特別しんどいという感覚はない。
ただ状況として長くなってきたというだけで、まだ問題としては扱っていない。
リサはその返事を聞いて、ちょっと困ったように笑う。
「……あたし、自分からおろしてって言わないよ?」
「じゃあずっとこのままだな」
マサキはそのまま返す。
本気でも冗談でもない、事実確認みたいな言い方。
リサが目を瞬かせる。
「……あたしはいいけど」
声を落としながら続ける。
「休憩終わったら、人いっぱい戻ってくるよ」
その一言で、状況の現実だけが静かに浮かび上がる。
一度だけ間が空く。
「やっぱり、そろそろいいか」
リサはすぐに頷く。
「いいよ」
声も落ち着いている。さっきまでの動揺は少し引いていた。
マサキはもう一度確認するみたいに言う。
「しんどいとかじゃないんだが」
そこで一度言葉が止まる。
本当に、リサが心配したような意味じゃない。
「本当に違うんだが」
自分の中で変な誤解だけは残したくなくて、言い直す。
だが。
いいよ、と言われたはずなのに、マサキはまだ動かなかった。
そのまま数秒。
リサが首をかしげる。
「……マサキくん、気にしすぎ」
静かに出た声は、責めているわけでもなく、少し呆れたような、でもどこか柔らかい響きだった。
さっきマサキが自分に向けた言葉と、きれいに重なる。
『……気にしすぎだ』
あのときのマサキの声。
それをそのまま返すみたいに、リサはもう一度繰り返す。
マサキはそこでようやく、目を瞬かせた。
自分が言った言葉の意味を、今になって自分に返されている。
数秒の間のあと、マサキは短く息を吐いて、
「……お互いな」
それだけ言って、ようやく腕の力を少しだけ緩めた。
挿絵はAI生成。
SDで生成、GPTで編集しています。





