文化祭準備 中編 ~みんな気づいている3~’
文化祭準備も終盤に入り、教室の景色は最初の頃とはかなり変わっていた。
ただ机を端へ寄せただけだった空間には、班ごとに作った装飾や展示物が少しずつ運び込まれ始めている。
壁際には段ボールで作られた看板。
窓には色紙の装飾。
後ろにはまだ途中の大道具。
雑然としているのに、どこか<形になってきている>空気があった。
「これ、どこ付けるー?」
「そこ高くしたほうが映えない?」
教室のあちこちで声が飛び交う。
そんな中、リサは両手いっぱいに花飾りを抱えながら、教室後ろの壁を見上げていた。
手に持っているのは、装飾班が作ったフラワーペーパーだった。
ただ丸めただけの紙花ではない。
近くで見るほど手間が分かる作りだった。
教室後ろの机には、完成した花飾りがいくつも並べられている。
マサキはその前で足を止め、一つを手に取った。
軽い。
なのに、見た目はしっかりしていた。
花弁は細かく重なり合い、中心へ向かうほど色が淡く変化している。
モールを使った中央部分は花粉みたいに見えて、光が当たると細かく反射した。
さらに形を保つためのスプレーが軽く吹かれているせいで、表面がほんのりきらきらしている。
(これ、ほんとに紙か?)
マサキは思わずもう一度見直す。
文化祭の装飾なんてもっと雑なものを想像していたのに、机に並ぶ花はどれも完成度が高かった。
そのとき、教室の前の方から声が聞こえた。
「脚立そっち使ってるー?」
「まだー!」
リサはそのやり取りを聞くと、壁の上を見上げた。
それから何も言わず、近くにあった椅子を片手で持ち上げる。
ガタッ、と床を滑る音。
長い髪が肩で揺れて、抱えた花飾りがふわりと揺れた。
マサキはその音で目を向ける。
リサは窓際の壁へ向かって、椅子を運んでいた。
片手には花飾り。
もう片方の手で椅子を引きながら歩いている。
文化祭準備で騒がしい教室の中でも、その姿だけ妙に目に入る。
ジャージ越しでも分かるくらい脚はすらりと長く、動くたびに、ゆるく結ばれた三つ編みが背中で揺れる。
そのラフさがかえって可愛いかった。
見た人の目を自然に持っていく感じだった。
マサキは一度だけ目を向ける。
そのまま元の作業へ戻ろうとして、少しだけ手が止まった。
リサは椅子を壁際へ置き、片手に花飾りを抱えたまま位置を確認している。
(……一人でやるのか)
脚立ならまだいい。
でも椅子だ。
文化祭準備で床には道具や紙くずも散っていて、ぶつかれば普通に危ない。
マサキは眉をひそめる。
気づけば、手を止めてそちらへ歩いていた。
リサはまだこちらに気づいていない。
壁を見上げながら、花飾りの位置を考えている。
マサキはその横まで来てから、ようやく声をかけた。
「……代わるか?」
声をかけると、リサは椅子へ手をかけたまま振り返った。
「ありがとー。でも花の向きとか拘りあるから、あたしやりたいの」
その言い方は柔らかい。
断っているのに、どこか嬉しそうでもある。
マサキは少しだけ口を閉じた。
確かに、リサたちが作った装飾は細かい部分までかなり作り込まれていた。
花弁の開き方や重なり方も、一つずつ微妙に違う。
適当に貼ると、たぶん雰囲気が崩れる。
「……なら、気をつけろ」
「うん、ありがとー」
リサは小さく笑って頷いた。
そのまま片手に花飾りを持ち、もう片方の手を壁へ添えながら椅子へ上がる。
マサキは作業へ戻りかけて、結局そのまま目を残した。
別に信用してないわけじゃない。
椅子に乗って作業するだけなら、そこまで危険だとは思っていなかった。
……思っていたのだが。
リサは見た目ほど運動が得意なタイプではない。
そのうえ今は、片手に花飾りを持ったまま椅子の上だ。
マサキはだんだん落ち着かなくなってくる。
そして。
椅子の上で、リサが背伸びをした瞬間。
マサキの眉がぴくりと動いた。
「んっ……」
指先を伸ばして、壁の上の方へ花を合わせる。
脚立なら届く高さだ。
だが椅子だと、ほんの少しだけ足りない。
椅子の上で背伸び。
その不安定な体勢を見た瞬間、マサキは反射的に足を動かしていた。
(それは危な…)
その直後だった。
花を貼ろうとして、リサがぐっと腕へ力を込める。
その反動で、身体が不自然に傾いた。
「あ」
椅子の脚がわずかに鳴る。
リサは咄嗟に足を動かした。
だが、踏み出した位置が悪かった。
足先が椅子から外れる。
「っ」
リサは思わず目を閉じた。
次の瞬間。
マサキは落ちてきた身体を、両腕で受け止める。
「うっ……」
落下の衝撃は思ったより重い。
さすがのマサキも一歩ふらつく。
倒れないように、とっさにリサを自分側へ引き寄せる。
結果として、完全なお姫様抱っこの形になった。
教室の空気が、一瞬だけ止まる。
「……大丈夫か」
マサキが低く確認する。
リサは数秒遅れて、はっと目を開けた。
至近距離。
マサキの腕。
持ち上げられている身体。
その瞬間。
頭の奥に、あの言葉が蘇る。
『重い』
リサの顔色が変わった。
「ま、待って……だめ!」
突然、リサがマサキの腕から逃げようと身を乗り出す。
「っ、おい」
マサキは反射的に抱え直した。
落としたら危ない。
その意識が先に来る。
暴れるリサを支えようとして、マサキの手が強く動いた。
むに、と柔らかい感触が掌へ沈む。
「……っ!」
リサの喉から、短い吐息が漏れた。
咄嗟のことに加減が効かず、リサの白いTシャツの生地越しの胸に、マサキの指先が容赦なく食い込んでいる。
リサの胸は完全にマサキの手によってその形を変えられていた。
(まずい……)
頭の中で警鐘が鳴る。
だがここで離した方が危険だった。
リサは今にもバランスを崩しそうになっている。
そのままマサキはリサを抱えたまま、その場へしゃがみ込んだ。
床へ近づけることで、落下の危険を消す。
咄嗟に胸を押さえていた手も、ようやく力を抜く。
マサキは息を詰めたまま、慎重にその位置を戻した。
片腕をリサの背中へ。
もう片方は、太ももの裏へ差し込まれたまま。
本来のお姫様抱っこの形に戻しながら、マサキはようやく小さく息を吐いた。
リサの身体は、まだ少し強張っている。
落下しかけた恐怖と、突然の接触と、いろんな感情が一気に来たのだろう。
解放されたリサの胸元には、マサキが強く掴んでいた痕跡が、Tシャツの皺となって生々しく残っている。
(最悪だ……)
だが、それ以上に先に来るのは別の感情だった。
落ちなくてよかった。
怪我してなくてよかった。
それだけだった。
◇
「……なに」
マサキはまだ少し息を乱したまま聞き返した。
腕の中では、リサの身体がこわばっている。
リサは目を揺らしたあと、小さく唇を動かす。
「いや、あたし……重いから」
その一言で、マサキの動きが止まった。
「……べつに重くない」
反射みたいに返す。
だがリサは、困ったように眉を下げた。
「うそ、重いって言ったじゃん」
「……言ったか?」
聞き返した瞬間、リサが少しだけ目を上げる。
「あたしがマサキくんの背中に乗った時に言った」
「……」
マサキの思考が止まる。
(言った)
思い出した瞬間、胃の奥が重く沈んだ。
あの時、マサキの背中にはリサのお尻の感触しかなかった。
あたたかい。
柔らかい。
そんな感覚ばかり頭を回って、変に意識してしまって。
実際にはそこまで重かったわけじゃない。
むしろマサキの中では、<重い>より先に別の感覚ばかりが残っていた。
背中へ伝わる体温とか、柔らかさとか。
自分がそれを意識してしまっているのを、誤魔化したかった。
だから反射みたいに、<重い>なんて言葉が口から出た。
でも。
言われた側には、そんな事情は関係ない。
マサキは目をそらしかけて、結局そらせなかった。
「……あれは、オレもテンパってたから」
少しだけ喉が詰まる。
「気にしてたんなら、謝る」
言ったあと、自分で最悪だと思った。
『気にしてたんなら』ってなんだ。
重いって言われて、気にしないわけがない。
リサはマサキの腕の中で、小さく首を振る。
「いいよ。謝らなくて。重いのは事実だもん」
その言い方が、余計に刺さった。
マサキは反射的に言い返す。
「重くない」
「重くないわけないよね。あたしとマサキくん、身長ほぼ同じなんだから」
「……」
その瞬間、マサキの胸に別の痛みが引っかかった。
身長。
マサキの身長は、別に低いわけじゃない。
むしろ平均よりは少し高いくらいだ。
だから普段、自分の身長を気にしたことなんてほとんどない。
ただ、リサと並んだ時だけは別だった。
目の高さが近い。
横へ立った時の距離感も近い。
普通の男女のように、頭ひとつ小さいみたいな関係ではない。
それが嫌というわけじゃないのに、なぜか時々意識に引っかかる。
周囲から見てどう映るのかとか。
隣に並んだ時のバランスとか。
別にリサは悪気なんてない。
実際、ほぼ同じなのは事実だ。
それでも。
「……オレの方が少し高い」
静かに返す。
見栄ではなかった。
本当に少しだけ、マサキの方が高い事実。
リサはそんなマサキを見上げて、少し困ったように笑った。
「そうだけど、同じくらいだよね」
柔らかい声。
そのあと、リサは少しだけ目を落として続ける。
「普通に考えて、抱き上げるの無理してるでしょ」
だからこそ、マサキは余計に理解してしまった。
直接<低い>とは言われていない。
でも、思ったより胸に来る。
だったら。
『重い』とはっきり言われたリサは、どうだった。
マサキの喉が詰まる。
(最低だ……オレ)
今さらだった。
『テンパってたから』
『気にしてたんなら謝る』
そんなので済むわけがない。
マサキは腕の中のリサを見る。
リサはまだ少し不安そうにこちらを見ていた。
落ちた恐怖より。
抱き上げられていることより。
重いと思われてるかもしれないことを気にしている。
その事実が、マサキの胸を締めつけた。
そしてマサキは、ふと気づく。
降ろせない。
今ここで腕を離したら。
それが<やっぱり重いから降ろした>みたいに見える気がした。
そんなつもりじゃないのに。
でもリサは、きっと気にする。
マサキは小さく息を吐く。
「……もう少し、このままでいいか」
「えっ」
リサの目が丸くなる。
マサキ自身、言ってから少し驚いていた。
でも、今は降ろしたくなかった。
リサは戸惑ったように目を揺らす。
「マサキくんが無理してないなら……いいけど」
そこまで言ってから、ふと周囲を見る。
教室に残っていたクラスメイトたちが、妙に静かだった。
文化祭準備の手を止め、なんとも言えない顔でこちらを見ている。
お姫様抱っこ。
しかもかなり密着した状態。
リサは少しだけ頬を赤くした。
リサは、少しでもマサキの腕に負担がかからないようにするみたいに、細い腕をマサキの首へ回していた。
落ちないためでもある。
でもそれ以上に、<重いと思われたくない>のが伝わってくる抱きつき方だった。
本当は、このままでいたかった。
せっかくマサキの方から「このまま」と言ってくれたから。
でも。
今のマサキは、教室の真ん中で自分を抱えたまま、完全に目を集めている。
人に見られるのが苦手なマサキにとって、かなりしんどい状況なはずだ。
だからリサは、少し迷ってから口を開く。
「……でも、みんな見てるよ?それは平気なの?」
どこか控えめな声。
終わらせたくない気持ちを隠しながら、それでもマサキを気遣う言い方だった。
マサキもそこでようやく周囲の目を思い出す。
数人の男子と目が合った。
「……」
「……」
気まずい沈黙。
しかも今のマサキは、教室の真ん中でリサを抱き上げたままの状態だ。
注目を集めるなんてレベルじゃない。
マサキは一気に居心地の悪さを思い出す。
(……無理だ)
さっきまで頭にあった降ろしたらどう思うかより先に、この状況に耐えられないが勝った。
マサキは観念したみたいに息を吐く。
「悪い……やっぱ降ろす」
リサは少しだけ名残惜しそうに目を伏せた。
「……うん」
マサキは慎重に、ゆっくりとリサを床へ降ろした。
乱暴にならないように。
足をぶつけないように。
最後は、ふわっと立たせるように。
リサの靴裏が床へ触れる。
それでもリサはすぐには離れなかった。
マサキの腕を、少しだけ掴んだまま。
その指先が、ほんの少し震えていた。
マサキは、自分を掴んだままのリサを見た。
さっきの言葉を、たぶんまだ気にしている。
マサキは一度だけ口を開きかけて、閉じる。
教室の中だ。
周囲もいる。
今ここで説明しても、たぶんうまく言えない。
少し迷ってから、マサキは小さく言った。
「……あとで続き、いいか」
「……え」
リサの思考が一瞬止まる。
『続き』。
その単語が、頭の中で別の意味へ変換された。
さっきまでのお姫様抱っこ。
密着した距離。
首へ回した腕。
『もう少しこのままでいいか』
そこからの、『続き』。
「………っ!?」
一気に顔へ熱が集まる。
耳まで真っ赤になりながら、リサは慌てて目をそらした。
マサキはそんな反応の意味が分からないまま、少し首を傾げる。
リサは胸元を押さえるみたいに小さく手を握ってから、しどろもどろに答えた。
「い、いいよ……っ」
「……?」
マサキはますます分からなくなった。
なんでそんなに赤いんだ。
そんな疑問だけを残したまま、文化祭準備のざわめきが、少しずつ教室へ戻っていった。





