8. 新学期 ~イヤホンを片耳だけ外してみた~
翌朝。
教室のドアの前で、マサキは一瞬だけ足を止めた。
自分の耳に触れる。
イヤホン。
昨日、リサに「ずっとイヤホンしてたから話しかけられなかった」と言われた。
それが、妙に引っかかっていた。
別に責められたわけじゃない。むしろ気を遣われていた。
(……じゃあ、外せばいいのか)
そう結論づけて、今朝は片耳だけイヤホンを外してきた。
完全に外すのは落ち着かない。だから片方だけ。
中途半端で、意味があるのかも分からない行動。
(……何やってんだオレ)
自分でそう思う。
リサを意識してるみたいで、正直、恥ずかしい。
情けない、とも思う。
でも同時に――
(これで、話しかけられたら……)
ほんの少しだけ、期待している自分もいる。
その事実が一番嫌だった。
(……別に、いつも通りだ)
そう自分に言い聞かせてから、扉を開ける。
中はまだ朝特有のざわつきが残っていた。机の音、笑い声、窓からの光。昨日と同じはずの空気なのに、なぜか少しだけ違って感じる。
理由は分かっている。
(……いるかどうか、確認してる時点で終わってる)
視線が、勝手に動く。
(まだ来てな――)
その瞬間。
「松前くん、おはよー」
明るい声。
その一瞬、やけに声がはっきり届いた。
いつもなら片耳に流れている音楽越しに、少し薄まって聞こえるはずの声。
でも今日は違う。
何も挟んでいない。
マサキは一拍遅れて、その事実に気づく。
イヤホンがない。
ただそれだけなのに、世界の距離が急に縮まったみたいだった。
リサの声が、やけに近い。やけに鮮明だ。
いつもより少しだけ明るくて、少しだけ柔らかいその音が、逃げ場なく耳の奥に残る。
後ろにリサがいた。
いつも通りの整った顔。
「……お、おはよう」
マサキの声は昨日より少しだけ自然だった。
リサはそれを聞いて、ご満悦だ。
挨拶だけだと、席に向かおうとしたマサキの袖が、軽く引かれた。
「ねえ」
「……な、なんですか」
マサキの声が少しだけ固くなる。
リサはその反応に気づいているのかいないのか、指先で軽く袖をつまんだまま、視線だけを上げた。
「今日のお昼、一緒に食べよ」
「……え?」
マサキは一瞬、意味が分からず固まる。
昨日、マサキは1人で食べていた。クラス替えがあってまだ2日目、教室の中にはまだそういった生徒が数人いたわけだが。
(クラス替え直後のぼっち救済枠か?)
その可能性が浮かんだ瞬間、妙にしっくりきてしまうのが嫌だった。
クラス替え直後の微妙な空気。
一人で食べている人間への"なんとなくの配慮"。
リサの行動は、そう説明すれば確かに自然だった。
「いや、無理…」
言い切った瞬間、空気がほんの少しだけ止まった。
リサのまばたきが一度ゆっくり落ちる。
「……え」
今度の"え"は、さっきよりも温度が低い。
マサキはそこでようやく、自分の言い方がズレていたことに気づく。
喉がひくりと動く。
「いや、その」
リサは袖をつまんでいた手をすでに離している。
ただ、その手は少しだけ宙に浮いたまま落ち着いていない。
マサキは慌てて続けた。
「大人数で食べるの無理で……」
言った瞬間、自分でもさらに誤解を生みそうだと気づく。
「如月さんがイヤとかではなく…」
言葉が散らばる。
リサはしばらく黙って聞いていた。
それから、小さく首を傾ける。
「大人数?」
その一言だけ、静かに返す。
リサの視線が教室の奥に向く。
そこには、いつもの数人のグループが談笑している。
すぐに視線が戻ってくる。
「あ、なるほど。そういうことか。ごめん、説明不足で。あたしと2人で食べよって言ったの」
マサキはそこで固まる。
「……え?」
今度は自分の番だった。
「イヤじゃないんだよね、良かった。じゃあ一緒に食べよ。松前くんは今日もお弁当?」
あまりにも自然すぎる流れ。
まるで"それが当然だった"みたいな口調だった。
マサキは反射的に頷きかけて、そこで止まる。
(……いや、待て)
頭の中で警報みたいなものが鳴る。
今のグループの空気。
まだ固まりきってないクラスの人間関係。
その中で"美人で人気者の女子"と"目立たない陰キャ男子"が二人で昼を食べる。
(それ、普通に浮くやつ……)
マサキの視線が無意識に教室の奥へ逃げる。
さっきリサが見ていたグループが、ちらっとこっちを見ている気がする。
(これ絶対変な空気になるやつだろ)
リサはそんなマサキの思考を知らないまま、軽く首を傾ける。
「ねぇ、お弁当かて聞いてるんだが」
「……うん」
答えながらも、頭の中は別の方向で回っている。
(これ、断ったほうがいいよな……?)
でもイヤじゃないと答えてしまった。
今さら引き返す理由も見つからない。
喉が少し乾く。
「その……グループ、急に抜けていいの…?」
「……あー」
短く漏れて、あっさりとした口調で続けた。
「いーのいーの、気にしないで。なんか勝手に集まっただけで、一緒に食べる約束とかしてないから」
マサキは固まる。
(そういうものなのか……?)
リサはその反応を見て、少しだけ苦笑する。
「ていうかさ」
少しだけ声の音量を下げて続ける。
「あたし、ご飯は静かに食べたいんだよね」
その言い方は軽いのに、妙に本音っぽかった。
マサキは一瞬、言葉を失う。
でも、逆にその理由は否定できなかった。
騒がしい中で食べるのが嫌とか、会話に気を遣いながら箸を動かす感じとか。
(この子はオレと真逆のタイプだから、そういう側の人間には見えないけど…)
マサキは視線を落としたまま、短く答える。
「……分かった」
リサはぱっと明るく笑う。
「やったー」
それだけ言って、自分の席に戻っていく。
その背中を見ながら、マサキは一人で思う。
(断った方がよかったのか、それも分からない)
◇ ◇
昼休み。
マサキは弁当を机の上に置いたまま、少しだけ周囲を見る。
いつも通りの光景。
一人で食べている生徒、グループで騒ぐ生徒、スマホを見ている生徒。
ただ、今日は少しだけ違う。
「お待たせー」
声と一緒に、リサが当然みたいな顔で現れた。
手にはオレンジ色の巾着。
迷いのない足取りで、まっすぐ向かってくる。
マサキの向かいの席の椅子を引いて、そのまま座る。
金具が机に軽く当たって、小さく音が鳴った。
距離が一気に縮まる。
机一枚分しかない空間。
(……近い)
リサは気にした様子もなく、巾着の結び目をほどく。
指先の動きがやけに滑らかで、結び目が一度で解ける。
中から出てくる弁当箱。
蓋を開けた瞬間、色が一気に揃う。
白米の上に小さなごま。
赤、黄、緑がきっちり分かれたおかずの配置。
エビフライの衣の角が崩れていない。
唐揚げは同じ大きさで並んでいる。
焼き鮭の皮だけが少し光っている。
"詰められている"というより、並べられているに近い整い方だった。
「いただきまーす」
ぱん、と小さく手を合わせる。
その仕草がやけに丁寧で、少しだけ目を奪われる。
(あ、挨拶…また言われるな)
マサキも遅れて手を合わせる。
「……いただきます」
声が少しだけ小さい。
その間にも、リサは箸を取る。
箸先が一度も迷わず、最初にエビフライへ向かう。
口に運ぶとき、顎の角度がほんの少しだけ上がる。
髪が肩から落ちて、耳の横に少し残る。
咀嚼しているだけなのに、動きに無駄がない。
食べるというより、ちゃんと整った動作を繰り返している感じに近い。
たまに顔を上げると、目がまっすぐこちらに向く。
その瞬間だけ、距離がさらに近く感じられる。
普段は明るく笑っているリサが、今は少しだけ落ち着いている。
(……こうしてると大人っぽいな)
マサキはそんなことを思いながら、自分の弁当を開ける。
いつも通りの中身。見慣れた配置。
でも、向かいに人がいるだけで妙に意識が持っていかれる。
箸を持つ手が、少しだけぎこちない。
静か。
会話が途切れているのに、気まずくない。
(……ほんとに、一緒に食べる気なんだな)
マサキは少しだけ安心する。
(緊張してるのに……なんか、楽……いや違う気もする)
思った瞬間、自分で少しだけ驚く。
(……楽、ってなんだよ)
自分で思ったくせに、納得がいかない。
人と向かい合って飯を食っているのに、気を遣っていないわけじゃないのに、妙に息が詰まらない。
カチ、と小さく箸が当たる音がする。
リサはゆっくりとしたペースで食べていた。
その距離感が――妙にちょうどいい。
(……なんなんだよ、これ)
マサキは卵焼きを口に運びながら、落ち着かないまま考える。
静かなのに、居心地が悪くない。
そのとき。
「ね」
不意に、リサが声を出した。
びく、と反応が遅れる。
「……はい?」
思ったより近い距離で声が返ってきて、少しだけ目が合う。
リサは箸を持ったまま、軽く首を傾けた。
「今日ちょっと多めに作っちゃってさ。一人じゃ食べきれないから貰ってくれない?」
さらっと言う。
でも、その言葉に――
マサキの視線が、ほんのわずかに変わる。
「……作った?」
ぽつり、と確認する。
リサはきょとんとしてから、
「え、うん。あたし作ってきた」
当たり前みたいに答える。
けれどその一言が、引っかかる。
マサキは少しだけ黙る。
「……いいのか」
緊張で、いつもよりほんの少しだけ声が低い。
間を置かずに返ってくる。
「むしろ食べてほしいって言ってるの」
断る理由を考えようとして、出てこない。
むしろ。
(可愛い女の子の手作りを断る理由がない)
そんな考えが浮かぶ。
「……じゃあ、もらう」
小さく言う。
その瞬間、リサの表情がぱっと明るくなる。
「ほんと?よかった」
嬉しそうに笑う。
その顔を見て、マサキは視線を逸らした。
(……そんなに嬉しいことか)
リサはスッとマサキの前にお弁当を差し出す。
(女の子の弁当……)
妙に意識してしまう。
綺麗に詰められたおかず。
(……レベル高っか)
一瞬、変なところで引く。
リサはそんなこと気にしていない様子で、
「どれでもいいよー、好きなの取って」
軽く言う。
マサキは少しだけ迷ってから、箸を伸ばす。
一番取って良さそうな数が入っているのは――エビフライ。
しっぽは綺麗に取ってあり、一口で食べやすそうな程よい大きさだ。
そっとつまむ。
口に運ぶ。
衣のサクッとした音。
少し遅れて、エビの食感。
「……うま」
一瞬間があって、自分でも言ったと気づく。
リサはそれを見て、満足そうに笑った。
「えへへ」
その声が、妙に近い。
マサキはもぐもぐと咀嚼しながら、
(冷めてるのにサクサク感がすごい…めちゃくちゃうまい)
感心する。
リサの目が、少しだけ細くなる。
マサキの口から、つい
「……如月さん、料理できるんだね」
ぽつり、と出る。
「え、できなさそうに見えた?」
軽い調子。
「見えるとか、見えないとかじゃなくて…なんか……」
そこで、一瞬だけ詰まる。
けど、変にごまかすのも違う気がして。
「ここまで完璧な人間が、いるんだなって…」
そのまま出す。
リサの箸が、ぴたりと止まった。
「……え」
小さく漏れる。
じわ、と。
リサの頬に、ほんのり色が乗る。
「いやいや、別に完璧じゃないし。全然抜けてるとこあるし……そ、そういうこと…さらっと言うのやめてもろて」
目の前のリサを見る。
さっきまでより、落ち着きがない。
箸を持つ手も、ほんのわずかに動きがぎこちない。
(……なんか、変なこと言ったか)
リサは少しだけ頬の熱を誤魔化すように、お弁当の方へ視線を落として、
「……も、もう一個どうぞ」
おかずをマサキに差し出す。
「いいのか?」
「う、うん。お口に合うなら、どんどん食べてほしい」
少しだけ噛み気味のその言葉に、マサキはほんの一瞬だけ目を上げる。
「……じゃあ、遠慮なく」
そう言って、今度はから揚げに箸を伸ばす。
(……なんでオレなんだ)
ふと、思考が戻ってくる。
目の前にあるのは、手作りの弁当。
それを、当たり前みたいに分けてくる女子。
(しかも如月理沙…)
高校生で読者モデルとして活躍し、学校でも目立つ存在。
笑ってるだけで周りに人が集まるタイプ。
(こんなの……普通、もっと別のやつに行くだろ)
自然と、教室の空気を意識する。
視線を上げる勇気はないけど、分かる。
(見られてるな、これ)
小さく、ひそひそとした気配。
聞こえてないのに、言われてる感じだけ分かる。
「え、普通にありえなくない?」
「なんで松前なんだよ…」
「如月さんてあんな感じの人だっけ?」
ぴく、と。
箸を持つ手が、ほんの一瞬だけ止まる。
(……やっぱそう見えるよな)
さらに、別の方向から。
「どうする?あの弁当、如月さんの手作りとかだったら」
「さすがにそれはずるいだろ」
「オレだって食べたいのに」
頭の中で、言葉が続く。
(この子モテるんだし……これ食べたい男子なんて、山ほどいるだろ)
なのに、なんでオレなんだ。
理由が分からない。
分からないまま、から揚げを口に入れる。
「……うまい」
今度は少し小さめの声。
でも、ちゃんと味は感じている。
リサは向かいで、ほっとしたように小さく息をついた。
マサキが食べているのを確かめてから、自分の箸を動かし始める。
(あー、やっぱそうなるよね)
さっきから、周りの空気が変わっているのは気づいている。
完全に聞こえるわけじゃない。
けど、断片的に耳に入る。
「如月さんて、なんで松前にだけあんな感じなんだ」
「もともと知り合いなんじゃないか?」
(……予想はしてたけど)
実際に空気として感じると、少しだけ気まずい。
でも。
ちらっと視線を上げる。
向かいのマサキは――
「……」
相変わらず、静かに食べている。
周りの声に対して、あえて反応していない、みたいな距離感。
(……気づいてるよね、これ)
なのに、何も言わない。
無理に話題を変えるでもなく、落ち着かなくなるでもなく。
ただ、普通に食べてる。
(まわりに流されない人だとは思ってたけど、さすがだなぁ)
騒がしい教室。
ひそひそとした声。
明らかに向けられている視線。
その中で、何も変えずに普通に箸を動かしている。
無理に無視してる感じでもなくて、かといって気にしてる様子もなくて。
ただ、"自分のペース"を崩していない。
(……やっぱ、かっこいいなぁ)
思わずニヤけてしまう。
――しまった、と思ったときには遅い。
口元がゆるんでる自覚が、じわっとくる。
(……いや今のは普通にキモい)
その様子に気づいたマサキは、ほんの少しだけ眉を寄せる。
箸を止めるほどじゃない。
けど、視線が一瞬だけ上がる。
「……」
言いかけて、やめる。
(なんだ今の…)
さっきまで普通だったのに。
急に、ニヤけて。
しかも――明らかに、こっち見て。
(……いや、怖)
頭の中で、率直すぎる感想が出る。
もう一度、ちらっと見る。
リサは何事もなかったみたいに弁当を見ている。
でも、ほんの少しだけ耳が赤い。
(……気のせいか)
判断に迷う。
変に聞くのも違う気がするし、かといって放置するのも、なんか引っかかる。
結局。
「……なに?」
ぽつり、と聞く。
リサの肩が、びくっと小さく揺れる。
「え、なにが?」
明らかにとぼけてる声。
マサキは少しだけ間を置いてから、
「さっき、笑ってたけど」
そのまま言う。
逃がさない言い方でもなく、ただ事実を確認するみたいなトーン。
リサは固まって、
「いや…た、楽しいなって」
マサキはその様子を見て、
「……そう」
それ以上は追及しない。
けど、完全に納得したわけでもない顔。
空気をごまかすように、リサが無理やり話題を引っ張る。
「そ、それよりさ。焼き鮭も食べる?」
ほんの少しだけ強引に、お弁当を寄せる。
マサキはそれを見てから、
「……もらう」
あっさり答える。
その反応がいつも通りすぎて、少しだけ空気が戻る。
マサキは焼き鮭を口に運ぶ。
もぐ、と咀嚼してから、
「……これも、うまい」
ぽつりと言う。
その一言に、今度はニヤけないように気をつけながら、リサは小さく笑った。
マサキはふと口を開いた。
「……なんで自分で弁当作ってるんだ?親は?」
ぼそっとした疑問。
リサの手が、ほんの少しだけ止まる。
「あー……」
視線を逸らしてから、
「一緒に住んでない」
さらっと答えた。
「……え?」
マサキの動きが止まる。
その反応に、リサは少しだけ苦笑する。
「複雑な家庭環境じゃないよ?ニューヨークで仕事してるの。たまに帰ってくる」
少しだけ間を置いて、
「一人暮らしなんだー」
その言い方は、あくまで軽い。
でも――
マサキの中で、なにかが引っかかった。
(……一人暮らし)
視線が、弁当に落ちる。
綺麗に詰められたおかず。
自分で作ってると言っていた、その言葉。
(……全部、自分でやってるのか)
そして、いつものリサがふと浮かぶ。
明るくて、よく笑って、誰とでも自然に話して。
クラスの中心にいて。
(……恵まれてるやつだと思ってた)
なにも困ってなくて。
なにも足りてなくて。
そういう世界の人間だと、勝手に決めつけていた。
なのに。
「……それって」
言葉が少しだけ重くなる。
「寂しくないのか?」
リサは一瞬だけ、きょとんとする。
そのあと。
ふっと、笑った。
「寂しいに決まってるでしょ」
あっさり。
少しも誤魔化さない言い方。
「……」
マサキはその言葉を聞いても、すぐには何も返さなかった。
ただ一度だけ、視線を落とす。
(……寂しいに決まってる、か)
思ったより、軽く流せない言葉だった。
今までのリサの印象が、少しだけずれる。
当たり前みたいに、明るいと思ってた。
楽しそうにしてるのが"普通"だと思ってた。
(でも、違うのか)
一人で飯を作って、一人で食って、親がいない生活をしてる。
それを普通の顔で言う。
(……それ、普通じゃないだろ)
でもリサは、それを"特別な話"としては扱っていない。
そこが一番、引っかかる。
言葉が喉まで出かかる。
けど、出ない。
ほんの少しだけ、視線が下がる。
「……そうか」
出てきたのは、それだけだった。
うまく言えない。
何を言えばいいのか分からない。
あれ以上は、聞かない方がいい気がした。
理由はうまく言えない。
リサはたぶん、話せばちゃんと話せる人間だ。
冗談みたいに見えても、ちゃんと返ってくる。
でもそれは同時に、踏み込んだ分だけ、そのまま距離が変わるってことでもある。
(そこまで、まだ行ってない)
できる・できないの話じゃない。
自信がある・ないでもない。
単純に、まだその位置じゃない。
聞けば答えてくれる気がする。
でもそれは、"聞いた側の責任"も一緒に増えるやつだ。
(今のオレがそれ、持てる距離じゃない)
理解したふりをするのも違う。
分かったつもりになるのも違う。
この距離でそれをやると、全部ズレる。
リサは今、軽く笑っている。
だからこそ――余計に、壊したくない気がした。
リサはすぐに視線を戻して、いつもの調子に切り替える。
「でも一人暮らしめっちゃ楽しいよー、羨ましいでしょ」
にこっと笑う。
その笑顔が、少しだけ急いでいる気がした。
「……無理すんなよ」
ぽつりと落とす。
リサが驚いて
「……え」
一瞬だけ、言葉を失う。
図星を突かれたときの、あの感じがにじむ。
でもそれを、責めるでもなく、同情するでもなく、ただ"そのまま言っただけ"みたいな言い方で。
視線を少しだけ逸らす。
「……無理してないよ」
反射的に出る、軽い否定。
でも、自分で分かる。
少しだけ、声が弱い。
マサキは小さく息を吐く。
本当は、こういうとき。
「大変だったね」とか、
「寂しかったよな」とか、
そういうことを言うんだろうな、とは分かっていた。
でもマサキには、その"大変さ"が分からない。
親が遠く離れた場所にいて、
一人暮らしみたいな生活をして、
それでも普通に笑っている。
その重さを、自分は知らない。
知らないのに、分かったみたいに言うのは違う気がした。
だから結局、出たのは、
「……そうか」
その一言だけだった。
それ以上は踏み込まない。
慰めもしない。
質問もしない。
リサは少しだけ引っかかる。
今までなら、
「大変そう」とか、
「可哀想」とか、
そういう言葉が続いていた。
マサキがそれ以上来ないのは、『喋るの苦手』だから?
一瞬、そう思う。
けど。
さっきのやり取りを思い返す。
寂しいかどうか、ちゃんと聞いてきた。
無理してるかも、ちゃんと気づいてた。
(……言うことは言うんだよね)
じゃあ、なんで今は何も言わないのか。
少しだけ視線を上げる。
マサキは変わらず、普通に弁当を食べている。
変に慰めようとしてる感じがない。
"分からないことを、分かったふりしてない"感じだけが残る。
(……変な感じする)
胸の奥が少しだけ熱くなる。
楽しい会話をしてるわけでもない。
盛り上げてくれるわけでもない。
なのに。
変に気を使わなくていい感じと、
変に見透かされてる感じが、
ちょうど混ざってる。
それが、妙に落ち着いた。
◇ ◇
弁当は、いつの間にか空になっていた。
最後の一口を飲み込んで、リサは小さく息をつく。
「ごちそうさまー」
「…ごちそうさま」
マサキがボソリ。
そのやり取りが終わったあと、ふっと会話が途切れる。
(……終わった)
目の前でリサがお弁当箱をしまい、オレンジの巾着をきゅっと絞る。
(これで終わりか)
そう考えかけたとき。
「……ねえ」
声がかかる。
顔を上げると、リサが少しだけ視線を逸らしていた。
「……あのさ」
言いかけて、止まる。
リサは一瞬だけ黙ってから、
「連絡先、交換しない?」




