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距離感ゼロの如月さんと自己評価ゼロのオレ  作者: 空色いろはに
新学期 編

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8/110

新学期 ~罰ゲームだと思った帰り道2~’

「松前くんには、罰ゲームにしか見えなかったんだ」


 視線が、まっすぐ向けられる。


(違う……いや、でも……)


 言い訳が頭に浮かんでは消える。

 何を言っても、言い逃れにしかならない気がした。


 自分が傷つけたのは分かった。

 けれど、どう直せばいいのかが分からない。


 罰ゲームだと決めつけた。

 でも、一緒に帰れたことまで嫌だったわけじゃない。


(違う、けど……じゃあなんだ)


 自分でも分かってない。

 だから余計に、何も言えない。

 頭がうまく回らない。


 それでも。

 何か言わないといけないのに、まともな言葉が出てこない。


「罰ゲームだとしても、嬉しかったから」


 リサは何か言い返そうとしていたのか、唇をきゅっと結んだ。

 けれど次の瞬間、その表情が止まる。


 リサの肩がビクッと動いたかと思うと、一気に顔が真っ赤に染まった。


「……はぇ?」


 小さく漏れた声は、さっきまでの強さが嘘みたいに弱かった。

 マサキはそこで、自分の言葉をようやく理解する。


(……いや、待て)


 言ってることがおかしい。

 というか、完全にアウト寄りだ。


 リサは一歩、近づく。

 さっきより、さらに距離が詰まる。


「嬉しかったって」


 低い声で聞かれる。

 逃げ場がない。

 言い訳を探す。


 罰ゲームだとしても。それでも。


(……ちゃんと、嬉しかった)


 目の前にいるのは、あのリサで。

 並んで歩いて、少し話して。

 それだけで、もうそれで十分だった。


「……一緒に帰れて」


 リサは何も言わない。

 ただ、じっと見ている。


(……終わったな)


 そう思う。

 言い方は最悪だし、フォローもできてない。

 でもいいか、と少しだけ思ってしまう。

 これ以上取り繕うよりは、まだマシだと。


 リサはしばらく何も言わなかった。

 まだ何か言いたそうに唇を動かしかけて、それから小さく閉じた。


 怒っているようにも見える。

 でも、さっきみたいにまっすぐ責める感じではなかった。


 赤い顔のまま、少しだけ目線を地面に落とす。


「ご、ごめん…あたし、感じ悪かったよね。そんなん、先に言ってくれてれば…勘違い、しなかったのに」


 マサキは言葉を探すように口を開きかけて、すぐに閉じた。


(違う、そうじゃない)


 謝らせたいわけじゃなかったのに、うまく伝えられない。


「……いや」


 やっと出た声は、ほとんど意味を持っていなかった。


「別に、感じ悪いとか思ってない」


 言いながら、自分でも説得力がないと思う。


「怒ってないの?」


 確認する声は、さっきよりずっと小さかった。


「……怒ってない」


 それだけじゃ足りない気がして、すぐに続ける。


「いや、ほんとに。そういうのじゃなくて」


 言葉が空回りするのが自分でも分かる。

 リサのことを責めたいわけでも、突き放したいわけでもないのに、全部ズレていく。

 喉が詰まるみたいに、言葉が出てこない。


 リサはそこで、やんわりと口を開く。


「あ、ありがとね。松前くん、あたしが罰ゲーム断れなかったと思ってて…だから早めに帰してくれようとしたんだよね。勘違いだったわけだけど」


 少し間を置いてから、


「それ、優しすぎるでしょ。それに……そ、そんな口説き文句みたいなさぁ」


 そこまで言って、急に言葉を詰まらせる。


「……っ」


 目が泳いで、慌てたように顔を横に向けた。


「わわ…あたし変なこと言った。忘れていいから」


 声が少し裏返っている。


 マサキはすぐに反応できない。


(口説き文句……?)


 一歩下がりかけて、でも踏みとどまる。


「あの……言ってないと思うんだけど」


 リサは耳まで赤くして、早口になる。


「い、言ったよ。一緒に帰れて、嬉しいって…そんなん口説き文句じゃん。え、自覚なし?」


 マサキは固まる。


(……え?今のが?)


「いや、それは……言ったけど」


 それが言い訳にならないことは、自分でも分かっていた。


「変な意味じゃなくて、ただ……事実だから」


 リサは顔をさらに赤くする。


「いやいやいや!」


「いやいやじゃなくて」


「いやいやいやいや!知らなかった…松前くんて、そんな感じなんだ。そういうの平気で言う?」


 リサがなにを焦っているのか分からなかった。

 口説いているわけではないからこそ、平気で言えた。それだけだ。


 リサはまだ顔を赤くしたまま、でも目だけはちらっとこっちを見てくる。

 必死に取り繕っている姿も、困ったみたいな目も、さっきまで強気だったくせに今は動揺しているところも。


(可愛い、ってこういうのか……)


(いや、本当になんでオレなんかと…)


 そう思ってしまった瞬間、自分でさらに気まずくなる。


 一緒に帰れて嬉しかった。

 それは本当だ。


 でも、それを口にしただけで、リサがここまで赤くなる理由が分からない。

 口説き文句みたいだと言われるほどのことなのかも、分からない。


 分からないものが増えるほど、最初の疑問に戻ってしまう。


「じゃあさ、如月さんがオレと帰る理由ってなに?」


 リサは固まって、目を横にそらして、少しだけ言いにくそうに続ける。


「今日は全然喋れなかったから、今しかないなって」


 少しだけ間を置いて、言葉を足す。


「松前くん……ずっとイヤホンしてたし。音楽好きでしょ?聴いてるの邪魔しちゃ悪いかなって」


 目はまだ横を向いたまま。


「授業中以外、ずっと外してなかったから……話しかけるタイミング、最後までなくて」


 言ってから、リサは少しだけ目をそらした。

 自分で思ったより見ていたことを口にした、と気づいたみたいだった。


 授業中以外、ずっと。


 その言い方に、マサキは少しだけ引っかかった。

 そんなところまで見ていたのか、と思う。

 けれどすぐに、それより重いことに気づいた。


(……オレのせいか)


 自然にそう思った。

 でも、それだけじゃない。

 イヤホンは、確かに音楽を聴くためでもある。

 落ち着くし、集中できるし、余計な音が入ってこない。


 けど。


(……あれ、外してたら)


 少なくとも、話しかけられる余地はあった。

 自分で塞いでいた。

 音を遮るだけじゃない。

 人も、空気も、全部。


(……壁、みたいなもんか)


 無意識にやってたことを、初めて言語化される。


(そりゃ、話しかけづらいわけだよな……そういうの、ちゃんと考えてるのか)


 何も言えないまま、ただ聞いている。


 聞かない方がいい気がした。

 でも、このまま曖昧にしておく方が、もっと危ない気もした。


 今日話せなかったから。

 イヤホンをしていたから。

 その理由は分かる。


 けれど、それだけなら自分である必要はない。


 マサキは、その言葉を一度飲み込んでから、静かに言った。


「それは別に、オレである必要もなくないか?」


 できるだけ感情を乗せないようにしたつもりだったのに、少しだけ声が硬い。

 責めたいわけではなかった。

 ただ、勝手に期待しそうになる前に、線を引きたかった。


 リサは言葉を詰まらせる。


「い、いや。あるんだけど……」


 すぐに否定するけど、続きが出てこない。

 目が横へ逃げて、口を開きかけては閉じる。


(あるのに言えないのか)


 マサキはその空白を見てしまう。


「いま言うと変な誤解されそうで……」


 そこまで言って、また止まる。


 ◇


 言えない。

 言えば、全部繋がる。

 去年の夏、あの時に『嫌がってるだろ』と言ってくれた日から、ずっと見ていたことも。

 どうして気になったのかも。

 ここまで来た理由が、一気に形になる。


 でもそれは、重すぎる。

 まだ、早い。

 こんな距離で出していい話じゃない。


(……でも)


 言わないままなのも、違う気がしている。

 理由があるのに黙っているのは、不誠実にも思える。


(ちゃんと、いつかは言いたい)


 なのに今は、どうしても言えない。

 その、いつかがどこなのかも分からないまま。

 言葉が、出てこない。


 ◇


 マサキは少しだけ間を置いてから、確認するみたいに聞いた。


「どういう誤解?」


 リサはフリーズする。


「え」


 完全に詰まる。


「いや、その……えっと……」


 口ごもって、目が泳ぐ。耳の先まで色が上がっていた。


「そ、その……だから……言いたくなくて…」


 マサキはその言葉を聞いて、目線を落とした。


(言いたくないか……なら仕方ない)


 それ以上踏み込むのは違う気がする。


「……そっか」


 それだけ返す。

 納得した、というよりは引き下がっただけの声だった。


 リサはその反応を見て、


「え、あ、いや。そ、そうじゃなくて…」


 言葉がうまくまとまらないまま、空中でほどけていく。


「無理に言わなくていい」


 できるだけ平坦に言ったつもりだった。

 でもその一言が、余計に距離を作ったみたいに感じられる。


 リサは小さく息を飲んでから、困ったように目を揺らした。


「そうじゃなくてさ……言いたくないっていうか……その、今じゃないっていうか」


 まだ耳まで赤いまま、必死に言い直そうとしていた。

 声が上擦って、混乱しているのがにじんでいた。


 マサキはそこで初めて、リサの言いたくないが拒絶じゃないことに気づく。


(……違うのか)


 それなら、さっきの「仕方ない」は少しずれていた気がした。

 同時に、少しだけ引っかかる。


(……分かるな、それ)


 自分も、そういうことが多い。

 頭の中では整理できてるのに、口に出そうとすると崩れる。

 結局なにも言えなくて、あとで一人で反省する。


(……今じゃない、か)


 マサキは小さく息を吐く。


「……じゃあ、今じゃなくていい」


 それだけ言って、そこで止めた。

 それ以上は踏み込まない。

 追いかけるような質問もしない。


 リサはしばらくぼーっとしていた。


「……うん」


 短い返事。

 でもその声はさっきより落ち着いていた。


 マサキはそれ以上何も言わないまま、前を向く。


(これでいいんだろ)


 自分にそう言い聞かせるみたいに。


 横を見ると、リサはまだ少し赤い顔のまま、どこか力が抜けたように歩いていた。

 聞かれなかったことに安心したのか、待ってもらえたことに安心したのか。

 マサキには分からない。


「松前くんってさ」


 マサキは少しだけ反応する。


「ん」


 リサは言いかけて、一度だけ迷ってから続けた。


「思ってたとおりの人で安心した」


 マサキは、その言葉を聞いて歩く速度を少し緩めた。


「……そうか」


 それだけ口から出た。

 嬉しいのかどうか、自分でもよく分からない返事だった。


 リサは少し間を置いた。

 さっきまで言えずに詰まっていた顔とは違う。

 何かを思いついたみたいに、目が動く。


 今すぐ全部は言えない。

 だからといって、このまま待っているだけでもいられない。


 そんなふうに決めたみたいに、リサは顔を上げた。


「せっかくだから自己紹介していい?あたしセブンて雑誌で読者モデルやってるんだ」


 マサキは「ふーん」とだけ返す。


 リサは慌てたように両手を少し振る。


「え、あ、自慢みたいに聞こえた?違くて、あたしのアピールポイントそこしかなくて」


 言いながら、どこか落ち着かない表情になる。


(そこしかないわけない)


 見た目も、雰囲気も、空気の作り方も。

 いるだけで場が変わるような人間だ。

 それなのに、わざわざ分かりやすいところを出してくる。


「いや、噂でそのくらいは知ってるから」


 マサキは横目も向けずに答える。


「そ、そうなんだ」


 リサは固まって、それからふっと視線を逸らした。


「そういうの、あんまり関係ないし」


 少し間を置いて、淡々と続ける。


 その言葉に、リサはすぐには返事をしなかった。

 何かが引っかかっているみたいに、じっと前を向いている。


「関係ない、か。そーだよね、関係ないよね。なんか最近モデルだからって近づいてくる人多かったから」


(……やっぱり、そうなんだな)


 肩書きで寄ってくるやつは、いくらでもいる。

 それを前提にしてる話し方だった。


 リサは少しだけ苦笑するように続ける。


「これ言ったら松前くん、あたしに興味もってくれるかと思っちゃって」


 その言葉に、マサキは歩調をわずかに緩めた。


(興味……)


 ないわけじゃない。

 ただ、それは。


(モデルとか、そういうのじゃない)


 外側の話には、あまり引っかからない。

 でも。


(この見た目の女の子が、隣にいるのが落ち着かないだけで)


 距離が近い。

 声が近い。

 目が近い。

 それだけで、十分すぎるくらい意識が持っていかれる。


「さすが松前くんだね、全然ぶれないよね」


 リサは少し笑っていた。冗談っぽく言ったつもりなのか。


(ぶれてない、っていうか……)


 判断基準が違うだけだ。


(興味……)


 マサキはその言葉だけ、頭の端に引っかけていた。

 でも否定もできない、と自分でも思う。

 ただそれは、たぶんリサが想像してる種類とは違う。

 人気者とか、モデルとか、そういう外側の話には、やっぱり興味がない。


 リサがちらっとこちらを見てくる。

 何かを言いたそうで、でもまだ迷っている顔だった。


「たいていはもっといろいろ聞いてくる」


 その言い方は少しだけ小さくて、でもちゃんと聞かせる声だった。


「喋るの苦手」


 マサキはようやく答える。

 嘘ではない。

 でも、それだけでもない。

 聞こうと思えば聞ける。

 ただ。


(そこじゃない気がするだけで)


 何を聞けばいいのか分からない。


 リサはその返事を聞いて、ほんの少し黙る。

 そして、小さく笑った。


「そーでしたそーでした」


 少しわざとらしく繰り返して、肩を小さく揺らす。


(何がそんなに面白いんだ)


 そう思うのに、問い返す気にはならない。


 ◇     ◇


 別れ道にくる。


 リサは軽く足を止めて、当然みたいな顔で前を指した。


「あたしこっちなんだ。松前くんあっちだよね」


 マサキは眉を動かす。


(……なんで知ってる?)


 口には出さない。

 ただ、リサに目を向ける。


 リサはその視線に気づいたのか、一瞬だけ目をそらした。


「何回か見かけたことあるんだよねー」


 明るく言ったあと、すぐに笑う。

 でも、鞄の持ち手を握る指だけは少し強かった。


 けれどすぐに、何でもないみたいに笑う。


「ばいばい、また明日ー」


 軽い調子で手を振る。

 本当に何でもないみたいに、あっさりした別れ方だった。


 マサキはそのまま立ち止まったまま、少し遅れて返す。


「……ああ」


 それだけ。


 リサはもう背を向けかけていたのに、振り返って距離を詰めてきた。


「ねぇ、なんかもっとさ」


(いや、近っ!)


 マサキは思わず心の中で反射する。


「ちゃんと帰りのあいさつしないの?」


 リサは悪気ゼロの顔で見上げてくる。


 たぶん、リサの中ではただ挨拶をやり直してほしいだけなのだろう。

 近すぎる距離にも、マサキが固まったことにも、あまり気づいていないように見える。


 お互いの息がかかりそうな距離。

 大きなくりっとした瞳。

 肌は日焼けなんて知らないみたいに艶やかで、鼻筋は高すぎず整っていて、唇はふっくらとしている。


 マサキが目を落とすと、リサのなにより突き出した胸がくっつきそうに迫ってきていた。


 マサキが固まっていると、


「あいさつ大事でしょ?」


 リサはさらに少しだけ身を乗り出してくる。

 ふたつの膨らみがマサキの上半身に押し付けられた。


(あ、当たってる…!当たってる!)


 その柔らかさを感じた瞬間、全身に冷や汗が走る。

 頭が回らなくなってくる。


(や、やわらかすぎる……お餅みたいな……)


 思考が停止しそうになる。呼吸の仕方すら忘れそうになる。


 マサキは耐えきれず、リサの肩へ手を伸ばした。

 触れた瞬間、それはそれでまずいと思う。


 けれど、もう身体の方が先に動いていた。


「近いっ!」


 グイッと押して、どうにか距離を作る。

 距離が空いた瞬間、マサキは慌てて手を離した。


 その反動でリサの胸が揺れた。

 目が離せなくなって、思考が止まる。


「な、なによー」


 リサは不満そうに、頬を膨らませて目を細めている。


(怒った顔も可愛いんだが……)


 そんなことを考えている場合じゃないと思い直す。


「喋るの苦手でも挨拶はちゃんとしなきゃダメだよ」


 少しふてくされたような言い方なのに、妙に真面目さが混ざっていた。


 マサキは少し遅れて、その言葉を受け取る。


「……し、したけど」


「『ああ』だけじゃん」


 すかさず返されて、マサキは言葉に詰まる。

 リサはまだ少し拗ねた顔のまま、目線だけを上げる。


「もっとさ……ばいばいとか、またね、とか。そういうのがいい」


 マサキは黙る。


(……そういうの、そんなに重要なのか)


 分からないまま、前を向く。

 でも、突き放す感じにはならない。


「……分かった」


 リサは嬉しそうに


「じゃあ、言ってみて」


 と催促する。


 頷いてから、ひとつ息を吸う。


(ただの挨拶だ)


 そう自分に言い聞かせる。


「……ばいばい」


 声は小さいけど、ちゃんと出ている。


 リサはぱっと表情を明るくする。


(可愛いな……)


 リサは一歩下がると、


「じゃあね!また明日ね!」


 手を振って、背を向ける。

 それだけで満足したように、リサは歩いていく。


 マサキはしばらくその背中を見送る。

 距離が少しずつ離れていって、声をかける理由もなくなる。


 そのあとで、静かに言った。


「……また明日」


 もう聞こえない距離なのに、言ってしまう。


(いや、明日も話しかけてくれるとは限らないだろ)


 軽く頭を振って、ようやく歩き出した。


 ◇     ◇     ◇


 その夜。

 マサキは自室のベッドに座って、スマホをぼんやり眺めていた。

 画面は開いているのに、何も見ていない。


(……また明日、か)


 その言葉だけが、やけに頭に残っている。

 普通の挨拶のはずだった。

 ただの別れ際の定型文のはずだ。

 なのに、妙に軽く流せない。


(明日も……普通に話しかけてくるのか?)


 そこまで考えて、少しだけ首を振る。

 期待してるみたいで、嫌だった。

 期待なんてしてない。

 ただ、今日みたいなのはもう十分だろうと、そう思っているはずなのに。


 ベッドに倒れ込む。

 天井を見上げる。


(あの子は、たぶん誰にでもああなんだろう)


 人気者で、空気を回して、誰にでもちゃんと笑えて。

 その一方で、なぜか自分にだけ距離の詰め方が変だった。

 思い出そうとすると、全部が中途半端に引っかかる。


 カラオケのときの顔。

 帰り道の沈黙。

 怒ったときの目。


 どれも、整理できないまま残っている。


(……オレじゃなくてもいいだろ)


 口に出してみて、余計に分からなくなる。

 答えは出ない。

 でも。


 嫌ではない、という事実だけが残る。

 それが一番厄介だった。


 ◇     ◇     ◇


 同じ頃。

 リサは自分の部屋のベッドにうつ伏せになっていた。

 足をぱたぱたと動かしながら、枕に顔を押し付ける。


「……やば」


 声が漏れる。


 思い出してしまう。

 さっきの帰り道。

 距離を詰めすぎた瞬間。

 肩を押された感触。

 そして。


『ばいばい』


 あの、ぎこちない声。


(あれ、ずるいでしょ)


 枕をぎゅっと抱きしめる。

 普通の挨拶のはずなのに、妙に丁寧で。

 変に素っ気なくて。

 なのに、ちゃんと言ってくれた。


(ちゃんと、返してくれた)


 それだけで胸の奥が落ち着かない。

 今までなら、もっと軽く流れるはずだった。

 でも今日は違った。

 うまく言えない。

 嬉しいのに、少しだけ怖い。


 スマホを手に取る。

 画面を見ても、何も開かないまま止まる。


 聞こうと思えば、聞けたのかもしれない。

 帰り道であれだけ話して、ばいばいも言ってもらって、明日もまたねと言えた。


 でも今日は、もう十分すぎるくらい近づいた気がした。


「連絡先……聞けなかったな」


 呟いて、また枕に顔を埋める。


 連絡先を聞けば、明日を待たなくても話せる。

 今日の続きが、今日のうちにできる。


 そう思っただけで、胸の奥が少し熱くなる。


 でも、これ以上近づいたら、松前くんはまた困った顔をする気がした。


(明日、ちゃんと話せるかな)


 その不安だけが、頭の中で何度も浮かんでいた。


挿絵(By みてみん)

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