7. 新学期 ~ちょっと一緒に帰らない?2~
「松前くんには、罰ゲームにしか見えなかったんだ」
視線が、まっすぐ向けられる。
(違う……いや、でも……)
言い訳が頭に浮かんでは消える。
何を言っても、言い逃れにしかならない気がした。
(違う、けど……じゃあなんだ)
自分でも分かってない。
だから余計に、何も言えない。
頭がうまく回らない。
それでも――
何か言わないといけないのに、まともな言葉が出てこない。
「罰ゲームだとしても、嬉しかったから」
リサの肩がビクッと動いたかと思うと、一気に顔が真っ赤に染め上がる。
意味を処理しきれないみたいに固まって、
「……はぇ?」
小さく漏れた声は、さっきまでの強さが嘘みたいに弱かった。
マサキはそこで、自分の言葉をようやく理解する。
(……いや、待て)
言ってることがおかしい。というか、完全にアウト寄りだ。
リサは一歩、近づく。さっきより、さらに距離が詰まる。
「嬉しかったって」
低い声で聞かれる。
逃げ場がない。言い訳を探す。
罰ゲームだとしても。それでも。
(……普通に、嬉しかった)
目の前にいるのは、あのリサで。
並んで歩いて、少し話して。
それだけで、十分すぎるくらいだった。
「……一緒に帰れて」
リサは何も言わない。
ただ、じっと見ている。
(……終わったな)
そう思う。
言い方は最悪だし、フォローもできてない。
それでもいいか、と少しだけ思ってしまう。
これ以上取り繕うよりは、まだマシだと。
数秒後。
「ご、ごめん…あたし、感じ悪かったよね。そんなん、先に言ってくれてれば…勘違い、しなかったのに」
マサキは言葉を探すように口を開きかけて、すぐに閉じた。
(違う、そうじゃない)
謝らせたいわけじゃなかったのに、うまく伝えられない。
「……いや」
やっと出た声は、ほとんど意味を持っていなかった。
「別に、感じ悪いとか思ってない」
言いながら、自分でも説得力がないと思う。
「怒ってないの?」
確認する声は、さっきよりずっと小さかった。
「……怒ってない」
言えたのはそれだけだった。
でも、それだけじゃ足りない気がして、すぐに続ける。
「いや、ほんとに。そういうのじゃなくて」
言葉が空回りするのが自分でも分かる。
リサのことを責めたいわけでも、突き放したいわけでもないのに、全部ズレていく。
喉が詰まるみたいに、言葉が出てこない。
するとリサは、やんわりと口を開く。
「あ、ありがとね。松前くん、あたしが罰ゲーム断れなかったと思ってて…だから早めに帰してくれようとしたんだよね。勘違いだったわけだけど」
少し間を置いてから、
「それ、優しすぎるでしょ。それに……そ、そんな口説き文句みたいなさぁ」
そこまで言って、急に言葉を詰まらせる。
「……っ」
視線が一瞬だけ泳いで、慌てたように顔を逸らした。
「わわ…あたし変なこと言った。忘れていいから」
声が少し裏返っている。
マサキはすぐに反応できない。
(口説き文句……?)
一歩下がりかけて、でも踏みとどまる。
「あの……言ってないと思うんだけど」
リサは耳まで赤くして、早口になる。
「い、言ったよ。一緒に帰れて、嬉しいって…そんなん口説き文句じゃん。え、自覚なし?」
マサキは固まる。
(……え?今のが?)
「いや、それは……言ったけど」
それが言い訳にならないことは、自分でも分かっていた。
「変な意味じゃなくて、ただ……事実だから」
リサは赤かった顔をさらに赤くする。
「いやいやいや!」
「いやいやじゃなくて」
「いやいやいやいや!知らなかった…松前くんて、そんな感じなんだ。そういうの平気で言う?」
リサがなにを焦っているのか分からなかった。
口説いているわけではないからこそ、平気で言えた。それだけだ。
リサはまだ顔を赤くしたまま、でも目だけはちゃんとこっちを見ている。
赤い顔のまま必死に取り繕ってる姿が、仕草が、表情が。
(可愛い、ってこういうのか……)
リサの赤い顔。
少し困ったみたいな目。
さっきまで強気だったくせに、今は普通に動揺してるその感じ。
(いや、本当になんでオレなんかと…)
そう思ってしまった瞬間、自分でさらに気まずくなる。
「じゃあさ、如月さんがオレと帰る理由ってなに?」
リサは固まって、視線を横にそらして、少しだけ言いにくそうに続ける。
「今日は全然喋れなかったから、今しかないなって」
少しだけ間を置いて、言葉を足す。
「松前くん……ずっとイヤホンしてたし。音楽好きでしょ?聴いてるの邪魔しちゃ悪いかなって」
視線はまだ横を向いたまま。
「授業中以外、ずっと外してなかったから……話しかけるタイミング、最後までなくて」
そこで一度、言葉が途切れる。
マサキは何も返せない。
ただ、そのまま聞いている。
(……オレのせいか)
自然にそう思った。
でも、それだけじゃない。
イヤホンは、確かに音楽を聴くためでもある。
落ち着くし、集中できるし、余計な音が入ってこない。
――けど。
(……あれ、外してたら)
少なくとも、話しかけられる余地はあった。
自分で塞いでいた。
音を遮るだけじゃない。
人も、空気も、全部。
(……壁、みたいなもんか)
無意識にやってたことを、初めて言語化される。
(そりゃ、話しかけづらいわけだよな……そういうの、ちゃんと考えてるのか)
何も言えないまま、ただ聞いている。
マサキは、その言葉を一度飲み込んでから、静かに言った。
「それは別に、オレである必要もなくないか?」
できるだけ感情を乗せないようにしたつもりだったのに、少しだけ声が硬い。
リサは言葉を詰まらせる。
「い、いや。あるんだけど……」
すぐに否定するけど、続きが出てこない。
目が横にそれて、口を開きかけては閉じる。
("ある"のに言えないのか)
マサキはその空白を見てしまう。
「いま言うと変な誤解されそうで……」
そこまで言って、また止まる。
◇
――言えない。
言えば、全部繋がる。
去年の夏から見ていたことも、どうして気になったのかも。
ここまで来た理由が、一気に形になる。
でもそれは――重すぎる。
まだ、早い。
こんな距離で出していい話じゃない。
(……でも)
言わないままなのも、違う気がしている。
理由があるのに黙っているのは、不誠実にも思える。
(ちゃんと、いつかは言いたい)
なのに今は、どうしても言えない。
その"いつか"が、どこなのかも分からないまま。
言葉が、出てこない。
◇
マサキは少しだけ間を置いてから、確認するみたいに聞いた。
「どういう誤解?」
リサはフリーズする。
「え」
完全に詰まる。
「いや、その……えっと……」
口ごもって、目が泳ぐ。耳の先まで色が上がっていた。
「そ、その……だから……言いたくなくて…」
マサキはその言葉を聞いて、視線を落とした。
(言いたくないか……なら仕方ない)
それ以上踏み込むのは違う気がする。
「……そっか」
それだけ返す。
納得した、というよりは引き下がっただけの声だった。
リサはその反応を見て、
「え、あ、いや。そ、そうじゃなくて…」
言葉がうまくまとまらないまま、空中でほどけていく。
「無理に言わなくていい」
できるだけ平坦に言ったつもりだった。
でもその一言が、余計に距離を作ったみたいに感じられる。
リサは小さく息を飲んでから、困ったように眉を寄せる。
「そうじゃなくてさ……言いたくないっていうか……その、今じゃないっていうか」
まだ耳まで赤いまま、必死に言い直そうとしていた。
声が上擦って、混乱しているのがにじんでいた。
マサキはそこで初めて、リサの"言いたくない"が拒絶じゃないことに気づく。
(……違うのか)
それなら、さっきの「仕方ない」は少しずれていた気がした。
同時に、少しだけ引っかかる。
(……分かるな、それ)
自分も、そういうことが多い。
頭の中では整理できてるのに、口に出そうとすると崩れる。
結局なにも言えなくて、あとで一人で反省する。
(……今じゃない、ってやつか)
マサキは小さく息を吐く。
「……じゃあ、今じゃなくていい」
それだけ言って、そこで止めた。
それ以上は踏み込まない。
追いかけるような質問もしない。
リサはぼーっとして
「……うん」
短い返事。
でもその声はさっきより落ち着いていた。
マサキはそれ以上何も言わないまま、視線を前に戻す。
(これでいいんだろ)
自分にそう言い聞かせるみたいに。
「松前くんってさ」
マサキは少しだけ反応する。
「ん」
リサは言いかけて、一度だけ迷ってから続けた。
「思ってたとおりの人で安心した」
マサキは、その言葉を聞いて歩く速度をわずかに緩めた。
「……そうか」
それだけ口から出た。
嬉しいのかどうか、自分でもよく分からない返事だった。
リサは少し間を置いてから、続けた。
「せっかくだから自己紹介していい?あたしセブンて雑誌で読者モデルやってるんだ」
マサキは「ふーん」とだけ返す。
リサは慌てたように両手を少し振る。
「え、あ、自慢みたいに聞こえた?違くて、あたしのアピールポイントそこしかなくて」
言いながら、どこか落ち着かない表情になる。
("そこしかない"わけない)
見た目も、雰囲気も、空気の作り方も。
いるだけで場が変わるような人間だ。
それなのに、わざわざ"分かりやすいところ"を出してくる。
「いや、噂でそのくらいは知ってるから」
マサキは横目も向けずに答える。
「そ、そうなんだ」
リサは固まって、それからふっと視線を逸らした。
「そういうの、あんまり関係ないし」
少し間を置いて、淡々と続ける。
その言葉に、リサはすぐには返事をしなかった。
一拍、二拍。
何かが引っかかっているみたいに、じっと前を向いている。
「関係ない、か。そーだよね、関係ないよね。なんか最近モデルだからって近づいてくる人多かったから」
(……やっぱり、そうなんだな)
"肩書きで寄ってくるやつ"は、いくらでもいる。
それを前提にしてる話し方だった。
リサは少しだけ苦笑するように言葉を続ける。
「これ言ったら松前くん、あたしに興味もってくれるかと思っちゃって」
その言葉に、マサキは歩調をわずかに緩めた。
(興味……)
ないわけじゃない。
ただ、それは――
(モデルとか、そういうのじゃない)
"外側"の話には、あまり引っかからない。
でも。
(この見た目の女の子が、隣にいるのが落ち着かないだけで)
距離が近い。
声が近い。
視線が近い。
それだけで、十分すぎるくらい意識が持っていかれる。
「さすが松前くんだね、全然ぶれないよね」
リサは少し笑っていた。冗談っぽく言ったつもりなのか。
(ぶれてない、っていうか……)
判断基準が違うだけだ。
(興味……)
マサキはその言葉だけ、頭の端に引っかけていた。
でも否定もできない、と自分でも思う。
ただそれは、たぶんリサが想像してる種類とは違う。
人気者とか、モデルとか、そういう"外側"の話には、やっぱり興味がない。
リサが横目でちらっとこちらを見てくる。
何かを言いたそうで、でもまだ迷っている顔だった。
「普通ならもっといろいろ聞いてくる」
その言い方は少しだけ小さくて、でもちゃんと聞かせる声だった。
「喋るの苦手」
マサキはようやく答える。
嘘ではない。
でも、それだけでもない。
聞こうと思えば聞ける。
ただ――
(そこじゃない気がするだけで)
何を聞けばいいのか分からない。
リサはその返事を聞いて、ほんの少し黙る。
そして、小さく笑った。
「そーでしたそーでした」
少しわざとらしく繰り返して、肩を小さく揺らす。
(何がそんなに面白いんだ)
そう思うのに、問い返す気にはならない。
◇ ◇
別れ道にくる。
リサは軽く足を止めて、当然みたいな顔で前を指した。
「あたしこっちなんだ。松前くんあっちだよね」
マサキは眉を動かす。
(……なんで知ってる?)
口には出さない。
ただ、リサに視線を向ける。
リサはそれに気づいているのかただ笑っていた。
「ばいばい、また明日ー」
軽い調子で手を振る。
本当に何でもないみたいに、あっさりした別れ方だった。
マサキはそのまま立ち止まったまま、一拍遅れて返す。
「……ああ」
それだけ。
リサはもう背を向けかけていたのに、振り返って距離を詰めてきた。
「ねぇ、なんかもっとさ」
(いや、近っ!)
マサキは思わず心の中で反射する。
「ちゃんと帰りのあいさつしないの?」
リサは悪気ゼロの顔で見上げてくる。
お互いの息がかかりそうな距離。
大きなくりっとした瞳。
肌は日焼けなんて知らないみたいに艶やかで、鼻筋は高すぎず整っていて、唇はふっくらとしている。
マサキが視線を落とすと、リサのなにより突き出した胸がくっつきそうに迫ってきていた。
マサキが固まっていると、
「あいさつ大事でしょ?」
リサはさらに少しだけ身を乗り出してくる。
ふたつの膨らみがマサキの上半身に押し付けられた。
(あ、当たってる…!当たってる!)
その柔らかさを感じた瞬間、全身に冷や汗が走る。頭が回らなくなってくる。
(や、やわらかすぎる……)
思考が停止しそうになる。呼吸の仕方すら忘れそうになる。
マサキは耐えきれず、リサの肩を掴んでグイッと押した。
「近いっ!」
弾みでリサの胸が揺れた。
その様子に、頭が真っ白になりかける。
「な、なによー」
リサは不満そうに、ふくれっ面で目を細めている。
(怒った顔も可愛いんだが……)
そんなことを考えている場合じゃないと思い直す。
「喋るの苦手でも挨拶はちゃんとしなきゃダメだよ」
少しふてくされたような言い方なのに、妙に真面目さが混ざっていた。
マサキは一拍遅れて、その言葉を受け取る。
「……し、しただろ」
「"ああ"だけじゃん」
すかさず返されて、マサキは言葉に詰まる。
リサはまだ少し拗ねた顔のまま、視線だけを上げる。
「もっとさ……ばいばいとか、またね、とか。そういうのがいい」
マサキは黙る。
(……そういうの、そんなに重要なのか)
分からないまま、前を向く。
でも、突き放す感じにはならない。
「……分かった」
リサは嬉しそうに
「じゃあ、言ってみて」
と催促する。
頷いてから、ひとつ息を吸う。
(ただの挨拶だ)
そう自分に言い聞かせる。
「……ばいばい」
声は小さいけど、ちゃんと出ている。
リサはぱっと表情を明るくする。
(可愛いな……)
リサは一歩下がると、
「じゃあね!また明日ね!」
手を振って、背を向ける。
それだけで満足したように、リサは歩いていく。
マサキはしばらくその背中を見送る。
距離が少しずつ離れていって、声をかける理由もなくなる。
そのあとで、静かに言った。
「……また明日」
もう聞こえない距離なのに、言ってしまう。
(いや、明日も話しかけてくれるとは限らないだろ)
軽く頭を振って、ようやく歩き出した。
◇ ◇ ◇
その夜。
マサキは自室のベッドに座って、スマホをぼんやり眺めていた。
画面は開いているのに、何も見ていない。
(……また明日、か)
その言葉だけが、やけに頭に残っている。
普通の挨拶のはずだった。
ただの別れ際の定型文のはずだ。
なのに、妙に軽く流せない。
(明日も……普通に話しかけてくるのか?)
そこまで考えて、少しだけ首を振る。
期待してるみたいで、嫌だった。
期待なんてしてない。
ただ、今日みたいなのはもう十分だろうと――そう思っているはずなのに。
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
(あの子は、たぶん誰にでもああなんだろう)
人気者で、空気を回して、誰にでもちゃんと笑えて。
その一方で、なぜか自分にだけ距離の詰め方が変だった。
思い出そうとすると、全部が中途半端に引っかかる。
カラオケのときの顔。
帰り道の沈黙。
怒ったときの目。
どれも、整理できないまま残っている。
(……オレじゃなくてもいいだろ)
口に出してみて、余計に分からなくなる。
答えは出ない。
でも――
嫌ではない、という事実だけが残る。
それが一番厄介だった。
◇ ◇
同じ頃。
リサは自分の部屋のベッドにうつ伏せになっていた。
足をぱたぱたと動かしながら、枕に顔を押し付ける。
「……やば」
声が漏れる。
思い出してしまう。
さっきの帰り道。
距離を詰めすぎた瞬間。
肩を押された感触。
そして――
『ばいばい』
あの、ぎこちない声。
(あれ、ずるいでしょ)
枕をぎゅっと抱きしめる。
普通の挨拶のはずなのに、妙に丁寧で。
変に素っ気なくて。
なのに、ちゃんと言ってくれた。
(ちゃんと、返してくれた)
それだけで胸の奥が落ち着かない。
今までなら、もっと軽く流れるはずだった。
でも今日は違った。
うまく言えない。
嬉しいのに、少しだけ怖い。
スマホを手に取る。
画面を見ても、何も開かないまま止まる。
「連絡先……聞けなかったな」
呟いて、また枕に顔を埋める。
(明日、普通に話せるかな)
それだけが、頭の中で何度も浮かんでいた。




