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61. 夏の距離 前編 ~会いたいって、なんだ~

 マサキは、例の写真が送られてきたあの夜以来。

 スマホを握るたびに無意識に指先が熱くなるのを感じていた。


 ……いや、正確には、あの夜"以来"ではない。

 あれからリサは、週に一度くらいのペースで平然と写真を送ってくるようになっていた。


『今週分』

『松前くん専用』


 そんな軽いノリの一言と一緒に送られてくる、下着姿の写真。

 最初こそ心臓が止まりかけたが、問題は慣れなかったことだ。

 毎回ちゃんと破壊力があった。


 そして今週。

 まだ来ていない。


(……まあ、帰省してたしな)


 親の実家へ行っていた数日間。

 さすがに気が引けたのだろう。

 しかし、最近は写真以外のLINEも少なかった。

 とはいえ、夏休みはモデルの仕事を増やすと言っていた。

 撮影だの打ち合わせだので忙しいのかもしれない。

 別におかしいことじゃない。


 ……ないはずなのに。


 通知欄を確認している自分がいる。

 マサキは息を吐いて、スマホを裏返した。


(これ渡すだけでいいんだけどな)


 帰省土産の燻製たまご。

 たいしたものじゃない。むしろ気を使わせるほどの価値もない。

 それでも、渡す理由を探している自分がいる。


(別に、呼び出すほどでもない)


 モデルの仕事。

 忙しいはずだ。

 それなのに、


(ちょっと、会いたいだけ)


 そんな単純な言葉が、なぜか一番重い。


 夏休みというのは、こんなに長かったかと錯覚する。

 学校がないだけで、リサと会う理由も消える。

 いつも彼女の方からだった。

「暇?」「どっか行く?」

 その一言で成立していた関係が、今はどこにもない。


(会いたいって、なんだ)


 自分の中にあるはずの気持ちが、うまく名前にならない。


(別に、学校が始まれば会える)


 そう思おうとして、すぐに別の考えが割り込む。


(最近、連絡こないな……)


 仕事が忙しいんだろう、とさっきも考えたばかり。

 女の子の一人暮らし。

 体調を崩していたら──そんな想像だけが勝手に膨らむ。


 スマホを持ち直してメッセージを打っていた。


『いま何してる』


(おかしいか……?こんなもんだよな?)


 すぐに既読がつく。


『わーい、松前くんからLINEきたー!ご飯食べに行くとこだよ!』


 あっさりした返事。

 いつも通りの軽さ。

 なのに、そこで止まる。


(ご飯……誰と?最近連絡がこなかったのは、他の男と一緒にいたからか?いつもの如月だったら、真っ先にオレを誘ってるはずだ)


 指が勝手に動きかけて止まる。


『用事あったんだな、ごめん』


 送信してから気づく。


(いや、誰と行くか聞け)


 思考が走る前に、返信がくる。


『なにか用だった?』


(会いたいだけなんだが……如月はきっと他の男と……)


 勝手に悪い方向へ転がる想像を、途中で止められない。

 自分が見ていない場所で、リサが誰に、どんな顔を見せているのか。


『なんでもない、邪魔してごめん』


 送った瞬間、後悔する。


(最低だ……ただの嫉妬だな)


 自分からは誘えないくせに、勝手に揺れているだけ。


 そんなときだった。


『なぁにそれ?珍しくラインくれたと思ったら』

『勝手に会話終わらせようとしないでよ』


(怒ってる……)


 胸が少しだけ締まる。


(ごめん、って入れた方がいいか?いや、3回目は重いか。軽いノリで聞いた方が…いや、そもそもこれ聞いていいのか?)


 指が止まったまま、何度も入力しては消す。


「いや違う」

「なんでもない」

「ごめん」


 どれも違う気がする。


(いきなり「誰と?」って聞くのは変だ。ただの友達っぽく聞けばいい)


 一度消して、打ち直す。


『今日って、誰と行く予定だったんだ?』


 送信ボタンの上で止まる。


(いや……これだと探ってるみたいだ)


 消す。


(じゃあ軽く)


『ご飯、友達と?』


 打って、少し眺める。


(いや、これも聞き方が気持ち悪いな……結局探ってる)


 消す。

 指が止まる。


(別に深い意味ない感じでいけばいい)


『今、誰といるんだ?』


 送信しかけて、また止める。


(いや違う、それは完全に彼氏ヅラだ)


 消す。

 スマホの画面が、同じ文字の出入りで埋まっていく。


(……落ち着け、ただ確認するだけだ)


 もう一度だけ、考える。

 "自然に聞く"という条件を頭の中で繰り返す。


(自然って…)


 その問いのまま、結論が出る前に指が動く。


『ごめん、誰と行くんだ』


(……あ)


 送った瞬間、ようやく気づく。

 一番整えたはずの形が、一番まっすぐになっていることに。


(送ってしまった……)


 もう遅いと思いながらも、画面を見続ける。

 すぐに返信。


『1人だよ』

『もー、なに?松前くん暇ならご飯つきあってよ』


 数秒、動けなかった。


(やった……)


 安心と、安堵と、妙な照れくささが同時に来る。


「……なんだそれ」


 声に出してから、ようやく返信を打つ。


『いいよ』


 たったそれだけなのに、送信する指が少しだけ震えた。


 ◇ ◇


 駅前の噴水広場は、休日の人混みでやけに明るく見えた。

 水音だけが一定で、その分だけ時間がゆっくり流れているように感じる。


 頭の中に、リサの写真が勝手に浮かんでくる。


(考えるな、今から本人に会うのに…)


 胸の奥が落ち着かないまま、マサキは立ち止まっていた。


「やー、久しぶりー」


 声がした瞬間、顔を上げる。

 リサがそこにいた。


(今日……スカートじゃないのか)


 ラフなパンツスタイル。露出は控えめで、どこか大人びた印象すらある。

 普段の華やかなスカート姿とは違う。

 それでもリサの脚の長さと、腰から太ももにかけての柔らかなラインははっきりと伝わってくる。


 一度「そういう対象」として焼き付いてしまったマサキの目は、布越しでもリサの輪郭を追ってしまう。


(これはこれで、ありだな…)


 自分でも意味の分からない感覚が、喉の奥に残る。

 視線が吸い寄せられそうになるのを堪えていると、リサが不思議そうに首を傾げた。


「なに?」


「如月がスカートじゃないの、珍しいな」


 言ってから、自分の声が少しだけ硬いことに気づく。


「そらね。1人で出掛けてたから、露出は控えるよ。ナンパ避け」


「それでナンパ避けできるなら苦労しなくないか」


「無言のメッセージみたいなもん。今日はそういうのいりませーんって」


「ふーん」


 会話は軽いのに、指先だけがやけに落ち着かない。

 リサはふと、何気ない動作でマサキの横に並ぶ。

 そのまま、当然のように手を伸ばした。

 指先が触れた瞬間、ためらいもなく絡められる。


 恋人繋ぎ。


「……っ」


 反射的に力が入るが、リサは気にする様子もないまま歩き出す。

 マサキの腕を引くようにして、自然に歩幅を合わせていく。


(プールのとき、オレが離れて歩いたせいで如月は男に絡まれたんだ。こうするのは当然…仕方ない…これでいいはず)


 繋がれた手の熱だけが、やけに現実的だった。


 リサはそのまま白線の上に視線を落とし、軽く踏みながら歩く。

 子どもみたいな無邪気さなのに、その隣で歩いている自分だけが妙に意識過剰になっている。


 その途中、リサはふと足を止めかけた。

 ショーウインドウに並ぶ夏物の服に視線を奪われて、ほんの一瞬だけ歩幅がずれる。


(……可愛い)


 思わずそう思ってしまい、マサキはすぐにその思考を振り払う。

 だがリサはそんなことなど気にせず、また何事もなかったように歩き出した。


 さらに今度は、アイスの期間限定のポスターが目に入ったのか、視線が上に跳ねる。

 足が止まりかけて──またすぐにこちらを見てくる。


「気になるのか?」


「うーうん、見てただけ」


(ほんとに子どもみたいに目移りするな……)


 そのたびに、どうでもいいはずの仕草がいちいち引っかかる。

 そして、その全部をまとめて「可愛い」と思ってしまう自分が、いちばん落ち着かない。


「それより松前くんさ、さっきあたしが誰かと一緒だと思ったの?」


「ぅえ」


 図星を突かれ、喉が変な音を立てる。


「あたしが他の人とご飯食べにいってたら怒ってた?」


「怒らないよ」


 即答したはずなのに、声が少しだけ浮いている。


「怒ってたんじゃないの?怒ってたから素っ気なくしたんじゃないの?」


「違う。あれは本当に邪魔したと思ったから、LINEやめようと思っただけ」


 必死に整えた説明のはずなのに、どこか言い訳に聞こえてしまう。


「怒らないの?」


「そんなことで怒るほど、心狭くないつもりだけど」


 言い切ったあと、少しだけ息を吐く。


 虚勢を張るマサキの横で、リサは天を仰ぐ。


「じゃあ、あたしは心狭いんだね。松前くんが他の女の子とご飯行ってたら、めちゃくちゃ怒るし全力で邪魔すると思うわ」


「……行かないけどな。そんな相手、今はいないし」


 言った瞬間、少しだけ視線を逸らす。


(いない、ってわざわざ言わなくても良かったな)


「どうかなぁ。松前くん、あんまり遊んでくれないし…あたしが見てないとこで、なにやってるか分かんないじゃん」


「変な誤解するなよ…」


「じゃあ、なんで全然連絡くれないの?」


 一気に核心に触れられて、言葉が詰まる。


「それは………本当に…なんて送っていいか、わかんなくて…」


 絞り出すように出た言葉は、自分でも情けないと思うほど弱い。


 それに対し、リサはいたずらっぽく笑う。


「そんな可愛い理由で誤魔化されない。他に誰と連絡とってんだよー」


「し、してない」


「…」


 ふっとリサが足を止め、マサキににじり寄った。

 腕と腕がくっつく。

 その体温に、マサキの思考が白くなる。


「あたしは毎日やりとりしたい」


 冗談でも押しでもなく、普通の事実みたいに落ちてくる。


「が、頑張る…」


(用がなくてもLINE送ってよかったのか…)


 ようやくそこで、少しだけ視界が整理される。


「そもそも、連絡よこさなかったのは如月もだよな?」


 言った瞬間、しまったと思う。


「かけひき」


 リサはそう言って、にっこりと完璧なモデルスマイルを浮かべた。


(かけひき……?)


 一瞬そう思ってから、ようやく意味が落ちてくる。

 今のこれは勝ち負けの話じゃない。


 ◇ ◇


 若者で賑わうファミレスは、昼のピークを少し過ぎてもまだ騒がしかった。

 笑い声と食器の音が混ざって、外の静けさとは別の時間が流れている。

 店内の明るさはどの席も均一で、それでもなぜか落ち着かない。


 マサキは入口近くの席に座った瞬間から、無意識に周囲を見回していた。

 同年代のグループ客が多い。


(知り合い、いないよな……)


 クラスの誰かに見られると面倒、というよりも、その瞬間に「説明できない関係」として固定されるのが嫌だった。

 自分でも整理できていないものを、他人の目で確定されるのが怖い。


 向かいに座るリサは、メニューを開いたまま楽しそうに目を動かしている。

 ページをめくる指先の動きが軽く、迷いがない。

 その横顔だけで、店の中が少しだけ柔らかく見える。


「松前くん、なに食べるー?」


「……決まってない。如月は?」


「大判プレートミックスグリルかな」


 即答だった。

 その言い方はいつも通りなのに、やけに生活感があって、マサキは一瞬だけ目を瞬かせる。


(普通に毎回これ選ぶのか…?)


「相変わらずガッツリだな」


 言った瞬間、空気がほんの一拍だけ止まる。


(あ)


 リサの動きがわずかに固まる。

 ほんの一瞬、熱が引くような間。

 リサは頬をふくらませるようにして視線をそらす。


 マサキはその反応だけで理解する。

 またやった、と。


(如月によく食べる的な言葉は禁句だった…)


 リサはまだ少し不満そうにしながらも、メニューを閉じる。


「松前くんて、口数少ないくせにそういうことはハッキリ言うよね。もう、いいよ。あたしサラダにする…」


「ご、ごめんって。オレが悪かった」


 謝る声が少しだけ早い。

 リサが本気で怒っているわけじゃないのは分かっている。

 ただ、こういう微妙なズレが一度生まれると、自分の中だけで引きずってしまう。


「あ、そう。ほんとそういうの気をつけてよね」


 結局、リサは大判プレートミックスグリルを注文した。


 ◇  ◇  ◇


 やがて注文が運ばれてくる。

 リサの皿の上には、ハンバーグとチキンステーキとウインナー。

 少しばかりの人参のソテーが添えられている。

 ボリュームのあるプレートが目の前で湯気を立てていた。

 見ただけで「よく食べる人用」の圧がある。


 リサはそれを見て嬉しそうに目を細めると、「いただきまーす」とともにすぐにフォークを取った。


「んー」


 一口目から迷いがない。

 噛むリズムも一定で、ためらいがない。

 それが自然で、生活そのものの速度が合っている感じがする。


 マサキは気づけば見ていた。


(よく食うな…)


 でもそれを口に出す前に、頭の中で引っかかる。


(そのまま言うと、またいじられるか)


「なぁに?ほんとよく食うなって思ってんの?」


 心を読まれた。

 リサはフォークを止めないまま、口元だけで笑っている。


 その反応を見て、マサキは一拍だけ考え直す。


(そのままだと、ただの失礼だな)


 だから、自分なりに言葉を選ぶ。


「美味そうに食うなって思ってた」


 それは嘘ではない。

 さっき思ったことの"角度を変えたもの"だった。

 本音を消したわけじゃない。ただ、少しだけ形を変えただけ。


 即答してから、自分の言い方が少し変だったことに気づく。


(これで通るか…?)


 だが、その心配はすぐに意味を失う。


「ふーん」


 リサは特に気にした様子もなく、そのまま自然に料理へ戻っている。

 誤魔化したつもりの言い方が、なぜかそのままおさまっていた。


 リサは咀嚼しながら、軽く喉を鳴らす。


「如月って…食ったもんどこに入ってる?」


「胸っ」


 リサは何の躊躇もなく言い切る。

 むしろ当然みたいな顔をしている。


「……あ、そう」


 マサキは短く返す。

 呆れたような、投げやりなような声だった。


 そう言いながらも、目が一瞬だけ止まる。

 目の前で、リサがフォークを動かすたびに、薄い生地越しでもはっきりと主張する柔らかなふくらみが、重みを伴ってゆったりと揺れる。

 食事の動作に合わせて自然に動くその輪郭が、意識しないようにしても視界の端に入ってくる。


(いや、見てない)


 否定するのが遅れるくらいには、もう目が逸れていなかった。

 すぐに我に返って、マサキはドリンクバーへ目を逃がす。


(知り合い、来るなよ…)


 リサは食事を終える頃には、すでに目標をドリンクバーに切り替えていた。

 グラスを手に取り、ストローをくわえたまま、満足そうに頬をゆるめる。

 頬の動きが柔らかくて、何も考えていない顔なのに、妙に目を引く。


 リサは椅子に浅く座り直し、足を少し揺らしながら話し始めた。


「ミオは夏期講習でね、全然遊べてないね。せっかく夏休みなのに学校行ってるような生活してるの。本人はそれを『学生の本分』だってさ。夏休みっていうのはさ、そういうのから逃げる期間でしょ」


「保坂さんって、もう勉強しなくていいくらい成績いいのに」


 その言葉に、リサは一瞬だけきょとんとする。

 それから、少し口を尖らせて、頬に手を当てる。


「そこなんだけどさ。夏期講習ってね、3年生のコース行ってんの。いやいやいや、あたし今の範囲ですら分からないところいっぱいあるのに、あなたそこいくのって感じ」


 途中で自分で言いながら、納得いかないように眉をひそめる。

 それからストローを軽く噛んで、少しだけ唇を尖らせる。


「うわ…」


 マサキは素直に声を漏らす。

 その世界の密度が、自分とは違う場所の話に聞こえた。


 リサはその反応を見て、ふっと笑う。

 笑ったあと、グラスを机に置いて、少し身を乗り出す。


「まー、夏休みの終わりには恩恵を受けるんだけどね。ミオはとっくに宿題終わらせてるから、あたしは写すだけー」


 言いながら、指先でテーブルをとんとん叩く。

 悪びれないのに、どこか楽しそうで、目だけがやたら生き生きしている。


「宿題写すのはいいけど、少しは自分でやれよ?オレたち結構、成績悪いぞ」


 マサキは例の勉強会での成果で、夏休み前の期末では驚くほど成績が上がっていたのだが、それは伏せておく。


 リサはぱっと顔を上げる。

 目が少しだけ丸くなって、それからにこっと笑う。


「松前くん宿題終わったの?えらいねー。やっぱそういうとこ真面目だよね。じゃあ、宿題は松前くんに写させてもらおっかな」


 言いながら、わざとらしく両手を合わせる仕草をする。

 軽く首を傾げて、お願いするみたいな顔。

 表情だけ見れば完全に"ずるいお願い上手"なのに、悪意が一切ないのが余計に可愛かった。


「………」


 一瞬で返事が止まる。


(人のこと言えない…)


 リサはその沈黙を楽しむように、ストローをまたくわえる。

 そのまま、目を細めて笑う。


「あーれれー?松前くんどうしたの?」


 少し子どもっぽい声。

 わざとらしいのに、妙に似合っている。


「オレは…これからだけど」


「だと思った。間に合わなかったら言ってね。宿題写し会するから」


 言いながら、リサは軽くウインクする。

 そしてすぐに、何事もなかったように頬杖をついてドリンクを飲む。


(勉強会じゃなく宿題写し会になってる…)


 リサは話している間、ずっと表情が変わる。

 楽しそうに笑ったり、少しむくれたり、納得いかない顔をしたり。

 その全部が忙しなく動いているのに、どれも自然で、作られた感じが一つもない。


 リサの話は止まらない。

 ちゃんとそこにいて、空気を埋めてくれる。


 グラスを揺らす指先も、ストローを噛む癖も、視線がふと泳ぐ瞬間も。

 どれも軽くて、どれも生きている。


 ただそれだけで、この騒がしい店の中でも少しだけ落ち着けている自分がいた。

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