57. うしろめたいこと ~距離を壊したのはどっちか~ (挿絵)
翌々日の昼過ぎ。
容赦ない日差しが、アスファルトを焼いている。
立っているだけで、じわじわと体力を削られるような暑さ。
リサは、その中を歩き続けていた。
スマホを握ったまま、何度も同じ道を往復している。
額にうっすらと汗。
最初は軽く拭いていたけど、もう気にする余裕もない。
(……これだと不審者っぽい)
もう何周目か分からない。
それでも足は止まらない。
マサキの家の近く。
正確な場所は知らない。この辺りだというのはなんとなく覚えていた。
視界が、少しだけぼやける。
さっきから、水分もほとんど取っていないことに気づく。
(既読つかないってなに……)
画面を見る。
送ったLINEはそのまま。
『プール楽しかったね』
『また行きたいな〜』
未読。時間だけが増えていく。
(……なんかあったのかな)
最初は軽く考えていた。
忙しいだけとか、寝てたとか。
でも、半日、1日と経つにつれて、その可能性が薄れていく。
(変な終わり方してないよね……?)
一昨日のことを思い出す。
流れるプール。距離。会話。
変な空気にはなってないはず。
むしろ——
(ちょっといい感じだと思ったんだけど…)
そう思った瞬間、胸の奥が少しざわつく。
(……松前くん、なにもないといいけど)
その不安だけで、ここまで来ている。
◇
足を止める。
同じ家の前を、もう何度も通っている。
(さすがに怪しい人…)
自分でも分かっている。でも帰る気になれない。
(顔見たら分かる気がする)
理由なんて、あとでいい。とりあえず、ちゃんと話したい。
額を流れた汗が、顎先からぽた、と落ちる。
喉が渇いている。でも、ずっと自販機を探す余裕もなかった。
スマホを握る手が、少し熱い。
息を吸っても、空気まで熱を持っているみたいで、胸の奥がむっと重い。
◇
ふら、と体が揺れる。
一瞬、バランスを崩しかける。
「……あれ」
小さく呟く。頭が少し重い。
視界の端が、じわっと白く滲む。
(気持ち悪い……)
こめかみの辺りが、じんじんする。
汗は出ているのに、体の内側だけ熱がこもっているみたいだった。
呼吸が少し浅い。立っているだけなのに、足にうまく力が入らない。
(……なにこれ?)
ぼんやりした頭で、判断が鈍る。
でも、今さら帰る気にはなれなかった。
◇
そのとき。
がちゃ、と音がした。近くの家の玄関。
反射的に顔を上げる。
扉が開く。
イヤホン。スマホ。見慣れた姿。
(……いた)
「……松前くん」
声が出る。思ったよりも、力が入らない。
◇
マサキが顔を上げる。目が合う。一瞬で固まる。
「……は?」
完全に予想外の顔。
「なんでいるんだ…」
リサは、少しだけ息を吐いて。
「よかった」
それが先に出る。そのまま続ける。
「連絡つかないから、体調でも悪いのかと思って」
◇
言い終わったあと。
ふわっと体が傾く。視界が一瞬だけ白くなる。
「え……」
小さく声が漏れる。
マサキの目つきが変わる。
「……おいっ」
一歩で距離を詰める。
次の瞬間、リサの体が前に傾く。
完全に崩れる、その直前。
ぐっと腕が伸びる。反射的に、体を支える。
肩と腕を掴む形で引き寄せる。
近い。体温がそのまま伝わる距離。
でもそんなことを気にしている余裕はない。
「大丈夫か」
低い声。さっきまでとは違う、はっきりとした焦り。
リサは少しぼんやりしたまま、
「ごめ……ん、大丈夫……」
と言うけど、足元は明らかに安定していない。
体重がそのままマサキに預けられている。
マサキは一瞬だけ周囲を見る。
日差し。影のなさ。
このまま外にいさせるのは、明らかにまずい。
「人の体調がどうとか言ってる場合か」
返事を待たずに、体を支え直す。
「……悪い」
短くだけ言って、そのままリサの体を抱き上げる。
横から腕を差し入れて、背中と膝裏をすくう形。
いわゆる、お姫様抱っこ。
「……え」
リサの声が、かすかに漏れる。
視界が一気に高くなる。体が浮く感覚。
マサキの腕に、完全に乗せられている。
リサは反射的に、マサキの肩に手を乗せた。
近い。顔も、距離も。呼吸すら感じる距離。
(……近い)
ぼんやりした頭でも、それだけは分かる。
マサキはそのまま足早に玄関へ向かう。
リサの体重をしっかり支えたまま、一切揺らさないように。
腕に力が入っているのが分かる。
「……重い?」
ふらついた声で、リサが言う。
「今それ気にするな」
短い。でも、その言い方が逆に余計なことを考えさせない。
玄関に着く。足でドアを押し開ける。そのまま中へ。
涼しい空気が、一気に流れ込む。
「……っ」
リサが小さく息を吐く。
マサキは入り口から一番近いリビングまで進んで、
「ここ」
低く言って、ソファへそっと下ろす。
ゆっくり。負担がかからないように。
手を離す瞬間だけ、ほんの一瞬、動きが慎重になる。
完全に座らせてから、やっと距離を取る。
「動くなよ」
短く言い残して、すぐにキッチンの方へ向かう。
リサはソファに沈みながら、ぼんやりと天井を見る。
(……びっくりした)
さっきの感覚が、まだ残っている。
腕の感触。体を持ち上げられた瞬間。
(え、カッコ良……)
ぼんやりした思考のまま、頬が少し熱くなる。
でも、それ以上に——
(……会えた)
その安心の方が大きかった。
◇
マサキはキッチンから冷たい水をコップに入れて持ってきた。
「飲め」
短く言って渡す。
リサは両手で受け取って、少しずつ口をつける。
その様子を確認してから、カーテンを閉めてエアコンを入れる。
それから、リサから距離をおいてソファに腰かけた。
◇
沈黙。
エアコンの音だけが静かに響く。
◇
(……言うか)
頭の中で、さっきの続きが浮かぶ。
LINEを返さなかった理由。
ごまかそうと思えば、ごまかせる。
でも——
(また嘘になる)
それだけは、引っかかる。
流れるプールでの自分の行動は、それほど重かった。
「……如月」
呼ぶ。リサが顔を上げる。
まだ少し赤いけど、さっきよりは意識がはっきりしている。
「ん……?」
マサキは一瞬だけ言葉を止めて、手元を見たまま言う。
「……LINE返してなかったの」
「……うん」
リサは静かに頷く。
責める感じじゃない。ただ、待っている。
「見てわかるとおり……体調とかじゃない」
先にそれだけ否定する。
「分かった」
リサは小さく返す。
マサキは少しだけ息を吐く。
「一昨日のあと、ちょっと考えてた」
「うん」
マサキは続ける。
「……ああいう距離、くっついたりとか。オレが触ったり…」
言いかけて止まる。
どこまで言うか。頭の中で線を引く。
「如月は普通に来てるだけなのに……オレは変に意識して」
リサは黙って聞いている。
目は逸らさない。
「……そのあと」
少し詰まる。
言葉を探す。
「一人で思い出して……その、後ろめたいことした」
はっきりとは言わない。
でも、意味は伝わるライン。
リサの指が、コップを少しだけ強く握る。
「……後ろめたいことって?」
すぐに聞く。
マサキは一瞬だけ言葉に詰まる。
眉をわずかに寄せる。
「……だから」
うまく言えない。でも、ここで止まったらまた同じになる。
「一昨日のこと、思い出して」
少しずつ言葉にする。
「……そのまま」
一瞬だけ詰まる。
それでも続ける。
「……一人で処理した」
ぼかしている。
でも、さっきまでよりははっきりしている。
リサは、きょとんとする。
「……処理?」
そのまま聞き返す。
まだ繋がっていない。
(……ここまで言っても分からないのか)
呆れに近い感覚。
でも同時に、それだけ"違う前提で動いてる"ってことも分かる。
マサキは眉を寄せる。
「……男側の問題」
ぼそっと言う。
リサは、さらに分からない顔になる。
「男側?」
「普通に接してても……そういう風に考えることある」
「……?」
完全に伝わっていない。
リサは考えてから、
「えっと……ごめん、やっぱりよく分かんない」
正直に言う。
(もういい、言うか…)
一瞬だけ目を閉じる。
(どうせ嫌われるようなことをしたんだし…)
逃げる意味はない。
「あのあと…帰ってから…」
リサは黙って聞いている。
「一人で、思い出して……そのまま、如月で抜いた」
リサの表情が一瞬止まる。
「……え」
マサキはそのまま続ける。
「如月のこと考えて……そういうことに使った」
はっきり言う。
もう引かない。
沈黙。
リサの思考が、ようやく追いつく。
さっきまで繋がらなかったピースが、一気に形になる。
「……あ」
小さく声が漏れる。
数秒、何も言えない。
マサキはその反応を見ない。
見る気もない。ただ、続ける。
「……だから、今後そういうことがないように…如月と離れたかった」
最後に、自分で言い切る。
◇
「ご、ごめ……」
一度、言葉が途切れる。
「……あたし、ほんと分かってなくて」
ぽつり、ぽつりと。
言葉を探しながら。
「言いたくないこと、言わせちゃったよね」
眉が少し下がる。
「そういうの……隠しておきたかったよね、ごめんね」
小さく続ける。
「……家まで来ちゃって」
目が下に落ちる。
「ヤなこと、聞いて」
最後は、少しだけ弱くなる。
リサはそこで一度、言葉を止める。
指先でコップを撫でながら、ゆっくり言葉を探す。
「……でも」
「あたしも、悪かったと思ってる」
マサキの眉が、わずかに動く。
「男の子って、そういうのあるんだろうなっていうのは……なんとなく分かってたのに」
少し苦笑い。
「プールのときも、いっぱいくっついてたし」
流れるプール。距離。スライダー。
自然に寄りかかっていた自分を思い出す。
「松前くん、全然いやそうじゃなかったから……普通に平気なんだと思ってた」
静かな声。
「我慢してるとか、そういう風には見えてなかったし……」
「あたし、自分が近づきすぎてる自覚、ちゃんとあったのに」
そこで一瞬だけ言葉が止まる。
「なのに、そのまま甘えてたから」
「だから……松前くんが悪いみたいには思ってない。ごめんね」
マサキは、少しだけ固まる。
(……如月が謝るのは違うだろ)
「……あのね」
小さく切り出す。
「なんとなく、分かってるっていうのは」
目を逸らさずに言う。マサキの表情が、ほんの少しだけ動く。
「たまに、そういう話ふられることあるからなんだけど」
少しだけ苦笑いが混ざる。
◇
「ぶっちゃけ如月さんって、なにオカズにしてんの?」
軽いノリの声。笑い混じり。
「えー、なにそれ」
笑って返すしかない空気。
「いやいや、だってさ。如月さん経験ないわけないじゃん」
「夜とか一人のときにさ」
「男は普通にあるからさー」
さらに、少しだけ距離の近い声。
「オレ、如月さんでいっつも■■■■してる」
下品な笑い声が起きる。
「もーやだ、そういうのー」
その場では、軽く笑って流す。
いつも通り。でも——
(……キッモ)
内心では、はっきり思ってる。
◇
マサキを見る。
(松前くんだって、そういうことするんだろうな…とは、思ってた)
自分が誰かしらに性的な目で見られていること自体は、分かっている。
今までも、ずっとそうだったから。
それを直接本人の口から知らされるのは、経験上——
軽く笑って流せるものでもなく、冗談として受け取れるものでもない。
でも今のこれは、同じ話の内容なのに、全然違う感情がある。
(……前に、ちょっとだけ考えたことある)
ほんの一瞬、思い出す。
(松前くんが、そういうことするとき…なに考えてるんだろって)
(誰を想うのかなって……)
すぐに、そこで思考を止める。
(普通にエッチな動画とかだよね……)
軽く、自分の中で片付けていた。
そう思っていたからこそ。
今、目の前で言われたことの意味が、じわじわと変わってくる。
ただの"そういう話"じゃなくて、
(……あたし、なんだ)
小さく、胸の奥が揺れる。
(いやいや、あたし以外も普通にいるでしょ)
すぐに、打ち消す。
(今回はたまたま、あたしだったってだけで……)
そうやって、自分の中でバランスを取ろうとする。
でも——
一瞬だけ、頭の中に浮かんでしまう。
松前くんが、一人でいるとき。
さっき言っていた通りに、自分を想いながらしている光景。
(……っ)
思考が追いついた瞬間、自分で自分に引く。
なのに、完全には止めきれない。
慌てて口元を押さえる。
(あ、あたし………キッモ)
◇
マサキはすぐに返さない。
少し黙ってから、口を開く。
「まぁ、男は所詮そういう生き物なんだが……それでも」
手元を見たまま、続ける。
「……変なこと考えてるやつが近くにいるのは、如月にとってもよくないだろ」
少しだけ、言い切る強さが戻る。
自分に言い聞かせるみたいに。
「普通に考えたら、距離置いたほうがいい」
マサキの言葉が、静かに落ちる。
リサは少し考えてから口を開く。
「……松前くんて、難しく考えちゃうタイプだから」
ぽつりと。すぐに、少しだけ慌てて付け足す。
「あ、気遣ってくれてるのは分かるよ?」
目はちゃんと向けたまま。
「でもさ、松前くんの中でそれが正解でも……あたしにとって、逆だったりするんだよね」
押しつけるでもなく、ただ事実として。
マサキの眉が、わずかに動く。
リサは続ける。
「松前くん本人が気まずいからっていうなら、まぁ仕方ないんだけど……」
少しだけ間を置いて、
「"あたしにとってどうか"って話なら」
一度、息を吸って。
「……あたしは、松前くんと距離おきたくない」
はっきり言う。空気が、少しだけ張る。
マサキが短く返す。
「……まだ意味わかってないのか」
「わかってるよ?……あたしのこと、性的な目で見てるって意味だよね」
(はっきり言うな……)
それだけ思った。
リサは、そのまま続ける。
「松前くんは、あたしと離れる前提で話してくれたと思うから。やっぱり気まずいとは思うんだけど……」
少しだけ声が柔らぐ。
「……あたしも、ここは譲れないと思ってる」
真っ直ぐに。
「返信の理由だって、ごまかそうと思えばいくらでもできたのに。ちゃんと本当のこと言ってくれるし。離れようとする理由だって……あたしのためだし」
言いながら、表情が少し緩む。
「……あと」
ほんの一瞬だけ迷う。
それでも、言う。
「さっきの……抱っこされたの……すごい、嬉しかったから」
小さく。
「だから、そういうのが……ない方が、イヤって思う」
最後は、少しだけ弱くなる。
でも、言葉自体は、ちゃんと残った。
◇
マサキの中で、何かが確実に揺れる。
「……オレは、普通に考えたら、避けるべきだって話で」
「……変なこと考えてる時点で、もうアウトだろ」
言葉が少しだけ強くなる。
「それで普通に接しようとしてるほうが、おかしい」
マサキは顔を上げる。
「普通、引くだろ。気持ち悪いって思うだろ」
声が低くなる。
「……そういう話になるはずなんだ」
確認するみたいに言う。
でも、一つだけはっきりしてる。
思ってた展開じゃない。
その空気の中で、リサが、少しだけ息を吐く。
「……ね、ちょっとだけ話していい?」
マサキは返さない。でも、止めもしない。
リサはそのまま続ける。
「この前さ、一緒に買い物行ったとき。あたしが2階で見てたやつ、覚えてる?」
マサキは、わずかに眉を寄せる。
「……ああ」
「あれね、乙女ゲームっていうんだけど」
ほんの少しだけ、言いづらそうにする。
「ずっと、隠してたの。そういうの好きって、あんまり言いたくなくて」
苦笑が混ざる。
「二次元の男の子にさ。実在しない人に、デレデレしてるのとか」
言いながら、自分でも少し恥ずかしそうに笑う。
「……普通に考えたら、気持ち悪いって思われるかなって」
「今まで、誰にもちゃんと言ったことなかったし。松前くんに知られるのが、一番怖かった」
正直に言う。
「でも…松前くん、全然そんな感じじゃなかった。女ってそういうの好きだよな、くらいで終わって」
少しだけ、笑う。
「なんか、拍子抜けするくらい普通で」
そのときの空気を思い出す。
「……あれ、嬉しかったんだよね」
小さく付け足す。
「だからってわけじゃないけど……あたしも、松前くんのこと」
一瞬だけ止まる。
「なるべく、そのまま受け入れたいなって思ってるのは、ほんと」
ゆっくりと言う。
「全部が全部、同じにできるかは分かんないけど。でも、松前くんが思ってるほど…」
少しだけ首を傾ける。
「……あたし、それ大したことだと思ってないっていうか」
困ったように笑う。
「うまく言えないや」
小さく息を吐く。
「伝わるといいんだけど」
挿絵はAI生成。
SDで生成、GPTで編集しています。




