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52. 花火大会 前編 ~大事になった3~

(いや、冷めるとかじゃなくて……)


 でも説明が追いつかない。

 追いつかないまま、言葉が勝手に出る。


「……あのな」


 リサが顔を上げる。

 マサキは一度止まって、それでも絞り出すように続けた。


「これ、普通に間接キスだぞ」


 言った瞬間、自分でも少し間が空く。

 さっきまで何も気にせずやっていたのに。


 今さら言うのもおかしいのは分かっている。

 リサは一瞬きょとんとする。


「さっきまで普通にやってたじゃん」


「いや、それは……」


 言葉が詰まる。

 自分の中でだけ整理されている感覚が、外に出ない。


(オレは……別にいいんだよ)


 心の中ではそう思っている。

 如月となら、それは別に嫌じゃない。


 でもそれをそのまま言うと、もっとおかしくなる気がした。

 だから結局、ひとつに潰す。


「オレと如月じゃ……違うだろ」


 それしか言えなかった。

 リサはその言葉を数秒見つめる。


 そして、すぐに顔をしかめた。


「は?何それ」


 一歩引くように、でも声は鋭い。


「意味わかんないんだけど」


 マサキは目を落とす。

 うまく説明できない。

 自分から差し出すのは違う、それだけだった。


 自分の中では整理できているのに、言葉にすると全部ズレる。


(でも如月は……そういうの違うだろ)


 それだけが、どうしても外に出せないまま残る。


「さっきからずっとそれやってたじゃん。今になってダメってなに?」


 マサキはすぐに否定できない。

 間が空く。


 リサの目が少し細くなる。


「それってさ、さっきもイヤイヤやってたってことだよね」


 そこでようやく、マサキの言葉が追いつかなくなる。


「違う」


 即答はできた。

 でも、それ以上の言葉が出ない。


 リサはその一言だけを聞いて、目を瞬かせる。


「じゃあなに?」


 問いが重なる。

 マサキは口を開きかけて、止める。


 頭の中では言えているのに、外に出る形にならない。

 リサは小さく息を吐く。


「無理させてごめんね」


 そのまま、視線を落とす。

 マサキは一度、手元を見てから静かに続けた。


「……違う」


 リサが顔を上げる。

 マサキは言葉を探すように少し間を空けてから続けた。


「オレが触ったやつとか、口つけたやつとか…そういうの、そのまま如月に渡すのが単純にイヤってだけ…」


 リサは目を瞬かせる。

 マサキは前を向いたまま、言葉を絞り出す。


「なんていうか………男のって、なんか汚いだろ。それを如月がそのまま受ける形になるのを自分からするっていうのが許せない」


 一度そこで言葉が止まる。


(汚いってなに…?松前くんの唾液が?汚いだろって言われてもそんなの思ったことないんだけど。いや、そりゃ他の人のは汚いか…)


 それでも足りない気がして、もう一言だけ足す。


「如月が汚れるから、オレからはしたくなかった。せっかくキレイなんだから」


 リサは一瞬、言われた意味をそのまま受け取れなかった。

 松前くんの言葉だけが、少し遅れて胸の中に落ちてくる。


(キレイって…そんな使い方するぅ…?)


 その単語だけが、やけに浮いている。

 リサは無意識に、自分の指先を見た。


 たこ焼きの油が少しだけ残っている。

 慌てて巾着からウェットティッシュを取り出して、手を拭く。


 拭きながら、


(いやいや、違う。松前くんの言ってるキレイってそういうことじゃなくて!たぶん、その…け、汚れてないって意味だよね)


 そこまでは分かる。分かるはずなのに。


(あたし、別にそんな大げさなものじゃないんだけど)


 リサが拭き始めた瞬間、マサキは一拍遅れてそれに気づく。


(なんで急に手拭き始めたんだ…?)


 リサは拭いた手を見下ろして、動きを止めた。

 自分が踏み込んでいった分だけ、見えないところで線を引かれていたみたいで。


 マサキの方を見る。

 さっきと同じように、うまく説明できない顔をしている。


 ただ困っている顔。

 リサは小さく息を吸って、視線を落とす。


「あ、あの……あたしの方は…平気。松前くんの出したものなら…全部、飲める…」


 言ってから、顔がじわっと熱くなる。


「だから……別に、いい……」


 その瞬間、マサキは少しだけ止まる。


(いやいやいやいや)


 心の中で急停止。


(なんか言い方、間違ってないか……?)


 言われたこと自体は分かる。

 如月の気持ちは、多分そういう意味じゃなくて、間接キスは平気って伝えたくて、ちょっとだけ勇気出して言ったんだろうな、っていうのも、分かる。


 でも、その言い方。


(松前くんの出したものなら、って……飲める……?)


 リサ自身はその言葉の響きに気づいていない。

 ただ、純粋に「マサキからのものが平気だ」ということを伝えたつもりで、そこまで深い意味は考えていない。


 マサキはその意味のずれに気づいてしまったからこそ、余計に引っかかる。


(いやいやいや、言葉の使い方おかしいだろ……でもこれ、多分、変な意味ないんだよな)


 そういうところが如月らしいというか、無防備すぎて逆に困る。


 リサは、マサキの反応を見てようやく違和感に気づく。

 さっき自分が言った言葉が、頭の中で少し遅れて再生される。


『松前くんの出したものなら…全部、飲める』


 一瞬、時間が止まる。


(やってしまった………松前くんの唾液ならって言おうとしたのに。いや、でもどのみち飲めるって言い方おかしいけど)


 青ざめた顔が一気に熱くなる。

 耳から蒸気が出そうな勢いで顔が火照っていく。


「いまの……あれ、間違った。その……そういうつもりじゃなくて……あの……」


 言い訳も曖昧で、最後は「ううー……」と呻いて俯いたまま何も言えなくなった。


 マサキも一瞬だけ固まる。


(これ、勘違いするなって方が無理だろ……)


 だが、リサがここまで赤くなって、言葉を失って、苦しんでいる顔を見せている。

 マサキは小さく息を吐いて、たこ焼きの方を見る。


「まぁ、平気だって言うなら…」


 そう言って遠慮がちにたこ焼きを一口齧る。咀嚼しながらリサに目を向ける。


 手元が落ち着かない仕草になっていることには気づかないふりをして。

 残った食べかけのたこ焼きを、リサの方へ差し出す。


「ほら」


 リサは目をぱちくりさせる。

 小さく息を吸ってから、ゆっくり口をあけ、差し出されたたこ焼きを口に入れようとした。


 その瞬間——


(近…っ)


 マサキは手にリサの柔らかい髪がかかり、思わず引っ込めてしまう。

 リサはそのままの姿勢で固まる。


「……は?」


 たこ焼きはまだ目の前にあるのに、マサキの手だけが微妙に引かれている。

 リサはゆっくりと目線を上げマサキを睨む。


 マサキはほんの少し目をそらしていた。


「バカにしてんの?」


 その一言は、思った以上に鋭かった。

 リサの声は大きくないのに、空気だけがぴんと張る。


「悪い…如月の髪が、手に…当たった」


 リサは一瞬黙ってから、眉をひそめる。


「それで引っ込めたの?」


 マサキは目をそらす。


「……うん」


 短い肯定。

 リサは小さく笑う。


「そんな警戒しなくていいって」


 マサキはぼそっと言う。


「いま怒ってただろ」


「怒ってないよ」


「めっちゃ怖かった」


「やめてよー、それより早く食べさせて」


 そう言いながら、今度は普通に体を少しだけ前に出す。


「はい」


 マサキが慎重に差し出す。

 リサはそのまま口を開いて、今度は普通にたこ焼きを口に入れる。


「……ん」


 軽く頷いて、もぐもぐと咀嚼する。

 数秒だけ沈黙。


 リサは少し目をそらしたまま、口元を押さえる。


(やば……今のが1番美味しい)


「てかさ」


 リサはふと思い出したように、


「間接キスくらいは今までもしてたじゃん。回し飲みもしてたのに、なんで急に?」


 マサキは一拍だけ止まる。

 斜め下に目を落として、少し考える素振りを見せる。


「……前は」


 そこまで言って、言葉が止まる。


(前は、そこまで考えてなかった)


 頭の中ではそこまではすぐ出る。

 でも、その先がうまく形にならない。


 リサは残りのたこ焼きをもぐもぐしながら、横目で待っている。

 マサキは口を少し開いたまま黙った。


「……前より、気になる」


 リサが目を瞬かせる。


「なにが?」


「……いろいろ」


 あまりに雑な答えに、自分でも少し嫌になる。

 マサキは小さく息を吐いた。


「前は、別に……その場の流れっていうか」


「今は?」


 短く返されて、また詰まる。

 手元の紙舟を見ながら、ぽつりと落とす。


「……今は、ちょっと違う」


 リサは何も言わない。

 マサキは手元を見たまま続ける。


「如月が……」


 喉が少し詰まる。


(…言いづらい)


「……前より、大事になった」


 言った瞬間、自分で少しだけ固まる。

 リサもぴたりと動きを止めた。


 そのあと表情がゆるくなる。

 マサキは慌てて言葉を足す。


「いや、変な意味じゃなくて」


 マサキは言葉を探しながら続ける。


「その……なんか、守らないといけない気がして…」


 言い終えたあと、マサキは紙舟ばかり見ている。

 リサの方は見ない。


 見たらたぶん、今よりもっと変なことを言いそうだった。


 マサキが言い終えると、リサの顔がカーッと赤くなる。


(マ…)


 思考が途中で止まる。

 顔が熱い、なんなら身体も火照ってる。


(マジか…)


 遅れて意味が繋がる。


『大事になった』

『守らないといけない気がする』


 それがそのまま、頭の中で何度も再生される。


(いやいやいやいや待って)


 一気に体温が上がる。

 顔だけじゃない。首元も、耳も、たぶん全部赤い。


(なにそれ……なにそれ……?!)


 熱い。


「っ、あつ……」


 でもそれどころじゃない。


 横を見る。マサキはまだ紙舟を見ている。

 こっちを見ない。


(いや、見ろよっ)


 心の中で即ツッコミ。


(ここは見つめ合っていい雰囲気になるところじゃないの?!)


 でも、目を向けられたら向けられたで困る気もする。


(……無理だって今は)


 リサは目をそらして、口元を押さえる。

 小さく息を吐く。


 それでも顔の熱は全然引かない。

 恐る恐るもう一度横を見る。


 松前くんは相変わらず手元を見たまま。

 微妙な気持ちになる。


 リサは少し頬を膨らませる。


(意識させるだけさせて、それ?!あたしのこと大事なんじゃないの?)


 リサはそのまま、最後のたこ焼きを取る。


(悔しい)


 そう思いながら、わざと少しだけ雑にかじった。


「そんなんさー、慣れの問題じゃない?」


 リサは努めて何事もないように口を開く。


「せっかくだしさ、いろいろ食べてみよーよ。半分こで」


 松前くんはちらりとリサを見てから、


「……そうだな」


 と言って視線を屋台の方に移す。

 リサはその反応を見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。


(ふふん、かかった)


 いか焼き。

 ほたて。

 フランクフルト。

 わたあめ。

 チュロス。


 全部、半分こ。

 すべて"交互にかじって"の形で終了した。


(……如月の選んでるやつ、半分にしづらいのばっかりだな)


 少し前から気になっていたが、今はもう違和感しかない。


(……いや、考えるな)


 自分が口をつけた場所を、迷いなくかじって、そのまま咀嚼する。


(……なんで平気なんだよ)


 気づけば、かなり食べていた。


「…お腹いっぱい」


「満足したか」


 短い会話。

 少し歩いた先、アイスクリーム屋の屋台。


 リサが立ち止まり、小さく息を吐く。


「アイス食べたい」


(食うのかよ)


 マサキはリサを見る。

 さっきまであれだけ食べていたのに。


(この細い身体の、どこに入ってるんだ…)


 内心で軽く引きつつも、口には出さない。

 リサはもうメニューを見ている。


(……アイスはまずい)


 さすがに思う。


 リサは店員に向かって、


「バニラひとつください」


 当たり前のように"ひとつ"。

 マサキはその横で何も言わない。


 小さなカップ。

 スプーンは一つ。


「はい」


 差し出される。

 逃げ道がない。


(やるしかないか)


 一口すくう。


(さきに如月にいかせるか)


 リサの口元に差し出す。

 リサはそっと身を寄せて、スプーンをぱくっとくわえた。


「……ん」


 スプーンに目が向く。

 リサが舐め残したアイスが、スプーンの先にわずかについている。


「次、松前くんだね」


 リサが楽しそうに微笑む。


(……わざとやってるのか)


 マサキは目をそらし、少し黙ってから、


「……あぁ」


 小さくつぶやいて、アイスをすくいスプーンをくわえた。


 冷たさが舌に触れる。


(普通のキスより濃厚な気がする…いいのか、これ)


 スプーンから口を離す。

 少しだけ唇をすぼめたまま、名残惜しさを飲み込む。


 リサは逃げずに真っ直ぐ目を向けてくる。


「今度はあたしね」


 リサは軽く顎を上げて、口を開けて待っている。


(どうしてオレなんだ)


 マサキは眉を少し下げてスプーンを持ち上げた。

 少しだけアイスをすくい、リサの口元に運ぶ。


 リサはそのスプーンを咥えて、少しだけ唇を閉じた。


(……これ、もう実質キスだろ)


 頭の中で言葉になる。

 リサは微笑む。目を細めて、嬉しそうに見つめてくる。


「おいしいね」


 リサは小さく舌を動かして、唇についたアイスを舐め取る。

 その仕草が妙に艶っぽくて、マサキは思わず目をそらした。


「松前くん、早く食べないと溶けちゃうよー?」


 リサは楽しそうにアイスのカップを覗き込む。

 でもマサキの意識は、まだ如月の唇に残っていた。


(溶けそうなのはオレの理性だろ……)


 手元のスプーンが少しだけ揺れる。

 マサキは一度、息を吐いてから再びアイスをすくった。


(……次、オレだな)


 ぱくっ、とアイスを食べる。

 スプーンを口から離したあと、マサキはほんの一瞬だけ動きを止めた。


 冷たさが残っているはずなのに、妙に口の中が熱い。


(……おかしいだろ、これ)


 さっきまで「守らないと」とか考えていたはずなのに。

 顔を上げる。


 リサは、そんなマサキの様子を見て、少し楽しそうに笑っていた。


「なに笑ってんだ」


「松前くん、可愛いなーと思って」


(完全に遊ばれてる)


 そう思いながらも、マサキは逆らわない。

 アイスをすくって、リサの口元へ運ぶ。


 リサは今度は少しゆっくりめに、スプーンに口をつけた。

 唇が触れる瞬間が、妙に目に残る。


(……見るな)


 自分で思いながらも、目が外せない。

 リサはわざとらしく少しだけ時間をかけてから、スプーンを離した。


「ん」


 満足そうに小さく頷く。

 そのまま、マサキの目を見てくる。


「ね、さっきのさ」


 リサは少しだけ首を傾ける。


「守りたいって言ってくれたじゃん」


 マサキの手が、ほんのわずかに止まる。


「……言ったな」


「こういうのがダメっていうのとは、違うんじゃない?」


 一瞬、意味を測る。

 こういうの。

 間接キス。


 マサキは少しだけ考えてから、


「…まぁ、たしかに」


 あっさり認める。

 リサはにやっと笑う。


「だよねー?」


「……別だな、それは」


 リサは少し目を丸くしてから、ふっと笑った。


「なにが」


 マサキは手元を見たまま、ぽつりと落とす。


「守りたいのと、触れたいのは別」


 その一言。

 リサの動きが、ぴたりと止まる。


(……は?)


 今の、さらっと言ったけど。

 理解が一瞬遅れる。


 でも、意味は分かる。

 分かるからこそ、熱が一気に上がる。


「……っ」


 言葉が出ない。

 リサは咄嗟に顔を逸らす。


「……なにそれ」


 小さく呟く。

 でも声が少し震えている。


 マサキは目をそらしたまま、言葉を続ける。


「……触れたくないわけじゃない」


 小さく、でもはっきり。

 リサの肩がぴくっと揺れる。


 マサキはまだこっちを見ない。


「むしろ……その逆で」


 言いながら、自分で少しだけ詰まる。


(なに言ってんだオレ)


 でも止まらない。


「変に意識するようになっただけ」


 そこまで言って、ようやく口を閉じる。

 リサの手に持っていたカップが、ほんの少し揺れる。


 頭の中が一気にぐちゃぐちゃになる。


(あたしだって……そ、そんなん言えないのにっ)


 顔の熱が引かない。

 むしろさっきより上がってる。


 目は下。

 でも、口元が少しだけ緩んでしまうのを抑えられない。


「な、なにそれ。どういう意味?」


 なんとか出した声。声が上ずる。

 ちょっとだけ拗ねたトーン。


 マサキは、


「そのままの意味だ」


 雑な返し。

 でも、それが逆にリアルで。


 リサは小さく息を吐く。


(ダメだこれ)


 勝てない。

 正面から来られると、弱い。


 リサはちらっと横目で松前くんを見る。

 またこっちを見ていない。


(……見ろよ)


 さっきと同じツッコミが心の中に浮かぶ。

 同時に、


(見られたら困る)


 とも思う。

 ぐちゃぐちゃ。


「も、もういいから!溶ける前に食べちゃお!」


 強引に流す。

 でも、耳まで真っ赤。


 マサキはその様子をちらっと見て、


「……如月、顔赤いけど」


「暑いのっ」


「アイス食べてるのに暑いのか」


「ねぇ、早くアイスちょーだい!」


 リサは口をあける。

 リサの口元に、ゆっくりとスプーンが運ばれる。


 マサキはほんの少しだけ手元を意識しながら、慎重に距離を詰める。

 リサはそのまま、素直に口を開けて受け取った。


「……ん」


 小さく頷いて、ゆっくり味わう。


 その様子を見て、マサキは一瞬だけ手元を見る。

 スプーンを引き抜くと、指先にほんのわずかな温度が残る気がした。


(……意識するな)


 頭の中で押さえ込む。

 でも完全には消えない。


 リサはまだ少し赤い顔のまま、目をそらしながら呟く。


「……ほんとに溶けるからね」


「わかってる」


 短く返す。

 もう一度すくう。


 今度は自分の番だと分かっていながら、どこかで一拍遅れる。

 口に入れる。


 冷たさが広がるはずなのに、どこか落ち着かない。

 隣を見る。


 リサは目をそらしたまま、でも少しだけこっちを気にしている。

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