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距離感ゼロの如月さんと自己評価ゼロのオレ  作者: 空色いろはに
新学期 編

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5/110

新学期 ~隣の席と一曲の逃げ道1~

「お待たせー」


 リサが部屋の扉を開けた瞬間、先に騒いでいた声が少しだけ止まった。

 視線が一斉にこちらへ向く。


「マジで来たんだ」


「なんで松前が如月さんと?」


「えー! 二人ってどういう関係?」


 マサキは返事をするより先に、部屋の中を見た。


 空いている席。

 扉までの距離。

 立ったままでいられる場所。


 どれも一瞬で確認して、どれも使えなさそうだと分かった。


(詰んでるだろ、これ……)


 誰かの視線がこっちへ向くたび、肩のあたりが少しずつ重くなる。

 如月さんの隣にいるだけで、説明しなきゃいけないことが増えていく気がした。


(やっぱりそうなるか……)


 居心地が悪い。

 できることなら、このまま入口から出ていきたい。


 リサは周りの反応を見て、ふっと笑った。

 からかわれて照れたというより、騒ぎを大きくしないために、先に笑って流したように見えた。


 その顔を見て、マサキは少しだけ困る。

 如月さんは、こういう空気の逃がし方を知っている。

 自分なら黙るしかない場面で、彼女は笑って、その場を軽くしてしまう。


「あたしが誘ったから、案内してたの」


 リサは変に濁さず、そのまま答えた。


「え、如月さんが誘ったの?」


「うん」


 即答だった。

 隠すつもりがないみたいに、リサはあっさり頷いた。


(いや、その言い方だと余計に変だろ……)


 マサキは内心で突っ込む。

 けれどリサは平気そうな顔で、当然みたいに隣へ立っていた。


 その顔が妙に目を引いて、マサキは一瞬だけ目を逸らす。

 笑ったときの目元の柔らかさとか、声に出さないまま落ち着いてる感じとか、周囲の騒がしさと少し浮いて見えた。


 そのままリサは、マサキの横へ並ぶ位置をさりげなく取るように一歩前へ出た。

 通路側に立ち、マサキと席の間へ身体を入れる形になる。


(……逃げ道、塞がれてる)


 マサキが横を抜けようとすると、リサの立ち位置がわずかにずれて、必ず視界へ入る。

 前へ行かせるんじゃなく、隣に行く流れだけが残るように動いている。


(これ、わざとじゃないよな……?)


 でも不思議と、嫌な感じではないのが余計に困る。


 リサは軽く指を伸ばして奥の席を示す。


「松前くんあっちの席だよ」


 そのまま流れるみたいな動きで、マサキの進路だけを残すように立つ。

 距離は詰めていないのに、選択肢だけが減っていく感じだった。


(部屋入れば離れると思ったのに……)


 リサはにっこりと笑う。

 その表情がやけに綺麗で、マサキは慌てて前を見る。


「ほら、座って?」


 逃がさない感じに見えた。

 けれど、マサキがすぐに動かないのを見て、リサの笑顔がほんの少しだけ揺れた。


「……嫌だったら、言ってね?」


 小さな声だった。

 周りの騒がしさに紛れて、たぶんマサキにしか聞こえていない。


(いや、嫌っていうか……)


 嫌ではない。

 ただ距離が詰まっている。

 体温を感じるくらいの近さで、説明しようとしたら、たぶん全部おかしくなる。


(無理だろこの雰囲気……)


 周りからの視線が刺さる。


「なに? 席まで隣?」


 マサキはリサから離れようと後ずさりした。

 すると、空いている端の席に行きついた。


 リサはまっすぐこちらを見て言った。


「松前くん、そこに座って」


 マサキは抵抗を諦めた。

 席に座ると、なるべく壁側へ寄る。


 リサはマサキのすぐ隣に、当然みたいに腰を下ろした。

 ふわっと甘い匂いが近くなる。

 肩が触れそうなくらい距離が近い。


(近いっ!)


 マサキは焦る。

 しかし、すでに壁際だったので避けるスペースがなかった。


「き、如月…さん…っ」


 マサキはリサにだけ聞こえる音量で声をかけた。


「ん?」


 リサがマサキへ顔を寄せて聞いてくる。

 さらに距離が縮まる。

 さらりと髪が揺れる。


 伏せ気味の睫毛の影と、笑う前みたいに少しだけ上がった口元がやけに目に入った。

 肌もなめらかで、照明の下だと白く光って見える。


(……可愛い)


 整った顔立ちがさらに近く見えて、余計に視線の置き場がなくなった。


「ちょっと、近くないか…」


 小声で伝える。


「なに、聞こえない」


 さらに詰めてくる。


 マサキは顔を真っ赤にして目を逸らした。


 リサは照れ隠しみたいに見えた小さな笑いを浮かべる。

 マサキにはその反応が、完全に余裕ある側に見えた。


 周りからの視線をひしひしと感じる。


(これ絶対慣れてるだろ……! こっちだけ勝手に限界になってる…)


 マサキは頭を抱えた。


 ◇


「松前くん、飲み物頼もう。飲み放題だから、ここから選んで」


 リサがメニューを差し出して、マサキの膝の上へ置いた。

 そのとき、マサキの手へリサの指先が当たった。


 柔らかい。

 すべすべした細い指が、手の甲へ軽く触れたまま離れない。


(っ……)


 一瞬だけ、呼吸が止まる。


 リサは何も気にしていない顔でメニューを押さえている。

 わざと触っている感じには見えない。

 それでも指先から熱が移るみたいで、妙に意識してしまう。


 マサキは視線をメニューへ落とす。

 顔を見たら余計に変な反応をしそうだった。


 心臓がやたらうるさい。

 触れてるだけ。

 それだけなのに、意識が全部そこへ引っ張られる。


 リサは気づいていないみたいに、そのまま笑った。


 マサキは半ば諦めたように、


「コーラ……」


 と言った。


 リサの目が一瞬だけ丸くなって、それから口元が小さく緩んだ。

 ほんの少しだけ、見つけたものをしまい込むみたいな顔だった。


「食べ物も一人一品選べるよ。なににする?」


「から揚げ…」


「いいね、ここのから揚げ美味しいよ」


 すぐにそう返して、タブレットで注文を済ませた。

 その距離が、やっぱり近い。


(なんでそんな距離詰めてくるんだ……)


 マサキはできるだけ平静を装う。

 しかし、孤立したクラスメイトに率先して注文を聞いてくれるあたり、クラスの中心にいる理由がなんとなく分かる。


「じゃあ景気づけに最初は誰歌うー?」


「お前からいけよー!」


 マイクが回り始める。


 マサキはそれを横目で見ながら、ソファの背もたれへぐっと背中をつけた。


(帰りたい……)


 正直、それしかない。

 騒がしい空気、視線。

 全部が苦手だった。


 そのとき、隣から小さな声。


「大丈夫?」


 リサだった。


 マサキは一瞬だけ反応が遅れる。


「……なにが」


「帰りたくなってないかなって」


 不安そうな表情を浮かべている。

 ほんの少し首を傾けながら、覗き込むみたいにこっちを見てくる。

 大きめの瞳が真っ直ぐ向いていて、さっきまで周囲へ向けていた作ってるみたいな笑顔とは違って見えた。

 近い距離で見える顔はやっぱり整っていて、心配そうに目尻が下がるたび、妙に目が離せなくなる。

 唇が小さく開いて、返事を待つみたいに止まっている。


 マサキは一瞬、言葉を失う。


(……オレ、そんな顔に出てたか?)


「……別に」


 反射でそう返す。


 リサはおろおろしだす。

 視線が落ち着かなく揺れて、膝の上で指先をぎゅっと握る。

 その仕草まで小動物みたいで、マサキは余計に目の置き場がなくなった。


「あ、なにか歌う?」


「……は?」


 思わず聞き返す。


 リサは少し慌てた様子で続ける。


「いや、その…無理にとは言わないけど。もし何かあればっていうか、その…」


 言いながら、自分でも何を言ってるのか分からなくなっているみたいに言葉が崩れていく。


 マサキはその様子を見て、逆に冷静になる。


(なんで急に焦ってるんだ…?)


 さっきまでの余裕ある感じとは違う。

 ちゃんとこっちの様子を見て、なんとかしようとしてる顔だった。


「……いや、歌わない」


 短く言う。


 リサは一瞬だけ「やっぱりか」という顔をして、


「だよね!」


 と、わずかに無理に明るく笑う。

 でもすぐに、また少し不安そうに目を伏せる。


「じゃあ、その…話しよう!」


「……は?」


 マサキはまた同じ反応をする。


(なんでそうなるんだ)


 歌わない→じゃあ話そう、の流れが理解できない。


「……別に、話すことないけど」


 正直に言う。


 リサは一瞬だけ詰まる。


 困った顔で「えっとー…」と呟くリサを見て、マサキは気づいた。


(そういえば…この子、さっきからオレとしか喋ってないな)


 周りはもう曲の準備だとか、誰が先に歌うとかで盛り上がっている。

 マイクも別の方向へ回っていて、視線もわずかにそっちへ流れていく。


 誰かがリサの名前を呼んで、マイクの方へ手を振っていた。

 たぶん、あそこへ行けばすぐに混ざれる。

 ちゃんと場の中心にいられる。


(……如月さんは、そっちだろ)


 なのにリサは、そっちへは参加せず、当然みたいに隣へ座って、当然みたいにこっちを見ている。

 壁際で黙っているだけの自分に、何度も話を振っている。


 それがありがたいより先に、申し訳なくなった。


「オレのことは放っておいてくれていいけど」


 マサキがそう言った瞬間、リサの動きが一瞬止まる。


「え」


 短い声だけが落ちて、ほんの少し間が空く。


 リサはすぐに笑おうとするけど、うまくいかないみたいに口元が揺れた。


「ほら、誘ったのあたしだし」


 言いながら、視線がわずかに落ちる。


「松前くん、楽しくないと帰るって言ってたし…」


 その言い方は、さっきまでの軽さがない。


 マサキは眉間に小さく力を入れる。


(だからって……)


 理解が追いつかない。

 気を遣われる理由が分からない。

 自分はただの人数合わせのはずだ。


 マサキはそこでようやく気づいた気がした。

 さっきからの距離感も、隣にいる理由も、全部気を遣っているだけなのかもしれない。


「別に、気にしなくていいから。如月さんはみんなと楽しんできていいよ」


 リサは一瞬だけ固まった。


「……ん」


 その声は小さくて、ほんの少し間が空く。


 周りではちょうど誰かが歌い出して、拍手や笑い声が重なる。

 でもこの席だけ、その音が少し遠い。


 リサは一度だけマイクの方を見て、それからすぐにマサキへ視線を戻した。


「……あの、やっぱり」


 言いかけて、言葉が途切れる。


 リサは笑おうとした。

 たぶん、いつもの明るい顔に戻そうとしたのだと思う。

 けれど口元だけが少し上がって、目元はついてこなかった。


「あたし……ウザイよねぇ」


 冗談みたいに言ったのに、声が少しだけ弱い。

 そのせいで、マサキはすぐに返せなかった。


(……え?)


「ご、ごめんね。迷惑だよね…」


 リサはすぐに言い直すように続ける。

 さっきまでの明るさを無理に引き戻そうとしているのが分かる。


 その瞬間、マサキはようやく思い出す。


(……そういえば、この子)


 楽しませる、って言ってた。


 さっきの教室からここへ来るまで、距離の近さとか気まずさとかで頭がいっぱいで、その前提をほとんど忘れていた。


(じゃあ今のオレ、どう見えてんだ)


 ただ座ってるだけで、喋らなくて、リアクションも薄い。

 それでいて「気にしなくていい」とか言う。


(……そりゃ、そうなるか)


 マサキは言葉を探して、少し間を空ける。


「いや、そういう意味じゃ…ないけど」


 曖昧にしか返せない。


 その言葉に、リサは止まる。


 マサキは続けて、


「オレに気を遣い過ぎて、如月さんが楽しめてなさそうだから…」


 言いながら、自分でも整理できていない違和感だけをそのまま出している。


 リサは瞬きを一回して、じっとマサキを見る。


「……た、楽しいけどなぁ」


 小さく、でも急いで否定するみたいな声。


 マサキはわずかに目を細める。


「今はそうは見えない」


 それだけ言って、横へ視線を流す。


「松前くんが、邪魔だからどっか行けみたいなこと言うから……」


 最後は小さく、言い訳みたいに消えた。


 マサキはそこで固まる。


(……そんなふうに聞こえるのか)


 ようやく理解する。

 自分は「気を遣わなくていい」と言ったつもりだったのに、リサには「距離を取られてる」に聞こえている。


(やばいな、これ)


 喉の奥がほんの少しだけ詰まる。

 それでも、どう言い直せばいいのかは分からなかった。


『放っておいてくれていい』

『気にしなくていい』

『如月さんはみんなと楽しんでこい』


 確かに、遠ざけるつもりで言った言葉だった。


「いや、どっか行けとか思ってない」


 リサは膝の上で指を軽く握りしめる。


「だってさ、松前くん…あたしと距離とろうとしてる」


 マサキは少しだけ息を吸う。


「ここに来る前も言ったけど。如月さんがキレイすぎて、どうしていいか分からないんだって」


 リサの動きが一瞬止まった。

 そして顔が一気に赤くなっていく。


 マサキは言ってしまってから、自分の口を塞ぎたくなった。


(なんで今それをもう一回言った)


 フォローのつもりだった。

 距離を取っている理由を説明したかった。

 なのに、口から出た言葉だけ聞くと、ただ如月さんの顔を意識して限界になっているやつみたいになっている。


(いや、間違ってはいないけど、間違ってないのが一番まずい……)


 リサは、ほんの少し間を置いてから、


「そ、それが本当ならさ…あたしが隣で嬉しかったりする?」


 マサキは一瞬、理解が追いつかないまま固まる。


「……んん?」


 反射で出た声は間抜けだった。


 リサは自分で言ったことに気づいて、視線を泳がせる。

 それでも引かない。

 引けないというより、もう言ってしまった後の顔だった。


「いや、その……ごめんー、なんか自意識過剰だよね。あ、あのね。一緒にいてもいいかって、聞きたくて」


 マサキは一瞬、言葉を失う。


(一緒にいてもいいか……?)


 そんなことを、わざわざ聞く必要があるのか。

 クラスの中心にいるような人間が。

 周りにはいくらでも一緒にいる相手がいるはずなのに。


「……別に、いいけど」


 マサキがそう返すと、リサはぱっと表情を明るくした。


「……そっかぁ」


 小さく笑う。

 さっきまで揺れていた表情が、ほどける。

 安心したみたいな、素直な顔。


 マサキはその表情を見て、言葉にしきれない違和感を飲み込む。


 整ってるとか綺麗とか、そういう評価とは別のところで、この子はちゃんと人の反応を見て動いている。

 さっきまでの不安も、今の安心も、全部そのまま顔へ出ている。


(こういう顔するんだ)


 マサキは一瞬だけ目を逸らす。


(なのに、なんでオレの隣にいるんだろうな)


 理由は分からないまま、その疑問だけが残った。


 マサキは隣の席にいるリサをちらりと見る。


 そのとき、ガチャと扉が開く音。


「ドリンクとフードお持ちしましたー」


 店員の明るい声が通る。


「あ、来た」


 リサは二人分の飲み物を受け取るため、立ち上がった。

 マサキの顔の近くでスカートがひらりと舞う。


(見える…っ!)


 意識した瞬間、余計に気になってしまう。

 思考が変な方向へ回り始める前に、リサが振り返った。


 目が合う。


(……終わった)


 反射的にそう思って、マサキは一気に目を逸らした。

 心臓だけがやけに速い。


 リサは何事もなかったみたいに、


「はい、松前くん」


 コーラを差し出してくる。


「あ、あ……ありがと」


 少しだけ声が遅れる。

 指先が一瞬触れる。

 その感触が、さっきの動揺と変に繋がってしまって余計に落ち着かない。


 リサがソファへ座り直すと、今度は太ももに視線が引っ張られかける。


(……見たらダメだ)


 分かってるのに、意識だけが勝手に引っかかる。

 グラスを両手で握りしめ、冷たいコップで無理やり思考を切り替える。


(落ち着け……)


 リサは気づいていないみたいに、


「松前くんストロー使う?」


「いらない」


 即答。

 余計な間を作りたくなかった。


「そっかー」


 リサはいちごみるくにストローを差して、くるくると回す。

 その何気ない動きがやけに普通で、逆に助かる。


 マサキはコーラを一口飲む。


(……今のは、忘れろ)


 自分へ言い聞かせるみたいに、息を整えた。


 隣を横目で見る。


 リサはストローを軽く噛みながら、さっきからから揚げの皿を気にしている。

 ピンクの唇へ視線がいってしまう。


(いや、だからじっと見るな……気持ち悪いだろ)


 分かっているのに、意識が勝手にそっちへ引っ張られる。


 ストローをくわえたまま、リサは小さくグラスを傾けた。

 透明な氷が、コト、と触れ合う音。

 そのまま一口。


 上目遣いで、こっちを見る。


「……な、なに?」


 マサキは思わず聞き返していた。


「松前くんのから揚げ、1つ貰ってもいい…?」


「……え?」


 一瞬遅れて、間の抜けた声が出る。


(なんだ、そんなこと…)


「……別にいいよ」


「やった」


 リサは素直に嬉しそうに笑って、テーブルに置かれた箸を手に取り、少しだけ身を乗り出す。


 そのとき。


「あ、ごめ」


 リサが身を乗り出した瞬間、身体がぐらっと傾いた。

 そのままマサキの方へ倒れ込んでくる。


「っ」


 反射だった。

 落ちる、と思った瞬間にはもう手が動いていた。


 受け止める。


 その直後。


『むにゅっ』


 手のひらに、柔らかい感触が沈んだ。


 呼吸が止まる。

 リサの身体はちゃんと支えられている。


 けれど、自分の手がどこに触れているのか理解した瞬間、思考が完全に止まった。


(……え)


 柔らかい。想像してたのと違う。

 もっと弾力があって、でも沈む。

 指が埋まる。制服越しなのに、熱が分かる。


(や、柔らか……)


 頭の中で同じ言葉だけが回る。


 胸を掴んでる。

 女の子の。

 そこまで理解した瞬間、逆に脳が拒否するみたいに処理が止まった。


 どこに触れているのか考えたら本当に終わる気がして、マサキは息を止める。

 でも、考えるなと思うほど、逆に手のひらが勝手に覚えてしまう。


 むにっ、って沈んだ感覚。

 支えようとして少し力が入ったせいで、押し返してくる弾力まで分かってしまった。


(待て待て待て待て)


 知らない。こんなの知らない。

 人生で初めて触った。


(女の子ってこんな……)


 いや違う。考えるな。


 リサの体重が腕へかかっている。


「……あ」


 リサの小さな声。

 その声でマサキは一気に現実へ引き戻された。


(やばい……っ)


 警報みたいに同じ言葉が頭の中を回る。


 受け止めただけだ。

 倒れそうになったから手を出しただけで、それ以外の意味なんてない。

 ないはずだった。


 なのに、手のひらに残った感触のせいで、意識が全部そこへ引っ張られる。


 慌てて手を離そうとする。

 けれど急に離したら危ない気がして、一瞬動けない。

 その一瞬が余計にまずかった。

 手の中の感触を、脳が勝手に覚えてしまう。


「……っ」


 マサキの喉が引きつる。


 リサは少し驚いた顔のまま固まっていた。

 耳まで赤い。


 それでもすぐに体勢を立て直して、ぎこちなくソファへ座り直す。


「……ご、ごめん」


 小さな声。

 さっきまでより明らかに弱い。


「いや、オレの方こそ…」


 言ったあと、マサキの思考が止まる。

 何を謝ればいい。

 どこまで言えばいい。

 そもそも今のをどう処理すればいい。

 分からない。


 リサはきょろきょろ周囲を見渡して、


「大丈夫、誰にも見られてないと思う」


 その言葉で、マサキの意識はさらに追い込まれた。

 見られてない問題じゃない。

 自分の手がまだ感触を覚えてる。


「ごめん……マジで……」


 絞り出すみたいに言う。


 リサは少しだけ目を丸くしたあと、すぐに首を振った。

 顔はまだ赤い。

 それでも、責めるような目ではなかった。


「ほんとに大丈夫だから」


 小さな声だった。

 明るく戻そうとしているのに、耳まで赤いせいで全然戻りきっていない。


「転びそうになったの、あたしだし。松前くん、支えてくれただけでしょ」


「……でも」


「でもじゃないです」


 リサは少しだけ強く言った。

 けれどその直後、自分でも恥ずかしくなったみたいに視線を落とす。


「……ちょっとびっくりしたけど」


 最後だけ、声が小さくなった。


 マサキは横に目だけずらす。

 リサの胸元の膨らみが目に入った。

 さっき手の中にあった感触と繋がる。


(で、でかい……これがさっき……)


 ぶわっと顔が熱くなる。

 指先が勝手にぴくっと動いた。


 まだ覚えてる。

 むにって沈んだ感触が、手のひらに残って消えない。


(やめろ……考えるな……)


 マサキは慌ててコーラを飲む。

 炭酸が喉を刺す。

 それでも頭は全然冷えなかった。


 リサは少しだけ手で口元を押さえながら、照れたみたいに言う。


「ではから揚げ、いただきますねー」


 わざと明るい声。


 言いながら、から揚げを一つ箸で摘まんで、自分の皿へ乗せた。

 それを嬉しそうにゆっくり口へ運んで食べる。


 マサキは目を閉じて、必死に冷静を保とうとする。


(いや、ダメだ。これ以上考えたら終わる……)


 リサはから揚げをもぐもぐと味わい、飲み込んで、


「やっぱ美味しい」


 それだけ言って、ほんの少しだけ笑う。


 マサキは反応に困って、


「……そ、そうか」


 短く返すしかない。

 顔がさっきよりさらに熱くなって、心臓の音がうるさいくらい鳴る。


(……こういうの、普通に嬉しそうに食うんだな)

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