5. 新学期 ~クラス会2~
「お前ら、さっきからなにイチャついてんだ」
マイク越しの声が飛んだ瞬間、2人の肩が跳ねた。
声の主はクラスのお調子者だった。
笑いながら、さらに続ける。
「リア充め」
軽い調子の言葉。
けれど、声色にはわずかに引っかかるものがあった。
リサはびっくりしたように目を丸くして、
「ち、違うって。イチャついてないよー」
誤魔化すみたいに笑う。
他の女子が口を挟む。
「でも仲良くない? あの2人」
別の男子も乗っかる。
「なんか距離近いよな」
「もしかして付き合ってる?」
リサはマサキの方を見ないまま、笑顔を崩さず返した。
「違うよー、今日初めて喋ったんだよ?」
誰に向けた言い訳なのか、自分でも分からないまま、とりあえず場を流す。
マサキは顔を逸らし、耳の奥で声だけを拾っていた。
ここで反応したら、余計に面倒になる気がする。
だから黙る。
隣ではリサが焦ったように手を振っていた。
「違う違う、そういうんじゃないって」
「席狭かっただけだよー。あたしが勝手に詰めただけ」
「あたしが寄りすぎちゃったの」
周囲の声にも自然に返しながら、笑いに変えていく。
(人気者も大変だな……)
リサは視線を左右へ流しながら、途切れそうな会話を拾っていく。
場が変に止まらないよう、軽く話題を散らしているのが分かった。
マサキはその様子を横目で見る。
(器用だな……)
自分なら、たぶん黙って耐えるしかできない。
その流れへ重ねるように、別の男子が手を上げた。
「如月さーん、次オレの隣来てよ」
「オレとも喋ってー」
声が重なる。
リサは一瞬だけ視線を泳がせたあと、また笑顔を作る。
「ほら、席もう決まってるし」
「さっき教室でいっぱい喋ったでしょー?」
冗談っぽい声のまま、はっきり線を引く。
曖昧にすると長引く。
そういう空気に慣れている感じだった。
その場は一度落ち着きかける。
――けれど。
「なんか如月さんってさー」
別の男子が笑いながら口を挟んだ。
「松前にだけ甘くね?」
笑い混じり。
でも、完全に冗談でもない。
「ここまで道案内してたしー」
「注文もわざわざ聞いてやって」
さらに別の声。
「オレらにはそんな丁寧じゃねーよな?」
「対応違くね?」
軽口みたいに言っている。
けれど、視線はちゃんとリサへ向いていた。
近くにいた女の子同士が、一瞬だけ顔を見合わせる。
笑えばいいのか。
止めるべきなのか。
そんな微妙な間が落ちる。
空気が、少しだけ重くなった。
それでもリサは笑顔を崩さない。
(……あー、めんどくさい。こういうのが一番イヤ)
雑に流せば長引く。
強く返せば空気が悪くなる。
ほんの一瞬だけ迷ってから、
(ほんとは、こういうの使いたくないんだけどな……)
リサは少し困ったように眉を下げた。
「えー、あたしそんなふうに見えてたんだぁ」
口元を手で軽く隠す。
「差つけてるつもりなかったんだけどなー……」
柔らかく。
でも、ちゃんと可愛く見える角度で。
「そんなふうに見えてたなら、今度から気をつけるね。ほんとにごめんね」
最後だけ少し真面目な声。
その瞬間、流れが変わった。
「いや、そういうわけじゃ……」
最初に言った男子の勢いが弱まる。
「ほんとー? よかったー」
リサはすぐに笑って戻した。
マサキはそのやり取りを横目で見ていた。
(……すっげぇな)
誰も傷つけない形で、自分が少し下がって場を収める。
さっき階段で見た"崩さない感じ"と同じだった。
ただ明るいだけじゃない。
ちゃんと計算してるのに、それを見せない。
自然にやってるように見えるのが、余計にすごかった。
それまであった刺さるような視線も、もうほとんど消えている。
(……これなら、もう来ないだろ)
そう思って少し肩の力を抜いた、そのとき。
「いやでもさー」
まだ引かない声があった。
「結局、松前の隣から動かないわけじゃん」
マサキは眉を寄せる。
(……まだやるのかよ)
せっかく戻りかけた流れへ、また指を突っ込むみたいな言い方。
視線が、またじわっと集まり始める。
マサキは無意識に隣を見た。
リサは――まだ笑っている。
口を開きかけて、そこで止まった。
視線は前を向いたまま。
一度もこちらを見ない。
(……ああ)
遅れて意味に気づく。
(オレに話振られないようにしてるのか)
話を向けられれば、自分も何か返さないといけなくなる。
それを避けるために、全部、自分で受けている。
さっきからずっとそうだった。
からかわれているのは"2人"なのに、矢印がこっちへ向かないようにしている。
(……そこまでやるか、普通)
しかも、"守ってる感じ"をまったく出さない。
自然に。
(……これ、完全に守られてる側だろ)
胸の奥に何かが引っかかる。
自分は何もしていない。
隣に座って、全部任せているだけだ。
(……それでいいわけない)
このまま黙っていれば、またリサが何か言う。
また上手く処理する。
でもそれは、ただ押しつけてるだけだ。
(それは、さすがにダサい)
逃げるのは簡単だ。
黙っていればいい。
でも、それを選べば――またリサに背負わせる。
(……それは違う)
歌いたくない。
正直めちゃくちゃ嫌だ。
目立つのも、注目されるのも苦手だ。
でも。
(……今度は、オレの番だろ)
マサキは小さく息を吸った。
「……次、オレ歌うわ」
◇
「え」
リサの指先が口元で止まる。
少し迷うみたいに視線が揺れて、それから小さく息を吐いた。
(松前くん、歌いたくないって言ってたのに……)
緊張しているのが分かる。
無理しているのも分かる。
(あたしのせいで無理してるよね……でも)
視線が少し細くなる。
(……嬉しい)
「……あ、ありがとう」
頼ってしまった、という気持ちごと、その一言に込めた。
◇
マサキは立ち上がり、リモコンを受け取る。
リサが「今日初めて喋った」と言って場を落ち着かせたことも、
可愛い側へ少し寄せながら空気を丸くしていたことも、
全部分かっている。
(オレは、ああいうの苦手なんだよな……)
嫌味じゃない。
ただ、自分には向いていない。
目立つこと。
期待されること。
笑われること。
どれも性に合わない。
(だからって、任せっぱなしは違うだろ)
マサキは曲を入れる。
無意識に選んでいたのはロックだった。
さっき、リサが好きだと言っていたジャンル。
(……なんでこれ選んでんだ、オレ)
自分でも分からないまま、決定ボタンを押す。
画面が切り替わる。
「え、松前が歌うの?」
「しかもロック?マジで?」
ざわ、と空気が揺れた。
マサキはマイクを握る。
少し俯く。
マイクを持つ手が、わずかに震えていた。
イントロが流れ始めた。
ざわついていた場が、自然と静まっていく。
マサキは俯いたまま、片手でマイクを持つ。
もう片方の手は膝の上で軽く握られていた。
緊張している。それは見れば分かる。
でも――
最初の一音。
その瞬間、部屋の空気が変わった。
低く、少し掠れている。
なのに、驚くほど真っ直ぐ通る。
音へ入る瞬間が異常に正確だった。
ブレない。
強く出すところは、一気に押し切る。
なのにサビ前で少し引いた瞬間、逆に声の芯だけが残る。
その落差が、妙に耳へ残った。
◇
(……え)
リサは思わず瞬きを止める。
マサキは視線を上げない。
俯いたまま歌っている。
なのに、不思議と声だけは前へ出てくる。
Aメロでは抑えている。
静かに流しているのに、リズムが全然ズレない。
少し後ろに溜める歌い方。でも遅れない。
サビに入った瞬間だけ、急に抜ける。
声量が一段上がる。
部屋のスピーカー越しなのに、生で押されるみたいな圧があった。
「……」
それまで騒いでいた男子が止まる。
誰も口を挟まない。
茶化す空気が消えていた。
ただ"上手い"だけじゃない。
歌い慣れている。
音楽を聴いてる人間じゃなく、"やってる側"の歌い方だった。
ブレスの位置。
リズムの取り方。
語尾の抜き方。
全部が自然すぎる。
しかも、それを本人がまったく見せようとしていない。
(……なにこれ)
リサは完全に目を奪われていた。
ロックなのに雑じゃない。
感情だけで押してない。
ちゃんと聴かせる形になっている。
高音へ上がる瞬間も、苦しそうな感じがない。
無理やり出してるんじゃなく、最初からそこが届く音域みたいに抜ける。
サビ終わり、少し掠れた声がそのまま余韻になる。
その空気ごと、部屋の流れを持っていっていた。
(す……すごい)
リサは気づかないうちに、少し前へ身を乗り出していた。
歌っている間だけ、マサキの雰囲気がまるで違う。
誰より目立っているのに、そのことを気にしている感じがない。
ただ曲の中にいる。
それが余計にズルかった。
(……これ、ズルいでしょ)
◇
曲が終わる。
最後の音が消えたあと、ほんの一拍だけ静寂。
――そのあと。
「ブラボー!」
クラス一のお調子者が大きな声で拍手した。
それをきっかけに、全員が自然と拍手する。
さっきまでの空気は、もう残っていなかった。
「え、やば。マジで歌うま」
「松前くんてそういうキャラなんだ」
「いっつも音楽聴いてるのは知ってた」
拍手と声が一気に広がる。
マサキは少し疲れたように小さくため息をついて、コーラを一口飲んだ。
リサはそっとマサキに顔を寄せ、耳打ちする。
「松前くん、歌わないって言ってたのに歌わせてごめん。でも聴けて良かった」
マサキはリサの方を見てから、
「いや…急に、歌いたくなっただけ…」
そう返す。
「またそんな…助けてくれたんでしょ。前にもあったから分かってる」
リサは小声で言った。
(前にも…?)
マサキは記憶を辿ってみるが、何も思い出せない。
(まぁ、助けたというか……)
ただ、隣で頑張っているリサを見ていたら、何もしないわけにはいかなかった。
でもそれを言っても仕方ないと思って、言葉を飲み込む。
リサは小さく微笑んだ。
その後はマサキに対して「次はこれ歌って」というリクエストがどんどん飛んできて、気づけば何曲も歌っていた。
誰かに突っ込まれると、リサが代わりにフォローしたり、逆に面白おかしく話を広げたりしている。
マサキはその様子を見ながら、
(如月ってすごいな……)
と思う。
自分とは何もかも違う。
見た目も、雰囲気も、いるだけで場の流れを変えてしまう感じも。
人の視線を集める側と、外れる側。
最初から立ってる場所が違う。
(こういうのが上に立つ側の人間なんだろうな)
マサキはもう一度コーラを飲む。
周りのクラスメイトたちも興奮が冷めないまま、次々に話しかけてくる。
「松前くん、これ歌える?」
「俺もこれ頼む!」
マサキは苦笑しながら、
「うん…」
とリモコンを受け取る。
◇
リサはそんなマサキの姿を見ながら、
「あたしが誘ったのに…」
ぽつりとつぶやいた。
隣のマサキ以外には聞こえないくらい小さな声だった。
◇ ◇ ◇
マサキが全てのリクエストに応え終わったあと、リサはむくれていた。
わずかに唇を尖らせ、視線を外している。
それまで楽しそうに場を回していた延長には見えない顔だった。
マサキはリサの方を見て、
「き、如月…さん……?」
恐る恐る名前を呼ぶ。
「あたしが誘ったときは歌わないって言ってたのに、みんなのリクエストには答えるんだー……」
頬を膨らませ、そっぽを向く。
マサキはその言葉に焦りを感じる。
(これって、怒ってる…?)
ただの軽口じゃない気がした。
それまでとは違う、少しだけ"個人的な不満"が混ざっている。
焦るマサキに、リサが畳みかけるように言った。
「あたしだって、歌ってほしい曲いっぱいあったのに……」
マサキはギョッとして言葉に詰まる。
(なんで…?)
リサは一瞬だけ目を逸らす。
そのまま、少しだけ声を落として――
「あたしが誘ったのに……」
消えそうな声で呟いた。
「え?」
マサキは聞き返す。
しかし、リサは何も答えなかった。
「あの…いま、なんて?」
マサキが再度尋ねると、リサは顔を赤らめ、拗ねたみたいに言う。
「……今度、2人で…カラオケ…」
言いかけたまま、そこで止まった。
自分で言った言葉の意味に気づいたのか、頬をそらしたまま俯く。
慌てて引っ込めるみたいに、
「な、なんでもない…っ。なんか、子どもっぽいこと言っちゃって……」
さっき出した"本音"を、なかったことにしようとするみたいだった。
マサキは状況を理解できずに困惑した。
「いや、いいんだけど……」
リサは俯いたまま、消えそうな声で呟く。
「……やっぱり、まだあたしのこと嫌い?」
その言葉は、軽くはなかった。
さっきの流れ。
距離を詰めた瞬間、うまくいかなかった感覚。
それを、そのままぶつけた問いだった。
マサキは突然の問いに戸惑う。
「いや、嫌いとか思ったことない」
リサは安堵したように、
「良かったー……」
と言いながら胸をなでおろした。
本当に、少しだけ力が抜けた顔だった。
◇
(い、言えた…っ)
リサの胸の奥で、何かがほどける。
それと同時に恥ずかしさが込み上げてきて、顔がさらに熱くなった。
(2人でなんて、そういうことだって言ってるようなものじゃん)
ほっとしたのか、余計に恥ずかしくなったのか、自分でも分からない。
でも、少しだけ遠慮がちに付け加える。
「あの……今度は2人でカラオケ、行かない……?」
さっきより慎重な言い方。
でも、意味は同じだった。
◇
マサキはその一言に目を見開き、戸惑いを隠せない。
(え?2人で?)
「なんで……?」
と訊き返してしまうと、リサは顔を真っ赤にして押し黙った。
一瞬だけ何か言おうとして、やめる。
「い、いいよ。もう…忘れて」
そのまま俯いてしまう。
それまでとは違う沈黙が落ちる。
「あ、あぁ……」
マサキはそう答えるしかなかった。
リサの様子を見ながら、朝のことを思い出す。
『彼氏とかいんのかな』
『絶対いるだろ』
『男なんて選び放題なんだろ』
あの軽口。
でも、あれが普通の認識なんだと思う。
見た目も、立ち振る舞いも、こういう人には自然と人が寄ってくる。
それに――
(距離、近いよな……)
さっきからの距離感。
注文のときも、席に座るときも、さっきのやり取りも。
自分に対してだけとは思っていない。
(ああいうの、慣れてるってことだろ)
男と自然に近づくことも。
だからこそ――
(オレみたいなのが、珍しく見えるだけか)
半分くらい、自嘲みたいにそう思った。
本当の理由には、気づかないまま。




