49. ショッピング 後編 ~オレは勝手に勘違いしていた2~
リサの手首には、まださっき掴まれた時の熱が残っている。
それに加えて。
今は掌から直接、マサキの体温が伝わってくる。
リサはその熱を確かめるみたいに、一歩ずつ進んだ。
(……まだ、一緒にいられる)
そんな気持ちに浸っていた、その時。
角を曲がった瞬間。
リサの全身に、電気みたいな衝撃が走った。
「……っ」
視界へ飛び込んできたのは、大型アニメショップの看板。
その入口の立て看板には、大きく手書きで書かれていた。
『本日再入荷! 乙女ゲームコラボグッズ・売切れ御免』
(え……再入荷……!?)
発売当日に即完売した、リサの好きな乙女ゲームのグッズ。
(うそ、どうしよう……今買わないと、もう手に入らない……っ)
繋いだ手へ思わず力が入る。心臓が跳ねる。
(いやいや、ダメ。絶対ダメ)
隣には松前くんがいる。
しかも、せっかくいい雰囲気なのに。
こんなの好きなんだって思われたくない。
リサの中で、乙女心とオタク心がぶつかり合う。
(……やめよ。もう、オタクやめる)
松前くんを失うくらいなら。
そう決めて、目を固定する。
そのまま店を素通りしようとした。
「如月?」
不意にマサキが立ち止まる。繋いだ手がぴんと張る。
「……っ、なに?」
リサは不自然なくらい素っ気なく返した。
何もなかったみたいに前を向く。
◇ ◇
けれど。マサキは動かない。
リサが店の角を曲がった瞬間。
目が揺れたこと。繋いだ手へ力が入ったこと。
全部見えていた。
「さっきの店、戻るか?」
「え、何が? 全然、気になってなんかないけど」
リサはぶんぶん首を振る。必死に笑顔を作る。
マサキの観察眼は、時々残酷なくらい鋭い。
モデルとして作る"完璧な笑顔"。
その裏にある小さな揺れを、見逃さなかった。
「別に遠慮しなくていい。今日は最後まで付き合うから」
(遠慮じゃないよ……)
バレたらキモいって思われるのが怖いだけ。
リサは頬が熱くなる。
乙女ゲームが大好きで。限定グッズに必死になるなんて。
「女子って、ああいうの好きだよな」
マサキが見ていたのは、入口に貼られたカラフルなポスターだった。
その目には。嫌悪も、軽蔑も、何もない。
「え……? ああいうのって?」
「キャラものっていうのか? よく分かんないけど、女子ってこういうの集めてバッグにつけてるよな。如月も普通にそういうの好きなんだなって」
マサキにとって、アニメやゲームのキャラは。
サンリオとかディズニーと同じだった。
"女の子が好きそうな可愛いもの"
ただ、それだけ。
オタク知識がないわけじゃない。
でも、他人にそこまで興味がないから。
そこへ優劣とか偏見を持ち込む感覚もない。
(……そういう認識なの?)
気を遣ってるのか。本気でそう思ってるのか。分からない。
でも。
「わ、悪いよ。松前くん、こういうの興味ないでしょ?」
探るみたいに聞く。
マサキは静かに答えた。
「まぁ、興味はないけど」
あまりにストレートで。リサの胸が少し痛む。
やっぱり、って思った。
でも。その言葉は続く。
「如月が見たかったら、好きなだけ時間使っていい」
「え……でも、いいの?」
リサが恐る恐る顔を見る。
マサキは目を逸らし、小さく頷いた。
「ああ」
マサキが提案したのは、ただの譲歩じゃなかった。
正直。リサと一緒にいたい気持ちは、本物だった。
でも。自分の口下手さは、よく分かっている。
二人きりで歩きながら、リサを退屈させないように話し続ける。
それはマサキにとって、かなりしんどいことだった。
(……黙って見てられるなら、その方が楽だ)
リサが夢中で商品を見ている間なら。
自分は隣に立っているだけでいい。
無理に話題を探して空回りしなくて済む。
それに。好きなものへ夢中になってるリサを、近くで見ていられる。
それだけで十分だった。
リサと話す時間は楽しい。
でも、どうしても肩に力が入る。
だからこそ。
リサがグッズに集中している時間は、唯一肩の力を抜ける時間でもあった。
「女の子の買い物は長いって……そのくらいは知ってる」
マサキは一度、繋いでいた手を離す。
そして。今度は自分から。
包み込むみたいに、リサの指を握り直した。
リサはその手を見る。
胸の奥が温かくなる。
乙女ゲームが好きなんて。
モデル仲間にも。学校の友達にも。絶対言えなかった。
バレたら終わりだと思っていた。
そんな"汚点"を。
マサキはただ、"女の子の趣味"として見ている。
(そうだよね……松前くんだもん)
変な偏見なんて、最初から持ってない。
(……隠さなくてよかったんだ)
張っていた肩の力が、すっと抜けた。
「……じゃあ、お言葉に甘えちゃう」
二人は手を繋いだまま、店へ入っていく。
店内へ足を踏み入れた瞬間。
そこは、ポップな色が壁一面に溢れる空間だった。
リサは一瞬だけ、隣のマサキを見る。
けれどマサキは、特に嫌そうな顔もしない。
少し珍しそうに周りを見ているだけだった。
「……あ」
ワゴンの前へ辿り着く。
そこにはまだ、推しキャラのグッズが残っていた。
リサは吸い寄せられるみたいに手を伸ばす。
でも。どこか慎重に。
グッズを手に取った瞬間。
作っていた笑顔の奥から、純粋な喜びがこぼれ落ちた。
その後ろ姿を。マサキは黙って見ていた。
少し前かがみになった背中。細い腰のくびれ。丸みのあるお尻のライン。
スカートの裾から覗く、滑らかな太ももの裏。
(可愛いな……)
それくらい夢中にさせる"それ"へ、少しだけ興味が湧く。
マサキは後ろから覗き込む。
リサの手元へ目を落とした。
「……それが、欲しかったやつ?」
「ひゃいっ?!」
耳元で響いた低い声。
リサは変な声を上げて飛び跳ねた。
慌ててぬいぐるみを隠そうとする。
でも。マサキは動じない。
むしろ、不思議そうに眺めていた。
キラキラしたプラスチックの塊を。真面目な顔で。
「……っ。あ、あの、松前くん、これ、その……っ」
リサは慌てて取り繕おうとする。
マサキは変わらない温度で見ていた。
マサキにとって。
リサがアクスタを真剣に選ぶ姿は、可愛いシールや文房具を集めるのと大差なかった。
"女の子っぽい趣味"
それくらいの認識。
でも。リサが手に持っていたのは、顔立ちのいいチャラそうな男キャラだった。
マサキの目がそこへ止まる。
(な、なに……!?)
リサは顔を赤くした。
推しキャラのぬいぐるみを胸へぎゅっと抱きしめる。
やっぱり。
こういう二次元キャラに夢中になってるところを見られるのは、死ぬほど恥ずかしい。
けれど。
マサキが考えていたのは別だった。
(如月もやっぱり……こういう顔のいいチャラい男が好きなのか……)
腹の底に、小さなざらつきが生まれる。
自分とは真逆。眩しいくらい整った顔。自信に満ちた笑み。
無口で地味な自分と。今、リサが大事そうに抱えてる"そいつ"。
無意識に並べてしまう。
つまり。実在しない二次元キャラにまで、嫉妬していた。
「カゴ、持つ」
マサキは深く追及しない。
空いている手で、そっとカゴを持った。
二次元キャラ相手に敗北感を覚えてる自分を隠すみたいに。
リサは抱えていたぬいぐるみを、そっとカゴへ入れる。
カゴの中。ぬいぐるみが、マサキの手の横で揺れていた。
リサはそれを見つめる。
そのまま、棚のグッズへ指先を滑らせた。
「……あたしね、モデル始める前、学校から帰ったらゲームばっかしてたの」
ぽつりと話し始める。
独り言みたいな声だった。
マサキは何も言わない。ただ聞いていた。
「友達も、幼馴染のミオが一人いるだけで……普通の人付き合いとか、全然したことなかったんだよね」
意外そうな顔をするかと思った。
でも。マサキはただ短く返す。
「……そうか」
その反応が、妙に心地よかった。
だからリサは続ける。
「でも、おしゃれには興味あったから、週末だけは頑張って着飾って出掛けてたの。そしたら……オーディション受けないかって声掛けられて」
少し間を置く。息を整える。
「……自分を変えたくて、受けたんだ」
「……」
「結果は惨敗。全然ダメ。でもね、なんか変わった気がして……それから何回も受け続けたの」
リサは少しだけ苦笑いした。
セブンの読者モデルに選ばれてから、世界は一気に変わった。
部屋でゲームばかりしていた女の子が。
急に、大勢の人に囲まれるようになった。
「人とまともに話したこともないのに、いきなり大勢の前に立たされて……どう話せばいいか、分かんなくなっちゃって」
指先がアクスタの端を撫でる。
視線が落ちる。
「だから、とにかく笑うことにしたの」
リサは推しキャラのアクスタへ指先を置いた。
「笑ってれば、とりあえずその場はなんとかなるから」
表面をそっと撫でる。
「……でも、いつの間にか、嫌なことあってもしんどくても、笑わなきゃいけなくなっちゃって」
小さく息を吐く。
「……今さら、笑ってない自分なんて、誰にも見せられないところまで来ちゃった」
そのアクスタを見つめる横顔は。
いつもの"如月理沙"じゃない。
迷子みたいな顔だった。
リサは声を落とす。
「トウヤくんもね……あたしに少し似てるの」
アクスタを指で軽く押す。
「自分を変えたくてアイドルになったのに、本当は人と関わるの苦手なままで……」
言葉が途切れる。
「あたしもね、気づいたら周りに、本当の自分をどう出せばいいか分かんなくなっちゃってる」
そこまで一気に話して。リサはハッとした。
(……何言ってるんだろ、あたし)
こんな重い話。
松前くんにしたって困らせるだけなのに。
慌てて笑顔を作ろうとした瞬間。
マサキの手が、静かにその動きを止めた。
カゴを持ったまま。そっと。
「……無理に笑わなくていいだろ。今は、オレしか見てないんだし」
リサは思わず顔を上げる。マサキを見る。
マサキは少し目を泳がせた。
それから、ゆっくり口を開く。
「……正直、オレは如月のこと尊敬してる」
「え……?」
リサは思わず商品棚から目を離し、マサキを見つめた。
マサキはカゴの持ち手を軽く握り直す。
「如月は、周りの声にちゃんと反応して、冗談を言って、その場が重くならないようにいつも動いて……如月がいるだけで、その場がちゃんと回ってる」
それから。もう一度、リサを見る。
「……オレはそういうのが無理だって分かってるから、最初からイヤホンで周りを遮断してる」
リサは目を見開いたまま動けなかった。
マサキの目が、ふとカゴの中のぬいぐるみへ落ちる。
リサが"笑ってやり過ごしてきた"時間は、ただの誤魔化しには見えていなかった。
周りの空気を壊さないようにして。誰かが気まずくならないようにして。
そうやって動いてきた、リサなりの優しさや頑張りに見えていた。
「それが作られた笑顔だったとしても、その場をどうにかしようとしたのは、如月自身だろ」
指先でカゴの縁を軽く叩く。
「だったら、それはやっぱり如月の一部なんじゃないか」
マサキは声を落とした。
「……無理に笑うのも、笑えない中身も……オレはどっちでも、別にいいと思ってるけど」
淡々とした声だった。
でも。その言葉は、静かにリサの中へ沈んでいった。
リサは目を見開いたまま、動けない。
"偽り"だと思っていた自分の努力を。
マサキは"尊敬"って言葉で受け止めてくれた。
作られた自分も。作っていない自分も。
彼にとっては、どっちも"如月理沙"なんだ。
マサキは、またカゴの中へ視線を落とす。
チャラそうな見た目だと思っていた、トウヤっていうキャラ。
でも。さっきの話を聞いて、なんとなく分かった気がした。
(……中身だったか)
リサがこの派手な男に惹かれていたのは、顔がいいからじゃない。
自分を変えたくて足掻いて。
それでも捨てきれない本当の自分を抱えたまま、悩んでる。
その不器用さに、重なるものがあったんだ。
そう気づいた瞬間。
さっき腹の底に生まれた、二次元キャラへの引っかかりが、すっと消えていく。
(こいつは別に、見た目だけで如月に選ばれたわけじゃなかったんだな)
リサは。
二次元の相手でも、見た目の派手さじゃなくて。
その奥にある痛みとか、不器用さを見てる女の子なんだ。
そう分かると。
腹の底に、妙な落ち着きが広がっていく。
それと同時に。
リサが抱えていた"孤独な中身"を、今は自分だけが知っている。
その事実が、マサキの胸にじんわり熱を残した。
「ふふ…ありがと。やっぱ松前くんしか勝たんな」
リサは照れ隠しみたいに、わざと大げさに肩を揺らした。
でも。
その瞳は少し潤んでいて。どこか、すっと力が抜けた顔をしていた。
「あ、そうだ。ねえ、松前くん。前にカフェで言ってたこと、覚えてる?」
「何が」
「『隠し事がある』って言ったでしょ? 仲良くなったら話すね、ってやつ。……実はね、これのことだったんだ。あたしが乙女ゲームとか、こういうのが好きだってこと」
リサはカゴの中のぬいぐるみを指差す。
少しはにかむみたいに笑う。
「まだ隠し通すつもりだったんだけど……。松前くんにだけは、バレてもいいかなって思っちゃった」
その言葉を聞いた瞬間。
マサキの思考が、一瞬止まった。
(……は?)
カフェでの、あの意味深な空気。
『隠していることがある』
『言いたいけど、まだ言えない』
そんなことを。あんな真面目な顔で言われた。
しかも、二人きりで。
男なら誰だって、最悪のパターンか、最高のパターンを考える。
マサキの場合。後者だった。
……もしかして。自分への愛の告白でもされるんじゃないか。
そんな期待が、ずっと胸の奥に残っていた。
心臓の裏側がむず痒くなるみたいな。落ち着かない緊張。
それが。蓋を開けてみれば――
(……ゲームかよ)
いや。
リサにとって、それがどれだけ大事な秘密なのかは、今ならちゃんと分かる。
"如月理沙"っていう壁の、一番奥に隠してた宝物だったことも。
でも。
膨らみきっていた、"愛の告白待ち"みたいな淡い期待が。
アクスタとぬいぐるみの前で、しゅるりと静かに萎んでいく。
マサキは、どうしようもなかった。
普通に、かなりガッカリした。
それに。期待していた"言葉"が別のものへ変わってしまったことが、思った以上に寂しかった。
もちろん。そんなこと、絶対口には出せない。
「……そんなこともったいぶるな」
マサキはカゴを軽く揺らした。
そのまま、リサから目を逸らす。
声が少し低かったのは。
照れ隠しというより、行き場のない落胆を押し込めたせいだった。
「なんだと思ってた?」
リサが覗き込むみたいに顔を寄せる。
少し茶化すみたいな声。
マサキは目を合わせない。
「早くレジ行くぞ」
逃げるみたいに歩き出す。
耳の端が少し熱い。
店の暖房のせいだって、自分に言い聞かせながら。
「あ、待って。手、繋いでて!」
賑やかな店内BGMの中。リサがまた、その大きな手を掴む。
ガッカリしたはずなのに。掌の熱が伝わった瞬間。
マサキの胸の奥には、トウヤには絶対渡したくない別の熱が、静かに残り続けていた。
◇ ◇
一方のリサは。
松前くんが内心そんな"一人相撲"で傷ついているなんて、まったく気づいていなかった。
ただ。胸の奥を、ずっと撫で下ろしていた。
(……よかった。本当に、引かれなかった……)
他の人にバレたら。鼻で笑われるかもしれない。裏で何を言われるか分からない。
そんな"汚点"みたいに思っていたもの。
それを。松前くんは、"女の子の趣味"として自然に受け入れてくれた。
それどころか。自分の頑張りを、"尊敬する"って言ってくれた。
リサにとって。それ以上に救われる言葉なんてなかった。
◇ ◇
改札の前で足が止まる。
リサは抱えていたショップ袋をぎゅっと抱きしめた。
「松前くん、今日は本当に……ありがとね。付き合わせて、重い話まで聞かせちゃって」
「別に…気にしてない」
マサキの声は少し低い。
でも。リサは、それを"人混みに疲れたせい"だと思っていた。
リサの顔がぱっと明るくなる。
「夏祭りとプール、一緒に行ってくれる約束……楽しみにしてるね」
弾むみたいな声。潤んだ瞳が、真っ直ぐマサキを見る。
「……ああ。忘れてない」
マサキは目を逸らしながら、小さく頷いた。
内心では。
期待外れだった自分の情けなさに、まだ折り合いがついていない。
でも。リサのその顔を見たら。もう毒気を抜かれるしかなかった。
勝手に告白を期待して、勝手に落ち込んでいた自分。
その虚しさを。
リサの屈託ない笑顔が、あっさりと消してしまう。
(……夏祭りまでには、もう少しマシな男になってるのかな)
リサが、一番隠したかった弱い部分を。
自分にだけは預けてくれた。
その事実だけは。どんな二次元キャラにも。他の誰にも、踏み込めない場所だった。
「……じゃあ……気をつけて帰れよ」
リサの表情が、ぱっと緩む。
「……うん! 松前くんもね!」
リサはマサキの温かさを感じていた。
"もう無理しなくていい"
そんなふうに言われた気がしていた。
改札へ向かう背中。途中で一度振り返る。
それから、大きく手を振った。
夕暮れの駅前で。リサの笑顔だけが、やけに明るく見えた。
マサキは、その姿が人混みに消えるまで見送っていた。
それから。大きく息を吐く。
次は夏祭り。
また今日みたいに、不器用さで空回りして。
リサの笑顔に振り回されるんだと思う。




