37. イヤホン 後編 ~一緒には行かないのに2~
(ラッピングしてもらえば良かったな……)
リサはイヤホンを胸に抱えたまま、小さく言った。
「……ありがと」
さっきまでより、少し静かな声。
マサキは目を逸らしたまま、
「ん……」
だけ返す。
でも次の瞬間。
「一生大事にする」
マサキの顔が少しだけ上がる。
「バッテリー寿命あるから一生は無理だ。もって三年」
即座に現実を返した。
リサが止まる。
「じゃあ使わない方がいい?」
ちょっとショックを受けた顔。
「なんでだよ」
マサキは思わず返す。
「使わなくてもバッテリーは死ぬぞ」
「……バッテリーって交換できないの?」
「できないことないけど、買うのと同じくらいかかる」
リサはそこで少し安心した顔になる。
「そうなんだ、できるんだ……」
「……買い替えた方がいい」
「うん、ありがと」
「……」
「ほんとにありがと」
「ん……」
短く返す。
でもマサキの頭の中は、それどころじゃなかった。
(可愛いなオイ)
笑ってる。
めちゃくちゃ嬉しそう。
こんなに喜ぶ?
イヤホンで?
いや違う。
"選んだ"のを喜んでる。
それが分かる。
(いや待て)
距離近くないか今。
笑顔強くないか。
なんでそんな抱えるみたいに持つんだ。
なんでそんな嬉しそうなんだ。
(やばい)
脳が追いつかない。
耳熱い。
顔見れない。
でも見たい。
見たら可愛い。
見たら死ぬ。
(なんだこれ)
マサキは片手で口元を隠したまま、視線だけを必死に逃がした。
でも、逃がした先にあるのは夕方の窓だけで、結局またリサの声が耳に入る。
「えへへ……ピンクだぁ……」
箱を抱えたまま、ほんとに嬉しそうに笑っている。
その顔を見た瞬間。
マサキの口から、小さく漏れた。
「………可愛いな」
ほとんど独り言みたいな小さい声だった。
でも、ちゃんと聞こえた。
リサが止まる。
「……え?」
マサキは言ったあとで、自分の口を押さえるわけでも、慌てて誤魔化すわけでもなかった。
ただ、少しだけ視線を逸らす。
耳は赤い。
でも本人の中では、言ってしまったというより、出たに近かった。
リサは可愛い。
それはもう事実みたいな認識で、隠す種類の感想じゃない。
周りだって普通に言う。
本人も多分、言われ慣れてる。
だから、そこを誤魔化す感覚がそもそもマサキには薄い。
ただ。
今のタイミングで出たのがまずかった。
◇
リサは箱を抱えたまま固まっている。
胸の奥が一気に熱くなる。
昨日までの落ち込みが、一瞬で反転した。
(脈あり?!)
だって今、普通に可愛いって言った。
自然に。
なんでもないみたいに。
でも、ちゃんとこっち見て。
リサの頬がじわっと熱を持つ。
「……っ」
なんか、急に息がしづらい。
◇
マサキは視線を逸らしたまま思考が追いついていなかった。
(何で今言った)
いや、思ったから出た。
でも、出す必要はなかった。
しかも今、めちゃくちゃ嬉しそうに笑ってたから余計に。
(可愛すぎるだろ……)
リサはイヤホンの箱を胸にぎゅっと抱え直す。
口元がどうしても緩む。
「……うれし」
小さい声でそう漏らすと、マサキの耳がまた少し赤くなった。
◇ ◇ ◇
放課後の教室。
窓際の席で、リサはスマホと説明書を交互に見比べていた。
「……ぶるーちゅーす……」
小さく読み上げる。
その横で、マサキは無言のまま見ていた。
机の上には、さっき渡したピンクのイヤホン。
ケースはもう開いていて、リサはかなり真剣な顔をしている。
「設定……設定どこ……」
スマホを何回か触る。
違う画面になる。
戻る。
マサキはそれを見ながら、何回か口を開きかけて閉じていた。
正直、やろうと思えば一瞬だった。
Bluetooth設定なんて慣れている。
でも。
(人のスマホ触るの、よくないだろ……)
しかも相手は女の子。
リサ。
なんか勝手に操作するのは違う気がした。
だから黙って見ている。
リサはリサで、少しだけ意地になっていた。
無理そうならマサキに聞けばいい。
多分、すぐやってくれる。
でも、現場で使いたかった。
撮影前。
移動中。
一人で設定できなかったら困る。
だから、今のうちに自分で覚えたい。
「……あれ?」
また違う画面が開く。
マサキが小さく息を吐く。
「……手伝うか」
リサはスマホを見たまま、軽く首を振った。
「ううん、まだいい」
「……」
少し沈黙。
それからリサは、説明書を見ながらぽつりと言う。
「モデルの先輩にね。撮影前に好きな音楽聴くと、気分あがっていいよって言われたの」
マサキは視線だけ向ける。
「だから現場で使うのに欲しかったんだー」
その言い方は軽かった。
でも、ちゃんと使おうとしてるのが分かる。
マサキは少しだけ視線を落とする。
(……あぁ、それでイヤホンか)
昨日の二時間が頭をよぎる。
ノイキャン。
ケース。
色。
レビュー。
全部、ちゃんと意味あったみたいで。
少しだけ安心する。
その時。
「……あ」
リサの声。
「できたかも」
スマホの画面を見ながら、少し嬉しそうに笑う。
マサキは無言のまま頷いた。
リサはイヤホンを耳につける。
少しだけ目を丸くした。
「おぉ……」
外の音が薄くなる。
耳の中だけが静かになる感覚。
それから、音楽を流す。
曲が耳の奥に直接入ってくる。
スマホのスピーカーから聴くのと違って、脳が震える。
低音が柔らかく響く。
「すごぉ…」
思わず小さく漏れる。
なんか、楽しい。
いつも聴く音楽の広がり方が違う。
そのまま、なんとなくプレイリストを開く。
指が止まる。
マサキの歌。
昨日も聴いた。
でも、せっかくならイヤホンで聴きたい。
いま聴きたい。
リサは自然にそれをタップした。
そして、イヤホンを耳にぎゅっと押し込む。
その瞬間。
『Power off』
『Bluetooth disconnected』
機械音声が英語で流れる。
リサは止まる。
「……?」
何言ったか分からない。
だから、そのまま聴こうとした。
次の瞬間。
♪〜〜〜!!
教室に、結構な音量でマサキの歌声が響いた。
スマホ本体から。
マサキが止まる。
リサも止まる。
『——♪』
マサキ、自分の声。
しかもサビ。
まあまあ感情入ってるところ。
「…………」
マサキの脳が停止する。
リサは数秒遅れて気づいた。
イヤホン、切れてる。
つまり今。
「っ、え、うそっ」
リサは慌ててスマホを掴む。
でも焦って指が滑る。
音量バーが動く。
一瞬、さらに大きくなる。
「わ、ちがっ、えっ」
ようやく停止。
静寂。
マサキは片手で顔を覆ったまま固まっていた。
耳が真っ赤だった。
数秒。
リサが恐る恐る口を開く。
「……ご、ごめん」
マサキは顔を覆ったまま、低く言う。
「……なんでそんなの持ってる」
誰もいなくなった放課後の教室。
スマホから流れていた自分の歌声だけが、変に余韻みたいに残っていた。
リサはぴたりと固まる。
マサキは、自分が録音されていたことを知らない。
前に二人でカラオケに行った時。
リサは最初から、"残したい"と思っていた。
最新のDAMなら、歌った曲を端末経由でスマホに落とせる。
最初にその機能を知った時、
(松前くんの歌、持ち歩けるってこと?)
って普通に思った。
だから、こっそり保存した。
でも、絶対に言わないでおこうとも思っていた。
言ったら、多分もう歌ってくれない。
マサキはそういうタイプだ。
だから今まで黙ってた。
でも今、全部バレた。
リサの視線がふらふら泳ぐ。
「えっと……」
マサキはまだ顔を覆ったまま、片目だけでこっちを見ている。
「……なんで持ってる」
リサの心臓が嫌な音を立てる。
一瞬だけ、頭の中で別の言い訳が浮かぶ。
(最近のカラオケって、歌ったやつ自分のスマホに保存できる機能まであるんだよー。すごくない? こんなん絶対使っちゃうよねー)
明るく。
軽く。
みんなやることみたいに流す。
でも、それは嘘だから、やめた。
そんなの、決まってる。
聴きたかったから。
何回も。
移動中も。
寝る前も。
なんなら少し落ち込んだ時も。
でも、それをそのまま言うのは無理だった。
「あとで…聴こうと思って…」
声が震える。
マサキが完全に止まる。
脳内で情報が整理されない。
録音。
あとで聴きたくて。
つまり。
(聴いてたのか?)
普段から?
マサキの耳がさらに赤くなる。
リサはスマホを抱えたまま、ちょっと縮こまる。
「……ごめん」
「……いや」
マサキは視線を逸らす。
怒るとか以前に、処理が追いついていなかった。
自分の歌を。
リサが。
保存して。
聴いてる。
(なんだそれ……)
心臓が変な音を立てる。
リサはマサキの反応をちらっと見る。
怒ってる感じではない。
マサキが視線を逸らす。
「……消せとは言わないけど」
「!」
「……外で流さないでくれ」
最後だけ、少し小さかった。
「ごめん……モデルの先輩にも、ちょっと聴かせた」
マサキが止まる。
「……は?」
リサは一瞬だけ視線を逸らす。
「聴かせた?」
「その……まだイヤホン無かった時、スマホ耳に当てて聴いてたら、ちょっと音漏れてて……」
マサキの眉がわずかに動く。
「先輩に、誰が歌ってるの?って聞かれて」
「クラスの友達って言ったら、え、プロじゃないの?ってびっくりしてた」
マサキ、停止。
リサは続ける。
「なんか……正直、ちょっと自慢したくなったのはある。だから聴かせちゃった」
マサキの思考が数秒遅れて追いつく。
自分の歌。
知らない人。
しかもモデルの先輩。
マサキは視線を逸らす。
耳がまた熱くなる。
自慢。
自分の歌を。
リサが。
(なんだそれ……)
脳が追いつかない。
その時、ふと別の言葉が頭に引っかかる。
——イヤホン無かったから。
——現場で聴いてた。
マサキの思考が止まる。
(……現場でも聴いてた)
撮影前。
移動中。
モデルの先輩に見つかるくらいには、普通に。
しかも、イヤホンが無い状態でスマホ耳に当ててまで。
(普段からけっこう聴いてる……?)
そこまで考えて、マサキの耳がさらに赤くなる。
「歌だけで惚れそうって言ってた」
「…………」
マサキ、完全停止。
知らないモデルの先輩が、自分の歌を聴いてる。
しかも感想がそれ。
心臓が変な音を立てる。
リサはそんなマサキを見ながら、小さく笑った。
「……ですよねーって言っといた」
小さく、でも妙にはっきりした声だった。
マサキは数秒、完全に固まっていた。
耳が熱い。
さっきからずっと熱い。
(なんなんだよ今日……)
自分の歌を聴いてるだけでも意味分からないのに。
現場でも聴いてて。
先輩に自慢して。
しかも"歌だけで惚れそう"。
情報量が多すぎる。
その時、不意にさっきの会話が頭に戻る。
『モデルの先輩にね。撮影前に好きな音楽聴くと、気分あがっていいよって言われたの。だから現場で使うのに欲しかったんだー』
——現場で使う。
——欲しかった。
マサキの思考がそこで止まる。
(……それ、オレの歌聴くためだったのか?)
イヤホンなら、別に誰と買いに行ってもよかったはずだ。
店員でも。
友達でも。
ネットでも買える。
なのにリサは、自分に聞いてきた。
一緒に行こうとしてきた。
そこまで考えた瞬間、マサキの心臓がまた変な跳ね方をした。
リサはそんなマサキを見ながら、少しだけ笑う。
「……だから、イヤホン嬉しかった」
その瞬間。
昨日、電気屋で悩み続けた二時間も。
値段見て頭抱えた時間も。
ピンクで合ってるのか考え続けたのも。
渡せなくて一日中パニックになってたのも。
全部どうでもよくなるくらい、一気に報われた気がした。
むしろ、もうおつりが来てるレベルだった。
◇ ◇ ◇
撮影終わりの休憩室。
リサはソファの端に座ったまま、新しいピンクのイヤホンケースを指先でぱちぱち開け閉めしていた。
ぱち。
ぱち。
無意識だった。
でも口元はちょっと緩んでいる。
その様子を、向かいでメイクを落としていたモデルの先輩が鏡越しに見つける。
「……なぁに、その顔」
「え?」
「絶対なんかあった顔」
リサは反射でケースを握り込む。
先輩はイヤホンケースを見てすぐにニヤッと笑った。
「一緒に買いに行ったんでしょ?」
先輩は完全に当たりだと思った顔をしている。
「いや、ちが……」
リサは言いかけて止まる。
違う。
いや、違わない?
分からない。
結果だけ見ると、イヤホンは今ここにある。
でも経緯が意味不明だった。
リサはケースをいじりながら、小さく言った。
「……一緒には、行ってなくてぇ」
「え?」
「断られちゃって…」
数秒。
先輩が固まる。
「……え」
「行かないって、普通に」
「え、リサちゃんを断ったの?ほんと?」
「はい…だからあたしも、脈ないって思ってたんですよ」
リサはそこで一回止まる。
ケースを親指で撫でる。
「そしたら次の日」
「うん」
「呼び出されて」
「ん?」
「これ渡されました」
ケースを少し持ち上げる。
先輩、停止。
「…………え?」
リサも困った顔のまま頷く。
「意味わかんないですよね?」
「いや待て待って待って」
先輩が前のめりになる。
「断った翌日にプレゼント!?」
「はい」
「なんで!?」
「わかんないです」
リサもちょっと勢いよく返す。
リサは耳を赤くしながら続けた。
「本人、全然そういうつもりなさそうで…」
「いやそれは嘘!」
先輩が即答する。
「そんなの脈ありじゃん!」
「電気屋さんは断られたのに…」
「男ってたまに意味分かんない動きするのよー」
「意味分かんないですほんとに……」
リサはケースを胸の前で抱える。
思い出す。
『……やる』
不器用で短い。
『………可愛いな』
みたいに普通に漏れた言葉。
そのたび、胸の奥がまた落ち着かなくなる。
先輩はそんなリサを見ながら、考える。
「なんなんだろ…2人で行くのが恥ずかしかったってことかな。んー、自分で選んで渡したかったとか?でも…」
リサの視線が、手の中のピンクのケースに落ちる。
イヤホンはいろんな色があることは知ってる。
性能を重視しながら、その中からこれを選んでくれた。
『こういうやわらかい色、好き』
そう言った時のマサキの反応まで思い出して、胸がまた変にざわつく。
でも先輩は途中で首を傾げた。
「でも、それなら普通に言えばいいのにね?」
「そ、そうなんですよ」
リサはケースを抱えたまま、少しだけ頬を膨らませる。
でも口元は緩んでいた。
「可愛いとかは言ってくれるのに、他の言葉は足りない人でぇ………でも、そこも良くて」
先輩が楽しそうに笑う。
「無自覚で刺してくるやつだ」
リサはケースを胸の前で抱え直す。
胸の奥が、また少しだけ熱い。
先輩はそんなリサを見ながら、少しだけ優しい声になる。
「可愛いって言ってくれるのに、他の言葉は足りないって、信用できるよね」
リサが瞬きをする。
「口だけ上手い人って、そういうの全部軽く言えるのよ」
「……」
「その彼、本当に思ったことしか言ってないよ」
その瞬間。
階段裏。
夕方の光。
『………可愛いな』
ぽつりと落ちた、あの声が頭に蘇る。
飾ってない。
狙ってない。
だから余計に、まっすぐだった。




