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31. 野外活動 準備 ~無自覚2~

「如月さん行くなら、オレでもいいだろ」


 場が、わずかに揺れる。


 そのとき――

 マサキは自分の名前が出ていることに遅れて反応する。


「……ん?」


 イヤホンを外す。

 片方だけ。

 視線だけ上げる。

 会話の途中から入ってきたせいで、状況が繋がらない。


「……なに」


 少しだけ訝しむような声。

 誰も詳しく説明しないまま、話は続く。


 リーダーが少しだけ考えて、


「じゃあさ」


 軽く提案する。


「如月さんに選んでもらえばよくない?」


 その一言。

 視線が一斉にリサへ向く。

 リサの呼吸が、わずかに止まる。


(……無理)


 さっき廊下で聞いた言葉が、頭をよぎる。

 ――好きなの分かる

 ――隠せてない


(ここで選んだら……終わる)


 顔がじわっと熱くなる。

 言葉が出ない。


「松前はノリ気じゃねぇだろ」


 池沢が顎でマサキを指す。

 マサキは状況を完全に理解していないまま、


「あー……別にオレじゃなくてもいい」


 興味なさそうに言う。

 女子たちの"決まりかけ"が、ほどける。


 池沢は続ける。


「だったらさ、行きたいやつでいいって話」


 自然な言い方。

 でも、逃げ道を別の形に変えただけ。

 リーダーも少し考えて、


「いや…そうなんだけど」


 言葉を失う。


 リサの視線が、無意識にマサキへ向く。

 マサキはまだ状況を掴みきれていない。

 助ける気配もない。


 池沢が、その間を詰める。


「如月さん」


 一歩近づく。


「オレでいいだろ?」


 軽い口調。

 でも距離が近い。

 リサは反射的に少しだけ引く。


「え、あ……」


 言葉が詰まる。

 池沢は気にせず続ける。


「大丈夫だって、オレちゃんとやるし」


 笑いながら、さらに距離を詰める。


「それにさ」


 少しだけ声を落として、


「松前だって興味なさそうじゃん」


 ちらっとマサキを見る。

 マサキは何も言わない。

 否定もしない。


「だからさ」


 またリサを見る。


「オレと行こうぜ」


 自然な言い方。

 でも、断りにくい形が出来上がっている。

 周りも完全には口を挟まない。


(池沢、空気読めよ)


 という微妙な圧だけが漂う。


 その空気を受けて、リーダーが小さく息をついた。


「……じゃあ」


 少し強引に、流れを切り替える。


「カレーの材料は、まず如月さんに任せるとして――」


 言い切ってから、


「松前くんは、カレー以外お願いね」


 一拍も置かず、


「あたしたちと一緒に」


 さらっと決定事項みたいに言う。


 その瞬間。

 マサキの思考が止まる。


「……は?」


 今度は、ちゃんと声に出た。


(……今、なんて言った?)


 ここでようやく、会話が繋がる。

 カレーはリサ。

 自分は――別。


 視線が、女子たちへ向く。


「洗剤とかもいるよね」

「紙皿とコップも」

「飲み物どうする?」

「結構種類あるね、お店ごとに3人ずつの方がいいかな」


 もう話が進んでいる。

 自分がそこに組み込まれている前提で。


(……ちょっと待て。ほとんど喋ったことないやつらだろ。しかも複数、女子多い、買い出し……普通に無理だ)


 じわっと、嫌な感覚が広がる。

 同時に、


(如月さんは……)


 視線がそっちへ向く。

 池沢がまだ近くにいる。


(なんでこうなった)


 自分が話を聞いていなかったせいだと、遅れて理解する。

 イヤホンを握ったまま、小さく息を吐く。


(如月さんに……いつも一緒にいてくれなくていい、なんて言ったくせに……ここで頼るのか? オレは)


 でも――


 ほんのわずかに、眉が寄る。

 選択そのものは、まだ残っていた。


 リーダーの言葉のあと、ほんの一瞬だけ静けさが落ちる。

 視線が、またゆるく動く。

 誰が行くか。

 その空白。


 マサキは、少しだけ考える。


(……このままだと)


 もう一度、状況を整理する。


(カレーの買い出しが2人……それ以外は、あのメンバーと)


 ちらっと、女子たちの方を見る。


(……無理だ)


 即答に近い結論。

 会話。距離。気まずさ。

 どれを取っても面倒。


 そして、もう一つ。


(あっちは……)


 視線がリサへ向く。

 池沢の距離。

 困っている表情。


(……同時に解決できる)


 結局、選択肢は一つしかない。

 そのまま数秒だけ黙ったあと、イヤホンを完全に外して、指に絡めたまま、少しだけ前に身を乗り出す。


「……ごめん」


 ぽつりと落とす。

 場の視線が、わずかに集まる。

 マサキは一度だけ視線を外してから、


「オレ……ちゃんと話、聞いてなくて……」


 言いづらそうに続ける。


「もう役割、決まっちゃった……?」


 確認するように、低く。

 空気が、ほんの少しだけ緩む。

 リーダーの女子が、すぐに首を横に振った。


「ううん」


 にこっと、いつもの柔らかい笑顔。


「カレーの材料買う人が、まだ決まってないよ」


 さらっと言う。

 さっきまで固まりかけていた流れが、なかったことみたいにほどける。

 リサの肩が、わずかに揺れる。


「じゃあ……オレ、カレーの方で……如月さんと一緒がいい」


 あまりにも自然な言い方。

 飾りも、照れもない。

 ただの事実みたいに。


 一瞬。

 空気が、止まる。


 女子たちが顔を見合わせる。

 池沢が「は?」という顔で固まる。

 リーダーも、一瞬だけ目を丸くする。


 そして――


 リサが固まったまま動かない。


(……え?)


 思考が、追いつかない。

 今の言葉。

 そのまま、頭の中で反芻される。


 ――如月さんと一緒がいい


(なにそれ)


 一気に、心臓が跳ねる。

 ドクン、と大きく鳴る。


(え、なにそれなにそれ)


 理解が追いつく前に、感情が先に溢れる。

 顔が、熱い。

 視界が、少しだけ揺れる。


(うそ……)


 視線が、ゆっくりマサキに向く。

 マサキは、いつも通り。

 特に何も変わらない顔で立っている。


(なんでそんな普通に言えるの……)


 胸の奥が、ぎゅっと締まる。

 同時に、ふわっと浮くような感覚。


(やばい……)


 抑えようとしても、抑えきれない。

 口元が、勝手に緩みそうになる。

 慌てて、少しだけ顔を逸らす。


(むりむりむり)


 頭の中が一気に騒がしくなる。

 さっきまでの"バレるかも"って不安が、全部吹き飛ぶくらいに。


(嬉しい……)


 その感情だけが、はっきり残る。

 隠そうとしても、隠しきれない。

 指先が、わずかに震える。


 リーダーが、くすっと小さく笑う。


「……決まりかな?」


 軽く確認するように言う。

 周りも、空気を読むみたいに頷く。

 池沢だけが、納得していない顔で、


「いやちょっと待てって――」


 言いかけるが、もう流れは止まらない。


 リサは、まだ顔を上げられないまま頷いた。


「うん」


 リサの声で、流れは決まる。


「じゃあ決定ね」


 リーダーがまとめる。


「カレーの材料は、如月さんと松前くん」


 軽く手を叩く。


「あたしたちの方は買う店で分けて準備しよ」


 場の空気が、ようやく動き出す。


「じゃああたし紙皿見るね」

「飲み物どうする?」

「調味料はカレー班でいいのかな」


 自然に会話が広がっていく。


 その中で――

 池沢だけが、納得していない顔のまま立っていた。


「……おい、松前」


 低く呼ぶ。

 マサキは少しだけ視線を向ける。


「なに」


 いつも通り、そっけない。

 池沢は一歩だけ距離を詰める。


「お前さ」


 少しだけ眉を寄せる。


「ああいう場面は譲ってくれてもいいだろ」


 抑えた声。

 でも、不満は隠していない。

 マサキは一瞬だけ間を置く。


「いや、普通に無理だったんだよ……」


 視線を逸らしたまま続ける。


「喋ったことない女子と買い物は……」


 ぽつりと、本音。

 一切の駆け引きもない。


 池沢は一瞬、言葉を失う。


「……はぁ?」


 予想していた理由と違いすぎて、間が抜ける。


 マサキは肩をすくめる。


「気まずいだろ」


 それだけ。

 シンプルすぎる理由。


 池沢は数秒黙ってから、


「いや……」


 呆れたように笑う。


「そこかよ……ずるいだろ」


 呆れと、少しの納得が混ざった声。

 マサキは答えない。

 ただ、イヤホンを指でくるくる回しながら、視線だけを外していた。

 その横顔を見ながら、池沢は小さく舌打ちする。


「話聞いてなかったお前の評価が上がってんのがムカつく」


 ◇     ◇


 放課後。

 駅前のスーパーは、夕方の人で少しだけ混んでいた。

 自動ドアが開くと同時に、冷たい空気が流れ込む。

 リサは一歩中に入って、軽く振り返る。


「じゃあまず野菜から」


 もう完全に"仕切る側"。

 その声はいつも通りなのに、どこか少しだけ弾んでいる。

 マサキはカゴを持ったまま、後ろについていく。


「任せる」


 短く返す。

 リサはにこっと笑って、野菜コーナーへ向かう。


 ◇


(……隣にいる)


 その事実だけで、心臓がちょっと忙しい。


(落ち着け、あたし)


 内心ではそう思いながら、外側はちゃんと"料理できる人"の顔に戻る。


 トマトの前で足を止める。


「まずこれ」


 ひょいっと一つ持ち上げて、くるっと回す。


「ヘタがピンとしてるやつ」


 マサキは横から覗き込む。


「……そんな違うか」

「全然違うよ」


 即答。


「あと、こうやって持ってみて」


 トマトを軽く押す。


「ちょっと弾力あるくらいがいいの。柔らかすぎると熟れすぎ」

「へぇ」


 マサキは適当に一つ手に取る。

 少し潰しかける。


「それは押しすぎ」


 即ツッコミ。


「優しく」


 リサが笑いながら言う。

 マサキは少しだけ力を抜く。


「……むず」

「ふふ」


 そのまま次の棚へ移動する。


「玉ねぎはね」


 一つ持ち上げて、底を見る。


「ここがしっかり乾いてて、カビてないやつ」

「あと軽く押してみて、硬いやつね」


 マサキは言われた通り触る。


「……全部同じに見える」

「見えるけど違うの」


 くすっと笑う。


「ちゃんと選ぶと味変わるよ」


 さらっと言う。

 その言い方が、自然で。

 マサキは一瞬だけリサを見る。


(……こういうの、普通にできるんだな)


 改めて思う。

 本当に全部1人でやってる。


 リサはその視線に気づかず、次はじゃがいもを手に取る。


「これは芽が出てないやつね。あと皮がシワシワじゃないやつ」


 マサキは無言で頷く。

 その横で、リサはどんどん選んでいく。

 手際がいい。

 迷いがない。


(……慣れてるな)


 その様子を見ていると、さっきまで教室で困っていたのが嘘みたいだった。


 リサはふと、振り返る。


「松前くんカゴちょーだい」

「ん」


 言われるままカゴを差し出す。

 野菜が次々入っていく。


「あとお肉ね」


 精肉コーナーへ移動する。

 リサはパックを手に取って、じっと見る。


「これも結構大事で」


 真剣な顔。


「色がちゃんと赤いの。黒っぽいのはダメ。で、ドリップ出てないやつ」


 マサキは覗き込む。


「ドリップ?」

「この水みたいなの」


 指で示す。


「あれ多いと鮮度落ちてる」

「……細かいな」

「普通だよ」


 さらっと返す。

 でも、どこか嬉しそう。

 マサキは少しだけ笑う。


「いや、普通じゃないだろ」


 リサは一瞬きょとんとして、それから少しだけ照れたように笑う。


「そ?」


 そのまま肉をカゴに入れる。

 一通り揃って、リサは軽く満足そうに息をつく。


「こんなもんかな」


 カゴの中を覗く。

 マサキもそれを見る。


「……ちゃんとしてるな」


 ぽつりと。

 リサは一瞬だけ止まる。


「え?」

「いや」


 視線を逸らして、


「助かるなって、オレこういうの全然わからないから。さすがだと思って」


 リサの心臓が、また一気に跳ねる。


(なにそれ)


 顔が、じわっと熱くなる。


(さっきから何回心臓やられてんのあたし)


 でも、今回はちゃんと耐える。

 少しだけ口元を押さえて、


「でしょ?」


 軽く返す。

 ちょっとだけ得意げに。

 でもその声は、幸せそうだった。


 ◇     ◇     ◇


 野外活動、当日。

 バスの前には、すでに列ができていた。

 ざわざわとした声と、浮ついた空気。


「松前くん、一緒に座ろうね」


 隣から、当たり前みたいな声。

 マサキは一瞬だけそちらを見る。


「オレ窓際がいいんだけど」

「いいよー」


 即答。

 そのままリサが距離を詰めてくる。

 逃げ場を塞ぐみたいに、自然に。


(……来る気か)


 小さく息を吐いて、そのまま流れで乗り込む。

 空いている席を見つけて、すぐに座る。

 窓側にマサキ、その隣にリサ。


「あ、松前くんの荷物、上にあげたげる」


 リサが立ち上がろうとする。


「自分でやるから、一回ずれてくれないか」

「狭いんだから無理だよ」


 リサは座ったまま、さらっと返す。

 マサキは少しだけ眉を寄せる。


「如月さんがやると危ないから、どけてくれ」


 そう言いながら、上の棚に手を伸ばす。

 当然、距離が近くなる。


「やだ、エッチ。どこ触ってんの」


 くすっと笑いながら言う。


「どこも触ってない」


 即答。


「あはは」


 完全に遊ばれている。


(…楽しそうだな)


 荷物を上げて席に戻ると、バスがゆっくり動き出した。


 ◇     ◇     ◇


 しばらくして。

 リサがごそごそと袋を開ける。


「松前くん、あーん」


 当然みたいに差し出してくる。


「そんなにお菓子ばっか食って、昼飯入らなくなるぞ」


 呆れた声。


「えー、松前くんお母さんみたい」

「じゃ言うこと聞けよ」

「反抗期反抗期。はい、あーん」

「……ん」


 仕方なく口を開ける。

 リサが楽しそうに覗き込む。


「これ新しい味」

「……うまい」


 素直な感想。


「でしょ?」


 満足そうに笑う。

 そのまま、今度は自分でも一口食べる。


 ◇     ◇     ◇


 バスの中は、ほどよくざわついていた。

 エンジン音に混ざって、あちこちから笑い声やお菓子の袋の音が聞こえる。


 その中で――


「うげ」


 リサが、ペットボトルを口元から離して顔をしかめた。

 マサキは横目でそれを見る。

 何も言わない。


 リサは一瞬だけ視線を泳がせてから、すぐに持ち直す。


「松前くん、これ飲んでみて」


 差し出されるペットボトル。

 ぱっと見、ぶどうジュースのような色をしている。

 マサキはそれを見て、眉をわずかに寄せた。


「なにそれ」

「紫蘇ジュース。美味しいよ」


 さっきの顔とは明らかに矛盾している。

 マサキは間を置いて、じっとリサを見る。


「いま不味そうな顔してたよな」


 リサはぴくっと反応する。


「してないよー」


 笑顔で否定。


「ほら」


 ぐいっと、ボトルをマサキの口元に押しつける。


(……人前だろ、間接キスだ)


 思いながらも、避けるのも不自然で。

 マサキは小さく息を吐くと、そのまま一口飲んだ。


「ん……」


 一瞬だけ味を確かめる。


「……まぁ、悪くない」


 ぼそっと。

 それを聞いた瞬間、リサの表情が固まる。


「え、うそ」


 思わず、自分でもそのまま同じ口をつけて飲む。

 ごくっ


 次の瞬間、


「うそつき!」


 顔をしかめて、即ツッコミ。

 マサキは少しだけ視線を逸らす。


「どっちがだよ」


 淡々と返す。


「口がすっぱいよー」


 リサが顔をしかめる。

 マサキは横目でそれを見る。


「飲めないんだったら貰うよ」

「えー、悪いから半分飲む」


 そう言いながら、またボトルに口をつける。

 一瞬だけ我慢するみたいに目を閉じて、


「……むり」


 小さく呟く。

 マサキはため息をつく。


「悪いと思ってるなら人に勧めるな」

「でも捨てるのもったいない」


 リサはそう言いながら、当たり前みたいにもう一度差し出す。

 マサキは一瞬だけ間を置く。


(……もういいか)


 さっきやったばかりだ。

 いまさら気にする方が不自然だと思い直す。

 そのまま、何も言わずに受け取る。

 ごくっ


 少しだけ眉が動く。


「あんま表情かわんないね。すっぱくないの?」

「飲めてる」

「強いね」

「強くはない」


 短いやり取り。

 リサはそのまま、またボトルを受け取る。

 特に意識もなく、同じ場所に口をつけて飲む。

 ごくっ


「すっぱいすっぱい」

「無理しなくていい」

「だんだん慣れてきた」


 そのまま、また差し出す。

 マサキはもう何も言わずに受け取る。

 ごくっ


 ――繰り返し。

 会話の流れの中で、自然に。

 意識していないみたいに。

 でも確実に回数だけが増えていく。


 ◇     ◇


 その空気を、後ろからぶった切る声。


「さっきからイチャイチャイチャイチャしやがって」


 池沢だった。

 シート越しに身を乗り出して、二人を睨む。


「おい松前」


 低く呼ぶ。

 マサキは振り返らないまま、


「なに」


 とだけ返す。


 池沢は舌打ち混じりに言う。


「次のサービスエリアで席そこ譲れ」


 明らかに不満のこもった声。

 リサはきょとんとする。


「え、なんで?」


 池沢は即答する。


「見てらんねぇからだよ」


 周りから、小さく笑いが漏れる。

 マサキは一瞬だけ目を閉じて、


「悪かった、気をつけるよ」


 と、淡々と返した。


 その横で――

 リサは、まだ同じペットボトルを握ったまま、少しだけ嬉しそうに笑っていた。

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