新学期 ~窓際の視線に届く声2~
マサキは窓際の席で、いつも通りイヤホンをしていた。
音楽は流れているはずなのに、頭の中は妙に落ち着かない。
休憩時間に、リサに話しかけられた余韻が、まだ残っている。
クラスの中でも目立つ、綺麗な子。
話しかける側ではなく、話しかけられる側の人間だと思っていた。
(どうせもう関わらない……)
そう思って、無理やり頭の中で区切りをつけたはずだった。
なのに、妙に落ち着かない。
イヤホンを触る指が、じっとしない。
さっき見た<整いすぎている顔>が、やけに残像みたいに浮かぶ。
そのとき。
視界の端に影が入る。
リサだった。
(……は?)
いま頭の中で<もう関わらない側の存在>として処理したばかりの人物が、普通に目の前にいる。
脳が一瞬バグる。
(いや待て、なんでまた来るんだよ……)
心臓が跳ねる。
目を逸らすのがワンテンポ遅れて、逆に不自然になる。
「ねえ、松前くん」
近い距離で名前を呼ばれる。
反射で見上げかけて、止まる。
今度は、さっきより逃げづらかった。
目の前に立ったリサが、まっすぐこっちを見ている。
肩へ落ちた髪。
白い肌。
笑う寸前みたいに緩んだ口元。
目が合いそうになって、マサキはすぐに視線を落とした。
(いや、正面から来るな)
机の端を見る。
けれど、そこへ逃げても視界の端にはリサが入る。
制服の上からでも分かる身体のライン。
細い腰。
その上へ自然に乗る柔らかい丸み。
立っているだけなのに、目のやり場に困る。
(さっきからどこを見てるんだオレは)
そう思って、さらに視線を落とす。
でも、今度は声が近い。
落ち着いた声。
名前を呼ぶときだけ、少し柔らかくなる感じ。
(……可愛いな)
思った瞬間、マサキは内心で自分を殴りたくなった。
(いや、今それ考える場面じゃないだろ)
頭の中が妙にうるさい。
距離の問題じゃない。
存在そのものが強い。
イヤホンを外す動作すら、ぎこちない。
「……なに」
できるだけ普通に返したつもりだった。
けど、自分の声が固いのが分かる。
(今の返しは感じ悪すぎだろ……っ)
空気の重さだけが残る。
「もう一回だけ誘うんだけど……」
リサは続ける。
「クラス会のカラオケ」
(いや、なんでオレなんだよ。一人くらいいなくてもいいだろ)
「無理って言った…」
即答。
そこで話を終わらせる感じじゃないのが分かる。
(やばい、頭回ってない。さっきからずっと不愛想に返しちゃってるし、冷たい人間になってるだろこれ……なんでこうなるんだよ)
さっきまで「可愛い」とか余計なことを考えていたのに、今は逆にそれを隠そうとして空回っている。
態度だけが冷たくなっていく感覚がある。
(普通に返せばいいだけなのに、なんでこんな変な空気にしてるんだオレは)
自分で自分の反応が気に入らない。
距離を取りたいのに、距離の取り方だけが雑になっている。
リサは一歩も引かないまま言う。
「絶対に楽しませるから」
その言葉で、マサキの思考が一瞬止まる。
(なんでそんなこと言い切れるんだ)
楽しませる、って何だ。
自分は歌わないし、そういう場所は得意じゃない。
それなのに、『絶対』なんて言葉が軽く出てくる。
教室の向こうでは、まだクラス会の話が続いていた。
何人かが、こちらをちらちら見ている。
リサがここへ来た時点で、たぶん結果を待っている。
「あのー……松前くん来ないと、意味ないっていうかー」
リサは少し言いづらそうにそう言った。
その声は、さっきよりもずっと小さい。
けれどマサキには、その言いづらさが別の意味に見えた。
(ああ、そういうことか)
たぶん、人数の問題だ。
全員で行く、という形にしたい。
でも自分だけ断った。
だから提案した側のリサが、わざわざもう一度誘いに来た。
自分がどうこうじゃない。
ただの人数調整。
空いた枠を埋めるための確認だ。
誰かが「如月さんが誘えば断らない」って前提でリサに言わせてる。
あるいは、リサ本人もそれを分かった上で来ているのかもしれない。
マサキの中でひとつ線が引かれる。
さっきまでの「よく分からない誘い」から、「仕組まれた誘い」に変わる。
その瞬間、妙な落ち着きが戻ってくる。
「……つまらなかったら帰る」
さっきのような迷いはない。
落ち着いたまま、冷たいくらいの声になる。
リサは一瞬だけ目を瞬かせて、それから小さく笑う。
「やった、いいよ。来てくれるだけで十分だから」
その一言で、マサキの中の<人数合わせ説>がさらに強くなる。
リサは小さく息を吸ってから、表情を崩さないまま視線だけ揺らす。
「あ……場所、決まったら教えるね」
「……うん」
短く返す。
それだけで会話は終わったはずだった。
なのにリサはすぐには戻らない。
「あの、無理言ってごめんね」
その一言は、さっきまでの軽い声とは違っていた。
マサキは反射的に顔を上げかけて、すぐにやめる。
(……謝る必要あるか? 調整枠の相手に)
さっきまでの<誘われた>という感覚が、雑に整理されていく。
最初から、空いてる枠に押し込んだだけだ。
「いや……別に」
それだけ返す。
リサはもじもじしているように見えた。
「あ……あの。じゃあ、あとでね」
短く笑って、そう言うと、リサはようやく元の方へ戻っていく。
その背中を見ながら、マサキはイヤホンを指でいじる。
利用された、というほど強い怒りでもない。
ただ、最初から期待していなかった方向に、予定通り収まっただけだ。
そのとき、リサが振り返って小さく手を振った。
一瞬だけ目が合う。
さっきまでの申し訳なさとは違って、どこか安心したような、柔らかい表情。
どこか嬉しそうで、気まずさを引きずっていない。
人数合わせに使われた側としては、引っかかりが残ってもおかしくないはずなのに。
その綺麗さが、まぶしく見えるせいか。
納得したわけでもないのに、許す理由だけが雑に成立する。
(……別に、悪い奴ってわけじゃないんだよな)
だから余計に、整理のつけ方が中途半端になる。
マサキは視線を落とす。
(まあ……顔だけ出して帰ればいいか)
さっきより音がクリアに聞こえた気がした。
放課後。
今日は始業式で、午後のHRが終わればそのまま下校できる日だった。
教室の声が帰宅ムードに変わっていく中で、マサキはいつも通り窓際の席にいた。
片耳にイヤホンを入れたまま、スマホを眺めているふりをしている。
(あの子……結局、場所教えに来なかったな)
別に待っていたわけじゃない。
そういうことにしておきたい。
教えると言ったのは向こうだ。
こっちから聞きに行ったら、待ってましたみたいで、それはそれで最悪だ。
(……いや、でも普通は来るだろ)
場所はとっくに決まっていたはずだ。
それを伝えるだけなら、わざわざ後回しにする必要もない。
忘れられているのか。
それとも、最初からその程度だったのか。
(……からかわれた、ってことか)
そう思った瞬間、少しだけ腹が立った。
でもそれ以上に、腹が立っている自分が恥ずかしかった。
呼びに来るかもしれない。
場所を教えに来るかもしれない。
そんな可能性を、勝手に残していたのは自分の方だ。
(何を期待してんだよ、オレは)
そう思いながらも、HRが終わってもすぐには席を立てなかった。
落ち着かないまま、机に座り続ける。
(まだか……)
そう思った瞬間、マサキはスマホの画面を見ないまま親指を止めた。
(いや、まだかって何だよ)
自分で自分に突っ込む。
来たとしても、場所を聞くだけだ。
来ないなら来ないで、そのまま帰ればいい。
それだけの話のはずなのに、席を立つタイミングだけが見つからない。
頭の中では、もし声をかけられたらどう返すかまで勝手にシミュレーションしていた。
『準備できてます』とか。
『場所、どこですか』とか。
無駄に整えた返答だけが、いくつも浮かんでいる。
(準備できてます、って何の準備だよ)
自分で考えて、自分で恥ずかしくなる。
(……帰るか)
そう決めて、ようやく椅子を引こうとしたところで。
「松前くん」
横から名前を呼ばれた。
マサキは椅子に手をかけたまま、びくっと肩を揺らす。
リサだった。
「……な、なに」
できるだけ普通に返したつもりだった。
けれど、自分の声が少し低くなったのが分かる。
リサは机の横に立って、軽く首をかしげた。
「準備できたー?」
「準備って……あとで場所教えるって言ってたけど」
思ったより先に口が出た。
言ってから、待っていたみたいな返しだと気づく。
実際、待っていた。
でもそれを認めるのは、なんか負けた気がした。
リサは気にした様子もなく、当然みたいに言う。
「うん、だから迎えに来たよ」
「あたしが案内するから」
その一言で、マサキは一瞬だけ固まった。
「……は?」
想像していた返答と違った。
店の名前とか。
集合時間とか。
地図の場所とか。
そういうものを言われると思っていた。
なのに、迎えに来た。
案内する、と言われた。
「……いや、案内って」
思わず口に出す。
顔を上げると、リサがすぐ近くにいる。
目が合いそうになって、マサキはすぐに視線を落とした。
(近いんだよ、普通に)
距離の問題もある。
けれどそれ以上に、言っていることがよく分からない。
リサはさらっと続ける。
「松前くん、場所わからないと困るでしょ?」
(スマホで調べれば分かるんだけど……)
そう思うのに、口には出せなかった。
大勢でぞろぞろ歩くのは昔から苦手だ。
気を遣う時間なんて最高に面倒だし、できるなら避けたい。
でも、リサにここまで自然に言われると、断るタイミングが見つからない。
「ほら行こ」
リサはすでにカバンを持っていた。
いつでも行ける状態だ。
「みんなには先行っててもらってるから」
その言葉が落ちた瞬間、マサキの思考が止まった。
(……あれ)
みんなには。
先に。
つまり、今ここに残っているのは、自分とリサだけだ。
(……これ、二人で行くやつか?)
理解した瞬間、頭の中が一気に忙しくなる。
(いや待て、二人?)
クラス会だから、大勢で移動するものだと思っていた。
それならそれで嫌だった。
気を遣うし、騒がしいし、どうせ端の方を歩くことになる。
でも今だけは、その方がまだ楽に思える。
二人で歩くとなると、逃げ場がない。
黙っていても変だし、喋っても変になる未来しか見えない。
(しかも相手が如月さんって何だよ。一番ダメだろ)
ただ並んで歩くだけのはずなのに、その<並ぶ>という状況だけがやけに重い。
何を話せばいいのか分からない。
どこを見ればいいのかも分からない。
断る理由はある。
でも、ここで断ったらまた変な空気になる。
受ける理由はない。
でも、リサはもう行くつもりで立っている。
「松前くん?」
名前を呼ばれて、マサキはようやく顔を上げた。
「……行く」
それだけ言うと、リサはぱっと表情を明るくした。
「うん、行こ」
◇ ◇ ◇
二人で校舎を出た。
マサキは無意識に歩幅をずらす。
半歩だけ後ろに下がる。
(喋るな……オレ、今喋るな)
喋れば余計なことを言う気がした。
変な間。
変な返し。
そういうものを全部避けたくて、自然と黙る方向へ寄っていく。
けれど、リサはすぐに気づいた。
ちらっと横を見て、それから何も言わずに歩く速さを少し落とす。
マサキが半歩後ろにならないように、すっと横へ並ぶ。
(……合わせられた)
その調整が、逆に意識に残った。
気を遣われている。
たぶん、そういうことだ。
でもあまりに自然だから、指摘することもできない。
マサキはイヤホンの音量を上げようとして、やめる。
(今それやるのも違うよな……)
逃げる手段だけ増えて、どれも選べない。
横を見ると、リサは普通に歩いている。
同じ速度。
同じ方向。
それだけなのに、妙に落ち着かない。
(近い、普通に近い)
距離そのものより、並んで歩いているという事実が重い。
風で髪が揺れる。
制服のスカートが軽く動く。
そのたび、視線の置き場が分からなくなる。
しかも、並んで歩いて初めて気づく。
(……あれ、身長同じくらいか)
遠くから見ていたときと、横に並んだときでは全然違った。
思っていたより、目線が近い。
少し顔を向けられたら、それだけで視界の真横にリサの横顔が入る。
肩は細い。
立ち姿も、歩く姿勢も綺麗だった。
なのに脚が長いせいで、制服姿でも全体のバランスが妙に目立つ。
歩くたびにスカートが揺れて、細い腰から下のラインが自然に目へ入ってくる。
(スタイル良すぎ……)
そう思った瞬間、マサキは慌てて視線を前へ戻した。
(いや、だから見すぎだ)
何をしていても画になる感じがある。
普通に歩いているだけなのに、どこを見ればいいのか分からない。
そのタイミングで、リサがふと口を開いた。
「松前くんってさ」
名前を呼ばれただけで、少し身構える。
「……なに」
できるだけ短く返す。
喋りすぎると余計なことを言いそうで、必要最低限に寄せるしかなかった。
「あんまり喋らないタイプ?」
間が空く。
「まあ……得意じゃない」
それだけ返すと、リサはくすっと笑った。
(……今の、なにが面白いんだよ)
「いいね。あたし、お喋りな男の子ちょっと苦手だから」
一瞬、返す言葉が止まる。
喋らないことを、悪いものとして扱われなかった。
(なに考えてんのか分かんねぇ……)
リサは気にした様子もなく、また別の話題を出した。
「いつもなに聴いてるの?」
何気ない一言なのに、マサキは反応が遅れる。
(そういうの、普通もっと仲いいやつ同士でやるやつだろ……)
「……音楽」
「それは知ってる」
リサはまた笑った。
肩が小さく揺れる。
目元が柔らかく細まって、唇の端がふわっと上がる。
その笑い方が、妙に可愛い。
作ってる感じがない。
普通に楽しそうで、そのまま顔に出てる。
(……今のオレ、素っ気なかったよな……)
短く返しすぎた気がして、不安になる。
会話を切ったように見えていないか、変に冷たい奴だと思われていないか。
でもリサは気にした様子もなく笑っている。
その表情を見て、呼吸が楽になる。
(……大丈夫か)
「ジャンルとか歌手とか」
「……別に、適当」
曖昧に濁そうとして、言葉がそこで止まる。
(これ以上聞かれると困る……)
話したくないわけじゃない。
ただ、話せる形にする前に、頭の中で言葉が詰まる。
短く返しすぎた気がして、マサキは少しだけ息を詰めた。
(今の、会話切ったみたいになったよな)
けれどリサは、そこで終わらせなかった。
「そっか、あたしはロック系が好き」
「……そう」
短く返す。
それだけで終わるはずだった。
関係ないはずの情報だ。
覚えておく理由なんてない。
(……ロック系)
なのに、勝手に頭へ残る。
リサは横で小さく笑った。
「もー、松前くんさー」
「……なに」
「もうちょっと、あたしに心開いてよ」
冗談っぽく言われたはずなのに、マサキだけがそこで少し固まった。
(心開くって、何をどうすればいいんだよ)
素っ気ない返事しかしていない。
なのにリサは、普通に会話を続けてくる。
歩く速さを合わせて。
短い返事も笑って受けて。
話が途切れそうになるたびに、次の言葉を出してくる。
(気を使わせてるだけだろ、これ)
ちゃんと話せない自分に、リサが合わせてくれている。
(こういうの、普通ならめんどくさいってなるだろ)
なのに、リサはそういう顔をしない。
ちゃんと向き合おうとしてくる。
(しかも……こんなキレイな人に、わざわざそんなことさせてるのか……オレは)
そう思った瞬間、黙っていることの方が急に変に感じた。
リサはたぶん、怒っているわけじゃない。
責めているわけでもない。
でも、これ以上全部任せるのは違う気がした。
(いや、黙るのは違うよな。……そういうの、失礼だと思う)
そう考えてから、すぐに後悔する。
『心開いてよ』
(これって……黙ってる理由、言えってことか?)
たぶん、そういう意味だと勝手に解釈する。
間を置いて、マサキは顔を背けたまま口を開く。
「あのさ……正直、如月さんみたいなキレイな人と……なに喋っていいのか分からない……」
◇
その言葉で、リサの足がほんの少し止まった。
「……え」
間が抜けた声が出る。
頬が熱くなるのが分かった。
マサキの横顔を横目で見て、すぐに前へ視線を逃がす。
(い、いきなり何?)
可愛いとか、キレイとか。
そういう言葉を向けられること自体は、初めてじゃない。
むしろ、慣れている方だと思っていた。
でも、その多くは少しだけ分かりやすい。
近づきたい。
好かれたい。
反応を見たい。
そういう気持ちが、言葉の奥に透けて見える。
だから、笑って流せる。
ありがとう、と言って、少し照れた顔をして、それで終わらせられる。
でも、マサキはそういうふうには見えなかった。
必要のないことは言わない人。
人を持ち上げるために、軽く褒めるようなこともしなさそうな人。
そもそも、可愛いとかキレイとか、そういう言葉を簡単に口にするタイプには見えなかった。
なのに。
(キレイだから、何を喋っていいか分からない……?)
それは、今まであまり聞いたことのない言われ方だった。
褒めて距離を詰めようとしているんじゃない。
むしろ、距離を取る理由として言っている。
口説こうとしているわけでもない。
反応を見て楽しんでいるわけでもない。
ただ、事実としてそう思っているから、困っている。
そう聞こえた。
(……なにそれ)
嬉しい。
でも、落ち着かない。
褒められたはずなのに、いつもの流し方が使えない。
笑って受け取ればいいのか、否定すればいいのか、近づけばいいのか、離れればいいのか、全然分からない。
(あたし、そういう扱いなの? そういうカテゴリなの?)
頭の中で処理しようとしても、うまくまとまらない。
ただ、さっきの声だけが変に残っている。
評価くれるのメチャクチャ嬉しいです(^▽^)





