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3. 新学期 ~窓際の視線2~

 放課後。

 今日は始業式で、午後のHRが終わればそのまま下校できる日だった。

 教室の声が帰宅ムードに変わっていく中で、マサキはいつも通り窓際の席にいた。

 片耳にイヤホンを入れたまま、スマホを眺めているふりをしている。


(あの女……結局、場所教えに来なかったな)


 別に困る話じゃない。教えると言ったが、忘れられてるのか、からかわれただけなのか……。


(いや、でも……普通は来るだろ)


 場所はとっくに決まっていたはずだ。

 それを伝えるだけなら、わざわざ後回しにする必要もない。

 そう思いながらも、HRが終わってもすぐには席を立てなかった。

 落ち着かないまま、机に座り続ける。


(まだか……)


 自分でも分からない期待があった。

 呼びに来るかもしれない、話しかけられるかもしれない――そんな可能性だけが残っていた。

 結局何も起きないまま時間だけが過ぎていく。


(……いや、来るわけないか)


 頭の中では、もし声をかけられたらどう返すかまで勝手にシミュレーションしていた。


「準備できてます」とか、「どこですか」とか、無駄に整えた返答のパターンまで浮かんでいる。


(……何やってんだオレ)


 そう思った瞬間、胸の奥が重くなる。

 たぶん忘れられてる。

 自分が目立たない存在だから、それも仕方ない。

 そうやって納得しようとしたところで――


「松前くん」


 横から声。

 マサキは肩を揺らす。リサだった。


「……な、なに」


 いつも通りの声で返すが、低い。

 リサは机の横に立って、軽く首をかしげる。


「準備できたー?」


「準備って……あとで場所教えるって聞いたけど」


 思ったより先に口が出た。


「うん、あたしが案内するから」


 リサは当然みたいに言う。

 その一言で、マサキは一瞬だけ固まる。


「……は?」


 想像していた返答と違った。

 思わずリサの顔を見る。

 こんなに近くで正面から見るリサは、綺麗という単純な言葉では表せないくらい美しい。


「……いや、案内って」


 思わず口に出す。

 その瞬間、頭の中ではさっきまでのシミュレーションが勝手に動き続けていた。

 場所を説明されたとき、無駄に整えた返答のパターンまで浮かんでいたはずなのに、今はどれも役に立たない。

 リサは気にした様子もなく


「松前くん場所わからないと困るから」


 あまりにも自然な言い方だった。

 "当然"みたいな顔で言うから、断るタイミングを失う。


(スマホで調べれば分かるんだから、普通に別で行かせてくれ……)


 大勢でぞろぞろ歩くのは昔から苦手だ。

 気を遣う時間なんて最高に面倒だしダルい。

 そう思うのに、口に出せない。


「ほら行こ」


 リサはすでにカバンを持ち、いつでも行ける状態だ。


「みんなには先行っててもらってるから」


 その言葉が落ちた瞬間、マサキの思考が止まる。


(……あれ)


 クラスのやつらと一緒に移動する、と思っていた想定が、今の一言できれいに崩れる。


(……これ、2人で行くやつか?)


 理解した瞬間、頭の中が一気に忙しくなる。


(いや無理だろ、女の子と2人で歩くとか普通に無理だし、しかも相手が如月理沙って何だよ。1番ダメだろ)


 ただ並んで歩くだけのはずなのに、その"並ぶ"という状況だけがやけに重い。

 何を話せばいいのかも分からないし、黙っていても変になる未来しか見えない。


(そもそも2人ってなんだ。大勢でぞろぞろ行く方がまだマシだ)


 むしろ人が多い方が楽だ、とすら思えてくる。

 今みたいに、相手の存在だけが真正面にある状況が一番きつい。

 考えは回るのに、言葉が出ない。

 断る理由も、受ける理由も、どっちも整理できないまま喉だけが詰まる。


 相手が如月理沙というクラスの中心にいる人というだけで、意識が勝手にそっちに寄る。

 なのに現実の状況だけが、想定よりずっと静かに重かった。


 ◇     ◇     ◇


 2人で校舎を出た。

 マサキは無意識に歩幅をずらす。

 半歩後ろに下がる。


(喋るな……オレ、今喋るな)


 しゃべれば余計なことを言う気がした。

 変な間とか、変な返しとか、そういうのを全部避けたくて、自然と黙る方向に寄っていく。


 リサがそれに気づいて歩みを遅くさせる。

 その調整すら、余計に意識してしまう。


 マサキはイヤホンの音量を上げようとして、やめる。


(今それやるのも違うよな……)


 逃げる手段だけ増えて、どれも選べない。


 横を見ると、リサは普通に歩いている。


(近い、普通に近い)


 距離そのものより、"同じ速度で並んでいる"という事実が落ち着かない。


 風で髪が揺れる。

 制服のスカートがふわっと動く。

 そのたび視線の置き場が分からなくなる。


 しかも、並んで歩いて初めて気づく。


(……あれ、身長同じくらいか)


 遠くから見ていたときと、横へ並ぶと全然違う。


 細い。

 肩幅も小さい。


 なのに脚が長いせいで、全体のバランスがおかしい。


 胸元のラインだけがやけに柔らかくて、その下を細い腰がすっと通っている。


(スタイル良すぎ……)


 何をしていても画になる感じがあって、逆にどこを見ればいいのか分からない。


(いや、無理だろこれ……)


 リサがふと口を開く。


「松前くんってさ」


 一瞬、言葉に詰まる。


「……なに」


 できるだけ短く返す。

 喋りすぎるとバランスが崩れる気がして、必要最低限に寄せる。


「あんまり喋らないタイプ?」


 間。


「まぁ……得意じゃない……」


 それだけ返すと、リサはくすっと笑う。

 その笑い方が、やけに自然で、変に落ち着いている。


(……今の、なにが面白いんだよ)


 でも笑っている横顔が妙に整って見えてしまって、そこでまた思考が途切れる。


「いいね、あたしお喋りな男の子苦手だから」


(……え)


 一瞬、返す言葉が止まる。

 意味が処理しきれないまま、心拍だけが乱れる。


(なに考えてんのかわかんねぇ……)


 喋れば詰む気がするのに、黙っていても相手が話してくる。

 その構図が一番困る。


 リサが続ける。


「いつもなに聴いてるの?」


 その何気ない一言で、また反応が遅れる。


(そういうのは、普通もっと仲いいやつ同士でやるやつだろ……)


「……音楽」


「それは知ってる」


 リサはくすっと笑う。


 肩が小さく揺れる。

 目元が柔らかく細まって、唇の端がふわっと上がる。


 その笑い方が、妙に可愛い。


 作ってる感じがない。

 普通に楽しそうで、そのまま顔に出てる。


(……今のオレ、素っ気なかったよな……)


 短く返しすぎた気がして、不安になる。

 会話を切ったように見えていないか、変に冷たい奴だと思われていないか。

 でもリサは気にした様子もなく笑っている。

 その表情を見て、呼吸が楽になる。


(……大丈夫か)


「ジャンルとか歌手とか」


「……別に、適当」


 曖昧に濁そうとして、言葉が途中で止まる。


(これ以上聞かれると困る……喋るほど変になる気がする)


 話したくないのに、空気が許してくれない。


「あたしはロック系が好き」


「……そう」


 短く返す。


(関わることないだろうし、別に覚えなくていいだろ)


 関係ないはずの情報なのに、勝手に記憶に残そうとしている自分がいる。


(……ロックか)


 理由は分からないまま。


「もー、松前くんさー。もうちょっとあたしに心開いてよ」


 素っ気ない返事しかしてないのに、リサは普通に会話を続けてくる。

 それが引っかかる。


(気を使わせてるだけだろ、これ)


 ちゃんと話せない自分に合わせてくれてる。

 さっきからずっと、リサの方が歩幅を合わせているみたいで。


(こういうの、普通ならめんどくさいってなるだろ)


 なのに、そういうのを出さないで、ちゃんと向き合おうとしてくる。


(しかも……こんなキレイな人に、わざわざそんなことさせてるのか……オレは)


 そう思った瞬間、黙ってることの方が変に思えてくる。


(いや、黙るのは違うよな。……そういうの、失礼だと思う)


『心開いてよ』


(これって……黙ってる理由、言えってことか?)


 たぶん、そういう意味だと勝手に解釈する。


(そういうの……ちゃんと言えばいいだけか)


 間を置いて、マサキは顔を背けたまま口を開く。


「あのさ……正直、如月さんみたいなキレイな人と……なに喋っていいのか分からない……」


 ◇


 その言葉で、リサの動きが一瞬だけ止まる。


「……え」


 間が抜けた声が出る。


 頬が熱くなるのが分かった。

 マサキの横顔を横目で見て、すぐに前へ視線を逃がす。


(い、いきなり何? あたし、そういう扱いなの? "キレイな人と話せない"ってどういうカテゴリ!?)


 褒められてるのは分かる。

 分かるのに、そこから先の処理が追いつかない。

 嬉しいのに、落ち着かない。


 ◇


 マサキは言ったあとで、自分の言葉の重さに気づいて目を落とす。


(やば……これ今の、普通に変なこと言っただろ。陰キャ野郎にキレイとか言われたら、普通に気持ち悪いよな)


「いや、その……別に変な意味じゃなくて……」


 言い訳がうまく形にならない。


 リサは一瞬だけ固まって、それからようやく息を吐いた。

 視線をそらしながら、


「……な、なにそれ」


 声がわずかに上ずる。


「ごめん」


 即答で謝るマサキ。


「ちょ、ちょっと待って。お世辞?本心?からかってる?」


 マサキは一瞬だけ黙る。


(ここで誤魔化すのも違うだろ……)


 視線を逸らしたまま、小さく答える。


「……本心」


 リサは一瞬だけ固まって、前を向いたまま片手で顔を仰ぐようにしながら歩く。

 耳まで赤いのが横目でも分かった。


「……え、いや待って」


 さっきよりも明らかに声の温度が上がる。


「いやいや、急にそんな……言われても……」


(やっぱ言わなきゃよかった……気まずい雰囲気になっただけだ)


「……ごめん」


 また謝る。


「いや謝んなくていいけどねっ」


 強めに言いながらも、声の端は落ち着かない。


「……その、なんていうか」


 言葉を探す間ができる。


「松前くんも、そういうこと言うんだねぇ」


 前を向いたまま、リサは口元を緩める。


「如月さんは、そういうこと……言われ慣れてるんじゃ……」


 思わず出る。


 リサはすぐに返す。


「言われるけどぉ、松前くんから言われるのは、なんかこう……軽くない……というか」


 マサキは眉をわずかに寄せる。

 リサの横顔を見ながら、一瞬だけ迷う。


(これ、続けていいやつか?変に踏み込んだらまたおかしくなるかもしれない。でも、今の……嫌がってる感じじゃないよな。……言っていいのか?間をあけるとまた黙っちゃいそうだから、言うか)


 間を置いて、結局うまく結論が出ないまま、半分だけ確かめるように言葉を出す。


「……いや、如月さんがキレイなのは事実だし。他のヤツもお世辞で言ってるわけじゃなくて、みんな思ってると思うけど」


「軽くないっていうのは、あたしの受け止め方の話でぇ……」


 リサは言いながら、視線を泳がせる。


「なんか、ドキドキするんだよねぇ……そういうの急に言われたら……」


 手で顔を仰ぎながら言う。

 耳も頬もまだ赤い。


(演技か?天然か?)


 マサキは混乱していた。


(ほんとに嫌なら、こんな反応しないよな……?)


 判断材料が少なすぎて、逆に確信が持てない。

 それでも、少なくとも"続けてもいい空気"には見えた。


 リサは恥ずかしさをごまかすように、手で顔をぱたぱた仰ぎながら言う。


「でも、ありがとね。褒めてくれて、嬉しい」


 その一言は、照れ隠しじゃなくてちゃんとした感情だった。


 マサキは反応に困る。


「別に……」


 それ以上は言えない。


(ヤバい、どんな反応していいのか分からない……)


 そのまま会話が一瞬途切れる。


 沈黙が落ちた瞬間、マサキはさらに焦る。


(え、ここで終わり?いや終わらせたらダメだろ。なんか言え……なんか。こういうときって普通なに話すんだ)


 頭の中だけがやけに忙しくなる。

 女の子が好きそうな話題。

 クラスのやつが適当に盛り上がってるやつ。

 ふと、昼休みのくだらない会話が頭をよぎる。

 クラスの男子が、如月理沙の話でやたら盛り上がっていた光景。


「彼氏いんのかな」とか、「絶対いるだろ」とか、勝手に決めつけて笑っていたあれ。


(……いや、それ聞くのは違うだろ)


 一瞬、喉まで出かかった思考を引っ込める。


(聞いたら終わるやつだろそれ。踏み込みすぎる)


 カラオケだし、歌とか、流行とか、そういうやつだ。


(女の子にどうやって合わせたらいいんだ)


 完全に詰まる。

 考えれば考えるほど何も出てこない。


 ちょうどそのとき、視界の端に店の入口が入る。


「あ、お店ここだよー」


 リサは先に扉を開ける。


「どうぞー」


「……うん」


 マサキはとりあえず目線を下げたまま店に入る。


(助かった……ここまで来れば、2人きりじゃなくなる)


 さっきまでの"何話せばいいか問題"から一旦解放されて、息が抜ける。


 そのまま入り口をまたぐ瞬間、ふと気づく。


(いや、今の"扉開けるの"オレがやるやつだった……!)


 今さらながら、リサに扉を開けさせて自分が通る形になっていることに気づく。

 反射みたいに軽く会釈しただけで済ませた自分に、じわっと嫌な汗が出る。

 しかも返事も「うん」で終わってる。


(いや、そこは「ありがとう」だろ……)


 一歩遅れて、礼儀のズレがまとめて押し寄せてくる。


「えっとね、部屋は2階の大部屋」


 そのあと、流れのまま階段へ向かうことになった。

 マサキは後ろ。

 その一段前を、リサが上がっていく。


(あ)


 一歩目で気づいた。

 階段を上がるたび、リサのスカートがふわっと揺れる。

 その下から白い太ももが覗く。

 細いのに柔らかそうで、肌がやけに滑らかそうだった。


(後ろに立つの、ダメじゃないか……?)


 スカートの女の子の真後ろ。

 しかも相手は如月理沙。

 学校でも目立つくらい可愛い女子。

 立ち位置を変えようにも、今さら横にずれる方が不自然だった。

 動けない。


 一段、また一段。

 視界に入れないようにしようとしても、逆に意識だけがそこへ引っ張られる。


(いや、ほんとに……見たら終わる)


 マサキは必死に前を見る。

 なのに、スカートが揺れるたび、白い脚が視界の端を掠める。

 階段を上がる動きに合わせて、太ももの内側までちらちら見えてしまう。

 そのたび喉が変に熱くなる。


(無理だろこれ……)


 次の瞬間。

 リサが少し大きく踏み出した拍子に、スカートの裾がふわっと浮いた。

 ほぼ反射だった。

 マサキの視線が上がる。


 暗いスカートの奥。

 淡いピンク。

 柔らかそうなレース。

 小さな花柄みたいな模様まで見えた。

 布地が薄くて、脚の白さとの色の差が妙にはっきりしていた。


(見え――)


 気づいた瞬間、マサキは勢いよく前を向いた。

 耳まで熱くなる。

 心臓が一気に跳ねる。


 リサは気づいていない。

 おそらく、自分のスカートの中が見えたことにも。

 それが逆につらかった。

 罪悪感と、見てしまった感覚だけが頭に残る。


 そのとき。

 リサが急に立ち止まった。

 マサキは顔を逸らした直後で反応が遅れる。

 次の瞬間。


 むにっ。


 柔らかい感触に、顔面からぶつかった。


「ひぁっ?!」


 リサの身体がびくっと跳ねる。

 マサキの顔は、リサのお尻にそのまま埋まっていた。


 制服越しなのに柔らかさが分かる。

 ふわっと沈む。

 あたたかい。

 丸い感触が頬を包むみたいに押し返してきて、息が止まりそうになる。


(やわ……)


 頭が真っ白になる。

 女の子のお尻なんて触ったこともない。

 まして顔から突っ込むなんて。

 柔らかいのに弾力があって、押し返される感触が妙に残った。


「ちょ……ちょっと……!」


 リサが真っ赤な顔で振り返る。

 それでもマサキの顔を押し返さないように、少し前へ逃げるみたいに一段上がる。

 マサキはそこでようやく我に返った。

 反射みたいに顔を背ける。


「ご、ご、ご、ごめん……なさい……」


 顔から火が出そうだった。


(終わった。完全に終わった。社会的に死んだ。いや、警察呼ばれてもおかしくないだろこれ)


 脳内がぐちゃぐちゃになる。

 さっき見えた淡いピンクのレース。

 まだ残ってる。

 そのうえ、今の柔らかい感触まで頭に残って離れない。


 頬が押し込まれた瞬間、ふにっと沈んだ。

 柔らかいのに、ただ柔らかいだけじゃない。

 押し返してくる弾力があった。

 顔を離したあとも、その感覚だけが頬に残っている。


(なんで覚えてるんだよ……っ)


 最低だと思うのに、忘れられない。


 リサは階段の上に立ったまま、マサキを見下ろしていた。

 顔は真っ赤だった。

 けれど、そのまま空気を壊さないように口を開く。


「いやいや、あたしの方こそごめんね。急に立ち止まっちゃって」


 リサは視線を泳がせながら、続ける。


「黙ってたから、松前くんいるかなって……後ろちゃんと来てるか確認しようとして」


 ごにょごにょと、言い訳みたいに言葉がほどけていく。

 それでも場を壊したくなくて言葉を続ける。


「ちゃんといたね、安心したー」


 明るく締めようとしているのが分かった。


(この状況でこの子が気を遣うことないだろ……)


 マサキはようやく呼吸を整えながら言う。


「……いや、オレの方が悪い。ちゃんと前見てなかったし……黙ってたのも、よくなかった。階段で女の子の後ろ歩くの良くないって気づいてたのに、変な動きしてると思われたくなくて、そのままにした」


 その言葉を聞いた瞬間、リサはわずかに目を見張る。


 自分を守るための言い訳はしない。

 気まずさもあるはずなのに、曖昧に笑って終わらせない。

 ちゃんと悪いと思ったところは言葉にして、しかも余計な見栄も挟まない。

 そう見えた。


「如月さんに落ち度はない」


 その言葉に、リサはすぐに首を振った。


「いやいや、階段で急に止まるとか危ないことしたのあたしだし」


 早口になる。明るくしようとしているのが分かる声だった。


「怪我させるとこだったよね。落ちなくてほんと良かった」


 マサキはその言葉を聞いても、すぐには返せなかった。


(……いや、今の)


 普通の謝罪じゃない。

 責任を軽くするための言い方でもない。

 "自分の方にも非があったことにして場を終わらせる言い方"だ。

 しかも、それがやけに自然だった。


(慣れてるんだな、こういうの)


 一瞬でそう思ってしまって、喉が詰まる。

 たぶん今のリサは、本心で「危なかった」と思ってる。

 でもそれ以上に、"これ以上重くしないための形"を選んでいる。

 笑い方も、声の明るさも、間の取り方も全部そうだ。


(無理してるのか)


 マサキはようやく気づく。

 これ、さっきからずっとだ。

 謝るタイミングも、話を切る位置も、全部「自分が悪く見えるようにしてでも場を保つ」方向に寄せている。

 こっちを責めないために、わざと自分側に寄せている。


(……こういうの、癖か?)


 軽く扱ってるわけじゃない。

 むしろ逆で、丁寧すぎる。

 その丁寧さが、かえって"慣れ"に見えるのが嫌だった。


 マサキはリサを見る。

 顔はまだ赤いままなのに、声だけはちゃんと整っている。


(この人、こうやって人と喋ってきたんだろうな)


 気まずくならないように。

 相手が引かないように。

 全部、ちゃんと処理して。

 だから今も、普通みたいな顔で立っている。


 マサキは目を逸らす。


(……そういうの、オレには出来ない)


 言わない代わりに、心の中だけでそう思う。

 上手く誤魔化すとか、場を丸くするとか、そういう"処理"を自然にやれる感じが、遠い。

 それでも、嫌味には見えない。

 むしろ、さっきからずっとそうしてるのに、ちゃんと人として会話が続いているのが不思議だった。


(すげぇな、こういうの……)


 気を遣ってるのが分かるのに、重くならない。

 無理してるのに、無理に見せない。


 マサキはそのまま、短く息を吐いた。


 リサは階段を二段だけ降りて、マサキの横に並ぶ。


「並べば大丈夫」


 リサがにっこり笑う。

 その瞬間、マサキの視線が止まる。


 目元が柔らかく細まって、頬がほんのり赤いまま口元まで緩んでいる。

 作った感じじゃなく、安心したのがそのまま顔に出てる笑い方。


 しかも近い。


 階段を降りた位置のせいで、さっきより顔が見やすい。

 伏せた目元のラインが綺麗で、笑うたびに瞳がきらっと動く。

 その笑い方ごと、なんとなく目を引いた。


(……綺麗だな)


 一瞬、本気で見惚れる。

 頭の中が止まって、言葉が出ない。

 さっきまで張っていた緊張が、その笑顔ひとつで妙に崩される。


 後ろに誰もいないのを確認しながら、リサは今度はちゃんとスカートの裾を手で押さえている。


(最初からおさえとけよ……)


 マサキは心の中だけでそう思いながら、慌てて目線を前に戻した。

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