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2. 新学期 ~窓際の視線~

 ――新学期、朝。


 クラス分けが貼り出され、ざわついた廊下。


「如月さんはA組だって、いいなーA組」


「マジで?ずる」


「可愛いよなー、リサちゃん」


「あーあ、期待してたのになー」


 そんな声が、すぐ横で飛び交う。


 マサキはその横を、特に反応もせずに通り過ぎる。


如月理沙きさらぎ りさ……)


 名前だけ、頭に引っかかる。


 聞いたことはある。

 読者モデルだとか、なんとか。

 校内でも普通に名前が通るタイプのやつ。


(有名人か……)


 それ以上は、特に何も残らなかった。

 興味がないわけじゃない。

 ただ、自分の生活圏とは別の話、という感覚。


 そのまま掲示板の前を抜け、教室へ向かう。


 ◇     ◇


 教室。

 席についてしばらくすると、すぐ近くでまた同じ名前が上がる。


「本当に人形みたいな顔してるな」


「分かる。あれ現実かよって感じ」


「彼氏とかいんのかな」


「そりゃあ……あの顔とスタイルなら、男なんて選び放題なんだろ?」


「声かけてみる?」


「いや無理だろ」


 笑い混じりの会話。

 内容はだいたい同じ。

 想像と噂と、勝手な前提。


 マサキは耳元のコードを指で弄びながら、それをぼんやり聞いていた。


(……ついていけないな)


 特に嫌悪感があるわけでもない。

 でも、会話の方向が、自分とは噛み合っていない。

 現実の人物の話というより、


 "イメージの中の誰か"で遊んでる感じ。


 その流れのまま、ふいに話が振られる。


「松前はどう思う?」


 視線が一瞬だけ集まる。

 マサキは間を置いて、短く答えた。


「……よく知らない」


 正直に。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 一瞬、場が止まる。


「あー……まあそうか」


「興味ないタイプ?」


 微妙に噛み合わないまま、会話はまた元に戻る。


(……ほらな)


 求められてたのは、そういう返しじゃない。

 分かってはいるけど、合わせる気にもならない。


 そのとき。

 ふと、一度だけ視線を上げる。


 教室の奥。

 人が集まっている輪の中心。


 その中にいても、リサだけ妙に目へ入る。


(……あれか)


 遠くからでもよく分かる。


 髪を耳へ掛けながら笑った横顔。

 輪郭が小さい。

 鼻筋が通ってる。

 睫毛が長い。


 しかも表情がよく動く。

 笑うたびに、周りの空気ごとそっちへ向く。


 制服姿でも、やたら目立つ。


 細い。

 なのに、その細さの上へ柔らかいラインだけが綺麗に乗ってる。


 腰の位置が高い。

 脚も長い。

 立ち姿のバランスが、他と違いすぎる。


 友達へ身体を向けながら笑った瞬間、胸元がふわっと揺れる。

 そのまま細い腰で一回締まるから、余計に目立つ。


 しかも、それを本人が気にしてない感じがある。


 自然体のまま、全部視線を持っていく。


 笑って。

 髪を払って。

 頬へ指を当てて。


 動くたびに、視界へ入る。


(可愛い、っていうより……)


 少しだけ考える。


(……美しい、の方が近いか)


 そんな感想が、淡々と浮かぶ。


 でも。


(関わることなんてないだろう)


 それ以上は続かない。

 ただ、クラスにいる"目立つやつ"の一人。

 それだけ。


 マサキは視線を切って、片耳にイヤホンを戻す。

 音楽を流す。

 周りの声が、遠くなる。


(……まあ、関係ないか)


 そうやって、自然に線を引いたまま。

 新学期の時間が、ゆっくり流れていった。


 ◇     ◇     ◇


 新しいクラスの声は、名前を呼ぶたびにまだ探り探りだ。

 リサはその中でも、やけに自然に輪の中心へ混ざっていた。

 読者モデルとして活動している彼女は、有名人として目立つ存在だった。


 その一方で、教室の窓際。

 松前真咲(まつまえ まさき)はイヤホンをつけたまま、ずっとスマホを見ている。

 話しかけられれば短く返すけど、自分から輪の中へ入らない。


 リサはその横顔を、何度もちらりと見る。


(やった、同じクラスだ)


 思わず口元が緩む。

 慌てて手で押さえる。


(落ち着いて、あたし)


 窓際の席で、マサキはもうイヤホンをつけていた。

 スマホを見ている。

 クラスが変わった最初の日なのに、表情ひとつ変わっていない。


(自分の世界に入ってる感じ)


 ふつう、新学期の初日くらいは周りを確認するものだ。

 誰がいるか、席はどこか、友達になれそうな人間はいるか。


 でもあの人は、そういう空気から最初から離れているように見えた。

 嫌いじゃない。

 むしろ。


(……かっこいいなぁ)


 自分はいつも、教室の空気を読んでいる。

 誰かが何かを言う前に、次の言葉を予測している。

 笑うタイミング。

 乗るタイミング。

 流すタイミング。

 無意識にやりすぎて、疲れる日がある。


 でもあの人は、全部関係なさそうだ。


(……なんの音楽聴いてるんだろ)


 教室の騒ぎの中で、そこだけ別の時間が流れているみたいだった。


 ◇     ◇     ◇


 昼休み。

 ざわつきの中で、少し通る声が上がる。


「なあ、このあとクラスでどっか行かね?」


「せっかくだし、クラスで交流ある方がいいよな」


 一見、何気ない提案。

 いかにも"全体のため"という体裁。


 でも――


「せっかく同じクラスなんだしさ」


「最初くらい全員で行った方がいいって」


 "全員"を強調する言い方。

 逃げ道を先に塞ぐような言葉の選び方。


 視線は、さりげなく。

 でも確実に、リサの方へ流れていた。


 マサキから見ても、あれは明らかにリサ狙いだった。


「如月さんも来るでしょ?」


「こういうのって最初が大事じゃん?」


 断りにくい方向へ、じわじわ寄せていく。

 もし断られても、「クラス全体の話だから」で押し切るつもりの声。

 断らせない空気を作っている。


「じゃあさ、親睦会しない?」


 その一言で、周囲がわずかに乗る。


「いいねそれ」


「どこ行く?」


 声が広がっていく。


 そのタイミングで――


「カラオケとかどう?」


 リサが、あっさり口を挟んだ。


「え」


 ほんの一瞬、場が止まる。

 拍子抜け。

 用意していた"押し"が空振りする。


「あ、いいじゃんそれ!」


「カラオケありだな」


 慌てて乗る声。


 でもその裏で、少しだけ混ざる空気。


(……え、普通に来るの?)


(如月さんってこういうの断るって聞いたけど)


 想定より、ずっとあっさり。

 断られる前提で組んでいた流れが、一瞬で意味を失う。


(なんだ、行けんじゃん)


 そんな空気へ、すぐ塗り替わる。


「行く行く!」


「如月さんが行くなら」


「全然あり」


 今度は逆に、"リサが行くこと"を軸に声が固まる。


 リサはその流れを一瞬だけ追ってから、窓際へ視線を戻した。

 マサキは相変わらずイヤホンをつけている。


(いっつも音楽聴いてるし、カラオケなら……)


 カラオケを提案したのは、半分以上そのためだった。

 クラス全員で行く、という口実があれば、自然に誘える。


(うまくいった)


 そう思って、少しだけ苦笑いする。


(……いや、さすがにずるいかな)


 でも。

 去年の夏からずっと、お礼を言えていない。

 逃げられ続けて、もどかしかった。


 新学期で同じクラスになれたのは、本当に運が良かったと思っている。

 この機会を、ただのクラスメイトのまま終わらせたくなかった。


(もっと話したい)


 思ってから、自分で少し驚く。

 リサは一度だけ深呼吸して、立ち上がった。


「ちょっと誘ってくるね」


 軽く言ってから、教室のざわめきを抜ける。

 マサキの方へ。


 数人が小さく反応したのが聞こえた。


(うわー、緊張するなぁ)


 マサキは、同じ姿勢のまま音楽を聴いている。

 近づいても気づかない。

 少し迷ってから、声をかける。


「ねえ、松前くん」


 最初は反応がない。

 リサは少し顔を寄せて、もう一度呼ぶ。


 ◇


「松前くん」


 マサキはびくっと肩を揺らし、慌てて片耳を外した。


「……っ、え、なに」


 声が一瞬裏返る。

 視線が合った瞬間、すぐ逸れる。


(げ。如月理沙だ……なんでオレなんかに話しかけてくるんだ)


 思考が、一瞬で詰まる。


(いや待て、なんでこっち来た)


 頭の中へ情報だけが一気に流れ込んでくる。

 近い。

 立ったままなのに近い。


 机の横へ軽く体重を預けたリサの制服が、視界の端へ入る。

 白いシャツの上からでも分かる胸の丸み。

 細い腰で一度きゅっと締まって、そのままスカートのラインが落ちる。

 全体のバランスがおかしい。


(スタイル良すぎだろ)


 しかも顔。


 肩へ落ちた髪の隙間から覗く輪郭がやたら小さい。

 目元が近い。

 睫毛が長い。

 肌が白い。


 一瞬だけ見たのに、情報量が多すぎて頭へ残る。


(……ほんとに顔整いすぎだ)


 ちらっと見て、すぐ逸らす。


(CGかよ)


 不自然なくらい整ってる。

 作り物みたいなのに、ちゃんと人間の距離にいる。


 しかも――


(声、可愛すぎだろ)


 今の「松前くん」って呼び方。

 耳へそのまま落ちてくる柔らかい声。


(無理無理無理)


 思考が完全に渋滞する。

 視線を合わせるのが怖くて、

 でも逸らしきるのも不自然で、


 結局、中途半端に机の端を見るしかない。


 手元のコードを、意味もなく指でいじる。


「驚かせてごめんね。今さ、クラスのみんなでカラオケ行こうって話してて」


「……あ、うん」


 とりあえず返事だけはする。


(無理だろ、会話続けるの。何話せばいいんだよ)


 リサは少し間を置いてから、まっすぐ言った。


「一緒に行こ?」


 その瞬間、リサが少しだけ前へ屈む。

 胸元がふわっと動く。

 細い腰との落差が、その動きだけで分かる。


 近い。


 シャンプーみたいな甘い匂いまで届く。


「無理です」


 即答だった。


(即答してしまった)


 リサは続ける。


「歌わなくていいからさ、聴くだけでも」


「いや、無理です」


 再び即答。


 マサキはコードを弄びながら、視線を落とす。


 でも視界の端へ、どうしても入る。


 脚。

 細い手首。

 制服の上からでも分かる身体のライン。


「そういうの、ほんとに無理なんで」


 言い切ったあと、マサキはほんの一瞬だけ息を詰めた。


(……やば、言い方きつかったか)


 視線は相変わらず机へ落ちたまま、上げられない。

 沈黙が落ちる。

 教室のざわめきはすぐそこにあるのに、ここだけ音が遠い。


(あー……これ、完全にやらかしたな)


 断るのはいい。

 でも、相手が如月理沙という人物なのが問題だ。

 クラスの中心にいる人間に、あんな感じで即拒否。


(いや、別にいいだろ……どうせ関わらないし)


 そのとき、リサが小さく言った。


「そっかー」


 短い一言。

 マサキは顔を上げかけて、やめる。

 わずかに違和感があった。


 軽い言い方。

 その軽さが、どこか作られている感じ。


「ごめんね、急に誘って」


 声は明るい。

 でも少しだけ、力が抜けて聞こえた。


「……いや」


 マサキは反射で返す。

 でも、それ以上の言葉は出てこない。


「またね、松前くん」


 軽く手を振る気配だけ残して、リサは元の輪へ戻っていく。

 マサキはしばらく動けなかった。

 イヤホンを持ったまま、視線を机へ落としたまま。


(……なんか、傷付けたか……オレ)


 ふと視線を上げると、リサはもう輪の中で普通に笑っていた。

 さっきのことなんてなかったみたいに、明るい声で誰かの話へ混ざっている。


(……勘違いか)


 さっきの一瞬も、気にしすぎただけかもしれない。


(気にするだけ無駄か)


 マサキはゆっくり視線を戻す。


(どうせ、もう関わらないし)


 カラオケの話も、そのまま続いているらしい。


(別に、オレいなくても成立するだろ)


 マサキはゆっくりイヤホンを耳へ戻した。


 ◇     ◇     ◇


(カラオケかぁ……)


 クラス会のことで盛り上がっている声を聞きながら、さっきのやり取りが頭に戻ってくる。

 ――「無理です」

 ――「そういうの、ほんとに無理なんで」


 リサは無意識にペンを回す。


(……来ないのか)


 その瞬間、胸の中のテンションがすっと落ちた。

 元々この提案は、マサキが来る前提で言い出したものだった。

 音楽が好きな彼なら、その場なら自然に距離が縮まる気がしていた。


 リサは窓の外を見る。教室の光が少し眩しい。


(あーあ、行きたくないよー)


 視線をわずかに横に動かす。

 マサキは、さっきと同じようにイヤホンをしている。

 何事もなかったみたいに、いつも通りの姿。


(……ほんとに来ないんだ)


 その事実をもう一度認識して、肩の力が抜ける。

 同時に、悔しい。


(あんなに即答で断られるなんて……)


 もう一度、思い出す。

 『……無理です』

 『そういうの、ほんとに無理なんで』


 あの速さ。ほとんど考えていないみたいな即答。


(ちょっとくらい悩んでくれたっていいじゃん)


 リサは頬を軽く膨らませる。


(自分で言い出したから、ちゃんと行かなきゃいけなくなったじゃん)


 そんなことを思ってしまう自分に、また気づく。


(いやいや、なに人のせいにしてんのあたし)


 リサは息を吐いて、椅子にもたれた。


(……どうしよっかな)


 諦めるのは簡単だ。

 でも、それだとちょっとだけ後悔しそうな気がする。


 窓際で、イヤホン越しに、スマホを見ている横顔。


(音楽が好きでも、ああいう場所は無理なのかな……でも、この機会を逃したら……)


 そこまで考えて、リサは視線を落とした。

 指先でペンを軽く転がす。さっきよりゆっくり。考えるみたいに。


(もう話す理由、なくなっちゃうかも知れない)


 クラスメイトとしての距離はある。

 でも、それ以上に近づくきっかけは、きっと少ない。

 席も隣じゃない。共通のグループもない。

 自然に話しかける理由なんて、いくつもあるわけじゃない。


(だったらいっそ、多少強引にでもいま誘った方がいい……っ)


 ◇     ◇     ◇


 マサキは窓際の席で、いつも通りイヤホンをしていた。

 音楽は流れているはずなのに、頭の中は妙に落ち着かない。

 休憩時間に、リサに話しかけられた余韻が、まだ残っている。


 クラスの中でも目立つ、綺麗な子。

 話しかける側ではなく、話しかけられる側の人間だと思っていた。


(どうせもう関わらない……)


 そう思って、無理やり頭の中で区切りをつけたはずだった。

 なのに、妙に落ち着かない。

 イヤホンを触る指が、じっとしない。

 さっき見た"整いすぎている顔"が、やけに残像みたいに浮かぶ。


 そのとき。

 視界の端に影が入る。リサだった。


(……は?)


 いま頭の中で"もう関わらない側の存在"として処理したばかりの人物が、普通に目の前にいる。

 脳が一瞬バグる。


(いや待て、なんでまた来るんだよ……)


 心臓が跳ねる。

 目を逸らすのがワンテンポ遅れて、逆に不自然になる。


「ねえ、松前くん」


 近い距離で名前を呼ばれる。

 反射で見上げかけて、止まる。

 そこで初めて、ちゃんと認識してしまう。


 近い。


 目の前に立ったリサが、想像していたよりずっと近い距離にいる。


 肩へ落ちた髪。

 白い肌。

 笑う寸前みたいに緩んだ口元。


 しかも目。

 まっすぐこっちを見てくる。


 睫毛が長い。

 瞳がやけに綺麗で、光が入るたびなんとなく目を引く。


 制服の上からでも分かる身体のラインも、その距離だと余計に情報量が多い。

 細い腰。

 その上へ自然に乗ってる柔らかい膨らみ。

 立ってるだけなのに、バランスがおかしい。


 なのに本人は、そんな視線を向けられること自体に慣れきってるみたいな顔で、普通にそこにいる。


(……可愛いな)


 整った顔立ちとか、落ち着いた声とか、笑うときに少しだけ頬が緩む感じとか、そういうものが一気に入ってくる。


(いや、今それ考えるなオレ……)


 頭の中が妙にうるさい。

 距離の問題じゃない。存在そのものが強い。


 イヤホンを外す動作すら、ぎこちない。


「……なに」


 できるだけ普通に返したつもりだった。

 けど、自分の声が固いのが分かる。


(今の返しは感じ悪すぎだろ……っ)


 空気の重さだけが残る。


「もう一回だけ誘うんだけど……」


 リサは続ける。


「クラス会のカラオケ」


(いや、なんでオレなんだよ。1人くらいいなくてもいいだろ)


「無理って言った……」


 即答。

 そこで話を終わらせる感じじゃないのが分かる。


(やばい、頭回ってない。さっきからずっと不愛想に返しちゃってるし、冷たい人間になってるだろこれ……なんでこうなるんだよ)


 さっきまで「可愛い」とか余計なことを考えていたのに、今は逆にそれを隠そうとして空回っている。

 態度だけが冷たくなっていく感覚がある。


(普通に返せばいいだけなのに、なんでこんな変な空気にしてるんだオレは)


 自分で自分の反応が気に入らない。

 距離を取りたいのに、距離の取り方だけが雑になっている。


 リサは一歩も引かないまま言う。


「絶対に楽しませるから」


 その言葉で、マサキの思考が一瞬止まる。


(なんでそんなこと言い切れるんだ)


 楽しませる、って何だ。

 自分は歌わないし、そういう場所は得意じゃない。

 それなのに、"絶対"なんて言葉が軽く出てくる。


「あのー……松前くん来ないと、意味ないっていうかー」


 その言い方を聞いた瞬間、マサキの中で何かが勝手に繋がる。


(ああ、そういうことか)


 たぶん、人数の問題だ。

 提案者の一人として、集まりが悪いのがイヤなんだろう。

 自分がどうこうじゃない。

 ただの人数調整。ただの枠。


 誰かが"リサに誘わせれば断らない"って前提でリサに言わせてる。

 あるいは、リサ本人がそれを分かった上で言ってきてる。


 マサキの中でひとつ線が引かれる。

 さっきまでの「よく分からない誘い」から、「仕組まれた誘い」に変わる。

 その瞬間、妙な落ち着きが戻ってくる。


「……つまらなかったら帰る」


 さっきのような迷いはない。

 落ち着いたまま、冷たいくらいの声になる。


 リサは一瞬だけ目を瞬かせて、それから小さく笑う。


「やった、いいよ。来てくれるだけで十分だから」


 その一言で、マサキの中の"人数合わせ説"がさらに強くなる。

 リサは小さく息を吸ってから、表情を崩さないまま視線だけ揺らす。


「あ……場所、決まったら教えるね」


「……うん」


 短く返す。

 それだけで会話は終わったはずだった。

 なのにリサはすぐには戻らない。


「あの、無理言ってごめんね」


 その一言は、さっきまでの軽い声とは違っていた。

 マサキは反射的に顔を上げかけて、すぐにやめる。


(……謝る必要あるか?調整枠の相手に)


 さっきまでの"誘われた"という感覚が、雑に整理されていく。

 最初から、空いてる枠に押し込んだだけだ。


「いや……別に」


 それだけ返す。リサはもじもじしながら


「あ……あの。じゃあ、あとでね」


 短く笑って、そう言うと、リサはようやく元の方へ戻っていく。

 その背中を見ながら、マサキはイヤホンを指でいじる。


 利用された、というほど強い怒りでもない。

 ただ、最初から期待していなかった方向に、予定通り収まっただけだ。


 そのとき、リサが振り返って小さく手を振った。

 一瞬だけ目が合う。

 さっきまでの申し訳なさとは違って、どこか安心したような、柔らかい表情。

 どこか嬉しそうで、気まずさを引きずっていない。


 人数合わせに使われた側としては、引っかかりが残ってもおかしくないはずなのに。

 その綺麗さが、まぶしく見えるせいか。

 納得したわけでもないのに、許す理由だけが雑に成立する。


(……別に、悪い奴ってわけじゃないんだよな)


 だから余計に、整理のつけ方が中途半端になる。

 マサキは視線を落とす。


(まあ……顔だけ出して帰ればいいか)


 さっきより音がクリアに聞こえた気がした。

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