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21. 平日の午後 ~お邪魔してます~

 昼休みが近づき、教室の空気が少しだけ緩み始める。

 あちこちで椅子が引かれ、弁当袋を取り出す音が重なっていく。


 ガタ、と椅子を引く音。

 マサキが立ち上がった。

 窓際の席からそのまま静かに鞄へ手を伸ばす。

 いつも通り、一人で購買へ行って、一人で戻るつもりだった。


 その瞬間。


「松前くんどこいくのー?」


 後ろから声が近づいてくる。

 マサキが振り返るより先に、リサが机の横まで来ていた。

 軽く前屈みになりながら顔を覗き込んでいて、長い髪がさらりと肩から流れる。

 近い。

 しかも、その姿勢のせいで制服の胸が窮屈そうに揺れて、視界に入った瞬間マサキの思考が止まりかける。


 マサキは一瞬だけ固まって、


「……購買」


 短く答える。


「そっか、あたしも行こー」


 さらっと言って、リサがそのまま隣へ並ぶ。

 制服のスカートがふわっと揺れて、細い脚が目に入る。

 立っているだけでやたら目立つのに、本人はまるで気にしていない。


 近くの男子がちらちら視線を向けているのに気づいて、マサキは眉をひそめた。


(ついてくるな……)


 心の中で小さく呟く。

 でも、それをそのまま言う勇気はない。


 昨日のことが、頭に残っていた。


『なんでこんな陰キャっぽいヤツと一緒にいるわけ?』

『どうせからかって遊んでるだけなんだろうけど』

『あんま期待させるの可哀想じゃない?』


 リサは笑顔を崩さず、否定した。


『あたしの方が相手してもらってるっていうか、押しかけてる感じだもん』


 その言葉まで思い出して、マサキは奥歯を噛む。


 リサは悪くない。

 でも、周りはそう見ない。

 リサがマサキの隣にいるだけで、"陰キャをからかって遊んでる美少女"と思う人が少なからずいた。

 それが、妙に嫌だった。

 リサが悪く思われるのも。

 そういうふうに言われるのも。

 だから。


「別に……来なくていい」


 なるべく柔らかく言う。

 追い払いたいわけじゃない。

 ただ、人目につく場所を一緒に歩かせたくなかった。


 リサはきょとんと目を丸くする。


「え、いくよ?」


 悪気ゼロの顔。

 マサキは一瞬だけ言葉に詰まる。


「……目立つから」


 結局、それっぽい理由を口にする。

 リサは一瞬だけ考えて。


「あー……」


 納得したような、してないような曖昧な声。

 でも次の瞬間には、にこっと笑う。


「じゃあちょっと離れて歩くね」


(そういう問題か……?)


 マサキの思考が止まる。


「……いや、そういうことじゃなくて」


 言いかけて。

 リサが、少しだけ近づく。

 距離が、さっきより近い。

 声を落として。


「ちゃんと気をつけるから」


 ほんの少しだけ、遠慮がちな言い方。

 でも、引く気はない。


 マサキはその顔を見て、数秒止まる。

 リサは唇をきゅっと閉じたまま、じっとこっちを見上げている。

 そんな顔されると、余計に断りづらい。


(断ったら、気にするか?)


 ふと、そんな考えが浮かぶ。

 リサなら、案外けろっと「そっかー」って笑って、自分の席へ戻るかもしれない。

 でも。

 そのあとで、少しだけ静かになるかもしれない。

 笑顔のまま、でもちょっとだけ元気なく。


 そこまで考えてしまって、マサキは小さく息を飲む。


「……仕方ないな」


 吐き捨てるみたいに言う。

 リサの顔が、ぱっと明るくなる。


「わぁい」


 声を弾ませながら、リサがへにゃっと笑う。

 嬉しそうに肩を揺らして、そのままマサキの横へ並ぶ動きまで軽い。

 しかも隠す気がない。

 さっきまで少しだけ遠慮していたくせに、許された瞬間に全部顔へ出ている。


 その笑顔が妙に柔らかくて、見た瞬間、胸の奥が変にざわつく。

 表情がやけに子供っぽく見えて、余計に困る。

 マサキは視線を逸らす。


(だから、そういうのやめろって……)


 ◇ ◇


 購買の前は、すでに人がはけたあとみたいに静かだった。

 棚には、ぽつぽつとパンが残っているだけで、人気のあるものは綺麗になくなっている。


 マサキは一通り目を走らせて――小さく息を吐く。


(……終わってるな)


 本当は、おにぎりがよかった。

 パンはお腹に溜まらない。

 けれど、目当てのそれはひとつも残っていない。


(四限、長引いたのがな……)


 仕方なく、残っているパンへ手を伸ばしかける。


「パンでいいの?」


 横から、リサが一緒に棚を覗き込んでくる。

 距離が近い。

 ふわっと揺れた髪が、さらりとマサキの腕にかかる。

 棚を覗き込んだ拍子に胸元のリボンが揺れて、視界へ入った瞬間、マサキの手が止まった。


「別に、なんでもいいし」


 短く返す。

 その声がほんの少し素っ気ない。


 リサはその横顔をちらっと見てから、少しだけ間を置いた。


「松前くん、今日はお弁当じゃないの?」


 マサキは視線をパンへ戻す。


「親が共働きで、あるときとないときがある」


 淡々とした答え。

 それ以上広げるつもりはない、という空気も一緒に出ていた。


 リサは「そっか」と小さく頷く。

 でも、そのまま終わらなかった。


「言ってくれればあたし作るのに」


 さらっと言う。


「それは……さすがに悪いだろ」


 反射的に返す。


(嬉しいけど)


 頭の中では、真逆の言葉が浮かんでいた。


 リサは首をかしげる。

 揺れた髪が頬にかかって、それを細い指で耳へ避ける仕草がやけに自然だ。


「いや、普通に料理好きだし。1人分だけ詰めると材料余って大変なんだよ」


 マサキは言葉に詰まる。


(そういう問題じゃない……)


 でも、うまく否定の形が作れない。


「お返し、とか……困る」


 リサは楽しそうに、


「別にそんなの求めてないよ。条件はあたしと一緒に食べるだけ」


 その言い方が、やけに自然だった。


(断る理由……あるか?)


 可愛い女子に弁当を作ってもらう条件が、その可愛い女子と一緒に昼を食べること。

 冷静に考えれば、おかしい。

 いや、おかしくないのかもしれないけど。


(……自分にとって都合が良すぎる)


 そこで思考が止まる。

 "対等"。

 その言葉が、自分の中で妙に引っかかった。


(作ってもらう側、になるのは違うだろ)


 距離を詰めたいと思ったくせに、乗っかるだけみたいなのは嫌だった。


「如月さん」

「ん」


 マサキは言葉を選ぶように、


「一方的になにかしてもらうのは、違うと思う」


 リサは目を丸くする。

 でもすぐに、興味深そうに口元をゆるめた。


「ほぉ」


 軽く返しながら、マサキの続きを待つ。

 マサキは喉の奥で一度だけ息を整えてから言った。


「オレに出来ることあったら……それと交換、っていうか」


 言いながら、自分でも妙にぎこちないと思う。

 こんなの、もっと上手い言い方あるだろ。

 いや、そもそも何言ってんだ。

 でも、途中で止められなかった。


「……少しは対等でいたい」


 最後の一言はかなり小さい。

 でも、リサにはちゃんと届いた。

 そのままマサキの顔を見て、ぱち、と瞬きをする。

 それから、ふっと笑った。


「なにそれ、めっちゃ真面目じゃん」


 呆れたみたいに言うくせに、声が少し柔らかい。

 マサキは眉をひそめる。

 リサは視線を上へ向けて、それからまたマサキを見る。


「えー、でもなぁ……。松前くんに出来ることー?」


 わざと悩むみたいに唸ってから、


「今日、放課後空いてる?」


 何気ない調子で聞いてくる。

 しかも距離が近いままだから、逃げ場がない。


「……なんで」

「んー」


 少しだけ考えてから、リサがにこっと笑う。

 その瞬間、さっきまで真面目な顔してたくせに急に年相応っぽく崩れるから困る。


「一人でご飯食べるの、寂しいから」


 甘えるみたいな声。

 マサキは息を吐きかけて――止まる。

 昨日の言葉が、また頭をよぎった。


『変な噂たっちゃうよ?』


 放課後、一緒にいるところなんか見られたら、たぶんまた言われる。

 リサが。

 でも。

 今の"寂しいから"は、たぶん誤魔化しじゃない。

 明るく言ってるくせに、声が落ちていた。

 いつもの軽い調子に乗せてるだけで、本音はちゃんと混ざってる。


 そういうのをまっすぐ向けられると弱い。

 断ったあと、リサが一人で帰るところまで想像してしまう。

 そこまで考えて、マサキは眉を寄せた。


「……あのな」


 呆れたみたいに言う。

 完全に拒む声ではない。

 リサはそれを聞いて、満足そうに笑った。


「あいてる?」


 覗き込む。


「……まぁ」


 リサはそれで十分みたいに、


「やった」


 小さく呟いた。


 ◇


 レジを抜けたあと、リサが当然みたいに言う。


「じゃあ今日はお弁当半分こしよ」


 マサキは焼きそばパンを持ったまま止まる。


「……半分」

「うん」


 リサはにこっと笑う。


「交換ね」


 そのまま教室へ戻る途中も、リサは楽しそうだった。

 人を避けるたび少し離れて、でも気づけばまた横へ戻ってくる。

 そのたび髪が肩へ触れそうになって、マサキは落ち着かない。


 ◇ ◇


 教室へ戻ると、二人は窓際の席で向かい合う。

 リサが弁当箱を開けて、マサキの前に差し出す。

 卵焼き。

 小さめのハンバーグ。

 色の入った野菜まで綺麗に並んでいて、ふわっと匂いが広がった。


(……うまそう)


 その反応に気づいたのか、リサが嬉しそうに笑う。


「じゃ、交換」


 リサが焼きそばパンへ手を伸ばす。

 マサキはそこで気がついた。


 箸が、一組しかない。


 リサの弁当を分けるなら、どっちかがあとで使うしかない。


(……間接キス)


 自分が先に使った箸を、そのままリサに使わせるのは違う。

 かといって。

 リサが使ったあとに、自分が平然と使える気はしなかった。

 たぶん変に止まる。絶対に意識する。

 しかも、それをリサに気づかれるのも嫌だった。


 そこまで考えてから、


(……オレが先に使って、あとで洗えばいい)


 たぶんそれが一番自然だ。

 そう結論づけて、マサキが箸へ手を伸ばしかけた、そのとき。


「あむっ」


 リサがそのまま焼きそばパンへかぶりついた。

 柔らかいパンが少し沈んで、小さな歯形が残る。


「ん、おいし」


 もぐもぐしながら笑う。

 マサキの思考が止まった。


(……は?)


 思わず固まる。

 普通、半分にするとかあるだろ。

 なんでそのままいった。


 マサキの視線の先で、リサは焼きそばパンを持ったままきょとんとしていた。

 それから、はっとしたみたいに目を丸くする。


「あ、ごめん。先に食べちゃった」


 言いながら笑う。

 その反応に、マサキは力を抜きかけた。

 気づいたなら、まあ――


「はい、あーん」


 リサが、そのまま焼きそばパンを差し出してくる。

 しかも。

 さっき自分がかじった場所を、そのまま。


「……」


 マサキの動きが止まる。

 リサは悪気のない顔で、焼きそばパンを差し出したまま首を傾げている。

 マサキの視線が、そこへ落ちる。


 小さく残った歯形。

 さっき、リサが口をつけた場所。


(……いや無理だろ)


 喉の奥が妙に詰まる。

 でも。

 ここで変に拒否したら、空気がおかしくなる。

 リサはたぶん何も考えてない。

 本当に、ただ"半分こ"してるだけだ。

 それなのに、自分だけが止まってるみたいになるのが嫌だった。

 まして、"汚いって思われた"みたいに受け取られるのだけは避けたい。


 でも。

 女の子がかじった場所に、そのまま口をつけるとか。

 しかも相手はリサで。

 意識しない方が無理だった。


「松前くん?」


 リサが不思議そうに覗き込む。

 その拍子に髪がさらっと肩から流れて、甘い匂いが近づいた。

 逃げ場がなくなる。


 マサキは小さく息を止めたまま、焼きそばパンへ口を近づける。

 変にずらしたら余計に意識してるみたいで。

 結局。

 リサが持ったままの焼きそばパンへ、そのまま大きくかぶりついた。


「――っ」


 噛んだ瞬間、自分で何してるんだと思う。

 ほぼ同じ場所だった。

 マサキは無言のまま視線を逸らす。

 その横で。

 リサが満足そうに、ふにゃっと笑った。


「間接キスだー」

「……は?」


 マサキが勢いよく振り向く。

 リサは焼きそばパンを持ったまま、にこにこしている。

 悪戯が成功した子供みたいな顔。


「えー、いま気づいたの?」

「……わざとやったのか?」

「んー?」


 わざとらしく首を傾げる。

 でも、口元が笑ってる。

 マサキは言葉を失った。


(知っててやってる……?!)


 耳の奥が熱くなる。

 なのにリサは全然気にした様子もなく、


「あむっ」


 今度は、マサキがかじった場所へそのまま口をつけた。


「……っ」


 マサキの肩がびくっと揺れる。

 リサはその反応を見て、目を細めた。


「べつに平気だったでしょ?」

「……は?」


 リサは焼きそばパンを持ったまま、笑っていた。


「一度、距離あけちゃうとさ…元に戻すのって大変じゃん」

「……」

「でも一回近づいちゃえば、離れるのも難しいよね」


 さらっと言う。

 でも、そのまままたパンを持ち上げて、今度は自然にマサキの方へ差し出してくる。

 もうさっきみたいな躊躇いがない。


 一回やったから。

 同じパンをかじって。

 間接キスまでして。

 そこまで行ったあとで、今さら距離を取る方が変になる。

 リサはたぶん、そういうふうに考えてる。


「もう離れて歩かなくてもいいでしょ?」


 冗談っぽく笑う。

 けれど、その視線だけは妙に真っ直ぐだった。


 マサキは言葉に詰まる。

 リサは、たぶん勘違いしてる。

『近い』って言ったのは、リサといるのが嫌だからじゃない。

 リサが陰キャを弄んでる女みたいに思われるのを避けたかっただけ。


 マサキは昔から、人付き合いが得意じゃない。

 誰かと話すだけで間が分からなくなるし、変な返しをして空気を止めることも多かった。

 でも。

 リサといる時だけは、そこをほとんど気にしなくていい。

 返事に詰まっても待ってくれる。

 黙ったら勝手に話を繋げてくれる。

 変なことを言っても、引いた顔をしない。

 近すぎて困ることはある。

 心臓に悪いことも多い。

 でも、話しづらいと思ったことは、一回もなかった。

 だから。

 離れたかったわけじゃない。


 なのにリサは、"距離を取られた"と思ってる。

 だから今、無理やりでも距離を戻そうとしてる。

 そのズレに気づいた瞬間、マサキは余計に言葉が出なくなった。

 そのやり方があまりにも真っ直ぐで。

 しかも無防備で。


 マサキは視線を逸らしたまま、息を吐いた。


(……無茶苦茶だろ)


 リサはもう完全に安心したみたいな顔をしている。

 一回無理やり近づいたら、そのまま居座る。

 猫かよ。

 しかも本人はたぶん、これでちゃんと"戻った"と思ってる。

 さっきまで少し空いていた距離が、いつの間にか元通りだった。

 机を挟んでいるのに近い。

 視線も。

 声も。

 焼きそばパンを持つ手まで、自然にこっちへ向いている。


 リサは笑いながら、またパンを持ち上げた。

 そして当然みたいな顔で、


「はい、あーん」


 ◇ ◇ ◇


 昼休みの約束は、マサキの中では――


(……どっかで飯食うって話だよな。如月さんうまい店知ってそうだし、楽しみだな)


 その程度の認識で止まっていた。


 ◇ ◇ ◇


 放課後。

 昇降口で待っていたリサが、当然みたいな顔で手を振る。


「じゃ、行こっか」


 夕陽が差し込むガラス越しの光を受けて、長い髪がやわらかく透ける。

 制服の上からカーディガンを羽織っているだけなのに、やたら目を引く。

 周りの男子がちらちら見ているのに、本人はまるで気づいてないみたいに先へ歩き出した。


 マサキは軽く息を吐いて、その横へ並ぶ。

 駅の方へ向かう流れに、最初は違和感はなかった。


(……店行くならこの辺か)


 そう思っていたのに。

 駅を通り過ぎても、リサは止まらない。

 さらに住宅街へ入っていく。

 人通りも減って、街路樹の影が長く伸びる。


「おい」


 さすがに声をかける。


「どこ行くんだ」


 隣を歩きながら、リサがこっちを見る。


「もうちょっと」


 答えになっていない。


(……なんだそれ)


 そのまま歩くこと数分。

 やがて、リサが足を止めた。


「ここ」


 マサキは視線を上げる。

 そして、無言になる。


「……は?」


 思わず声が漏れた。

 そこにあったのは、どう見ても"普通の家"ではなかった。

 広い敷地。

 高い門。

 奥まで続く石畳。

 綺麗に整えられた庭木が夕陽に照らされている。

 一目で分かる、豪邸。


「……いや、待て」


 思考が追いつかない。


「ここ……」


 指さす。


「……如月さんの家?」

「うん、そうだよ」


 リサはあっさり頷く。


「夕飯食べよ」


 軽い調子で言った。


「……は???」


 マサキの理解が完全に止まる。


「いやいやいやいや」


 思わず一歩下がる。


「聞いてない」

「言わなかったっけ」


 悪びれた様子もない。


「……無理だろ!」


 思わず声が上がる。

 リサはきょとんとしている。


「なにが?」

「なにがじゃなくて!」


 マサキは額へ手を当てる。


(いや待て、落ち着け)


 放課後ご飯の約束。

 場所は聞いてない。

 連れてこられた先は――女子の家。

 しかも豪邸。


(……レベルが違うだろ)


 リサが首をかしげる。

 悪戯っぽく笑って、ゆっくり一歩近づく。


「松前くん、考えてみて」


 そのまま、軽く指を立てる。


「外で食べるより、うちに来た方が誰にも見られないよ」

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