17. 休日の午後 ~デートみたいになった~
カフェの扉を押すと、小さなベルが澄んだ音を鳴らした。
外の空気とは違う、少し甘いコーヒーの匂いが鼻先をくすぐる。
木目のテーブルと間接照明の柔らかい色が店内を包んでいて、さっきまで肩が触れそうな距離で歩いていた時間だけが、妙に浮いて感じられた。
リサは慣れた足取りで奥へ進んでいく。
揺れた髪が照明を受けて淡く茶色く透け、そのたびに耳元の小さなピアスが光った。
「ここ、よく来る?」
「うん、たまに」
振り返りながら答える顔は自然なのに、マサキはなぜかまともに見られない。
(……落ち着け)
席へ案内されながら、マサキは半歩だけ距離を取る。
横に並ぶと、さっきの「そばにいたいだけ」が勝手に頭の中で再生されるせいだった。
窓際の二人席。
向かい合う形で腰を下ろした瞬間だった。
「あれ……?」
少し離れたテーブルから、声が漏れる。
「え、如月理沙じゃね?」
空気がわずかに揺れる。
マサキが視線だけ向けると、制服姿の男子が三人、こちらを見ていた。
同じ学校だ。
たぶん同学年か、一つ下くらい。
「マジじゃん」
「隣のやつ誰?」
その言葉と一緒に、視線がマサキへ移る。
一拍遅れて、全員の顔に「ああ、そういう感じか」という空気が広がった。
「え、なに。デート?」
「モテる女は違うよな」
笑い混じりの小声。
けれど店内は静かで、その程度の声でも十分耳に入る。
(……最悪だ)
マサキの喉が引っかかる。
自分がどう思われるかじゃない。
隣に座っているリサの方だった。
雑誌に載るような女の子。
学校でも目立つ存在。
そういうやつには、勝手な噂が勝手について回る。
ちら、とリサを見る。
リサは何も言わなかった。
ただ、メニューを持つ指先だけが少し止まっている。
(……やっぱ聞こえてるよな)
胸の奥がざわついた瞬間、マサキは反射みたいに立ち上がっていた。
「え、ちょっ――」
リサの声を背中で聞きながら、そのまま男子たちの席へ向かう。
近づくにつれて、向こうも「あ、来た」という顔になった。
マサキは一度だけ息を吸う。
「違う、デートじゃない」
思ったよりはっきり声が出た。
男子たちが目を丸くする。
マサキは視線を逸らさないまま続けた。
「偶然近くで会っただけだ」
一拍の沈黙。
「……あ、そうなん?」
「なんだ、びっくりした」
空気が緩む。
興味が引いていくのが分かった。
それを確認してから、マサキは息を吐く。
(これでいい)
そう思って席へ戻りかけた瞬間、妙な視線を感じた。
振り返る。
リサが、じっとこちらを見ていた。
さっきまで赤かった顔とは別の意味で、頬が固まっている。
その目だけが、やけに鋭い。
◇
席へ戻ると、リサはストローの袋を指先でくしゃ、と潰した。
「あんな露骨に否定することある?」
低い声だった。
マサキは椅子を引きながら眉を寄せる。
「じゃあ、どうすればよかったんだ……」
リサは答えない。
視線を逸らしてから、唇を尖らせる。
「……どう見てもデートなんだけど」
マサキの動きが止まる。
「……デートじゃない」
返した声が、自分でも間抜けに聞こえた。
リサはストローの袋をさらにぐしゃぐしゃに折る。
「違わないでしょ」
「いや、ああいう誤解されるの……イヤだろ」
「ふーん」
リサは頬杖をついたまま、窓の方を見る。
「松前くんはイヤなんだ。そーですか。あたしはそういう対象外なんだ」
「……は?」
思わず声が低くなる。
リサはそっぽを向いたまま動かない。
マサキは数秒黙ってから、息を吐いた。
「……ああいうの、放っとくと面倒になるから」
「面倒って?」
「噂とか」
短く返しながら、水の入ったグラスへ手を伸ばす。
けれど途中で止まる。
指先だけが、わずかに迷ったみたいに揺れた。
「オレは別に目立たないから平気だけど」
その一言だけだった。
けれどリサの肩が、ぴたりと止まる。
「……あたしのために、否定したの?」
ゆっくり顔が上がる。
長いまつ毛の奥で、目だけが小さく揺れていた。
マサキはそこで初めて「あ」となる。
(……いや)
違う。
違うっていうか。
別にそういうつもりで言ったわけじゃ――
でも今さら否定すると、それはそれで変だろ。
思考が途中で絡まる。
「……ためっていうか」
逃げるみたいに返した声が、少し低くなる。
「如月さんは違うだろって思っただけ」
言い終わった瞬間、リサの頬がじわ、と赤くなる。
「そ、そーなんだ……?」
さっきまで尖っていた声が、急に小さくなる。
リサは視線を落として、ストローの袋の残りをぎゅっと握った。
「あ……ごめん。あたし、勝手に……」
耳まで赤い。
マサキはその変化についていけず、首を振る。
「……いや」
それ以上うまく言葉が出ない。
向かいを見る。
俯いたままのリサの口元が、わずかに緩んでいた。
(……なんなんだよ、ほんと)
胸の奥だけが、妙に落ち着かなかった。
「でも、あたし別に困らないよ。噂されても……あ、これメニューね。注文しよ?」
リサはそのまま勢いをごまかすみたいにメニューを突き出してくる。
「……お、おう」
受け取りながら、つい顔へ目が戻る。
まだ頬が熱を持ったままで、照明の下でそれがよく見えた。
(……なんだその顔)
伏せがちになった睫毛がやけに長い。
さっきまで拗ねていたくせに、今は少しだけ甘く崩れていて、見た瞬間に喉が詰まる。
(可愛すぎだろ……)
マサキはメニューへ視線を落とした。
リサは気づいていないのか、そのまま身を乗り出してページを開く。
「ここのイチオシはパンケーキなんだけど、流行りの軽い系じゃなくて昔ながらのやつなの。外側がカリッとしてて、中ふわふわでね。飽きないんだよ。松前くんって甘いの平気?あたしはねー、甘いもの大好きなんだ」
「……普通」
「じゃあ半分こできるね。上のホイップバターがすごいの、溶けるとじゅわってして。松前くんはどれにする?」
指先がメニューの写真をなぞる。
そのたび、テーブルに押しつけられた胸がもちっと形が崩れ、マサキの思考が一瞬飛ぶ。
(でっか……)
けれど本人はまるで気にしていない。
マサキはため息をつきながら言う。
「如月さんが決めていいよ……こういうのよく分からないから」
「松前くんの好きなもの知りたいし」
「……いや、だからさ」
言いかけて、言葉を探す。
(なんでそんなに掘ってくるんだよ……)
そこから一気にスイッチが入ったみたいに、リサはページを指でなぞり始める。
「初めてのお店だと迷うよね。お肉系でもいいよ?あたしお腹空いてるし。やっぱお肉の焼きたての匂いって食欲そそるよね。ここ鉄板だから最後まで熱いし」
リサはそのまま隣のページに移る。
「あ、スパゲティもいいよね。ここ自家製生パスタだからモチモチしてて好き。麺だけで充分いけるんだけど具だくさんで食べ応えある。そうそう、ここのピザね。窯焼きなんだよ。ピザの焦げた部分の美味しさってオーブンじゃ無理だからさ。専門店じゃないのにこだわってるんだよね。そういえばサンドイッチ食べたことないなぁ。ボリュームがすごいって聞いてて躊躇しちゃうんだよね。写真からして中身はみ出ちゃってるもんね」
リサの指がメニューの上を忙しなく動く。
「マーメイドサラダも捨てがたい。サラダだけどイカ唐揚げとエビが入ってて結構ガッツリ系……」
「……如月さん」
気づけば声が出ていた。
リサが顔を上げる。
「なぁに?」
「そんな気ぃ使わなくていいよ」
言った瞬間、リサの動きが止まる。
「へ」
リサは本当に意味が分からず、少し身構える。
マサキの声はいつもより落ち着いていて、それが逆に余計に分かりにくかった。
「オレがなに選んでもいいように……候補増やしてくれてるんだろ」
リサはぱち、と目を瞬かせたあと、急に視線を下げた。
頬が一瞬で熱くなるのが、表情に出ていた。
「ごめん、それは……えっと」
言いかけて、言葉が詰まる。
「た、食べるの好きで……」
声が急に小さい。
さっきまであんなに勢いよく喋っていたのに、今はメニューの端を指でいじるだけになっている。
「……食べるの好き?」
マサキはわずかに眉を上げる。
リサはメニューの端をぎゅっと握ったまま、視線を上げられない。
「本当に、どれも気になってて………深い意味はない」
リサの肩がさらに縮こまる。
マサキはそこで、ふと思い出した。
「あぁ、そういえば……カラオケでオレのから揚げ半分食ってたもんな」
一瞬だった。
リサの動きが完全に止まる。
「……ふぇ」
変な声が、間の抜けたタイミングでこぼれる。
マサキは特に悪気もなく、思い出した事実をそのまま置いただけだった。
「オレが注文したのに、ここのから揚げホント美味しいって言って……」
「ま、待って!それいま関係ある?」
顔が一気に赤くなる。
耳まで真っ赤だった。
マサキは首を傾げる。
「いや、食べるの好きって話ならそういうことで合ってるよな?」
「違くはないけどぉ……!」
リサはメニューで顔を半分隠す。
けれど隠しきれていない耳が、じわじわ赤くなっていく。
マサキは数秒黙ってから、言った。
「……別に悪い意味じゃない」
リサの指先が止まる。
「……」
「別に、気にすることないだろ。相手はオレなんだし、普通に食ってれば」
「……でも」
メニューの向こうから小さい声が落ちる。
「あんまり食べる女の子って、やだよね……」
「いや?」
反射みたいに返していた。
リサがゆっくり顔を上げる。
「……ほんとに?」
「如月さん、痩せてるし」
言った瞬間だった。
リサがぴたりと固まる。
(……あ)
遅れて脳が追いつく。
(いや待て)
女の子に体型の話。
今の完全にまずいだろ。
(そもそもから揚げの話がまずかったんだ。食べるの好きって言うから、普通に話広げたつもりなのに……そこから全部ダメになった)
リサは数秒そのまま止まったあと、ゆっくり顔を上げた。
「……それ、どういう意味?」
マサキの手が止まる。
「いや、違っ……」
一度言葉が詰まる。
「変な意味じゃなくて」
短く息を吐いてから続ける。
「さっきの流れで、食べるの気にしてたから」
テーブルへ視線を落としたまま言う。
「そういうの気にしなくていいって言いたかっただけ」
肩を落としてから、ゆっくり続ける。
「悪い……女の子に、痩せてるとか。その……減らす必要ないだろって」
リサはその言葉を聞いて、しばらく固まる。
「……そっか」
そのままメニューへ視線を落とす。
さっきまでみたいに沈み込む感じではなかった。
指先がぺら、とページをめくる。
「……じゃあ最後にドリンク決めていい? ここ大事だから」
「……おう」
リサはわずかに口元を緩めて、メニューを開き直した。
「あたしはアイスココア。ホイップいっぱい乗ってるやつ」
さっきまで縮こまっていたくせに、写真を見た瞬間また目がきらきらしている。
「ほぼ飲むデザートなんだけど、これが美味しくてさ」
そのまま頬杖をつきながらページを覗き込む。
「でね、幼馴染みの子とよく来るんだけど。あ、女の子ね」
その「女の子ね」という一言で、マサキの中の引っかかりがほどける。
(……女の子か)
理由は自分でもよく分からない。
(いや……別にいいだろ。オレ以外と、ここに来てても……)
そう考えた直後に、自分で自分へツッコミを入れたくなる。
(なに安心してんだよ)
リサはそんなマサキの内心なんて知らないまま、メニューをぱらぱらとめくる。
「その子はラテ系とか飲んでる。ここのコーヒー美味しいんだってさ。香りが良くて、苦みが後に残らないんだって」
ページを押さえる指先が動くたび、テーブルに乗った髪がさらりと肩を滑る。
「あと抹茶ラテもあってさ、これ抹茶が濃くてちょっと苦いの。あたしは正直ちょっとダメだったんだけど、抹茶好きな人はこういうのがいいんだと思う。あ、でもコーヒーほど苦いわけじゃないけど」
マサキはその声を聞きながら、別の記憶をぼんやり思い出していた。
(そういえば……カラオケでイチゴミルク飲んでたよな……)
ストローを咥えた横顔。
机の上に置かれていた甘い匂い。
(あれ、ずっと飲んでたな……)
リサはまだメニューを見たまま、笑う。
「ざっとこんな感じ。松前くん、なににする?」
「……」
反射で返事をしそうになって、止まる。
さっきも焦って喋って、空気おかしくなったばっかりだ。
痩せてるとか。
減らす必要ないとか。
(それが事実であっても、女の子に言っちゃいけない言葉っていうのがある……)
そこでまた喋ると、余計変になる気しかしない。
(黙っていたい。いやでも、せっかく女の子と来てるのに無言はもっとダメだ)
考えてる間にも、リサは待っていた。
テーブルに頬杖をついて、こっちを見ている。
そのまま首を少し傾ける動きで、髪が肩から流れ落ちた。
視線が、ついそこへ引っかかる。
細い肩。
制服の上からでも分かる身体の線。
机に寄せた腕のせいで、むにっと押し上がる胸。
(……どこを見てる)
思ったのに、一回気づくと視線が遅れる。
「……苦いのは、無理」
やっと出た言葉がそれだった。
リサがぱち、と瞬きをする。
「あ、コーヒー苦手なんだ?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「ほとんど飲んだことない」
リサの口元がほんのわずか緩む。
「甘いのもあるよ、キャラメルマキアートとか」
「……そうなのか」
するとリサが、ふふ、と笑った。
さっきまで拗ねて、赤くなって、しどろもどろになっていたのに、もう切り替わっている。
「じゃあ一緒に甘いのにしよ」
リサはまたメニューを寄せる。
◇ ◇
注文を終えた二人の間に、いったんだけ静かな空白が落ちた。
マサキは、手元のグラスを意味もなく触る。
氷がかち、と小さく鳴った。
(……会話、途切れるよな。どうする。面白い話題なんてない)
何を話せばいい。
そもそも女子と二人でカフェってなんだ。
さっきから全部リサに回してもらってるだけで、まともに会話できてない。
この沈黙はかなり危険だった。
「そーいえば松前くんさ」
考えを切るみたいに、リサの声が飛んできた。
マサキは反射で顔を上げる。
「……なに」
「ヨネ聴くんだね。さっきイヤホン外した時に漏れてた。いいよねー、ヨネ」
リサはストローの袋を指先でくるくる巻きながら笑う。
(如月さん……ほんとよく喋るな)
その一言を飲み込む。
沈黙になりかけるたび、リサが自然に拾ってくれる。
それが分かるたび、少しだけ気まずくなる。
「あたしさー、ニコニコ動画時代から聴いてたよ。大衆受けしないっぽい歌詞とか良かったんだよねー」
マサキは目を瞬かせる。
「如月さんも、ニコニコとか見るのか」
少しだけ意外だった。
雑誌に載ってるリサと、ニコニコ動画が全然繋がらない。
リサはそんなマサキの反応がおかしかったのか、肩を揺らす。
「うん。昔のニコニコって、ちょっと尖ってる曲とか流行ってたんだよ。ヨネも昔から独特でさ。今は今でいいけど、デビュー前の曲も好きだなー。マトリョシカとか」
マサキは少し間を置いてから、頷く。
「……まあ、分かる」
「でしょ?」
リサが嬉しそうに身を乗り出す。
その瞬間、テーブルへ押し当てられた胸元でシャツがぴんと張った。
柔らかく押し潰された布地の隙間から、白い谷間がわずかに覗く。
マサキの視線が止まる。
ふに、と押された形のまま揺れて、胸元が小さく上下した。
(やばい、見える)
脳が一瞬止まる。
(如月さん、ほんと……無防備すぎる)
前に当たった感触が、勝手に思い出される。
柔らかさ。
重さ。
押しつけられた時の熱。
視線を戻そうとして、戻らない。
(感触知ってしまってるせいで、この角度ほんと無理だろ……)
「さっきのは新しい曲だよね。ウルトラマンの主題歌。松前くんは古いのも聴く?」
リサは普通に話している。
マサキだけが勝手に死にかけていた。
シャツの隙間。
押し上げられた胸の間。
白い肌がちらちら見えるたび、呼吸が妙に浅くなる。
(落ち着け。会話。会話しろ)
リサの胸から視線を引き剥がして、短く答える。
「……聴く。昔の曲の方が多い」
「だよねー。今の曲も好きだけど、昔のヨネってなんか削れてる感じあるよね」
リサは楽しそうに笑う。
少し角度を変えれば、もっと奥まで見えてしまいそうで。
その考えが浮かんだ瞬間、自分で自分に引いた。
しかも本人は全然気にしてない。
それが余計にまずい。
「松前くんは――」
「ご、ごめん」
思わず声に出していた。
リサは驚いたように目を見開く。
「え、なんで謝るの?」
(せっかくオレに合わせて話をしてくれてるのに、胸ばっかり見てたなんて……最低すぎる)
マサキは顔を逸らしながら咳払いする。
「いや……なんでもない」
「あっ、ごめん。やだ、古参マウントみたいになってた? あたし好きな話になるとちょっと喋っちゃうんだよね……」
今度はリサの方がしゅんと縮こまる。
マサキはその様子を見て、慌てて首を振った。
「いや、違う」
言葉を探す。
「オレが喋るの苦手だから……あまり話せなくて、如月さんが喋ってくれてるのは……なんていうか、助かる。それに、オレと全然タイプ違うのに……音楽の趣味が似てるのは……」
少しだけ息を呑む。
「うれしい……」
その一言に、リサが息を詰めた。
「……」
目だけが、じっとこっちを見る。
マサキは耐えられなくなって視線を逸らした。
「……いや、変なこと言った。忘れて」
(なに言ってんだオレ……)
耳まで熱い。
リサはまだ何か言いかけたまま固まっていたが、
「お待たせいたしました」
店員の声で、はっと我に返った。
マサキの前にお皿が置かれる。
(『クロワッサンフレンチトースト』か……)
甘そうな名前だが、中にウインナーが入ったお食事系だ。
軽い焼き色のついた生地からは、バターの香ばしい匂いが立ち上がる。
リサが甘いのが好きと言っていたため、シェアするなら、と少し好みを寄せたつもりだった。
そしてリサの前には、
『厚焼きパンケーキ』
バターホイップが見本の写真よりもどっしりと高く乗っている。
マサキはその匂いを感じた瞬間、思わず固まる。
(……うまそう)
「あー、せっかくいい雰囲気だったのにな」
「雰囲気ってなに」
マサキは苦笑混じりに言う。
「いいよ、もう。松前くんはあたしよりフレンチトーストに夢中だもんね」
「食べないの……?」
リサは拗ねたように唇を尖らせながら、
「食べるよ。食べるの好きだもん。いただきまーす」
「いただきます……」
マサキも控えめに手を合わせて真似をする。
リサは早速パンケーキへナイフを入れる。
ふわ、と生地が沈む。
「パンケーキおいしいよー、はい」
ひと切れ切ってホイップバターをたっぷり付け、マサキの口元へ持っていく。
(いやいやいや、いくらなんでもこれは……)
さすがにマサキも恥ずかしすぎる。
「いい、自分で――」
「あーん」
マサキは目を逸らしながら、
「……だから」
「食べないの?」
ほんの少しだけ拗ねたようで、それでいて逃げ道を塞ぐみたいに真っ直ぐだった。
「自分で……」
「あー、バター落ちそう。腕が痺れてきたよぉ」
「……ずるいだろそれ」
「えへへ」
笑われる。
マサキは数秒耐えたあと、観念したみたいに小さく口を開けた。
「どお?」
「……うま」
思わずそのまま漏れる。
リサが嬉しそうに頬を緩めた。
「おいしいよねぇ」
そう言ってリサも口へ運ぶ。
本当に美味しそうに頬張る姿は可愛い。
(ほんと……よく喋るし、よく動くし、よく食べる)
でも、そのせいで。
さっきまで怖かった人付き合いというものも、今はほとんど気にならなくなっていることに気づく。
(……助かってるのは、こっちか)
そう思いながらリサを見て、ふと気づく。
(いや……これ……か、間接キスだろ……)
遅れて理解が来る。
マサキは思わずリサの唇を凝視してしまう。
ピンクの柔らかそうな唇が動いて、咀嚼している。
(いや、やばい……これは意識するな……だめだ……落ち着けって……)
マサキは視線を自分のフレンチトーストへ戻した。
「あ、松前くんのもちょーだい?」
その声で、思考が一瞬で現実に引き戻される。
マサキは黙ってから、皿をすっと押す。
「どうぞ」
リサはその一言に、きょとんと目を丸くする。
「あたしは食べさせてあげたでしょ。お返しは?」
「へ」
マサキが固まる。
普通に交換でいいだろ。
なんでまたその流れなんだ。
でもここで断ると、さっきまでの空気が変になる気がした。
リサは唇を尖らせ、
「少しくらいいいでしょ」
マサキは喉の奥でうめいた。
(ここで断ったらノリ悪いって思われる……いや、別に食べさせるくらい。変に断って空気悪くするくらいなら……陽キャのノリに合わせた方がいい)
「……ん」
フレンチトーストを切り分け、フォークへ刺して差し出す。
リサが「あーん」と小さく口を開けた。
ぱく、と唇が閉じる。
(……間接キス、気にしないんだな)




