球技大会 前日 ~ちゃんと聞いてほしい2~'
「……オレは別のとこ回るから」
静かな声。
リサの思考が、一瞬止まる。
「え?」
「これオレの作業だから。如月さんの分はオレがやっとく」
それだけ言う。
リサは、その場に立ったまま動けなくなる。
さっきまで浮かんでいたイメージが、音を立てて崩れる。
「……一緒じゃないの?」
思わず、こぼれる。
マサキは一瞬だけ間を置く。
「如月さんの仕事が残っちゃうから」
言っていることは分かる。
おかしくない。
むしろ、ちゃんと考えてくれている。
でも、それとがっかりすることは別だった。
「……そっか」
小さく頷くしかない。
拒まれたわけじゃない。
分かっている。
ただ、自分だけが少し浮かれていたみたいで、恥ずかしかった。
マサキはそれを確認すると、前を向いたまま続ける。
「終わったら戻る」
短く、それだけ。
「……うん」
返事は、少しだけ弱い。
マサキはそのまま背を向ける。
足音が廊下に響いて、遠ざかっていく。
やがて、完全に聞こえなくなる。
静寂。
リサはしばらく入口のほうを見たまま、動かなかった。
(……一緒じゃないんだ)
さっきまでの空気が、少しずつ冷めていく。
でも、
(戻るって言ってたし)
小さく息を吐く。
気持ちを切り替えるように、用紙を取り出す。
「やるか」
ひとり、呟く。
段ボールを開けて、中身を確認する。
ボール、ビブス、コーン。
蛍光灯の音と、自分の動く気配だけがやけに響く。
淡々とした作業の中で、ふと手が止まる。
入口のほうを見る。
誰もいない。
(……まだかな)
また作業に戻る。
でも、さっきより少しだけ手が遅い。
耳が、無意識に外の音を探していた。
◇ ◇
廊下を歩きながら、マサキは小さく息を吐く。
(……だる)
ポケットに手を突っ込んだまま、足だけが前に進む。
頭の中では、さっきのやり取りが繰り返されていた。
『勘違いするヤツ、いるだろ』
『誰が?』
『……オレとか』
あのあと。
『いいよー』
軽い声。
何でもないみたいに、あっさり言った。
(……なんだよ、それ)
どう考えても、深い意味なんてない。
あれは、気まずくならないように流しただけだ。
体育館で囲まれていたところを抜け出せたから、少し気が緩んだだけ。
ああいうのは、陽キャ特有のノリだ。
距離が近くて、人懐っこくて、誰にでも自然にああいうことを言えるタイプ。
(オレ相手に言う意味なんて、ないだろ)
そう結論づける。
なのに。
(……いや)
思考が、そこで止まる。
ほんの一瞬だけ、別の可能性が浮かぶ。
(ワンチャン……あるのか?)
浮かんだ瞬間、すぐに顔をしかめた。
ないだろ。
何を期待しているんだと思う。
目立って、可愛くて、放っておいても周りに人が集まるような子。
自分に向けられたものだなんて、都合よく受け取りすぎている。
歩く速度が少し速くなる。
歩きながら、小さく舌打ちしそうになるのをこらえる。
(なに期待してんだよ、きも)
自分で自分に引く。
そう、どう考えても違う。
相手は、あの子だ。
自分とは立っている場所が違う。
男子なんか、いくらでも寄ってくる。
実際、さっきだってそうだった。
そんな子が、自分にだけ意味のあることを言うわけがない。
(オレにとか、あるわけ……)
そこまで考えて、また止まる。
(一緒にお弁当食べてくれるし、オレのためにわざわざおかず作ってくれる)
また都合のいいところだけ拾っている。
普通に料理好きなんだろ。
人に食わせるの好きなタイプ。
(毎日話しかけてきてて)
クラスで浮かないように気を遣ってるだけ。
(いや待て…)
もし違ったら?
もし本当に、少しでも意味あったら?
浮いた瞬間。
(……ないだろ)
即座に潰す。
そんなできた話があるか。
期待した瞬間終わる。
勘違いした男って一番キツい。
(いやでも、他の男にはあんな感じじゃ……)
そこまで考えて、頭がぐちゃっとなる。
そこまで知らないだろ。
見てないだけかもしれない。
オレが勝手に特別扱いだと思いたいだけ。
(きも)
もし本当に誰にでもああなら、なんでこっち見つけた瞬間すぐ来た。
なんで隣に来るとあんな近い。
ジャージの袖。
髪。
匂い。
Tシャツ越しに張った胸元。
(いやそこ今関係ない)
思考が変な方向に飛ぶ。
勝手に思い出すな。
近かった。
視界に入るたび無理だった。
(最低だろオレ)
助けたとか言いながら、見てんじゃねぇか。
なのに、頭の中で肯定と否定が同時に走る。
あるわけない。
でも。
いやない。
けどあの顔。
勘違いするな。
でも。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
自分が勝手に意味を持たせてる。
(マジでキモい)
そう思いながらも、頭から離れない。
足を止めて、手元の用紙を見る。
任された作業。指定された物を所定の位置へ移動。
やることは単純だ。
(考えるだけ無駄)
無理やり意識を切り替える。
体を動かしている間だけは、余計なことを考えなくて済む。
はずなのに。
『いいよー』
(……あの一言、なんなんだよ)
また浮かぶ。
無意識に、手が止まる。
(オレがクラスで浮いてるから、一緒にいてくれようとしてるだけだろ…)
自分に言い聞かせる。
そうやって、理由をつける。
でも、頭のどこかでずっと、気になっていた。
◇ ◇
倉庫の中。
手は動かしている。
でも、どこか上の空だった。
ボールの数を数えて、チェックをつける。
ビブスをまとめて、棚に戻す。
単純な作業。
なのに、どうしてか集中できない。
(……まだかな)
ふと、手が止まる。
入口のほうを見る。
誰もいない。
「……バカみたい」
また作業に戻る。
でも、さっきより少しだけ手が遅い。
耳が、無意識に外の音を探していた。
このままだと、待っているだけになってしまう。
そう思って、リサは少しだけ背筋を伸ばした。
(ちゃんとやらなきゃ)
マサキが戻ってきた時、何も進んでいないと思われるのは嫌だった。
一人で任されたのだから、一人で終わらせたい。
そう思うと、少しだけ焦りが混ざる。
本当なら、中身を少し出してから動かせばよかった。
でも、早く片付けたくて、リサは段ボールごと持ち上げる。
思ったより重い。
「よいしょ……」
腕に力を入れて、棚に乗せようとする。
けれど、持ち上げた瞬間に重心が少しずれた。
段ボールの中でボールが片方へ寄る。
「あっ」
ぐらっと、バランスが崩れる。
手が滑る。
段ボールが落ちる。
鈍い音と一緒に、中身が床に散らばった。
コロコロ、とボールが転がる。
「うそ……」
一瞬、動けなくなる。
すぐにしゃがみこんで、拾い始める。
(やば、松前くんが戻る前に……ちゃんと戻さないと)
焦りが少しだけ混ざる。
転がったボールを追って、少し奥まで手を伸ばす。
冷たい床に手が触れる。
さっきよりも、静けさが重く感じた。
◇ ◇
指定された備品を持ち上げて、所定の位置に運ぶ。
置いて、戻って、また運ぶという単純な作業。
(……考えるだけ無駄)
さっきそう決めたはずなのに、頭は静かにならない。
(……いいよー、ってなんだよ)
また浮かぶ。
小さく舌打ちしそうになるのをこらえる。
そのとき、
「なぁ、松前」
声が飛んでくる。
振り向くと、クラスの男子が二人が近づいてきていた。
「如月さん、どこ行ったか知らね?」
軽いノリの声に、マサキは目を細める。
「知らない」
短く返す。
「さっき一緒にいただろ」
「用事は済んだから別れた」
そっけない返答に、男子たちは少し顔を見合わせる。
「えー、マジかよ」
「どこ行ったんだろな」
一人が頭をかきながら言うと、もう一人がふと思い出したみたいに顔を上げる。
「てかさ、松前くんLINE知ってるんでしょ?」
マサキの視線が、ほんの一瞬だけ動く。
「聞いてみてよ。今どこいるー?って」
「……」
マサキが黙っていると、男子はさらに続ける。
「呼び出してよ」
「せっかくだしさ」
馴れ馴れしい声。
マサキは口を引き結ぶ。
「やだよ」
短く返す。
「は?」
予想外だったのか、間の抜けた声が返る。
「なんで?」
「めんどい」
即答。
「お前、そういうとこだぞ」
男子は半分笑いながら言う。
マサキは前を向いたまま、
「そうやって如月さんを軽く扱うから、お前らはLINE教えてもらえないんだろ」
静かに返す。
一瞬、空気が止まった。
「……はぁ?」
さっきまでの軽さが、少しだけ引く。
「いや、別に軽く扱ってるわけじゃ……」
言いかけて、言葉が続かない。
もう一人も、気まずそうに目をそらす。
図星を突かれたような沈黙。
男子たちは少しだけ不満そうにしながらも、
「まあいいや、探すわ」
「見つけたら教えろよー」
軽く手を振って、そのまま去っていく。
足音が遠ざかると、いったん静かになる。
マサキは小さく息を吐く。
(……ほんとにしつこいんだな)
さっきの状況を思い出す。
囲まれて、離れられなくなっていたリサ。
あれがまた起きても、おかしくない。
(……倉庫、バレてないよな)
一瞬、思考が止まる。
ありえなくはない。
人が少ない場所ほど、逆に目立つこともある。
「……はぁ」
用紙を見る。
まだ作業は残っている。
(……いや)
一瞬だけ迷う。
(確認するだけだ)
そう決めると同時に、手に持っていた備品を適当に置いて、歩き出した。
足取りは、さっきより少し速い。
(別に心配とかじゃ…)
頭の中で言い訳する。
(また面倒なことになってたら、余計だるいだけだし)
廊下を曲がり奥へ、奥へ。
人の気配が減っていく。
倉庫の近くまで来る。
扉は閉まったままだが、中の気配は外からじゃ分からない。
マサキは一瞬だけ立ち止まる。
(……いるよな)
ノックもせず、扉を開けた。
◇ ◇ ◇
ギィ、と小さな音。
そのまま視線を中に向けて、
止まる。
床に散らばったボールと、転がったままの段ボール。
その中で、這いつくばるように手を伸ばしているリサ。
ジャージの裾が少し乱れて、膝をついたまま、必死にボールを集めている。
マサキの思考が、一瞬で止まる。
(……は?)
声も出ない。
ただ、その光景をそのまま受け止めるしかない。
リサがびくっと肩を揺らす。
「えっ、あっ……!」
慌てて振り返ると、マサキと目が合う。
一瞬の沈黙。
リサは慌てて立ち上がろうとして、少しバランスを崩す。
「ち、違っ、あの……!」
声が上ずる。
「これ、その……落としちゃって……!」
散らばったボールを指差す。
「ちゃんとやってたんだけど、ちょっと重くて……!」
言い訳が、どんどん早口になる。
「すぐ戻すから!ほんとに!今やってて……」
言いながらも、またしゃがみこんでボールを拾い始める。
手の動きが、さっきより明らかに慌ただしい。
「だから、その……サボってたとかじゃなくて……!」
誰に向けてなのか分からないまま、必死に続ける。
マサキは、まだ少し固まったまま。
どこに視線を置けばいいか、定まらない。
(……いや)
頭の中で何かを切り替える。
一歩、ゆっくり中に入る。
「……分かってる」
リサを落ち着かせるように、短く言う。
でも。
さっきより、距離が近い。
狭い空間に、二人きり。
マサキは無意識に前を向いた。
◇
リサはボールを拾いながら、ふと動きを止める。
(最悪なタイミングで戻ってきた……)
視線を落としたまま、小さく息を吐く。
「……ごめんなさい」
口からこぼれ落ちると、マサキが少しだけ目を向けた。
リサはボールを握ったまま、続ける。
「あたし……なんの役にも立たないのに、実行委員とかやりたがって」
乾いた笑い。
「ちゃんとできる人がやれば良かったよね」
言いながら、またボールを拾う。
でも手が、さっきより少し遅い。
「迷惑かけてばっかだし…」
沈黙の中、蛍光灯の音だけがやけに響く。
マサキは少しだけ間を置く。
それから、ゆっくりしゃがみこんで、近くのボールをひとつ拾う。
「……疲れてるんだろ」
短く返すと、リサの手がぴたりと止まる。
「え……?」
マサキは前を向いたまま、続けた。
「あんなに追い掛け回されたら、集中できないよな」
もう一つボールを拾って、箱に入れる。
静かな口調。
リサは一瞬、何も返せない。
手の中のボールを、少し強く握る。
視線を落としたまま、小さく息を吐く。
「……それも、あるけど」
静かにこぼれる。
マサキの手が、ほんの一瞬だけ止まる。
リサはボールを握ったまま、視線を落とした。
「最初から、やる気があって入ったわけじゃないの…」
言ってから、少しだけ間が空く。
ここで止めれば、まだごまかせる。
実行委員が足りなかったし、誰かがやらなきゃいけなかった。
そういう理由にしてしまえばいい。
でも、それを言ったら嘘になる。
「……松前くんがいるから、入っただけだし」
静かな声だったが、はっきりしていた。
倉庫の静けさが、さらに深くなる。
マサキの思考が止まる。
「……は?」
間の抜けた声が出る。
「実行委員、一緒だったら話す機会増えるかなって」
軽くしたつもりだったが、自分で思っていたより、言葉は軽くはならなかった。
「それだけ」
そう付け足す。
まるで、本当にそれだけのように。
マサキは何も言えない。
拾いかけていたボールを、手の中で止めた。
(……は?)
もう一度、頭の中で繰り返す。
松前くんがいるから、入っただけ。
その二つが、うまく繋がらない。
繋がったらまずい気がして、マサキはすぐに手元に目を戻した。
「……それで、これ。普通に迷惑かけてるの。ダサいよね」
リサは先に笑って逃げた。
マサキは少しだけ顔をしかめると、ボールをひとつ箱に入れる。
「オレ関係なく、やりたいことやればいいだろ」
静かな声。
ボールを拾う手は止まらない。
「わざわざ…オレが一人になるとか、考えなくていいから」
さらっと言う。
その言葉に、リサの動きが一瞬だけ止まり、ほんの少し目が揺れる。
でも、すぐにいつもの調子に戻す。
「え、考えてないよ?」
ボールを拾いながら、少し横を向く。
でも、
(……あたし以外の女の子がなるの、イヤだったのはあるけど)
心の中だけで、続ける。
(別に、それ言う必要ないよね)
何もなかったみたいに、またボールを拾う。
マサキはその様子を、ちらっとだけ見る。
「……ならいいけど」
短く返す。
そのまま、二人とも何も言わない。
ただ、ボールを拾う音だけが続く。
一つ、また一つと、同じ動きの繰り返し。
でも。
最初より、明らかに早い。
自然と手順が噛み合っている。
(……早いな)
リサはふと気づく。
(やっぱ2人だと全然違う)
少しだけ気持ちが軽くなる。
そのまま手を動かしながら、ちらっとマサキを見る。
真面目に作業している横顔は、無駄がない。
(……かっこいい)
距離も近いし、空気も悪くない。
そこで、ふと目に入る。
そこには、2人のちょうど間に転がるボール。
(……これ)
一瞬で思いつく。
(タイミング合わせたら、手触れるやつだ)
ありがちなやつ。
漫画とかでよくあるやつ。
(……いやいや)
一回、否定する。
(なに考えてるの、不純な動機で実行委員になったのを反省したばっかりでしょ)
でも、もう一回そのボールを見る。
距離的に、いける。
タイミングを合わせれば、偶然みたいに手が触れる。
(……ちょっとくらい、いいよね?)
さりげなく位置を調整する。
手を伸ばす準備をし、あとはタイミングを合わせるだけ。
マサキも、同じボールに手を伸ばす。
(よし来たっ)
そのまま、ボールを取るふりをして、ほんの少しだけ手の軌道をずらす。
ボールじゃなくて、マサキの手の方へ。
指先が触れる。
そう思った瞬間、
マサキの手が、直前で止まった。
ほとんど触れる寸前。
マサキは一瞬だけリサの手元を見て、それから何かを察したみたいに、すっと手を引いた。
(あ)
リサの手は、そのまま突っ込む。
本来なら、マサキの手に触れるはずだった場所。
でも、その支えがなくなる。
指先が、ボールの表面に触れてころっと滑った。
体重がそのまま前にかかる。
「ひぁっ……」
ぐらっ、とバランスが崩れる。
慌てて手をつこうとする。
でも、その下にあったのは床じゃなくて、転がったボールだった。
支えきれない。
「……!」
そのまま前に倒れ込む。
マサキが咄嗟に手を伸ばした。
たぶん、支えようとしたが、距離も角度も間に合わない。
数秒、静止。
(なにしてんのあたし)
床に手をついたまま固まる。
じわじわ理解が追いつく。
(……完全に自爆)
そのまま時間が止まる。
違和感。
(……ん?)
胸に何か当たっている。
冷たい床じゃないし、ボールでもない。
少しだけ温かい。
下から押されている。
ゆっくり視線を落とす。
自分の身体の下から伸びている、マサキの腕。
「……っ」
一瞬で理解した。
(え、ちょ……)
固まる。マサキも固まっていた。
完全に、手が胸の下敷きになっている。
しかもただ触れているだけじゃない。
リサが倒れ込んだ体重ごと乗っているせいで、胸が押し潰されるみたいに沈んでいた。
むにっ、と形が変わる感覚が、自分でも分かる。
「っ、ぁ……」
変な声が漏れる。
マサキの手が、胸の下に埋まっていた。





