13. 球技大会 当日 ~怪我とラッキー~
球技大会当日。
グラウンドは朝からざわついていた。
まだ開始前だというのに、あちこちで笑い声と呼び声が飛び交っている。
体育館の方からも、ボールの弾む音と歓声が混ざって聞こえてくる。
クラスごとに集まってはいるが、まとまりはない。
各々が好きに動いて、好きに盛り上がっている。
その空気の中で――
マサキは、少し離れた位置に立っていた。
輪の外。
特にやることもなく、ぼんやりと周囲を眺める。
(……テンション高いな)
いつもより騒がしい。
それだけで、少しだけ居心地が悪い。
視線を動かす。
自然と、リサの姿が目に入る。
クラスの中心あたり。
数人に囲まれて、普通に会話している。
特別目立とうとしているわけじゃないのに、人が集まる位置にいる。
(……まあ、そうなるか)
納得はできる。
少しして、男子の一人が身を乗り出す。
「如月さん、応援来てよ」
軽い調子。
別のやつも続く。
「絶対来てね、オレらの試合」
「如月さん見てくれたらヤル気出るわ」
笑いながら、でも目は本気だ。
距離も、少し近い。
マサキはそれを、少し離れたところから見ていた。
(やっぱ人気あるな)
今さら驚くことでもない。
リサは、その言葉に対して、
「えー、どうしよっかなー」
少しだけ困ったように笑う。
「タイミング合ったら行くね」
はっきりとは答えない。
でも、完全に断りもしない。
「え、来てよ!」
「絶対ね!」
さらに押される。
リサは少しだけ肩をすくめて、
「がんばってるとこ見れたらいいなー」
ふわっと返す。
曖昧。でも、角は立たない。
男子たちはそれで満足したように笑う。
「よっしゃ、じゃあ頑張るわ!」
「ちゃんと見といてね!」
そのまま、また別の話題に流れていく。
リサは、特に変わった様子もなく会話を続ける。
(……慣れてる)
マサキはぼんやりと思う。
ああいう距離の詰め方。
ああいう言葉の受け流し方。
誰かを傷つけるでもなく、でも踏み込みすぎさせもしない。
(如月さん見てくれたらヤル気出る、か)
さっきの言葉を思い返す。
少しだけ視線を逸らす。
(……まあ、分かる)
見た目もそうだし、ああいう雰囲気も含めて。
そりゃあ、そうなる。
(オレでも思うくらいだしな)
小さく、内心で納得する。
「何してるんだ、早く準備しろ」
リサを取り囲んでいた男たちが呼ばれた。
リサは少しだけ笑って、
「あとでねー」
軽く手を振って見送る。
断りきらない。でも行くとも言わない。
その絶妙な距離感。
(……器用だな)
マサキは小さく息を吐く。
自分にはできない。
やろうとしたら、どこかでミスる。
言い方を間違える。
だから最初から、やらない。
(まあ、オレには関係ないけど)
そう思いながらも、視線は少しだけ長く、そこに残っていた。
◇ ◇
面倒な男子たちの囲みが、ようやくほどける。
「じゃあまたあとで!」
「絶対来てねー!」
そんな軽い声がいくつか飛んで、リサの周りから人が引いていく。
リサは小さく手を振って、それを見送る。
表情はいつも通り、柔らかいまま。
次の瞬間には、もう動いている。
視線が、まっすぐ一点に向く。
校庭の端。
人混みから少し離れた場所にいる、ひとりの姿。
「松前くーん」
ぱたぱた、と軽く駆け寄る。
白いTシャツの胸元が動きに合わせて揺れた。
ジャージの上からでも分かるくらい存在感があって、そのたびに柔らかそうな輪郭が上下する。
視線が勝手に止まる。
走ってくるたび、たゆっ、と遅れて揺れる。
細い腰との差が妙に目について、余計に変なところに意識が持っていかれる。
(朝から何見てんだオレは)
無理やり視線を上げる。
リサはそんなこと気づいた様子もなく、そのままマサキの前まで来て足を止めた。
「終わったのか」
「見てた?」
リサは肩をすくめて笑う。
「行かなくていいのか」
「約束したわけじゃないし」
さらっと言う。
(……器用だな)
誰も傷つけない返し。でも、ちゃんと距離は保ってる。
マサキは少しだけ目を細めた。
「松前くん実行委員だから出なくていいよね。あたしと一緒に話でも」
マサキは遮るように言う。
「さっき決まった」
短く返す。
「は?」
リサが間の抜けた声を出す。
「出る種目」
「え、なんで?」
少しだけ身を乗り出す。
「実行委員でも欠員出たら出るだろ」
淡々と説明する。
「男子ドッジボールで、一人足りなくなったから。後半だけ出ることになった」
その言葉を聞いた瞬間。
「そんなぁ……」
ぽつりと、リサがこぼす。
本気で残念そうな声だった。
(……?)
マサキは、その意味を深く考えない。
「……そっか」
一応、納得したみたいな返事。
少しだけ間。
「ドッジボール危なくない?」
「危ないって――」
マサキが少しだけ言葉を止めた。
周りから声が飛んだからだ。
「松前くんドッジ出るってマジ?」
「大丈夫か?」
「とりあえず逃げとけよ」
笑い混じり。
(……まあ、そうだよな)
運動できるタイプに見られていないのは、自覚している。
リサはその声を気にする様子もなく、少しだけ眉を寄せる。
「見に行っていい?」
ぽつり。
マサキの思考が、一瞬止まる。
「……は?」
「心配だし」
あまりにも自然に言う。
(終わった……)
頭の中で、即座に結論が出る。
ただでさえ運動が苦手なのに、その上――
(見られる)
よりにもよって、リサに。
(いや無理だろ)
逃げ場がない。
「別に来なくていいよ」
反射的にそう言う。
でもリサは、
「心配だし、応援もしたいから」
あっさり。
決定事項みたいに。
(……終わった)
さっきより、少し重い絶望。
でも同時に。
(……来るのか)
ほんの少しだけ、違う感情も混ざる。
マサキはそれを無視するように、視線を逸らした。
「……好きにしていい」
リサは、にこっと笑った。
「うんっ、好きにする」
その一言が、やけに軽いのに。
なぜか、逃げられない感じだけが残った。
◇ ◇ ◇
試合は、思っていたよりも早く回ってきた。
グラウンドの一角。
即席のコートに集まる人だかりと、ざわついた声。
マサキは、コートの外側で軽く肩を回す。
準備運動というより、落ち着かない手持ち無沙汰を誤魔化す動き。
少しだけ視線を上げる。
――いる。
少し離れた位置。
コートの外、見やすい場所に。
リサが立っている。
こっちを見ている。
(……マジで来てるんだが)
分かっていたはずなのに、実際に視界に入ると逃げ場がなくなる。
(なんであそこなんだ)
もっと後ろでもいいだろ、とか。
別に見なくてもいいだろ、とか。
いくつか思考は浮かぶのに、口には出ない。
そのとき、近くで声がした。
「如月さーん、こっち来てよ」
別のコートの方から手を振る男子。
リサはそっちを見て、軽く手を振り返す。
「ごめん、今ちょっと見たいのあって」
あっさり断る。
迷いがない。
(……行かないのか)
マサキは一瞬だけ、そのやり取りを目で追う。
他の試合。
さっき声をかけてきたやつらのところ。
普通に考えれば、そっちに顔を出してもいいはずなのに。
(……オレのとこだけ?)
そこまで考えて――
(いや、たまたまだろ)
すぐに打ち消す。
でも。
もう一度、リサを見る。
変わらず、こっちを見ている。
逃げない視線。
(……)
その瞬間。
少しだけ、スイッチが入る。
理由はよく分からない。
でも――
(さすがに、何もできないのはダサい)
せめて。
(足引っ張るのはダメだ)
それくらいは、と思う。
「おい松前、入れ替えだ」
「後半いけるか?」
「……ああ」
短く返して、コートに入る。
床の感触。
ボールの重さ。
周りの声。
全部が一気に現実になる。
(……やるしかないのか)
――試合開始。
横をかすめるボール。
反射で避ける。
「おー、避けるじゃん」
「なんだよ、生き残ってんじゃん」
外野から声が飛ぶ。
(うるせぇな)
内心でぼやきながら、位置を調整する。
前に出すぎない。
でも、完全に後ろに逃げるわけでもない。
当たらない位置。それだけを意識する。
ボールが回る。
味方が取る。投げる。外れる。
ボールがくると、すぐに近くのやつにパス。
無理はしない。
その流れの中で、マサキも一度だけボールを相手に当てた。
(……見てるよな)
視線の先。
リサがいる。
それだけが、妙に意識に残る。
――試合終了。
最初の試合は勝ったが、正直どうでもよかった。
(……まあ、こんなもんだろ)
致命的なミスはしていない。
目立つ活躍もしていない。
ただ、普通にこなした。
コートを出た瞬間、まだ呼吸が整いきらないまま視界が揺れる。
その中で、すぐに見つかる。
リサ。
一直線に、こっちへ来る。
息を少し弾ませながら、目がきらきらしている。
「はいこれ」
差し出されたのは、タオル。
一瞬、手が止まる。
「……いや、大丈夫」
反射的に断る。
自分のタオルは持っていない。
でも、それでも受け取る気になれなかった。
(……それ、使わせるのは)
リサのタオル。
きれいに畳まれていて、たぶん洗いたてで。
そこに自分の汗をつけるのは、なんとなく抵抗がある。
でも。
リサは一瞬だけ首をかしげて、
「そのままはよくないから」
すっと一歩、距離を詰めた。
「ちょ――」
言い切る前に。
タオルが、頬に触れる。
「……っ」
軽く、でもためらいなく。
額の汗を、首元を、さっと拭かれる。
近い。
近すぎる。
タオルを動かすたび、リサの身体も少し揺れる。
そのたびに胸元が腕に触れそうな距離まで寄ってきて、マサキの呼吸が変になる。
(いや、ちょっと待て)
周りの空気が変わるのを感じる。
「え、なにあれ」
「松前なにされてんの」
「ずる……」
小さなざわつき。
視線。
明らかに向けられている。
(……最悪だろこの状況)
でも。
「はい、終わり」
リサは気にした様子もなく、ぱっと離れる。
満足そうな顔。
(……拒めるかよ)
こんなの。
可愛い女の子に、当たり前みたいに世話されて。
それを振り払う方が、よっぽど不自然だ。
「松前くん、かっこ良かったねー」
明るいリサの声。
試合に勝ったのはクラス全体の話だ。
オレ個人は別に大したことしてない。
マサキはすぐに返す。
「……どこが」
リサはちょっとだけ笑う。
「運動できないって言ったのウソじゃん」
「いや、できてないだろ」
「できてたよー」
即否定。
そのまま、今度はドリンクを差し出す。
「ほりゃ、水分」
「……どうも」
受け取って、一口飲む。
喉がやけに渇いていたことに気づく。
(……なんでいるんだ)
◇ ◇
二試合目。
また後半から呼ばれる。
「松前、入れ替え!」
「……ああ」
短く返して入る。
さっきより、少しだけ体が動く。
コートの感覚にも、少し慣れてきていた。
ボールの軌道。
人の動き。
危ない位置。
それが、なんとなく分かる。
(……当たらなきゃいい)
それだけを意識して動く。
横から飛んできたボールを、ぎりぎりでかわす。
「今の避けるのか」
「意外とやるじゃん」
外野の声。
(うるせぇって)
内心で返しながら、すぐに位置を戻す。
無理はしない。
前にも出すぎない。
でも――
さっきより、消極的すぎない位置にいる。
一度、味方からボールが回ってくる。
一瞬だけ迷って――投げる。
当たらない。
うまく出来ないとき、視線が行く。
コートの外のリサ。
変わらず、見ている。
(……いるな)
それだけで、少しだけ足が動く。
――試合終了。
また、勝ち。
正直、勝敗はどうでもいい。
でも――
コートを出ると。
「松前くん」
今度は、落ち着いた呼び方。
「おつかれー」
新しいタオル。
さっきと同じ流れ。
「……いい」
一応、言う。
でも。
「いいから」
半ば強引に、また拭かれる。
(……慣れてきたのが一番まずい気がする)
周りの視線も、さっきより露骨だ。
「またやってるぞ」
「なんだよあれ」
妬み混じりの声。
(……知るか)
前を向いて、受け流す。
リサは気にせず、
「最後のやつ惜しかったねぇ」
「当たってないけどな」
「でもカッコ良かった」
即フォロー。
(……カッコ良くはないだろ)
◇ ◇
三試合目。
また後半から。
「松前ー、頼むわ」
「点差あるから攻めろよー」
「……無理言うな」
ぼそっと返して入る。
コートの中。
今度は、内側から声が飛ぶ。
「おい松前、彼女が見てるぞー」
「カッコいいとこ見せろよー」
笑い混じり。
明らかに、さっきの流れを見ているやつらだ。
(……違ぇだろ)
即座に否定が浮かぶ。
でも。
視線が、外に向く。
リサが、やっぱりいる。
(……)
一瞬だけ、足が止まりかけて。
すぐに動く。
ボールが来る。
反射で受けて――すぐにパス。
無難に。
ミスしないように。
それでも、
「ほんとにいいとこ見せやがって」
味方の声。
(……別に普通だ)
内心で繰り返す。
でも。
球技大会なんて、今まで面倒だったこんな行事を、"ちゃんとやろう"って思っている自分がいる。
理由は分かっている。
(……見られてるからだ)
それだけ。
それだけのはずなのに。
――試合終了。
コートを出ると、またリサが来る。
気づけば、同じ位置にいて。同じように近づいてきて。
(他のとこ行かないのか)
さっきの男子たちの顔が、頭に浮かぶ。
でも。
リサは、まったく気にした様子もなく。
「ねー、避け方までカッコイイのなんなの」
「パスするのめっちゃ早いよね、ちゃんと周り見えててすごいなー」
ぽんぽん言葉が出てくる。
(……褒めすぎだろ)
言われた言葉が、そのまま頭に浮く。
でも、返しが出てこない。
否定はできる。
けど、それを言ってもまた続くのは分かっている。
かといって「ありがとう」も違う気がする。
(……なんて返せばいいんだよ)
コート内の声が、少しだけ残っている。
"彼女が見てるぞ"
"カッコいいとこ見せろよ"
ああいうの。
無視していたはずなのに、どこかに引っかかっている。
(……面倒くせぇ)
そのまま、口が先に動いた。
「オレより、活躍してるやついるだろ。他のやつの方がすごい」
少しだけ視線を逸らす。
リサは焦った様子で言う。
「そ、そうなんだ?あんま見てなくて…」
(……なんだそれ)
言葉に詰まる。
「次の試合はちゃんと見るよー」
リサは笑って流す。
(……なんか、調子狂う)
そう思っていると、遠くから声が飛ぶ。
「松前ー!すぐ試合だって」
「早く戻れー!」
「ああ」
短く返す。
足をコートの方へ向ける。
ふと、横を見る。
リサが、変わらずそこにいる。
当たり前みたいに。
「いってらっしゃい」
へらっと笑って軽く手を振る。
(……また見るのかよ)
小さく息を吐く。
でも――
逃げたいとは思わなかった。
「……行ってくる」
ぼそっと返して、コートに戻る。
次の試合が、始まる。
◇ ◇
そのまま、コートに足を踏み入れる。
(……また見てるんだよな)
意識しないようにしても、勝手に頭に浮かぶ。
視線の外にいても、分かる。
あそこにいる。
だから――
(せめて……)
小さく、息を吐く。
(変なとこは見せたくない)
もう十分ダサいのは分かっている。
動きも、判断も、上手いわけじゃない。
それでも。
(これ以上は、さすがに)
ボールが回る。
いつもなら、無理はしない。
危ない位置には行かない。
当たらないことだけを優先する。
――でも。
一歩、踏み込む。
(……取れるなら)
飛んできたボールに、手を伸ばす。
少し遠い。
普段なら、見送る距離。
でも、そのまま足が出る。
届く前に、体が動いている。
指先に、かすかに触れる感触。
(……いや取れる)
もう一歩。
踏み込む。
――その瞬間。
ぐにっ、と。
足首が、変な方向に折れる。
「……っ」
声にならない息が漏れる。
遅れて。
じわっと、鈍い痛みが広がる。
(……やった)
その場で、動きが止まる。
体重をかけた瞬間、違和感が増す。
踏み込めない。
「おい、大丈夫か?」
近くのやつが声をかけてくる。
「タイム!」
「動くなよ」
ざわっと、周りの空気が変わる。
マサキは一瞬だけ顔をしかめて、
「……大丈夫」
反射的に返す。
でも。
もう一度、足に力を入れた瞬間。
(……いや、無理だなこれ)
はっきり分かる。
さっきとは違う種類の痛み。
逃げ場のない、鈍い重さ。
小さく息を吐く。
視線が、自然と外に向く。
――いる。
リサ。
さっきと同じ場所。
でも今は、さっきと違う顔で。
こっちを見ている。
(……最悪だ)
内心で、苦く笑う。
せめて。
もう少しまともなとこ、見せたかったのに。




