スイーツ 前編 ~誘ったのはオレだから3~
(……可愛いな)
マサキの目は、気づけば皿ではなくリサに落ちていた。
モンブランをすくう。
口に入れる。
遅れて、頬が緩む。
「やばい濃厚……これ、ずっといける」
その言葉は感想というより、こぼれ落ちたものだった。
(また可愛い顔する…)
次はチョコケーキ。
入れた瞬間、また止まる。
「……んっ、これもいい」
今度は笑っている。
さっきより声が軽い。
楽しさの輪郭が、はっきりしていく。
(可愛すぎる)
いちごタルトを食べる。
一瞬だけ目を細める。
「これ好き」
短いのに、妙に確信のある声だった。
マサキの皿の上のフルーツはさほど減っていないのに、目の方だけが忙しい。
リサは食べるたびに表情が違う。
驚く。
笑う。
すぐ納得する。
また食べる。
全部が一口ごとに切り替わっていく。
(いや、ほんとに……)
気づけば、食べていることよりも、リサの反応を見ている時間の方が長い。
それでもリサは気にしない。
むしろ楽しそうに、次へ進んでいく。
「これ、全部いける気がする」
小さく笑って、また一口。
その笑顔が出た瞬間、マサキの思考が一度だけ止まった。
(……反則だろ、それ)
リサの皿の中身が減っていく。
この時間そのものが、少しずつ<楽しい>に塗り替わっていた。
ふと、リサの目が止まる。
その先は、マサキの皿だった。
メロン。いちご。マンゴー。
プリンとムース。
リサの皿よりも、静かな色。
「ね、マサキくん」
声が柔らかい。
「それ、ちょっと食べていい?」
指先が軽く皿を示す。
マサキは目を落とす。
「……いいけど」
止める理由は、ない。
「やった」
リサの顔がぱっと明るくなる。
そのまま、身を乗り出す。
白いニットの肩がふわりと揺れて、髪が光を受けて跳ねた。
「これ」
迷いのない指先。
「プリン」
選ぶのも早い。
次の瞬間、自然に口が開く。
「あーん」
あまりにも自然で、そこに特別な意味を入れる隙がない。
マサキの動きが、途中で止まった。
(……それか)
ほんの一拍。
思考が遅れる。
拒む理由は浮かばない。
避ける言葉も出てこない。
リサは当然のように待っている。
スプーンを取る。
プリンをすくう。
形を崩さないように運ぶ。
「……はい」
短い声。
リサは目を細める。
身体が自然に前へ出る。
髪が揺れる。
ぱく、と。
小さく受け取って、すぐに止まる。
「……んっ」
一拍遅れて、表情がほどける。
目が細くなり、頬がゆるむ。
肩から力が抜けるように落ちた。
「うん、これ好き」
それだけ言って、もう次を見ている。
マサキはスプーンを持ったまま、動けない。
(……なんだこれ)
意味が分からないわけじゃない。
リサは何もなかったように笑う。
「メロンもー」
当然の続きみたいに言う。
マサキは目を伏せる。
(いや、ほんと……可愛い……っ)
(……何回でもやってやる)
口には出さないまま、スプーンが動く。
メロンをすくう。
光の中で、緑が揺れた。
◇ ◇
クレープの焼ける音が、遠くからでも分かるくらいはっきり響いていた。
甘いバターの匂いが、列の方まで流れてくる。
焼きたてを注文する形式らしく、カウンターの前には数人の列ができていた。
その横には、スタンド式のメニュー表が置かれている。
待っている間に選べるように、甘い系と食事系の名前が並んでいた。
「バターのいい匂いー」
リサは、列に並んだ瞬間からもう機嫌が上がっていた。
さっきまでケーキを食べていたはずなのに、次の楽しみを見つける早さが異常に速い。
ニットの上からでも分かるくらい、リサの動きは軽かった。
歩くたびにスカートが揺れて、そのたび目の置き場がずれる。
(見ない方がいいやつだろ、これ)
マサキはメニューへ目を落とした。
リサはメニュー表を覗き込みながら、指先で軽く追う。
「あたしクレープは皮パリ派なんだよねー。まぁもっちりも好きだけど」
(どっちだよ)
ツッコミは喉の奥で止まる。
代わりに、目をメニューへ落とした。
そこには甘い系と一緒に、<食事系クレープ>が並んでいた。
ハムチーズ。
ツナマヨ。
照り焼きチキン。
ピザ風トマトソース。
サラダチキンとアボカド。
ソーセージ&レタス。
エビとクリームチーズ。
見慣れないのに、名前だけは妙に分かりやすい。
「マサキくん、なににするか決めてるー?」
リサは顔を上げて、首を傾ける。
「あたしは決めてきたけど迷ってる」
(いや、どっちだよ)
マサキはもう一度だけメニューを見直して、それから小さく口を開いた。
「この、お食事系のクレープって……どういうの?」
自分でも曖昧な質問だと思う。
リサは一瞬だけ目を丸くして、それからすぐに笑った。
「トルティーヤみたいな感じ」
「とるてぃーや……?」
聞き慣れない単語がそのまま返る。
「タコスとかブリトーみたいな」
リサは指を軽く動かしながら続ける。
「なんか…思い出せそうだ」
「あと、ケンタッキーのツイスターみたいなやつ」
その言葉でマサキはすぐに形を思い出した。
「わかった」
マサキの顔が納得に寄る。
「じゃあ普通に合うんだな」
真剣な声。
リサはそれを見て、目を細めた。
「めちゃくちゃ合うねぇ」
◇
列はゆっくり進む。
焼き台の前で生地が薄く広がり、バターの音がまたひとつ弾ける。
メニューを見つめるマサキの横顔を見ながら、リサはふと気づく。
マサキはずっと、落ち着いている。
騒いでいるわけじゃない。
テンションが上がっているようにも見えない。
ケーキを食べている間、マサキが皿より自分の反応ばかり見ていたことには、リサは気づいていなかった。
リサは目をわずかに横にずらす。
マサキはまだメニュー表を見ながら悩んでいる。
「ねぇ」
リサは軽く肘でつつく。
「そんな優柔不断だった?」
「これは迷うだろ」
当然みたいに言う。
それから小さく息を吐いた。
「……ここまで種類多いと、選べないだろ」
リサは笑う。
「食べ放題だよ」
その言葉に、マサキは一瞬だけ固まって、それから小さく頷く。
「そうだった」
「ねー」
リサは肩を揺らした。
「選んだり迷うのって楽しいよね」
ただ軽い問いかけに、マサキは間を置いてから答える。
「……楽しい」
短い。
でも、嘘ではない。
リサはそれを聞いて、ぱっと表情を緩めた。
その一言だけで、十分だった。
リサの中で、小さく安心が落ちる。
(よかった……マサキくんが楽しめてる)
それが分かるだけで、この場所の意味が変わる。
ケーキよりも、クレープよりも。
いちばん大事なのは、これだと思った。
隣にいるマサキが、楽しんでくれてること。
それだけで十分だと、確信に変わっていく。
クレープの匂いの中で、列はゆっくり進んでいく。
◇ ◇
リサはフォークでケーキの上のいちごをひとつ摘み上げると、そのまま口へ運んだ。
軽く噛んでから、目だけを上げる。
「マサキくん、ぶどう皮ごと食べてるの?」
マサキは一瞬だけ手元を見て、それから短く頷く。
「皮ごと食べるやつ」
リサはフォークを持ったまま、マサキの皿の上に目を落とす。
「へー、いっぱい持って来てるね。美味しいの?」
「まぁ……シャインマスカットだし、美味い」
「え、それシャインマスカット?!」
リサが声を上げた瞬間、椅子が軽く鳴った。
次の動きで、そのまま立ち上がる。
上体が一気に前へ出て、ニットの胸元がふわりと揺れた。
立ち上がった勢いの余韻が遅れて残り、マサキの目が一拍だけ止まる。
(……今、すごい揺れたな)
それだけが頭に残って、すぐに目を外すのが一拍遅れた。
「食うか?」
マサキの声は短い。
「うんっ」
食い気味の即答だった。
リサはそのまま手を伸ばし、シャインマスカットをひとつつまむ。
ぱくっ。
噛んだ瞬間、表情が一度止まる。
次の瞬間、目がすっと細くなった。
皮の薄さが先にほどけて、中の果汁だけがふわっと広がるみたいに、頬の力が抜ける。
「……うんまっ」
ふっと力が抜けたみたいに、表情がほどける。
目が細くなって、笑う前の空気みたいなものが顔全体に広がった。
(か、可愛いな……)
マサキは目を逸らさなかった。
逸らす必要が、すぐには浮かばなかった。
ただそのまま、もう一拍見ていた。
マサキは何も言わないまま、皿をリサの方へ寄せた。
目は一度だけ皿へ落ち、すぐにまたリサへ戻る。
リサは一瞬だけ動きを止めて、それから首を傾ける。
「……いいの?」
マサキは答えない。
代わりに、もう一度だけ皿を軽く押す。
その動きで意味が伝わる。
リサの表情がふっと緩んだ。
「わーい」
短く笑って、マサキのお皿のマスカットへ指先が伸びる。
迷いなくひとつつまんで、口へ運んだ。
ぱくっ。
噛んだ瞬間、リサの肩がわずかに跳ねた。
まばたきが一つ、遅れて落ちる。
声よりも先に、息だけが小さく漏れた。
「甘いのにすごいさっぱり、これ優勝だわー」
さっきより嬉しそうな声だった。
マサキはその様子を見たまま、何も言わない。
ただ皿を戻さず、そのままの距離で置いている。
ふ、と。
マサキの口元が、ごくわずかに緩む。
(……可愛い)
目が外れないまま、もう一拍だけ止まる。
次の瞬間、マサキは軽く顔をそらし、指先で口元を押さえた。
笑いが漏れそうになるのを、そこに隠すみたいに止める。
それでも目だけは、まだリサから離れていなかった。
◇ ◇
皿が空に近づくにつれて、リサの動きはゆっくりになっていった。
さっきまで迷うことなくフォークが動いていたのに、今は手が止まる時間が増えている。
小皿に残ったケーキを、どれから食べるか目だけで追って、すぐには手が出ない。
目だけが皿の上を行ったり来たりする。
(これを、制限時間内に食べ終わる形にするか。それとも、いま食べきってもう一回持ってくるか……)
フォークの先が、皿の縁に軽く触れる。
そこで止まる。
(マサキくん、同じくらい食べてるんだよね……)
ちらりと、マサキの前に置かれたお皿を見る。
まだそこまで減っていない。
(ここであたしだけ次行ったら、なんか……食べすぎって思われる)
喉の奥で、言葉にならない引っかかりが転がる。
その考えに自分で首を傾げる。
(いや、そもそも食べ放題でそれ気にするのって変じゃない?)
でもマサキが一緒にいる今は、話が別だった。
(……好きな人に、自分より食べてるって思われるの…やだなぁ)
マサキは同じくらい食べている。
だから、自分だけ追加で取りに行くのは恥ずかしい。
しかし、食べ放題なのだから、遠慮する理由はない。
そこまで考えて、リサは小さく息を吐く。
背もたれに体を預けると、膝の力が抜けて椅子がわずかに鳴った。
(でもまだ食べたい)
思考だけが忙しくて、どれも正解にならない。
決めきれないまま、リサは黙ってフォークを口へ運び始めた。
けれど、さっきより手はゆっくりで、皿の上を見ている時間が増えていた。
◇ ◇
テーブルの上では、会話が一度途切れたまま時間だけが流れていた。
リサは小皿のケーキをゆっくり食べている。
ただ、味を確かめるみたいにフォークが動いていた。
さっきまでの勢いが、少し落ち着いている。
食べ放題とは、そういうものなのだろう。
ずっと食べ続けるわけではなく、途中で少し休んで、話して、また食べる。
その、少し休んで話す時間が、今なのだと思う。
リサは何も言わないまま、ケーキの位置を目でなぞっている。
マサキはグラスを持ったまま、目を落とす。
(こういうとき、なに話せばいいんだ)
学校の話。
映画。
音楽。
最近見た動画。
どれも会話にはなる。
多分、普通ならそれでいい。
けれど今この席で出すには、どれも少しだけ違う気がした。
軽すぎる。
急すぎる。
今さらすぎる。
(何を聞けばいいんだ)
話題を探していたはずなのに、浮かぶものが少しずつ近すぎる方へ寄っていく。
好きなタイプ。
好きな髪型。
好きな性格。
(どこまでならセーフなんだ)
彼氏とか、そういう話。
(……いや)
スリーサイズ。
(いや、これはアウトだ)
マサキの中で、一瞬だけ、言葉の方向が変わる。
(違う……もっと聞きたいのあるだろ)
今日、楽しいか。
ここ、退屈じゃないか。
無理してないか。
食べれてるか。
(それはもう聞いてるみたいなもんか)
また考える。
オレといて、どう思ってるのか。
他のやつといるときと、違うのか。
こういうの、また来たいって思うのか。
(これ、聞いたら……変になるか)
さらに、喉の奥に引っかかるまま残る。
オレといるの、嫌じゃないか。
そこで一瞬、思考が止まる。
(女の子にいろいろ聞くのって……気持ち悪いか)
マサキはグラスの縁を指でなぞってから、目を落としたまま、結局何も言えないまま時間だけを見送る。
リサは特に何も言わない。
その沈黙が、重い。
(さっきまでは勝手に喋ってたのに)
ケーキの前では、何も考えずに流れていた。
だが、今は違う。
目が一度だけリサに向く。
リサはまだ皿を見ている。
フォークの先も、次に食べる場所を探すみたいに小さく動いている。
楽しんでいない、という顔ではない。
ただ、さっきみたいに声が弾む前に、何かで引っかかっているように見えた。
(……話題って、なんだ)
フォークの音だけが、時々小さく落ちる。
◇ ◇
沈黙が重くなる。
リサはまだケーキに手を伸ばしているのに、その動きだけがゆっくり見えた。
マサキは一度だけ息を吐く。
グラスに指をかけて、置き直す。
それから、スマホを取り出した。
画面が光る。
リサの目がある気がして、隠すようにテーブルの下で操作する。
検索バーに指が止まる。
打てば何か出るはずなのに、最初の一文字が出ない。
『女の子 話題 デート』
入力して、すぐに消す。
画面の中に残る単語が、妙に直球すぎた。
ここでスマホをいじり続けるのは違う。
マサキは画面を伏せて、目を上げた。
リサの皿は3分の1ほど残っている。
そのまま、立ち上がる理由を探すみたいに目を外へずらす。
椅子を引く。
「……なにか持ってこようか」
短く出た声は、気遣いの形をしていた。
けれど半分は、リサの視線を気にしたままスマホを隠している自分を、ごまかすための言葉であった。
リサの動きが止まる。
顔を上げる。
(まだ食べていいってこと?)
すぐにそう解釈する。
そこに、迷いがなくなる。
「じゃあ、いちご乗ったやつー!」
言いながら、目が明るくなる。
さっきまで止まっていたフォークが、また動き出す前の顔だった。
嬉しさが隠しきれていない。
「うん」
マサキは短く頷いて、そのまま席を離れる。
リサはその背中を見送る。
(よかった、まだ食べていいんだ)
フォークが再び動く。
リサの中では、会話が止まっていたわけではない。
ただ、食べていいか迷っていた時間が、そこで終わっただけだった。
◇
ケーキの並ぶ台へ向かうふりをしながら、マサキは店の中を歩いた。
リサの目が届かない位置を探す。
通路の途中で一度立ち止まる。
席から離れるにつれて、周囲のざわめきが変わった。
ちょうど柱の陰になる場所で足が止まる。
(ここなら見えない)
マサキはそこでようやくスマホを取り出した。
(話題ってなんだ)
検索バーに指を置く。
一度、止まる。
『話題 デート』
入力しかけて、すぐ消す。
(デートって単語を使うのは違う)
そういう言葉を入れたら、口説き方みたいなものが出てきそうだった。
今やりたいのは、それじゃない。
リサをどうにかしたいわけじゃなくて、ただ普通に話したいだけだ。
画面が一瞬だけ暗くなる。
またタップする。
『女の子 会話 続かない』
候補が出る。
そのままスクロールする。
違う。
『会話 ネタ 女子 盛り上がる』
出てくる内容が全部薄い。
どれも<正解っぽい何か>であって、今の状況じゃない。
(なんか、全部ズレてる気がする)
指が止まる。
(そもそも、何がしたいんだオレ)
画面を閉じかけて、また開く。
結局、さっき消した単語へ戻ってしまう。
『デート 話題 困ったとき』
検索結果。
恋愛サイト。
まとめ。
全部、どこか似たようなことが書いてある。
『趣味の話をしましょう』
『相手に質問をしましょう』
『共通点を探しましょう』
(それはそうなんだけど、それが分からないから困ってる)
マサキはスマホを握ったまま、目を細める。
(趣味……リサの趣味……)
映画、漫画、モデル、ゲーム。
どれも知っている。
覚えてはいる。
でも、それを自分から出したあと、どこへ続ければいいのかが分からない。
聞くだけ聞いて、次に詰まるのは嫌だった。
知らないくせに話題にした、みたいになるのも違う。
どこへ落とせばいいのか見えていないと、口に出せない。
そう考えるほど、言えることがどんどん減っていく。
そのときだった。
「……なにしてんの?」
評価くれるのメチャクチャ嬉しいです(^▽^)





