スイーツ 前編 ~誘ったのはオレだから2~’
(……やばい)
マサキは一瞬、自分が何をする予定だったか飛んだ。
本当は、自然に声をかけて、人混み側へ立つつもりだった。
流れで手でも引いて、改札へ向かって、そのままホームまで案内するつもりだった。
全部、消える。
可愛い。
まずそこしか残らなかった。
「マサキくん?」
「……あ、いや」
マサキは遅れて目を逸らす。
「その……似合ってる」
一瞬、リサが止まる。
「……へ」
耳が赤くなった。
「ん、んんー……ありがとう」
リサは照れたみたいに髪を触る。
そして今度は、じっとマサキの方を見る。
黒寄りの落ち着いたカーディガン。
白のインナー。
肩周りも、今日は少し整って見えた。
リサの目が、ゆっくり上下する。
「……なんか今日、すごい新鮮」
「そうか?」
「うん、いつもより大人っぽい」
リサは笑う。
けれど、そこで終わらず、もう一度だけマサキを見る。
さっきより少しだけ、視線が長い。
服を見ているのか。
自分を見ているのか。
それとも、頑張って選んできたのがバレているのか。
マサキは喉の奥で言葉を止めた。
「かっこいいよねー、ほんと」
リサは言ったあと、自分で言ったことに照れたようにスカートの裾をいじった。
「……」
マサキが一瞬だけ黙る。
目が泳ぐ。
褒められたことより、それをちゃんと見て言われたことの方が、逃げ場をなくしていた。
その反応が、余計にリサを照れさせた。
「えへへ……なんか、緊張してきた」
笑いながら、リサはマサキの隣へ並ぶ。
肩が触れそうな距離。
でももう、その近さを避ける感じは前より薄かった。
本当なら、ここで自然に手を取って、先を歩く予定だった。
昨夜、ベッドへ入ってからも何回か頭の中で練習した。
ここで軽く「行くか」と言いながら手を出す。
そのまま自然に歩き出す。
……はずだった。
だが現実は。
「マサキくん、はぐれないでねー」
そう言いながら、先に手を掴んできたのはリサだった。
「……っ」
マサキの肩が小さく跳ねる。
指先が絡む。
柔らかい。
温かい。
マサキの手より小さい指が、遠慮なく入り込んでくる。
リサは前を向いたまま、小さく笑った。
その横顔は、繋いだ手の熱を気にしていないふりをしているようで、耳が赤い。
「ね?」
軽い言い方。
でも、耳は赤い。
マサキは数秒遅れて、ようやく息を吐いた。
「……人、多いからな」
「うん」
短いやり取り。
リサはそのまま指を離さず、手の力をわずかに強めた。
マサキの手は硬かった。
緊張してるのが分かるくらい、力が入っている。
リサはその感触が嬉しくて、指へ力を返した。
一方でマサキは、静かに目を落としていた。
(先越された。しかも、自然に)
本当は。
自分からやるつもりだった。
手を繋ぐのも。
人混みを歩くのも。
リードする側になるつもりだった。
昨夜、あれだけ頭の中で練習したのに。
結局、先に動いたのはリサ。
自然だった。
迷いがない。
自分みたいに、タイミングを考えて固まったりしない。
(……ダサ)
落ち込む。
隣を歩くリサは、そんなこと全然気づいてなさそうに笑っているのに。
マサキだけが、一人で勝手に反省していた。
◇ ◇
駅構内へ入った瞬間、足音が変わった。
天井へ反響するアナウンス。
改札機が短く鳴る電子音。
休日の昼前らしいざわつきが、広い通路いっぱいへ流れている。
改札を抜けてからホームまでの流れを、昨夜のマサキは何度も頭の中でなぞっていた。
『次、快速だから』
『降りたら東口』
『そこから二番出口』
スマホの乗換案内を何回も見返して、頭へ叩き込んだ。
だが今、隣を歩くリサを見るだけで、思考の半分が飛んでいく。
目の置き場が、決まらないまま歩いていた。
ミニスカートの裾が歩くたび揺れる。
白い脚。
細い足首。
歩くたび、スカートの裾がふわりと揺れて、そのたびマサキは目を逸らすタイミングを失いかける。
(……見すぎだろ)
しかも本人は妙に楽しそうだった。
「電車久しぶりかもー」
リサはきょろきょろ周囲を見ながら笑う。
秋口には薄すぎる格好なのに、本人は気にした様子もない。
服、髪、薄いメイク。
今日のリサは、いつもより時間をかけてきている。
それが分かるから、余計に目の持っていき場が困る。
歩くたび、巻いた髪が肩で揺れる。
そのたびに甘い匂いがふわりと近づく。
「……電車」
言いかける。
「三番線だよね?」
先にリサが言った。
マサキの目が止まる。
リサは得意そうに笑った。
「……知ってるのか」
「えへへ、調べた」
リサは繋いだ手を小さく揺らした。
「次の発車、11時2分でしょ?」
「……まぁ」
「あと、降りたら東口方面ね」
「…………」
マサキは黙った。
昨日、自分で調べた内容だった。
発車時間。
到着時間。
出口番号。
全部、もうリサが把握している。
(オレ、意味あったか……?)
本当は、もっと上手くやりたかった。
自然に先回りして、迷わせず、リードして。
そういうのを想像していた。
じわっと落ちる。
でも同時に、リサが楽しそうに話していることに救われてもいた。
◇
電車が到着する。
扉が開いた瞬間、人が一気に流れ込んだ。
「……混んでるな」
「休日だしねー」
笑いながら、リサはマサキの後ろへついてくる。
車内は予想以上だった。
吊革はほぼ埋まり、通路も狭い。
マサキはとっさに、リサと人の流れの間へ身体を入れた。
「こっち」
「ん」
ドア横のスペースへ寄る。
後続の乗客が流れ込んでくる。
背中側から押される。
肩がぶつかる。
車内が揺れる。
その瞬間。
むにゅっ。
柔らかい感触が、マサキの上半身へ押し潰されるみたいに触れた。
「…っ」
マサキの身体が止まる。
近いというか、もう密着していた。
リサの身体が、ほとんどマサキへ預けられる形になっている。
胸がむにっと押し潰れ、柔らかく形を変えた。
薄手ニット越しの感触が、揺れるたび生々しく伝わる。
ふにっ。
むにゅっ。
電車が動くたび、柔らかい圧迫が増える。
(いや待て待て待て)
マサキは反射的に身体を引こうとした。
だが、後ろから人が押す。
横も埋まっている。
もう距離がない。
それでも何とか距離を作ろうと身体をよじる。
その瞬間。
「あぅ……」
小さく、痛そうな声。
マサキの動きが完全に止まった。
「……え」
見ると、リサが眉をわずかに寄せている。
押し潰された胸。
マサキが無理に離れようとしたせいで、余計に変な方向へ圧がかかっていた。
(やばい)
血の気が引く。
「だ、大丈夫か」
「ん……だいじょぶ……」
リサは小さく頷いた。
でも苦しそうだった。
マサキはその瞬間、完全に動けなくなった。
離れようとすると痛める。
柔らかい。
潰れてる。
電車が揺れる。
そのたび、むにゅ、と柔らかい感触が押し返してくる。
(……終わった)
マサキは天井を見る。
完全停止。
下手に動く方が危険だと理解してしまった。
一方リサは、最初こそ驚いていたものの、数秒後にはマサキの背中に手をまわしバランスを取っていた。
顔が近い。
伏せ気味の睫毛。
ほんのり赤い耳。
混雑で熱を持った頬。
その距離で、リサが小さく笑う。
「……マサキくん、いてくれて助かる」
「……は?」
マサキの眉がわずかに動く。
電車の揺れに合わせるように、リサの体がマサキへ預けられ、そのまま小さく笑った。
「だって、人すごいし」
背中側で、また誰かがぶつかる。
車内が揺れる。
でも、リサはさっきより身体へ力を入れていなかった。
「マサキくんいると、押されないもん」
「…………」
マサキは言葉を失う。
自分は今、何かをうまく導いているわけじゃない。
立っているだけに近い。
それでもリサは困った顔をしていなかった。
肩のあたりへ体を預けたまま笑う。
「ありがと」
声は小さい。
電車の音に混ざるぎりぎりのところで、マサキの方にだけ届く。
マサキは数秒遅れて目を逸らす。
(……意味、あるのか)
さっきまでの空白が、形を変える。
完璧に案内できているわけじゃない。
予定通りでもない。
それでも今、リサは確かに落ち着いている。
その事実だけが、静かに残った。
◇ ◇
駅からホテルまでは徒歩七分だった。
街路樹の並ぶ歩道を、二人並んで歩く。
ビルの隙間から差す光が、白い外壁に反射していた。
「もうすぐだー」
リサは繋いだ手を軽く揺らしながら前を見ている。
足取りが速い。
その横顔は、さっきまでの駅の喧騒とは違って、ずっと軽い。
目の奥まで楽しそうで、歩くたびに髪の先が跳ねる。
「食べ放題とか久々だなー。マサキくんは最近行ったりした?」
「……焼肉なら」
マサキは短く返しながら、ホテルの入口を探して目を上げた。
ガラス張りの外壁。
石の柱。
自動車の乗り降りスペース。
思っていたより、ずっとしっかりした場所だった。
「……でかいな」
思わず声が漏れる。
「わぁ……」
リサも同じタイミングで足を止めていた。
見上げたまま、口をわずかに開ける。
「ホテルって感じするねー」
そのまま笑う。
いつもの軽さのままなのに、目線は建物の奥まで追っている。
マサキは一歩だけ遅れて歩き出す。
ガラス扉。
ホテルのロゴ。
左右に開く重そうなドア。
歩きながら、頭の中で一瞬だけ段取りが浮かぶ。
(ここで……先に開けて)
頭の中では、自然に一歩出て、リサの前に立つ。
扉に手をかけて、先に開ける。
それが、思い描いていた流れだった。
脳内でもう一度シミュレーションする。
次の瞬間、リサの手が離れた。
そして、リサが一歩先に出ていた。
ガラス扉の前で軽く足を止めることもなく、そのまま自然に手を伸ばす。
カチャ。
軽い音がして、ドアが開いた。
「……え」
マサキの足が一瞬止まる。
リサは振り返りながら、軽く笑った。
「ほら、入ろー?」
何でもないみたいな声。
そのまま扉を押さえて待っている。
マサキは一瞬、反応のタイミングを逃して、目を逸らすのが遅れたまま固まる。
(今、オレがそれやるとこだったのに)
胸の奥で、言葉にならない引っかかりが残る。
リサはそれを気にする様子もなく、身体を横にずらした。
先に入るように、という自然な動き。
「マサキくん、どうしたの?」
「……いや」
マサキは短く答えて、扉の前へ足を進める。
ガラス越しに見えるロビーは、想像より明るかった。
高い天井。
白い照明。
奥に続く広い空間。
受付カウンター。
案内表示。
左右に分かれた通路。
スタッフの立っている位置。
目だけが先に動く。
初めて入る場所の広さと明るさが、頭の中の段取りを一瞬だけ鈍らせた。
さっきまで頭の中で組み立てていた流れが、入口で崩れる。
リサはすでに息を弾ませていた。
歩きながら、周囲を見回す。
「うわ…きれー…」
そのまま振り返る。
「ね、マサキくん」
呼ばれて顔を上げる。
リサは楽しそうに笑っているだけだった。
「はーやく」
リサが一歩戻るように近づいて、マサキの手を取った。
マサキがそちらへ視線を戻すより早く、リサは迷いなく受付の方へマサキを引っ張っていく。
靴音が響く。
「すいません、予約してるんですけどー」
リサは自然に前へ出る。
スタッフの案内に頷く動きも迷いがない。
(誘ったの、オレだよな……)
その思考だけが、静かに残る。
リサは気にしていない。
むしろ、楽しそうだった。
「マサキくん、こっちだって」
振り返って笑う。
軽く手を引っ張って、そのまま歩き出す。
入口を開けたのはリサで、今の流れもリサが作っている。
◇ ◇
ホテルのロビーを抜けて、案内された先は大きなガラス窓のあるフロアだった。
照明は白く柔らかいのに、どこか眩しい。
奥まで続く空間に、色が散らばっている。
苺。
白いクリーム。
艶のあるチョコレート。
レモンのゼリー層。
ピスタチオのクリーム。
キャラメルが流れるタルト生地。
ナッツが散ったムース。
前面に扉のついたガラスケースの中に、整列するように並んでいた。
「……」
マサキは一瞬、言葉を失う。
よく行く焼肉の食べ放題みたいに、肉を注文して焼けばいい場所とは、空気からして違っていた。
甘い匂いが満ちていた。
目の前の情報量が多すぎて、目の置き場が定まらない。
一方で、隣のリサも止まっていた。
繋いだ手のまま、ほんの少しだけ前へ出る。
「え……すごぉ」
息が混ざるみたいな声。
「すご…すごすぎる」
目の奥が一気に明るくなる。
ガラスケースへ吸い寄せられるみたいに、身体が傾く。
白いニットの袖が揺れて、ショーケースの光を受けた髪がふわりと跳ねる。
マサキはその横顔を見てしまう。
さっきまで駅で見ていた<人目を引く存在>とは違う。
今はただ、目の前の甘いものに引っ張られている顔だった。
「こんなん可愛すぎて食べられないよ。食べるけど」
リサは笑いながら、ガラス越しのケーキを指で追う。
ショートケーキ。
苺タルト。
艶のあるベリーのドーム。
ミルクレープの層。
チーズケーキの滑らかな断面。
フルーツロールの断面に巻かれたクリーム。
ガトーショコラの濃い影。
モンブランの細い糸状クリーム。
目が忙しく動いている。
「どうしよう、なにから食べればいい?」
身を乗り出すたびに、ニットの肩が軽く上下する。
目が完全にケーキへ固定されていた。
「やばいやばい全種類は無理だ。厳選しないと…」
独り言みたいに言いながら、もう笑っている。
指先が落ち着かないまま、ケースの中を何度もなぞる。
マサキはその横で、静かに立ち尽くしていた。
(……楽しんでる)
さっきまで頭の中にあった<段取り>が、少しずつ薄れていく。
トングの動かし方。
最初に取る量。
皿のバランス。
どれも、今のリサの前では意味が薄い気がした。
リサは迷っているようで、楽しんでいる。
選べないことすら、嬉しそうだった。
マサキの目が、もう一度ガラスケースへ戻る。
苺が山のように積まれたタルト。
真っ白なホイップと赤いベリーが重なるケーキ。
光を反射するドーム型の艶。
どれも整っていて、少し眩しい。
「……任せる」
マサキは小さく言う。
「うん!」
リサは迷っているくせに、手だけはもう動いていた。
トングを手に取りながらも、目はずっとケースの中にある。
「どうしよう、天国すぎる」
笑いながら言っているのに、声が弾んでいた。
次の瞬間にはもう、選んでいる。
一つ選ぶたび、迷いがないのに、次を見てしまう。
皿の上が少しずつ甘い色で埋まっていく。
「これも絶対おいしいやつじゃん……」
小さく息を吐いて、またトングが動く。
横で見ているだけなのに、目の奥がずっと忙しい。
◇
案内された席は、窓際だった。
ガラス越しに、外の光がテーブルへ落ちている。
リサは座るより先に、トレイを置いた。
椅子を引く動作が半拍遅れる。
そのまま、フォークを取る。
いちごの乗ったタルト。
白いクリームが崩れないまま、光を反射していた。
「……いただきます」
小さく言って、迷いなくケーキを口に運ぶ。
次の瞬間。
動きが止まる。
フォークが途中のまま止まる。
「んー、おいしーっ」
一口目で、目が細くなる。
フォークを持ったまま、身体が後ろへ揺れた。
次のケーキを口に運ぶ。
「これやば……ほんとやばい」
頬がゆるむ。
言葉が追いついていないのに、楽しさだけは増えていく。
口元が緩むたびに、目がケーキの上を滑っていく。
(……楽しんでるな)
その事実が、ようやく形になる。
うまく案内できたかとか。
どっちが扉を開けるとか。
先に手を繋ぐとか。
そういうものが、関係ない位置へ落ちていく。
代わりに残るのは、目の前の光景だけだった。
ケーキを見て、迷って、選んで。
口に運んで、止まって、また次を見る。
その繰り返しが、ずっと崩れない。
マサキは息を小さく吐いた。
(……そうか)
短い納得だった。
リサはただ、楽しんでいる。
その事実が、遅れて落ちてくる。
マサキは目を落とした。
皿の上のフルーツは減っていないのに、なぜか重さだけが軽くなっている。
ふと、口の奥で言葉が形になる。
(……誘って、よかったな)
声にはならない。
ただ、その一言だけが、ずっと残った。
リサはもう一口、ショートケーキを口に運んでいた。
クリームが唇につく。
「あ、これ無限にいける」
その笑顔は、どこにも作られていない。
ただ甘いものに夢中な顔だった。
◇ ◇
マサキの皿には、静かな色だけが並んでいた。
メロンの淡い緑。
いちごの赤。
マンゴーの柔らかな黄色。
その間に、クリームの少ないムースとプリンが置かれている。
それを選んだのは、ほとんどリサだった。
自分の皿にはケーキを並べながら、マサキの方にはフルーツを多めに、クリームの少ないものをひとつずつ置いていった。
派手さはないのに、妙に落ち着いたまとまりがあった。
一方で、リサの皿は最初からずっと忙しい。
フォークが止まらない。
次の一口が、すでに次の選択になっている。
ケーキをすくって、口へ運ぶ。
「……んっ」
その瞬間だけ、表情が一度止まる。
目がぱっと開いて、それからゆっくり細くなる。
肩がふわりと落ちて、息がほどけるように抜けた。
「これ……おいし……っ」
言い切る前に、もう次へ手が伸びている。
迷いがない。
ためらいもない。
ただ<楽しい>だけが、連続している。
その顔が、やたらと自然に可愛い。
(……可愛いな)
評価くれるのメチャクチャ嬉しいです(^▽^)





